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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X10_Fellow Conspirators

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124/244

119 新装開店 2

「ただいま。あれ?」


 テーブルの上に食事を並べている間に最後の住人が戻って来て、金色の髪をふわりと靡かせている。


「ティトーだっけ」

「ティーオ。お邪魔してるよ」

「どうしてここに? 誰に用があって来たの」

 家賃不払いの麗しい住人は首を傾げているが、口元には笑みを湛えている。

 「赤」の前で出会った時から髪は切っていないのか、白く輝く金髪はきらめきを増し、より魅力的になったようだとティーオは思った。

「レテウスさんにだよ。ギアノに紹介してもらったんだ」

 クリュはあっという間に着替えを済ませ、自分の食事を用意してティーオの隣に座る。

 同じ説明を再び繰り返している間、レテウスは随分とそわそわしていたが、話を遮ることはせず、ただひたすらに夕食をよく噛み続けていた。

「ここで暮らすの、ティトーも」

「ティーオだって。クリュは昼間はいないんだろう? 俺も同じで、安定して暮らせる場所が欲しいだけなんだ。部屋が余っているなら貸してほしいってだけだよ」

「試しに七日部屋を貸すと決まったのだ、もういいか、サークリュード」

 一足先に食事を終えて、レテウスはごほんと咳ばらいをしている。

 クリュが黙り、次は貴族の青年の番になった。

 人探しのために迷宮都市へやってきて、本人としか思えない人物と出会ったことなどが語られていく。


 貴族の話はなかなか刺激的な内容で、ウィルフレドとシュヴァルにもなんらかの関係がありそうだということにも驚かされていた。


「どうだろう、ティーオ。あのウィルフレドなる人物の過去について、なにか聞いていないだろうか」

「いやあ、ごめん。そういうのは全然聞いていないよ。聞くのもよくないし、ウィルフレドは余計なことは言わないから」

 ニーロもキーレイもマリートも、過去についてあれこれ聞いたりしないだろう。

 カッカーの屋敷に集う若者たちはああだこうだと勝手に想像を巡らせていたが、本人に確認した者などいないに違いない。


 それにしても。

 ギアノはなにも言わなかったが、彼らとウィルフレドの間に起きた出来事をまったく知らなかったのだろうか。


「そんな理由でよく家まで用意したね」

「仕方がないだろう。約束してしまったのだから」

「いや、その約束自体が俺にはよくわからないんだけど。シュヴァル(あの子)を預かったからって、ウィルフレドがなんでも話すって約束してくれたの?」

 きりりきりりと吊り上がっていた眉毛から、しゅんと力が抜けていく。

 レテウスはぽかんと口を開けたまま、そういえば、と呟いている。

「話を聞いてくれと頼んだのだ」

「うん」

「けれど私が失言をしてしまって」

「失言?」

「ああ。それで、なんでもするからと言ってしまって」

 

 レテウスは強そうな顔をしているし、体格もいい。背は高いし、胸板も厚い。きっと剣をうまく扱えるだろう。

 だが話していると、隙ばかりが見えて仕方がない。

 なにもかも一からすべて説明するため、話もこの上なく長い。


「話を聞いてくれるとは仰っていたのだが」

「うーん。その探している人なのかって聞いたところで、また違うって言われるだけなんじゃない?」

「まあまあ、いいじゃない。ねえレテウス、シュヴァルにもっといろいろ教えてあげてさ、しゃべり方も直したりしていけば、あのウィルフレドさんも感心してちょっとくらい秘密を教えてくれるかもよ」

 クリュが間に入って、貴族の青年の背中を優しく叩いていく。

 レテウスは安堵したような顔になって、用を足してくると出ていってしまった。

「ティーオ、やめてよ、あんなこと言うの」

「いや、だってさあ」

「レテウスにはここでの暮らしはめちゃくちゃ難しいんだよ。あんまり現実を突きつけたら、諦めちゃうじゃないか」

「仕方なくない?」

「駄目だよ、困るよ。ようやくいい居場所を見つけたんだから」


 レテウスなら絶対に余計なちょっかいを出してこないという確信でもあるのだろうか。

 クリュの悩みは気の毒なもので、安宿を使いたくない気持ちはわかる。

 一人で寝泊りできるような宿は南にある高級店だけで、そこらの安い店では四人か六人か、とにかくいろいろと持て余した若者ばかりが集団で利用するところだから。


「クリュは普段、なにしてるんだ。探索に行っているのか」

「うん。仲良くやれそうな奴らを探してる」

「見つかってはいない?」

「まあね。五人組になるのは大変だ……って、もしかして今、アダルツォたちは一人抜けて困ってるのか?」

「残念だったな、休んでた仲間も帰って来たし、俺のかわりはもういるよ。なかなか優秀で素直な奴が入ったから」

「なんだよ……。もう、声をかけてくれたらいいのに」

「無理だろ」

「無理ってなんだよ! 酷いよ、ティーオ」

 クリュはめそめそと泣き出し、シュヴァルはケラケラと笑う。

 やっぱり可愛いなとティーオが思っていると、レテウスが戻って来て客を咎めた。

「サークリュード、どうしたんだ。ティーオ、君が泣かせたのか」

「いや、事実を話しただけだよ。俺の元仲間と一緒に探索したかったみたいだけど、クリュはいろいろやらかしたからね」

「やらかした?」

「何度もね。許してもらえただけでも充分感謝すべきだと思うよ」

 なにか聞いていたのか、レテウスは眉間に力を入れて黙っている。

「すぐ泣くのはやめろよ。クリュ、ズルいぞ」

「ズルいってなに?」

「責められないんだよ、お前が泣くと」

 こんなやり取りを樹木の神殿でもしたことを思いだし、ティーオは思わず笑っている。

 するとクリュもなぜかにっこり笑って、この問題は流されて終わった。


 夕食後の話し合いは長引いて、シュヴァルはもううとうとしているようだ。

 語気も態度も荒々しいが、やはり子供なのだなとティーオはほっとしている。


「遅くなっちゃったな。大した話できなくてごめん。俺、とにかく今日は戻るよ。明日また来る」

 部屋はあるが寝具はなく、床に転がって寝るのは気が進まない。

 旧マリート邸までそう遠くもないので、明日の再訪を約束してティーオは準備中の店舗へ戻った。




 次の日の朝、ティーオは食事をすませるとまずはカッカー邸へと向かった。

 ギアノに頼んで台車を借りて、寝具や着替えなどの身の回りのものを積み込んで。

 マリートの残したベッドをどうするべきか悩みつつ、そう重たくもない荷を引いて貸家街へ。


 レテウスの家に、既にクリュの姿はなかった。

 入ってすぐの大きな部屋のテーブルではシュヴァルが文字の練習をさせられている真っ最中で、少年は悪態をつきながらもなにかを書いている。

「やあ、おはよう。荷物を持って来たよ」

「おはよう、ティーオ」

 十一歳の少年の集中力は来客のせいで途切れたようで、レテウスに注意をされている。

 舌打ちの音が聞こえ、それをまた叱られ。二人のやり取りを聞きながら、ティーオは割り振られた部屋へ荷物を運びこんでいった。


 レテウスの借りている家は結構な広さで、入ってすぐの大きな部屋の他に、小部屋が四つある。

 五人以上で暮らすなら、何人かは相部屋で暮らさなければならないのだろう。

 この貸家の住人たちは一人一部屋を贅沢に占有していて、新たな住人にも最後の空き部屋が提供されている。

 安宿よりもずっと良い環境だとティーオは考え、多少のことは我慢しようと心に決めた。


「バタバタしてごめん、台車を返したらまた来るよ」

 空っぽになった台車を引いて、再びカッカーの屋敷へと戻る。

 屋敷に滞在中の初心者たちがティーオを見つけて、卒業したはずなのに何故? の視線を向けていた。

 ニッと笑顔でそれに応えて、管理人の姿を探す。厨房にいるかと覗いてみると、いたのはアデルミラだけだった。

「おはようアデルミラ」

「ティーオさん、おはようございます」

 誰かに出迎えられるのは嬉しいことだが、それが女の子だと余計に良いものだ。

 ティーオはすっかり気分を良くして、管理人はどこにいるのか問いかけていく。

「今は裏庭にいますよ。貸出用の装備品の手入れをしているんです」


 情報に礼を言って庭に向かうと、剣や鎧などの初心者用装備を磨いている管理人の姿があった。

 今日は探索に行っていない住人たちも手伝っているらしく、何人かで座り込んで仕事をしている真っ最中だった。

「ギアノ、台車をありがとう」

「ああ、ティーオ。もう運び終わったのか」

「うん。たいした荷物もないからね」

「レテウスさんとはうまくやれそう?」

 この問いにティーオは頷いたが、確認したいこともあってギアノの袖を掴むと、庭の端まで引っ張っていった。


「あのレテウスって人とシュヴァルって、ウィルフレドとどういう関係なの?」

 こそこそと隅で問いかける。管理人の表情は冴えないし、答えにもキレがなかった。

「いや、俺もよくわからないんだよね。レテウスさんは王都にいたっていう戦士を探しているみたいで」

「それがウィルフレド?」

「俺にはわからないよ。本人が否定してるんだから、それ以上言うことなんかないだろう」

「じゃあ、シュヴァルの方は」

「そっちの方がわからないんだ。あの子がどこから来たのかも知らないし。俺に面倒を見てほしかったとは言われたんだけど」


 含みのある言い方をされたが、事情も理由も結局は聞かされていないとギアノは言う。

 あの事件は、ギアノがやってくるよりも前の出来事だったかとティーオは考える。

「一応伝えておくけどさ」

 シュヴァルの起こした強盗事件について説明をすると、ギアノは随分驚いたようだった。

「ただ、もうあの子はもうあんな真似はしないだろうから。俺としてはもういいよってことで話はついているんだ」

「そうだったのか。寛大なんだな、ティーオ」

「だってあの子の連れの大男、死んじゃったんだぜ」

「親とか、保護者じゃないの?」

「そんな感じではなかった」


 路地裏で襲撃をかけてきた時の態度を思いだす。大男はなにも言わなかったが、それを差し引いてもシュヴァルの方が立場が上だったように思える。


「なるほどねえ。だからウィルフレドさんはあんなことを言っていたんだな」

 ただ、結局事情についてはよくわからないままだ。

 本人が語らない限り、二人に知る術はないのだろう。

 気にはなるが仕方がない。そんな結論を出して、情報交換を終える。

「ティーオ、今日は店の準備をすすめるのか」

「うん。扉の修理をまずはやらないといけないから、依頼しに行くよ」


 扉が直り次第、マリートの作品を受け取りにいって並べる。

 アダルツォに看板を頼んであるので、出来上がったら受け取りに行く。

 店の中のレイアウトを決めたら、ギアノの食品のうち、保存が効く物から並べていく。

 ティーオが予定を説明すると、管理人は大きく頷いてこう答えた。

「わかったよ。じゃあ、保存食と乾燥果実を準備しておく」


 他の店に委託していた時の価格を参考に、値段はこのくらいにしようと決めてある。

 実際にどのくらい売れるのか、ギアノとマリートがどの程度商品を作れるのかは、やってみないとわからない。


「なあティーオ、一人でずっと店番するのは大変じゃないか」

「ああ、うん。そうだね。この間家具屋に行った時、俺もそう思った」

「ティッティっていう子がいてさ。今は夜だけ食堂で働いていて、昼間の短い時間だけなら手伝ってもらえると思うんだ」

「女の子?」

「女の子だよ。十四か十五くらいだったかな。西側の食堂で働いている時に、短い間だったけど一緒だったんだ。市場に行った時に偶然再会して、この間菓子の販売をした時にも来てくれて」

 働き者だし手際もいいから、手伝ってもらったらどうかとギアノは言う。

「最初はきっとあれこれ足りなかったり、うまくまわらなかったりすると思うんだ。いきなり従業員を入れるんじゃなくて、手伝ってもらいながら、様子を見ていった方がいいと思う」


 ティッティの仕事ぶりはわかっているし、菓子の販売の時には随分活躍してくれた。

 それに今は南にある労働者用の女子寮に入っているんだと管理人は笑っている。

「いくつかお菓子を持って行ってもらって、寮の女の子に配ってもらえばいい」

 美味しいと思ってもらえれば、それが宣伝のかわりになるだろうから。

 ギアノの提案はいちいち説得力があり、ティーオは思わず唸っていた。

「ギアノ、そんなことまで考えてくれてたの?」

「はは。どうせやるなら、うまくいくようにしたいじゃないか。俺もティーオが店をやるって言ってくれて嬉しいんだよ。菓子も保存食も、他人の店に預けてやるのは大変そうだったからな」


 安定してギアノのおいしいものを売る店ができたら、キーレイも喜んでくれるだろう。

 ギアノの実家は食堂を経営しているというし、キーレイももともとは薬草業者の仕事をしていたのだから。

 商売をうまくいかせるコツや安定した経営について、それぞれに思うことがあるのかもしれない。


「そのティッティって子はどこに住んでるの?」

「行ってみるか。今日は無理だけど、明日か明後日か」

 従業員候補を訪ねる約束をすると、ギアノはちょっと待っていてと屋敷の中へ入っていってしまった。

 代わりに初心者たちの装備品の手入れを手伝っていると、管理人は大きな籠を持って戻って来て、ティーオへ渡した。

「これ、おみやげな。レテウスさんたちと食べて」

「いいのか」

「料理は苦手だってたまに駆け込んでくるからさ」


 本当に面倒見のいい奴だ。

 心の底から感心しながら貸家へ戻ると、頼りない主はかまどの前で仁王立ちしていた。


「レテウスさん、これ、ギアノから」

 昼飯についての悩みはこれで解消されたらしく、貴族の青年は嬉しそうな笑みを浮かべている。

 同居人の少年も匂いをかぎつけてやってきて、偉そうに椅子にどすんと座った。


 二人が揃って席についてしまったので、ティーオは一人で食事の準備を進めていった。

 手伝わないのかな、と思いながら。

 一部屋だけを借りられるチャンスなどそうないことだろうし、ここは引き受けておいた方が良いか。

 考えながら手を動かし、王様のように座ったままの同居人たちのために皿を並べていく。


 一緒に食事をして、終わったら皿を運んで、洗って。

 ちょうど良い下働きが来たとでも思っているかのように、二人はのんびりと座って寛いでいる。

 これが当たり前になってはいけないのではないかとティーオは考え、発言するべきかどうか悩んだ。

 とりあえず今日のところは黙っておくか、初日だからこそびしっと言うべきか。


 悩んでいるうちに仕事は済んで、結局なにも言えないまま片付けの時間は終わってしまった。

 鍵の修理は早めに済ませるべき重要事項なので、貸家を出て、職人のもとへと急ぐ。


 信頼できる仕事人をキーレイに紹介してもらっており、神官長の名前を出すとなにもかもがスムーズに進んだ。

 さすが生まれも育ちも迷宮都市の有名人。感心しながら修理の様子を見つめ、他に必要なものがないか考えていく。

 夜になる前に鍵は直って、支払いも済んだ。戸締りに不安がなくなったのだから、マリートの革製品は店に並べておいても問題はないだろう。キーレイの家に行って品物を受け取り、マリートにも挨拶をすればいい。ああでも、運ぶための台車を先に用意するべきだろう。いつまでもカッカーの屋敷から借りては返すのを繰り返すのも面倒だろうから。


 やることだらけだ。

 ティーオはふうとため息をひとつ吐き出して、貸家街への道を急いだ。

 そういえば食事の用意をどうするのか、決めていない。レテウスたちは自分たちの分しか準備しないのではないか。では、買って帰った方がいいのではないか。


 空は既に薄暗く、太陽は西の果てに沈んでいこうとしている。

 辺りの店先には灯りがつけられ、道の上には今日の仕事を終えたであろう若者たちが歩いていた。

 探索者もいるし、どこかの店で働く従業員もいる。寮への送迎が準備されている女の子たちと違って、青年たちはみんな歩いてねぐらへ向かわねばならない。

 

 ティーオもそんな若者のうちの一人になって、近くにある屋台に向かって歩いた。

 安くて味もそこそこだが、量は多くて腹が膨れる。若者らしいメニューを一人分買って、貸家街に続く道へ。


「あ、ティトー! いや違った、ティーオ!」


 ねぐらまであと少しのところで声をかけられ、振り返る。

 そこには新しい生活の仲間のひとりであるクリュがいたのだが、背後に二人の男がおり、腕を掴まれそうになっている。


「クリュ」

「ティーオ、良かった、会えて。早く帰ろう、帰ろう、ね!」

「ああ。帰るけど……」


 誰だかわからない男たちを振りきって、クリュはティーオの背後に回る。

 ティーオの方が背は低く、隠れられはしないのだが。けれど盾になってほしいのは理解ができて、ティーオはクリュに手を伸ばそうとする二人へ視線を向けた。


「なんだ、お前は」

「こっちの台詞だよ。こいつになんの用?」

「なんの用って」

「わかるよ。可愛いもんな。だけどクリュは男だし、あんたらが望んでいるようなことはしてくれないよ」

 呆れた口調でこう告げると、男たちは気まずそうに顔を見合わせて、クリュをちらちらと見たものの、結局は黙って去って行った。

 クリュは同居人の背中にしがみついて様子を窺っていたが、男たちの姿が見えなくなると安心したようで、ティーオの肩をばしばしと叩いて笑顔を浮かべた。


「ああ、良かった。いいところにいてくれた!」

「あいつらから金でも巻き上げたの?」

「そんなことしないよ。するわけないだろ」

「いや、追われるようなことをしたのかなって思うじゃないか」

「酷いことを言うんだな、ティーオ」

 青い瞳には一気に涙が溜まっていく。それがぽろりと一粒落ちて、ティーオは悪いことをしてしまったような気分になっていた。

「一緒に探索に行ってただけだよ。朝、北の方で仲間を探してさ。探索中は普通だったのに」

「だったのに?」

「報酬をわけて解散した後、追っかけてきたんだ。いくらかあげるから、つきあってくれって」

「なにに?」

「わかんないけど、べたべた触ってきてさ」

「男だってわかってたんだよな?」

「俺は男だって必ず最初に言うんだ。だからわかってるはずなのに。なんで追っかけて来たりするのかな」

 もう一粒、ぽろりと涙が落ちていく。小さな雫はやたらと威力が強いもので、ティーオの罪悪感はまた増していった。

「ごめん、クリュ。気の毒な目に遭ってたんだな」


 服の袖で涙を拭ってやると、クリュは泣くのをやめて、ティーオをまっすぐに見つめた。

 正直、わからなくはない。同じような年頃の冴えない探索初心者なのに、クリュの姿は美しいし、泣く姿は特別に可憐に見える。


「ああいうことはよくあるの?」

「そんなにしょっちゅうではないけど。たまにしつこい奴がいて」

「そっか、そっか。良かったよ、なにも起きなくて。帰ろう」

「うん」

 気が弱くなっているのか、クリュはティーオの袖をぎゅっと掴んでついてくる。

 こんなことを可愛い女の子にされてみたいものだという考えが浮かんできて、新米商人は首を傾げた。

「そういうところじゃない?」

「なにが?」

「いや、そのさ。すぐ泣いたり、そんな風に袖を掴んできたりさ。可愛く見えるようなことをするのがいけないんじゃない?」


 指摘の内容がわからないのか、クリュは口を尖らせたまま黙ってしまった。

 貸家まではすぐに辿り着き、揃って帰宅した同居人をレテウスが迎え入れてくれた。


「どうした、サークリュード。泣いているのか」

「嫌なことがあった」

 でも、ティーオが助けてくれたと言葉は続き、何故かレテウスから礼を言われてしまう。

「二人ってどういう関係なの?」

「どういう関係とは?」

「いや、なんで礼を言われたのかと思って」

「……それもそうだな」


 クリュもシュヴァルも家主の貴族の青年も、あまり触れあったことのない部類の人間だとティーオは思う。

 けれど三人とも、悪人ではない。良いところもあるのだろう。

 新たな発見があるかもしれないと前向きに考えて、同居人たちの食事の準備を手伝っていく。


「それ、美味しそうだな。少しちょうだい、ティーオ」

「いいよ」


 フェリクス、カミル、コルフ、アダルツォ。

 ギアノとアデルミラも、一緒になって共同生活をしてきた。

 一人の夜は少し寂しいものだったから、不慣れなメンツであっても共にテーブルを囲めるのは良いことだった。

 レテウスとシュヴァルも手を伸ばしてきて、買ってきた夕食をお裾分けしていく。

 貴族の青年の作った料理は今日はやたらとしょっぱく仕上がったらしく、みんな屋台の味がありがたかったようだ。


「食事の支度、手伝える時には俺もやるよ。店は近いうちに開けるつもりで、最初のうちはどんなスケジュールになるか読めないから、間に合わない日もあるかもしれないけど」

「そういえば、なんの店をやるんだ」

「革製品と、味付き干し肉と、あとはお菓子を置くよ」

「革製品と菓子?」

「変な組み合わせかな。でも、完全に伝手でやるから仕方ないんだ。そのうち置くものは変わるかもしれないけど、最初はとにかく革とお菓子でやっていくよ」


 食器をまとめて片付け、洗い場へ運ぶ。

 立ち上がったのはティーオだけで、やはり家事の分担についても話し合っておいた方がいいだろうとティーオは思う。


「その菓子ってのは、あの管理人が作ったやつなのか」

 すると偉そうに椅子に座ったままのシュヴァルから、こう問われた。

「そう。ギアノが作ったものを売るよ」

「味付き干し肉ってのは」

「それもギアノが作ってるんだ。探索に行く時に持っていく保存食用に作ってるんだけど、小腹がすいた時なんかにもいいよ。俺も味見をさせてもらったけど、どれもすごく旨いんだ」

 この家では最も位が高いのであろう少年は、椅子の上にふんぞり返ったまま頷き、ふん、と鼻を鳴らしている。

「あの管理人は女でもねえのに、料理だの掃除だのが随分得意なようだな」

「得意だね。ギアノはとにかくなにをやらせても早いんだ」

「ぼやっとした顔してるのにな」

「確かになんというか、特徴はないけど」


 けれど、顔立ちと仕事ぶりは関係ない。それに、ギアノをよく観察してみればわかるが、顔つきには隙がない。

 周囲も人もよく見ているし、頭の中がすっきりと片付いているのではないかと思う。

 効率よく動いていて、無駄がない。複数の仕事を同時に進めることができるようだった。


「もしかして、ギアノのお菓子が好きなの?」

「はあ? 菓子なんざ、女子供が食うもんだろう」

「シュヴァルは子供じゃないか」

「……チビが」

 吐き捨てるように言われて、さすがにティーオも顔をしかめてしまう。

「シュヴァル、そんな言い方をするな」

「言い方じゃなくて内容が良くないよ。シュヴァル、仲良くやろう。ティーオが手伝ってくれたらいろいろとよくなるかもしれないんだから」


 大人二人にたしなめられて、シュヴァルはまたふんと鼻を鳴らした。


「あのさ、俺も手伝うけど。家のことはみんなでやろう」

「家のこと?」

「皿洗ったりとか、食事の支度したりとか」

 しれっとなにもかもを新入りに押し付けるのはいかがなものかと思う。

 ティーオが正直に話すと、レテウスは慌てて頷き、一緒にやろうと張り切りだしていた。

「シュヴァル、片づけるぞ」

「わかったよ。眉毛に任せたら全部ダメになっちまうからな」

 レテウスは一気にしょぼくれて、ティーオはまた首を傾げている。

「駄目になるって?」

「わかるだろ。こいつは不器用なんだよ。短気だし力が強くて、すぐに物を壊しちまうんだ」

 レテウスが皿を落として割る様は容易に想像できて、ティーオはなるほど、と呟いた。

 家主はがっくりと肩を落としており、クリュが慌てたように背中を撫でている。

「レテウスにも向いていることがきっとあるから。たまたま皿洗いとか、洗濯とかが不向きなだけだよ」

「私になにが出来るのだろう」

「ねえティーオ、ティーオの店でレテウスができることってない?」

「え、俺の店で?」


 いい案はすぐには出てこなかった。

 答えられないティーオにレテウスはまた少し傷付いたようだが、なにか考えておくよという返事には、少しだけ希望を持ってくれたようだった。

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