121 新装開店 4
レテウスと別れ、シュヴァルと連れ立ってカッカーの屋敷へと向かう。
ユレーの話で受けた胸の痛みに、隣の少年はすぐに勘付いたらしい。
「シケた顔してんな。そんなんで商売なんかやれるのか?」
まったくもって仰る通りであり、返す言葉がない。
しょぼくれ萎れた店主のところになど、客は寄ってこないだろう。
元気だけが取り柄なのだから、マティルデのことは今は考えない。
明るい顔を意識しつつ、ティーオは歩く。
「おはよう、ティーオ」
屋敷には元仲間たちの姿があり、声をかけてくれた。
背後の少年に気付いて、フェリクスは驚いた顔をしている。
だが、目配せひとつで問題はないとわかってくれたようだ。
小さく頷き、口元には微笑みを浮かべてくれている。
元気そうな様子に、ティーオも安心して厨房へと向かう。
「ギアノ、来たよ」
朝の慌ただしさの過ぎた厨房にはギアノとアデルミラがいて、一緒になって商品の確認をしているところだった。
アデルミラはティーオに気付くと優しく微笑み、ギアノも明るく声をかけてくれる。
「じゃあ行ってくるよ。アデルミラ、よろしくな」
「はい。ギアノさん、いってらっしゃい」
「なにかあったら呼びに来て。神殿の人にも話はしてあるから、協力してもらって」
二人の雰囲気はかなり良い。
アデルミラが戻ってきてからそれなりの時間が経った。雲の神官は探索には行かずに屋敷で手伝いをしており、ギアノと過ごす時間は長いに決まっている。
「あ、ティーオ。お店を始めるって本当?」
背後からした声に振り返ると、ララが厨房の入り口からのぞき込んでいた。
「うん。そうなんだ」
「ギアノのお菓子を売るんでしょう? 買いに行くから、オマケしてほしいな」
「ララ、そんなお願いをされたらティーオが困るだろう」
ギアノに注意をされ、ララはぺろっと舌を出して笑っている。
「キーレイさんから聞いていないのか」
「なにを?」
「明日からだけど、お茶の時間の用意を頼まれたんだ。働いている神官のために、お菓子を用意するって契約をしたんだよ」
「え、そうなの?」
「商品として菓子を売り出すから、ただで振舞うわけにはいかないだろうって。キーレイさんが気を遣ってくれてね」
「えー、神官長も食べたいだけだと思うな。あのお茶、すごく気に入ってるみたいだし」
アデルミラが笑い、ギアノも「そうかもな」と頷いている。
厨房の空気は明るく華やかで、ティーオの胸のうちのモヤモヤは更に膨れた。
「お前、いつもあんな風に女に囲まれてんのか」
そんなモヤモヤについてずばりと切り込んだのはシュヴァルだった。
屋敷を出て、商品を台車に載せて運んでいる道の上で。
突然の少年の発言に、ギアノは驚いた顔をしている。
「女に囲まれる? ああ、さっきみたいにってことか。まあ、なくはないけど、それ以上に男に囲まれているよ」
料理、掃除、洗濯、物の貸し出しや相談ごとなど、屋敷に住む青年たちはなんだってギアノに持ちかける。
なのでギアノの発言は正しい。間違いない。さっきはたまたまアデルミラとララがいて、華やかな現場を見かけただけだ。
「ユレーとマティルデとかいう女と、あとはなんだ。マージか。頼られてんだろ」
「ユレーさんには俺の方が頼ってるよ。マージはスカウトとして活躍していて、それなりに知られた存在なんだ。面倒見が良くて、マージも頼られる側だな」
「もう一人は?」
シュヴァルはこう言い放つと、なぜかティーオに目をむけてニヤリと笑った。
恐ろしい子だと思うものの、ギアノの返事も気になってしまう。
「マティルデは……、そうだなあ。あの子は不幸な目にあったから、手を貸してやらないと」
「不幸な目って?」
「俺が見たわけじゃないから、詳しくはわからないよ。ただ、そのせいでいろいろとやれなくなっちまったみたいだからな」
「お前が助けてやって、それでどうしようと思ってる?」
「どうしようもなにもない。マティルデがどうするかは、マティルデが決めることなんだから」
良い未来に繋がるといいんだけど、とギアノは呟いている。
下世話な話になる気配は皆無で、シュヴァルは肩をすくめていた。
話したではないか。
ギアノが屋敷にやって来た時。
男性恐怖症になってしまったマティルデがなぜか頼っていた男について。
カミルもコルフも感心していた。頼れるただ一人の男という立場にいるのに、ギアノはマティルデに対してとても誠実で、下心などかけらも見せなかったと。
店にたどり着き、鍵を開ける。
中にあるのは昨日用意した革製品だけで、店舗はまだ寂しい状態だ。
「よし、やっていこうか」
箱を丁寧に拭いて、棚の上に設置していく。
ギアノに指示をされると、シュヴァルは素直に言う通りに動いた。
仕事はてきぱきと進んで、保存食が順番に並べられていく。
味の説明や扱い方についても詳しく聞いて、ティーオは改めて頭に叩き込んでいった。
干し肉作りのために材料を提供して、味見をさせてもらった。
味についてあれこれみんなで意見を言い合ったが、結局どれもうまいうまいと誉めてしまったものだ。
「これ、いい匂いがするな」
シュヴァルが呟き、ギアノが笑う。
「味見してみるか」
「いいのか?」
「いいよな、店長」
シュヴァルは椅子にどかんと座って、肉にかじりついている。
そんな少年をじっと見つめて、ギアノはなにか考えているようだった。
どこか寂しげな様子が気になり、ティーオは問いかける。
「どうかした、ギアノ」
「いや、旨そうに食ってくれて嬉しいなと思って」
「嬉しそうって感じじゃないけど」
「そう? いや、嬉しいのは本当だよ」
一通り干し肉を並べ終わると、ギアノはいつもより小さな声で事情を話してくれた。
探索をする仲間になれそうだった二人について。戻って来なかった彼らに、旨い保存食を作って欲しいと頼まれたのだと。
「食堂には来てもらったりしたんだけどな。保存食は間に合わなくて、食べさせてやれなかったんだ」
「そっか。……きっと喜んでくれたと思うよ、これ。どれもすごくうまいから」
「ありがとうな、ティーオ」
試食を終えたシュヴァルは「まあまあだな」と澄ました顔だが、気に入ったに違いない。
商品を並べ終わってから改めて店内を見渡し、棚や台、照明を移動させ、調整していく。
シュヴァルは白けた顔で座り込んでいたが、ギアノに促されると文句を言いながらもちゃんと手伝ってくれた。
箱の中に並んだ乾燥果実が気になるようで、ちらちらと視線を向けている。
強がってはいるが、中身はやはり十一歳の少年なのだろう。
ティーオはそう考えてふふっと笑ったが、この想像は間違っていたことがわかった。
「お前、女に興味ねえのか?」
ひとまずこれでいいだろうと配置換えを終え、休憩しようと座り込んだ後。
甘酸っぱいお菓子を一つ振舞われ、ちびちびとかじるとシュヴァルはいきなりこう言い放った。
「俺?」
ギアノは目を丸くして、別にそんなことはないよと答えている。
「なんでそんなことを言うんだ」
「さっき屋敷にいた二人、なかなかの上玉だっただろう。なのにお前、興味なさそうな顔してるよな」
「上玉って……。アデルミラとララのことだよな? そんな風に言うのはよせ」
あきれた視線を向けられているのに、シュヴァルは不敵な笑みを浮かべている。
「そういやあの屋敷にゃあ、とびっきりのいい女がいたな。あの女となにかあるのか?」
「とびっきり?」
強盗事件の時にも聞いた言葉だ。
とびっきりのいい女。カッカーの屋敷を仕切っていた、極上の美女のことだろう。
「ヴァージさんのことだと思う。シュヴァル、あの人は結婚していて、子供も二人いるんだ」
「それがどうした」
「どうしたもなにもない。ヴァージさんは屋敷の主人であるカッカー・パンラと結婚しているんだ。元は樹木の神官長で、探索者としても高名で、探索初心者たちや困っている人間のために働いてくれる立派な人だからな。そんな人の奥さんに手を出す奴なんていないよ」
「はっ! いくじなしなんだな、お前ら」
「それ以前の問題だ。そもそも、俺たちみたいな若造、ヴァージさんが相手にしないよ」
「言い寄られたらその気になるかもしれねえだろ」
「どんな環境で育ったんだよ、シュヴァルは」
ティーオも心底呆れてこう呟くと、さすがに少年は口を噤んだ。
だが視線を管理人に向け直すと、首を傾げてこんなことを言いだしている。
「マティルデとかいう女にも手を出す気はねえんだろ? ユレーはまあ、見た目が良くないからわかる」
「お前なあ……」
「男ってのは、女を落としてなんぼだろ。それがいい女ならもっといい」
「わかるよ。そんな考えの人間もいる。俺も知っているよ。そんなことを言っていつまでも女の尻を追いかけて、身を固めずに生きている猟師を知っているけど」
けれど、「絶対に正しい価値観」ではない。
ギアノは穏やかに話したが、シュヴァルは怪訝な表情を浮かべている。
「お前、いけるだろ。どの女も落とせるよな?」
「そんなことはないよ」
「いいや、いけるね。今日見た二人ならどっちも絶対にいける」
ギアノは言葉に詰まり、ティーオは見かねて少年を止めた。
「やめろよシュヴァル」
「リュードも変だが、お前も変だな、料理人」
シュヴァルの方がよっぽど変だとティーオは思う。
子供らしくなさすぎる。
一体どこでどうやって育ったら、こんな十一歳が出来上がるのだろう?
だが一方で、クリュとギアノに抱いた違和感について興味が湧いている。
「ギアノのどこが変だって?」
ティーオの問いに、シュヴァルは鼻を鳴らして答えた。
「若いうちは女が欲しくてしょうがねえもんなんだろう?」
「うーん。まあ、……いや、そこまでは」
「眉毛は根っからの女好きだって、リュードも言ってたぜ」
シュヴァルの価値観では、若い男は女を求めるのが当たり前であり、ちょうど良い存在がいるのなら片っ端から手をつけていけばいいらしい。
そんな芸当ができる色男も、たまには存在しているのだろうか。
ギアノはそんな真似はしないだろうとティーオは思うが、確かに、さまざまな女性から頼りにされている。
「ギアノ、恋人はいないの?」
「ティーオまでなにを言い出すんだよ」
「いや、故郷に残してきたりしてないのかなって」
十四で故郷を飛び出したティーオよりも、ギアノの方が少し年長だから。
顔は地味で、どこかの誰かを思い出させるものだけれど。
けれど働き者で、頼めばなんでもこなせるし、とても優しい。ギアノの性格にケチをつける者は少ないだろう。
特技がたくさんあるようでもある。
真偽は確認していないが、ニーロたちと「青」に行ったと噂に聞いていた。
港町の育ちで、泳ぎが得意そうだから呼ばれたのではないか。
呼ばれて、行って、無事に帰ってきた。つまりギアノは、探索においても頼れる人間の可能性が高い。
屋敷の若者はこそこそと、食堂の隅でこんな風に語り合っていた。
「前にも同じことを聞かれたよ。俺にはそういう相手はいないんだ」
「本当に?」
「ああ、いない。……いないんだよな。可愛いなと思う子はいたんだけど」
「いたんだけど?」
「気がついたら、誰かの嫁になっちゃってて」
「なに言ってんだ、この腑抜けは」
シュヴァルにまた罵られ、ギアノは眉間に皺を寄せている。
とうとう怒ってしまったのかとティーオは思ったが、管理人はしばしの沈黙ののち、深刻な表情を二人に向けて呟いた。
「いや、とにかく時間がなかったんだ。毎日あれこれ頼まれて、終わったらまた別のことを頼まれてさ。朝起きて、食事の支度を手伝うだろう? 食器を集めて、洗って、片付けたらおじさんが来るんだ。天気や季節で違うけど、森に猟に行くか、海に潜りに行くか、とにかく行って食材だのなんだのを採る。なければ洗濯するし、時間があいてればチビの世話を頼まれる。チビが大勢いるから散らかるんだよな。掃除をしなきゃならないだろう? 夜になる前に店の準備もしなきゃならないし、買い出しにも付き合うんだ。隣の農村に行くこともあるよ。店が開いたら料理を運ばなきゃならないし、片付けもするし」
「どんな暮らしだよ、お前」
「俺もシュヴァルに同じことを聞きたいけどね」
珍しい返答をして、管理人は項垂れている。
「ギアノの家の人ってみんなそんなに働き者なの?」
「多分? 全部はわからないけど」
いや、きっと違う。甥っ子だの姪っ子だのがたくさんいるのは、兄姉たちに好みの相手と過ごす時間があったからだ。
「今は声をかける時間くらいあるんじゃねえか? お前はよっぽど働くのが好きみてえだが、誰かに扱き使われてるんじゃねえだろ」
「ああ、そうだな。今はそうだ」
「誰かにさらわれる前に、うまいことやれよ」
にやりと笑うシュヴァルに肩を強く叩かれ、ギアノは頼りない顔で笑った。
「これ、旨いじゃねえか。もうひとつくれよ」
「気に入ったのか。仕方ないな、じゃあ一つだけ」
店主が気前よく商品を振舞うと、少年は嬉しそうに果実を齧った。
酸味と甘味を楽しみつつ、少年はど真ん中のぽっかりとあいたスペースを指さしている。
「なんでここにはなにも置いてねえんだ?」
「ここには焼き菓子を置くんだ。長持ちしないから、朝焼いて、その日のうちに売るんだよ」
「焼き菓子?」
「食べてみるか。屋敷にいくつかあるから、寄って帰るといいよ」
開店前日に出来る準備はすべて終わって、明日の打ち合わせも済んだ。
戸締りをしっかりとして、台車を引いて屋敷へと向かう。
ギアノはシュヴァルにお菓子を用意しようと言い、ティーオと、留守番をしていたアデルミラにも一緒に振舞ってくれた。
少年は素直に褒める言葉を口にしなかったが、気に入っただろうとティーオは思っている。
「俺、もう一度出かけてきていいかな」
「大丈夫ですよ。どちらへ行かれるんですか?」
アデルミラに問われて、ギアノは小さく頷いている。
「市場に行ってくる。野菜がないみたいだからさ」
「あ!」
「なにかあったのか、アデルミラ」
「いえ、お昼過ぎに厨房を使っていた方たちがいたんですけど、様子が少しおかしかったので」
もしかしたら失敗したのかもしれない。
雲の神官の言葉に、ギアノは軽やかに笑っている。
「なるほどね。焦がしたようなにおいがしたのはそのせいか」
「すみません。手伝ってあげれば良かったですね」
「いやいや、いいんだよ。失敗してわかることもいろいろあるだろうからさ」
料理の初心者たちがダメにした食材を用立てに、管理人は出かけていく。
夕方までに間に合わせたいのだろう。ティーオたちにゆっくりしていけよと声をかけ、急ぎ足で廊下を進んでいってしまった。
「忙しい奴だな」
シュヴァルは偉そうにふんぞり返るように座る。
足を広げ、斜めに構えていて、行儀はかなり悪い。
アデルミラは片付けがあるらしく、裏庭に向かってしまった。
管理人特製のお茶はまだ残っているので、終わったらなにか手伝いにいこうとティーオは考える。
「おーい、誰か。いないのかー」
すると屋敷の入り口から声が聞こえてきて、新米商売人は立ち上がった。
ギアノもいないし、アデルミラには聞こえていないだろう。
シュヴァルはカップを持ったまま、目だけでティーオにこう命令した。「お前、見て来いよ」と。
「おーい、ここ、カッカーとかいう奴の屋敷なのかー。誰もいないのかー」
小さなご主人様の命令通りに、ティーオは玄関へ向かう。
扉を開けたままで、少年が一人。素朴な顔の訪問者は、ようやく現れた誰かの様子を窺っている。
「やあ、いらっしゃい。ここはカッカー・パンラの屋敷で間違いないよ」
「とかいう奴」と言うのはやめろ、もしくは、管理人は今留守にしている。
どちらから言うべきか迷うティーオに、お客の少年の方が早く切り出した。
「ここにギィおじがいるって本当か?」
「ぎぃおじ?」
「俺の叔父さん」
「ぎぃおじって? 名前は」
「ギアノ」
「ギアノ? ギアノ・グリアド?」
「そう」
「確かにここにいるけど、今は留守にしていてね」
「どこ行った?」
また偉そうな子供が現れたとティーオは思った。
シュヴァルよりも少しだけ上、十二か十三歳か、そのくらいに見える。
「人に尋ねる態度ってもんがあるだろう?」
「はあ?」
「はあじゃないよ、はあじゃ。こういう時はまず名乗りな」
「ブラウジ」
偉そうに言った以上仕方ない。ティーオも名乗り、ブラウジを連れて食堂へと戻る。
シュヴァルはじろじろとやって来た少年を見つめていたが、なにも言いはしなかった。
アデルミラを呼びに行くべきか。
管理人の部屋に通した方がいいだろうか。
「で、ギィおじはどこだ」
もしくはギアノが帰るまで、ティーオが相手をするべきか。
考えていたのに、勝手に選択肢はひとつに絞られてしまったようだ。
「今は買い出しに行っているよ。そのうち戻ってくるから」
「本当にここで暮らしてんのか」
「暮らしているけど」
「わけがわからない。なんでこんな街で暮らしてる? 海もないし、なんだか埃っぽくてごみごみしてるのに」
ブラウジは荷物から紙を取り出し、ひらひらと揺らすと、なぜかティーオの前にばんと叩きつけた。
「ラディケンヴィルスのカッカー? の、屋敷にいるだなんて、手紙なんか寄越して。急にいなくなったと思ったらさ」
「ギアノはなにも言わずに家を出たの?」
「知らない。ばあさんは、なんだか家を出る話を聞いたような気がするとか言ってたけど」
だけど他は全員知らなかったとブラウジは話した。ずっと怒っているような、呆れているような口調であり、ティーオは不穏な気配を感じている。
「ギィおじはここでなにしてんだ?」
「なにって……。いろいろだけどね」
「いろいろ?」
「俺が勝手に話すのは違うだろうから、ギアノが戻ってきたら聞いて」
「いいや。話してるヒマなんかない。すぐに戻ってもらうから、荷物があるなら持ってきてくれよ」
なにから咎めるべきかわからない。
そんなティーオと違って、シュヴァルには迷いがなかった。
「お前、随分偉そうだな。あのギアノって奴の身内か?」
「そうだよ。俺の親父が、ギィおじの一番上の兄」
「何歳だ、お前。兄弟の子供にしちゃ随分デカいな」
「関係ないだろ。いいからギィおじを呼んでくれよ。来るのに四日もかかったんだぜ? 帰るのにも四日かかるってことだろう。早く帰らないと、子供が生まれちまう」
「子供? お前の?」
「おふくろのだよ。それと、おばさんたちもだ。そろそろ三人生まれるから、ギィおじに面倒みてもらわないと困るんだ」
ブラウジの話し方はなかなか偉そうだが、座り方はシュヴァルに敵わない。
足は大きく広げているが、ふんぞり返ってはいないから。
ティーオの思考は少しだけ、現実逃避をしかけている。
この甥っ子はギアノを故郷に連れ戻しに来たようであり、ティーオとしては止めたくて仕方がない。
ここを去るか留まるか。
かなり大きな決断と言っていいだろう。
ギアノの人生はギアノが決めるべきだ。受け入れるか、断るか、もしくは少し待ってもらうか。
選択肢は様々にあるだろうがとにかく、他人であるティーオに口を出す権利はない。
「困るって、なにが?」
ティーオが口を噤んでいるからなのか。シュヴァルは身を乗り出し、ブラウジに問いかけていく。
「赤ん坊の世話はギィおじがするんだ」
「赤ん坊の世話をするのは産んだ女だろ? なんで乳の出ないあいつにやらせる?」
「みんなギィおじに任せるって言うから」
「はあ? ろくに女と縁のない男だぞ。どうして赤ん坊の世話なんか任せるんだ」
あいつに子供がいるなら、まだわかる。
シュヴァルはニヤリと笑い、ブラウジを更に責めた。
「わざわざ何日もかけてあいつを連れ戻す暇があったら、お前がやれよ」
「なんで俺が?」
「お前の兄弟が生まれるんだ。お前がやれば済む話だろ」
「できないよ」
「できなくてもやれよ。それが筋ってもんだ」
「すじ?」
「お前の父親と母親との間に、お前の弟だか妹が生まれるんだよな?」
「だから、ギィおじが見るんだって。おやじもおふくろも、じいさんもそれがいいって言うんだから」
ブラウジに怒鳴られて、シュヴァルはにやりと笑った。
不敵な笑みを浮かべてティーオへ振り返り、なるほどな、と呟いている。
「あいつが変になっちまったのはこいつらのせいだな。人に押し付けてラクすることばっかり考えてんだ、揃いも揃って、一族全員」
「いや……。そこまでかな?」
「わざわざ何日もかけて探しに来たのは、絶対に面倒ごとを押し付けるつもりだからだぜ」
シュヴァルは大きな声で笑い、ブラウジは顔を赤く染めている。
「なんだよ、お前、俺よりも年下のくせに」
「俺よりも年上のくせに、きょうだいの世話もしねえのかよ」
口調は荒いが、シュヴァルの意見を支持したい。
とはいえ、ギアノがいない場でこんな風に甥っ子を追い詰めるのも良くはない。
年長者としてどうやって場を諫めるべきなのか。
できればどちらも怒らせない、良いやり方をしたい。が、なにから切り出せばいいのやら。
「あら、お客さんですか?」
迷っているうちにアデルミラが戻って来て、真っ赤な顔の少年を不思議そうな顔で見つめている。
愛らしい神官の登場に、ブラウジは少し落ち着きを取り戻したようだ。
「アデルミラ、この子はブラウジ。ギアノの甥っ子なんだって」
「まあ、そうなんですか。ようこそ迷宮都市へ」
「ああ、はあ、えへへ。こんにちは」
「女には随分態度が違うんだな」
一時的にでも平和が戻るかと思いきや、シュヴァルの鋭い言葉でまた場の雰囲気が悪くなっていく。
戸惑うアデルミラに、ティーオはここまでの出来事をかいつまんで説明していった。
「ギアノさんに戻ってほしいのですか」
「そうなんだよ。赤ん坊が三人も生まれるんだ」
「まあ! それはとても嬉しい出来事ですね。ブラウジさんと家族の皆さんに、たくさんの恵みが訪れますように」
まずはお祈りが入って、ブラウジも慌てて手を合わせている。
口の中でもにゃもにゃと呟きながら、ちらちらと神官の様子を窺っているようだ。
「確かに、ギアノさんは幼い子のお世話がとても上手ですね。私たちも助けて頂いたことがあるんです」
「そう、そう。ギィおじは赤ん坊の世話が得意なんだ」
「もしかして、あなたもお世話をしてもらったのではありませんか?」
「まあな。あの頃はギィおじもまだ子供だったっていうけど、でもよくやってくれたってばあさんが言ってて」
「あなたのお年から考えると、ギアノさんは五歳か六歳くらいで、まだ本当に小さな子供の頃ですよね」
「ああ!」
「そんな小さな子供が赤ちゃんのお世話をできたのは、あなたのおばあ様の教え方が上手だったのでしょう」
「ばあさんの?」
「だって、赤ちゃんのお世話はとても大変なんですよ。飲むものも食べるものも違いますし、おしゃべりもできませんし」
シュヴァルが余計な口出しをしないようにしなければいけない。
ティーオはそう考えて少年の横にぴったりとついていたのだが、小さなご主人様は黙ったままだ。
アデルミラはずっと優しく微笑みを湛えており、ブラウジの手を取って、あなたもおばあさまから教われば良いと熱く語っている。
「いや、俺はできないから」
「小さな頃のギアノさんができたんですよ。ギアノさんは甥姪がたくさんいると仰っていましたが、あなたの他にも兄弟がいらっしゃるのではありませんか」
「ああ、いるけど」
「では、みんなで協力すればきっと大丈夫です」
「あの」
「私には兄さましかいないんです。もう父さまも母さまもいない二人だけの兄弟ですから、そんなに大勢の家族がいるなんてうらやましいです。きっととても賑やかなんでしょうね」
「確かに、大勢いるよ」
「大勢いるなら大丈夫です。ギアノさんに頼らなくても、協力していけば赤ちゃんは無事に育ちますよ」
「だけど、うまくやれないかも」
「失敗から学ぶこともあるって、ギアノさんは言っていました。今日、ついさっきそう言っていたんです。ギアノさんは人の失敗を責めません。自分もうまくいかなかったことがいろいろあって、乗り越えてきたから、あんなになんでもできるようになったんでしょう」
そんなギアノを育てた家族なのだから、みんな同じようにやれるはずだ。
アデルミラがギアノを褒めたたえるたびにブラウジは小さくなっていき、急に立ち上がると廊下に向かって歩き出した。
「どうなさったんですか」
返事はなく、ブラウジはまっすぐに進んでいって、扉の向こうに消えてしまった。
なにか理由があってのことだろうかと考え、しばらく待っていたのだが。
いつまで経ってもブラウジは戻らず、アデルミラは顔を青くしている。
「どうしましょう。なにか悪いことを言ってしまったでしょうか」
協力しあえば赤ん坊の世話はできるだろうから、ギアノを呼び戻すとしても少し待ってもらえないか。
アデルミラはそうお願いしようと思っていたのだという。
雲の神官は焦っているが、シュヴァルはゲラゲラと笑っている。
「俺と同じことを言ってたはずが、あんたの話の方が堪えたみたいだな」
「堪えた?」
「気にしないで、アデルミラ。出直してくるだけなのかもしれないし、とにかく、ギアノには甥っ子が来たって伝えたらいいよ」
「どこかに宿をとっているんでしょうか。まだ子供なのに、一人で大丈夫でしょうか」
「ここまで四日かかったって言ってたから、なんとかしてきたってことでしょ。ほら、この子、シュヴァルは十一歳だけどかなりしっかり者だよ。だからブラウジもきっと大丈夫さ」
小さなご主人様は鋭い瞳でティーオを見ている。
そろそろ家に戻った方が良いだろう。屋敷の住人もぼちぼち、帰ってくる頃だろうから。
「あの子を見かけたら声をかけるよ。ごめんなアデルミラ、シュヴァルが変なことを言って。本当に気にしないで。アデルミラは正しいことを言っていたよ。心配しなくていいからさ」
「ありがとうございます、ティーオさん」
シュヴァルの手を引いて出入り口へと向かい、ティーオは貸家へ帰っていった。
宿屋のない通りなのでブラウジを見かけることはなかったが、かわりに、遠い道の先にきらりと輝く金髪の男の姿を見つけた。




