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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X10_Fellow Conspirators

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118 新装開店 1

 リズミカルな手の動きに合わせて、白い粉が舞い上がる。

 同じ仕事は街中のあちこちで行われているし、マティルデが生まれた家でも見たものだ。

 けれど、すべてが最高の仕上がりになるとは限らない。ユレーがやればそこそこの出来で終わるし、母は時々失敗して黒焦げだの生焼けだのにしていた。


 ギアノは失敗しないし、なにもかもを美味しく作ってしまう。

 厨房での仕事ぶりを眺めながら、マティルデはうきうきしていた。

 ユレーに送ってもらって遊びにやってきたカッカーの屋敷で、昼下がり。

 アデルミラは留守で、管理人は菓子作りの真っ最中だった。


「そういえばマティルデ」

 鍋の中からは甘い香りが漂っている。

 ギアノは果実を扱う達人だ。薄く切って乾かしたり、煮込んだり、とにかくおいしいものを作ってくれる。

「なあに?」

 美味しいお茶を片手に少女が首を傾げると、勤勉な管理人は頼みごとについて問いかけてきた。

「名前を考えてくれた?」

「名前?」

「俺の作ったものを売る店の名前、頼んだだろう」


 こんな話が出てくるなんて、店の準備ができたのだろうか。

 マティルデは目を丸くし、満面の笑みを浮かべている。


「もちろん! すごく悩んだけど、考えたわ」

「え、本当に?」

「うん。ギアノのお店!」

「へえ、なんて名前なんだ?」

「ギアノのお店よ」


 店の名前を言っているのだとギアノが理解するまでには少しかかった。

 大抵のことはすぐにわかる男なのだが、マティルデの名づけは少しばかりまっすぐすぎたようだ。 


「確かに、西側にもバルメザ・ターズなんて店があるからな」

「バルメザ?」

「店の支配人の名前をそのまま使っているんだ」

「じゃあ、ギアノ・グリアドってつけたらいいんじゃない?」

 なんだかかっこいい、とマティルデは思う。

 だが、ギアノはどうやら乗り気ではないようで、表情を曇らせている。

「駄目かしら」

「絶対に駄目ってわけじゃあないんだけど」

 

 なにを売っているのか、もう少しわかりやすい名前がいいのではないか。

 聞いた時に興味を惹かれるような、そんな名付けが良いと思うと管理人は言う。


「ギアノの店でわかると思う」

「いや、わからないよ。俺の名前なんて知られていないんだから」

「そうかしら?」

「マティルデくらいしか知らないんじゃないか」

「マージもユレーも、この屋敷の人たちも知っているでしょう?」


 つまり、ただの知り合いにしかわからないってことだ。

 ギアノにこう返され、マティルデは返事に詰まる。


「はは、ごめんな。先に言っておけばよかった。どんな風にしたらいいかとか、条件なんかをね」

「ねえギアノ、もしかしてお店を作るの?」

「いや、販売をするだけだよ。ティーオが店を始めるから、そこに置かせてもらおうって話になってね」


 グラッディアの盃や保存食を置かせてもらった店から、依頼はあった。

 だが、毎日一定以上の量を作って店に納めるのは難しい。味付き保存食の話は進んでいたのに、数量について話し合いをしている間に他の業者に割り込まれてしまい、今では似たような物が並んで新商品として売り出されている。

 コルディの青空の薬効料理もすぐに真似をされて、潰れてしまった。きっと似たようなことが起きたのだろう。

 横入りしてくる誰かと競うためには、販売店の出す条件を飲まなければならない。

 屋敷の仕事と両立させるのは難しい。もう知り合いへの販売だけに留めておくかと、諦めかけていたんだとギアノは笑う。


「ティーオのところには他のものも並べるっていうし、融通を利かせてもらえるからね」

「ティーオは探索しながら、お店もするの?」

「探索はやめたんだ」

「やめたの……」


 ティーオの決めたことだから。

 ギアノの呟きに、マティルデは頷くくらいしかできない。


 若者たちはみんな夢や野望を抱いて迷宮都市へやってくる。

 探索に出かけて、うまくいったりいかなかったりしながら暮らしていて。

 それがいつまでも続くわけではないと、知っていたはずなのに、胸がざわめいていた。


「今準備しているんだ。一人だと大変だから、最初は手伝ってやらなきゃいけないかもな」


 鍋の中身ができあがったらしく、ギアノは立ち上がり、味見をしている。

 どうやら出来は良かったようで、甘い果実の煮込みをさじで掬うと、マティルデに一口わけてくれた。





 こんな風に噂されていた通り。

 新たな暮らしを始めようと意気込んでいた青年は、やることの多さに目を回していた。


 家主であったマリートが家具を残していったので、とりあえず暮らしていけるのはありがたい。

 慧眼の剣士が眠っていたベッドで夜を明かし、朝飯を食べたあとは物の配置を考えていく。

 マリートの作った革製品を並べるところ、ギアノの食品を置くところ。

 これでいいだろうと思ってテーブルを並べたが、入り口から入ってみると違和感があった。

 配置を変え、棚を並べ直し、首を捻って、足りないものをどう調達するか考える。


 精算をする場所を用意しなければいけないし、看板もあった方がいい。

 なにが売られているかよくわかるように、外から見えた方がいいようにも思う。

 窓を開けて覗いてみたり、扉から出たところにテーブルを並べてみたり。

 

 商品を運ぶためには荷車があった方がいいし、箱もいる。

 そういった備品を置くための場所もいるだろう。


 マリートが使っていた家はそう大きくはないし、二階もない。大きな大きな部屋がひとつあるだけという住居らしからぬ間取りで、奥に置かれたベッドはきっと丸見えになってしまうだろう。

 革製品だけでは売り場が余るとキーレイは言ったが、机を並べてみると、暮らすためのスペースまではないように思えた。

 ベッドは諦め、ものすごく狭いところにぎゅうっと詰まって暮らしていくか、売り場を小さく収めるか。

 なにごともやってみなければわからないものだとティーオは考えたし、他人の意見も聞いてみたいと思った。


 中途半端な現場を残し、壊れた鍵を一応閉めておく。

 思い切り揺らせば開いてしまうので、店を始めるまでに必ず直さなければいけないだろう。

 

 ニーロに譲られた剣は高く売れたが、どかんと使ってしまったから、あまり残ってはいない。

 棚を買って、扉を直して、箱や荷車を用意して。

 近くに安い宿はないが、どうするべきか。

 軌道に乗るまでは家の奥、隅で小さくなって暮らすしかないだろうか。

 店をどう経営していくか想像を巡らせながら、ティーオは家具屋を覗いて歩く。


 売屋や貸家で暮らしたり、商売をするために必要な物は街の南側で売っている。

 立派なものを用意したいが、棚ひとつで資金が尽きてしまいそうな値段で売られていて、ため息が出てしまう。

 カッカーの屋敷や樹木の神殿で使われているようなものを思い描いていたが、どれも相当良いものだったようだ。

 

「アスタル、交代だよ。休憩しておいで」


 棚の前で悩むお客の様子を窺っていたアスタルは、声をかけてきた他の店員と入れ替わって店から出ていく。

 そうか、休憩したい時に、誰もいなくなってしまう。

 ようやくそんなことに気が付いて、ティーオは大きなため息を吐き出していた。



「思っていたより大変そうだよ」


 住み慣れた屋敷へ舞い戻ってきて、ティーオは厨房の隅の椅子に座り込んでいる。

 おいしそうだねと鍋を覗きこむと、ギアノができあがったばかりのお菓子を一つ振舞ってくれた。


「うわ、旨いな。ギアノ、どうやってこんな旨いものを作るんだ」

「ちょっと甘く作った生地の中に、果実の煮込みを入れて焼くんだよ」

「それはわかってるよ、見たことあるし。でも、誰もやっていないよな? 他の店では出てこないよ、こんなものは」

「俺も不思議なんだよなあ。カルレナンじゃ、こんな感じのお菓子を作るんだよ、どの家でも」

「どうしてそのお菓子の作り方が広まらないのかな?」

「南の方からは、特に港町の辺りからはあんまり人が来ていないみたいだから、そのせいかも」

「人が来てない?」

「そう。ここにはいろんな街から大勢やって来るだろう。だけど、カルレナンから来た奴はまだ見たことがない」


 不思議だと言っておきながら、ギアノには思い当たる理由があるようだ。


 南の港町は暖かいし、食べ物もおいしいし、農村も近くにあってたくさんの作物が採れる幸せなところだから。

 満ち足りているから、わざわざ恐ろしい迷宮になど、行こうとは考えないのだろう。


 ギアノはそう呟くと、急に大きな声で笑いだした。

「まるで俺が幸せじゃなかったみたいだな」

「はは、本当だ」

「別にそんなことはないんだけどね」


 結局故郷にいた頃と同じような暮らしをしているし、と管理人は呟いている。

 生地の中に果実の煮込みを手早く包んで、形を整えて。

 ギアノの作業は流れるような動きで、無駄がない。アデルミラが手伝っているところも見たことはあるが、スピードが段違いだった。


「よし、終わり。ティーオ、保存食の用意はできてるけど、いつから始めようか」

「ちょっと待ってくれる? 配置とか、いろいろ悩んでてさ。できれば一度見に来てほしいくらいなんだけど」

「見に来てほしい?」

「物の並べ方をどうしようか悩んでて」

「なるほど。わかった。アデルミラがそろそろ戻るから、そうしたら行こうか」


 麗しい神官の少女は、お隣の神殿の仕事を手伝っているらしい。

 噂をしていると小さな足音が聞こえて来て、アデルミラが可愛らしい笑顔で厨房をのぞき込んできた。


「ティーオさん、お帰りなさい」

「あはは。もう戻ってきちゃったよ」

「どうですか、新しいおうちは」

「そうだねえ。あそこで暮らすかどうか、ちょっと悩んでいるんだ。そんなに広くもないみたいだから」


 雑談をいくつかしているうちにギアノの支度が済んで、二人は屋敷を出た。

 のんびりとした昼下がりの時間帯は、人通りがそう多くはない。

 食堂なら夜の仕込みを始めるところだろうし、ごく普通の商店なら、一日の売り上げがどのくらいだったか計算し始める頃だろう。


「なるほど。確かにそんなに広くはないね」

 旧マリート邸にはすぐに辿り着き、ギアノは扉から入ったところで頷いている。

 革製品は奥でゆっくり見られるようにして、日持ちしないものは入り口すぐに置いた方が良い。

 保存食は長持ちするから味ごとにわけて棚へ、菓子類はテーブルに広く並べた方がいいだろう。

 

 管理人は並べ方を提案して、ならば精算のカウンターはここがいいだろうと位置を示している。

 ティーオは納得して頷き、ギアノの手を借りてテーブルと棚の位置を動かしていった。

 わかってはいたのだが、やはりベッドを置く余裕はなさそうで、ティーオはため息をついている。


「運搬用の箱を置く場所もいるだろ。そうしたら、暮らすためのスペースまではとれないかなって思うんだ」

「確かにそうかもね。看板なんかも置くの?」

「アダルツォが絵が得意だっていうから、頼んである」

「夜になったらそれもしまうよな」


 あれこれ積まれた店の中で寝るのは落ち着かないんじゃないか、とギアノは言う。

 まったくその通りだな、とティーオは頷く。


「フェリクスたち、貸家に移ったりしないかな」

「考えているみたいだけど、まだ時間がかかるんじゃないかな。フェリクスには余裕はないだろうし」

「コルフもかも。魔術師に授業料を払っただろうから」


 タイミングを誤ったか、とティーオは思った。

 いや、だが、ベストだったはずだ。

 フェリクスが立ち直り、再び歩き出そうと決めた時が良かった。

 あのどさくさに紛れなければ、フェリクスは借金の肩代わりを受け入れなかっただろうから。


 気の置けない仲間たちに頼れれば負担は軽くなるが、楽をして暮らそうと考えているわけではない。

 誰かの支えになりたいと思って新しい道に踏み出したのだから、少しくらいの苦労は飲み込むべきだろう。

 商売人の卵が遠くを見つめていると、管理人がこんな問いを投げかけてきた。

 

「ティーオって、クリュとは険悪?」

「クリュ? いや、別に険悪ってほどじゃない。いい加減な奴だなってくらいで」

 そもそもそこまでの付き合いもない。ティーオは正直にこう返したが、なぜクリュの話がギアノの口から出てくるのかわからなくて、理由を尋ねた。

「貸家街で暮らしてるんだよ。クリュだけじゃなくて、なんだか不思議な面子で」

「ふうん?」


 そのクリュの暮らしている貸家は、三人しか住人がいない。

 しかも、クリュ以外は探索者ですらない。ただ暮らしているだけという、迷宮都市では珍しい状況にあるという。


「誰が暮らしてんの?」

「王都から来た貴族が借主だよ。俺も結局詳しい事情は聞きそびれちゃって、よくわからないんだけどさ」

「へえ?」

「普段の生活をちょっと手伝ってあげるかわりに住まわせてって頼んだら、聞いてくれるかも」

「どういうことなんだ?」


 貸家の主の名はレテウス・バロット。

 王都から人を探しにやってきて、なぜかこの街で暮らすことになった。

 子供一人とクリュを家に置いており、庶民の暮らしに慣れずに困っている。


「貴族が子供と? よくわかんないな。どうしてそこにクリュがいるんだ」

「詳しくはわからない。クリュとは偶然出会って、いろいろ手伝ってもらったみたいだけど」

「へえ。まあ、カミルが厳しく言ったからな」


 ギアノが言うには、レテウスは暮らしに不慣れではあるがまともな人物ではあるらしい。

 クリュと因縁がないのなら、貸家のうちの一部屋を借りられれば助かるのではないかと提案してくれたようだ。


 会ってみるかと聞かれて、ティーオは悩む。


「貸家なら宿と違って支払いの手間がないし、自分の部屋が持てるだろ」

「ああ、そうか。確かに」


 レテウスなる人物は知らないし、クリュとは顔見知り程度の仲だ。

 けれど宿暮らしになれば、毎日誰かと相部屋で眠ることになるし、荷物も気楽に置いてはおけない。

 よく知らない誰かと暮らすという条件は同じなのだから、個室がある分、間借りした方が便利にやっていけるだろう。


 ギアノに頼んで案内してもらい、レテウスの家へたどり着く。

 夕暮れが迫って来て、管理人はそろそろ戻るべきだろうとティーオは考える。

「ギアノ、ここまででいいよ」

「そう? 紹介するけど」

「今日はいろいろ付き合わせちゃったから。忙しいのに、ごめんなギアノ」

「いやいや、こちらこそ。これからよろしく頼むよ、ティーオ店長」


 冗談を交わして、ギアノを送り出す。

 うまくやれそうにないなら狭いところで眠ればいいし、耐えられないなら安宿の世話になればいい。

 あまり期待をしすぎないようにしようと決めて、ティーオは扉を叩いた。


「どなただろうか」

 返事はすぐにあって、吊り上がった眉毛の大男が姿を現した。

 ほんの少しビビりながら、ティーオは名乗る。

「俺はティーオ・ミオ。カッカーの屋敷の管理人のギアノ、わかる?」

「ああ、時々世話になっている」

「そうなんだ。俺はそのギアノの紹介で来たんだ。ちょっとお願いしたいことがあって」


 ギアノの名前が出て来たからなのか、レテウスの眉毛はほんの少しだけ下がったように見えた。

 玄関先ではなんだからと、中へと通される。

 簡素な造りの貸家の中は殺風景だが、なにか煮込んでいるのか、いい香りが漂っていた。


「シュヴァル、鍋を見ていてくれないか」

 レテウスは大きな声をあげているが、返事はない。

 大男は奥にある扉を叩いて、もう一度同居人らしき誰かに、鍋の番をしてくれないか頼んだ。


「……ったく、うるせえな。声が大きいんだよ、お前は」

「客人と少し話すから、その間だけ頼む」

「はあ? 客ぅ?」


 扉の向こうから現れた「子供」が誰なのかわかって、ティーオは思わず大きな声をあげてしまった。


「お前! 嘘だろ!」

「は? ああ? なんだ、なんで来やがった。レテウス、なんでこんな奴を連れてきた!」


 お互いに目を丸くし合うティーオとシュヴァルに、レテウスはもっと驚いて慌て始めていた。

 家主の慌てぶりに逆に落ち着いたようで、最年少のシュヴァルが机を叩き、一喝する。


「うるせえ! 座れ、眉毛。……お前も、こっちに座れ」

「なんだ、偉そうに」

「俺も座るから」


 レテウスの服を掴んで椅子に座らせ、シュヴァルも隣に腰かける。

 少年の堂々とした態度に戸惑ったものの、ティーオも結局そばにあった椅子に座った。


「こいつはティーオ。俺が盗みを働いた相手だ」

「なんだと」

 少年は驚き続けるレテウスを諫め、続けてこう話した。

「盗みはすぐにバレた。俺がどこの店にも入るなって言われてんのはそのせいだ」

「そうだったのか。シュヴァルが申し訳なかった」

「なんであなたが謝るの?」

「……確かに」

 勝手に頭を下げておきながら、レテウスはもう首を傾げている。

「あの時は俺もなにがなんだかわからなくてよ。悪いが複雑すぎて説明はできねえ。だが、とにかくもう盗みはしない。……お前と、仲間にも悪かった」

 すまなかったとシュヴァルは頭を下げている。


 襲撃の時に見せていた凶悪さは鳴りを潜めていて、まるで別人のように見える、

 ティーオはシュヴァルを見つめて、あの店で激しく泣き叫んでいた姿を思い出していた。


 一緒にいた大男は命を落としており、悪事を働いたが、それと同等の悲しい出来事が少年の身に起きたのだろう。

 フェリクスを許す、一緒に罪を背負うと言ったのに、大切な誰かを失い、反省している幼い子供を許さないのか。それでは、筋が通らないのではないか?

 ティーオは深く頷き、心を整えていく。


「わかった。もういいよ」

「いいのか?」

「ああ。あの時盗まれたものも、全部返ってきたんだしね」


 レテウスには全容が説明されないまま、二人の因縁は解決された。

 貴族の青年はほっとした顔で鍋の様子を見に行ってしまい、ティーオは慌てて追いかける。


「そんな話をしに来たんじゃないんだ。レテウスさんだよね」


 シュヴァルになんとか鍋の番をさせて、貴族の青年は客へ椅子を勧めた。

 ティーオは遠慮なく腰かけたが、なにから切り出していくべきなのか悩んでいた。


「ええとね、俺はギアノが管理をしている屋敷、あそこに滞在していたんだけど」

「カッカー・パンラ殿の屋敷だな」

「そうそう。あそこは探索初心者の為に開放されていて、世話になっていたんだ。だけど俺はもう探索を辞めて、商売を始めることになった」

「探索は厳しいものだと聞く」

「うん。俺には向いていないって、やっと決断できてね。それで、あの屋敷からは出たんだ」

「何故だ?」

「探索をする人間のための場所だから。それで今、店の隅で寝泊りをしているんだけども」


 開店後は手狭になるから、暮らすための場所が欲しい。

 このレテウスの借りている家には余裕がありそうだとギアノが教えてくれたので、一部屋貸してもらえないか。


 ティーオが正直に事情を説明し、家賃の一部を支払うからと話すと、レテウスの顔は強張ってしまった。


「あの……、ごめんなさい。なにか、気に障ることを言ったのかな?」

「いや、いや、違う。怒っているように見えただろうか。私はこういう顔をしているだけで、決して怒っているわけではないのだ」

「顔がどうこうって話じゃなくて、驚いたような表情だったから」


 なにがひっかかったのか問いかけてみると、レテウスは「家賃を払う」という提案に驚いたらしい。


「ここは貸家だよね? 毎月いくらか払っているんでしょ?」

「ああ。今は前もって支払いをしてある分の期間だが、そのうち毎月支払わなければならないと聞いている」

「それで、なんで驚くの?」

 レテウスはちらりと鍋の前に座るシュヴァルへ目をやり、なにを悩んでいるのか項垂れてしまった。


 あの子供には支払い能力はないだろう。

 だが、もう一人の住人は?


「クリュは払ってないとか?」

「何故わかるのだ」

 なんとなく口に出しただけなのに、貴族の青年は大きな声を上げてのけ反っている。

「いや、当たってるなんてビックリしたよ。どうして家賃を取らないの?」

「サークリュードには世話になったのだ」

「世話にねえ……。でも、ちょっとでも負担してもらえばいいのに。ずっとただで住まわせるつもり?」


 ティーオの問いに、レテウスの答えはない。

 そんな貴族の青年の様子を見て、幼い少年であるシュヴァルはケラケラと笑っている。


「リュードにいいようにやられてんだよ、こいつは」

「いいようにって?」

「あいつは女みてえな顔してるからな。それも、並大抵じゃねえ女の顔をしてる。だから男だってわかっているくせに、あいつに泣かれたらつい言うこと聞いちまうんだ」

「なにを言うんだ、シュヴァル。サークリュードは確かに女のような顔をしているが、それで私がなんでも許すことなどないぞ」


 レテウスは言い返しているが、きっとシュヴァルの言う通りなのだろうとティーオは思った。

 クリュの涙は武器として強すぎる。自分たちが手を差し伸べなかったのは、アダルツォが酷い目に遭わされた過去があったからだ。少しばかり懐に余裕があって、クリュの態度が殊勝なものだったら、運命は変わっていただろう。

 

 こんな脱線を経て、ティーオはチャンスだと思った。


「クリュの話はいいよ。レテウスさんが決めればいいことだから。俺は一部屋分の家賃を払うし、家事もできる範囲で手伝うから。それで、ここに住まわせてもらえないかな」

「手伝ってくれるのか」

「なんだか困っているみたいだって、ギアノが言っていたからさ」

「ああ、困っているとも。この街での暮らしは長いのか」

「一年半くらいかな? なんでもやれるよ。食事の支度や洗濯なんかは、みんな自分でやる決まりだったからね」

 試しに何日か滞在させてもらって、それで見極めてもらえばいい。

 彼らと波長があうかどうか、ティーオ自身にも無理がないか、確認しておくべきだろう。

「まずは七日くらい、どうかな?」

 客がこう切り出すと、奥から余計な一言が飛んでくる。

「いいのか、眉毛。こいつもリュードみたいにタダで住み着いちまうかもしれないぞ」

「シュヴァル、なんの根拠もなく失礼なことを言うんじゃない」


 貴族の青年は悪ガキを諫めると、ティーオにむけて大きな右手を差し出して来た。


「空き部屋はあるが、なんの用意もない。それでも構わないだろうか」

「もちろん大丈夫。今日はもう遅いから、明日からにしようかな」

「いいのか」

「うん。夕食だって一人増えたら困るでしょ」


 レテウスは振り返り、シュヴァルが見つめる鍋に目をやっている。


「リュードが帰ってこなけりゃそいつの分もあるぜ」

「そんな不吉な話はするな、シュヴァル」

「クリュはどこへ? 探索に行ってるの」

「探索へいくこともあるようだが、正確にはわからない。いつもどこかへ出かけていって、夜になると戻ってくるんだ」

「へえ……。随分自由にしてるんだね」

「サークリュードは安全に眠れる場所が欲しいらしくてな」

「安全に眠れる場所?」

「相部屋の安い宿屋では、よからぬ真似をしてくる輩が多いそうだ」

 なるほど、とティーオは頷いている。

 あのきれいな顔が隣ですやすや寝ていたら、多分、じっと見つめるくらいはしてしまうだろう。

「聞いてもいいかな。どうして一緒に暮らしてるの?」

「サークリュードとか? 彼とは偶然出会った。私が道に迷っている時に声をかけてきて、案内をしてくれた」

「案内をしてくれただけで、同居までいく?」

「まさか。案内だけではない。きっかけは道案内だったが、いろいろと協力してくれたのだ。私は人を探しにこの街へ来た」

「人探しか。結構難しいんだよね、ここで人を探すのは」

「ああ」

「見つかったの?」


 軽い気持ちで問いかけたのに、レテウスの表情はこれまでで一番渋い。

 眉間に皺を寄せると太い眉毛がぎゅぎゅっと吊り上がって、憤怒の状態にあるように見えてくる。


「そいつが探してるのは、ここじゃ有名なヒゲオヤジだぜ」

「ヒゲオヤジ?」

 代わりに応えてくれたのはシュヴァルで、正体はティーオにとってかなり馴染みのある人物だとわかった。

「ウィルフレドとかいう、気取った野郎だ」

「ウィルフレドを探していたの?」

「知っているのか、君」

「ウィルフレド・メティスで合ってる?」

 

 気取った髭の親父で、この街では有名なウィルフレドとなれば、他にはいないだろうが。

 ティーオが一応確認してみると、二人は違うトーンで肯定の返事をくれた。


「合ってるぜ」

「合ってはいるが……」


 レテウスは眉間に皺を寄せたまま、ティーオに鋭い瞳を向けている。


「面識があるのだろうか」

「まあね。前は一緒に屋敷に滞在してたし」

「……そうか。そうだった。カッカー殿の屋敷にいたと聞いたぞ!」

「俺と同じ部屋で暮らしていたよ。ウィルフレドはあの通り腕がいいから、すぐに出て行っちゃったんだけどね」


 この答えに、貴族の青年は驚いたようで口を大きく開けた。

 そしてティーオの肩を両手で思い切り強く掴んで、こう叫んだ。


「話を聞かせてくれ! 夕食になるものを買ってくる。待っていてくれ!」


 言い終わるなり駆け出し、財布を取りに行ったのだろう。

 レテウスは貸家を飛び出して、しばらくすると客人用の食事を持って帰って来た。


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