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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
26_A Downright Lie 〈旅のはじまり〉

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122/244

117 罪の告白

 ギアノから旨い保存食をわけてもらい、袋の中にしっかりとしまう。

 カミルは地図を用意し、アダルツォは出発前に妹との祈りの時間を過ごしている。

 

 魔術の教室が始まるのはもう少し後のようで、四人はコルフに見送られて「緑」へ向かった。

 「藍」に比べて早い時間の出発で、体がすこし怠い。

 魔術師の住処の辺りを通るかどうか悩んだものの、確実性をとって南側を迂回して進んでいく。


「『緑』ってのは素人が行くところなんだよな?」

「本当の初心者は『橙』がいいと思うよ。『緑』は毒草なんかが生えているし、他にはない特徴があるから」

 フォールードは神妙な顔でスカウトの話に耳を傾けて、自分の知っている情報が正確かどうかの確認をし始めている。

 どうやら、最下層への旅の過酷さや、待ち受けている魔竜の強さについても聞かされたようだ。

 事前にこんなにも学習をしている初心者はあまりいないだろう。フェリクスは感心して、フォールードへ問いかける。

「チュール様のところで世話になっている子供たちは、みんな剣や迷宮について教えられるのか?」

「いいや、そんなことはない。アークのおっさんが剣を教えてくれるのは、体を鍛えたり集団で暮らすための精神を養うためだって。迷宮の話はみんな好きだけど、二人はあんな危険なところに行ってはいけないとか、これはあくまでお話であって、実際にはもっと大変なんだって言うからな」

 興味があったから、個人的に教わっただけ。

 そんな風に望んだのは一人だけで、他にはいないと新入りは笑った。


 話しているうちに「緑」の迷宮にたどり着いたが、入り口には列ができている。

 四人は大人しく一番後ろに並んで、フォールードへ順番待ちのルールを教え、最終確認もしっかりと行っていく。


「花には絶対に触らないようにね」

「わかったよ」

「地上と同じに見えるものは特に危ないんだ」

「わかったって言ってんだろ」


 フォールードの態度はそう良くはないが、中に入れば教えはきっちりと守られていた。

 伸びる蔦に足を取られることはないし、優しく咲き誇る花にも絶対に触れないよう、しっかりと歩いている。


 フェリクスにとって初めての「緑」の旅。ウィルフレドがやってきて、ニーロ、マリートと共に進んだ貴重な経験の時間だった。

 おっかなびっくり、アデルミラと二人でなんとかついていったことを思いだす。

 

「フェリクス、どうかしたの?」

 休憩中に思いを巡らせるフェリクスに気が付いたのか、カミルが声をかけてくる。

「この辺りで偶然ティーオに会ったんだ。別々に探索をしていたのに、本当に偶然にね」

「へえ、そりゃあすごいね」

「マティルデを助けた時だよ。ティーオは一緒に来た連中に置いていかれたけど、なんとか助けてあげようと一人で頑張っていた」


 アダルツォは感心し、フォールードは口笛を鳴らしている。

 カミルもすごいなと話していたが、はっとした顔をするとこう話した。


「ギアノのお菓子を売る店を作るっていうけど、もしかしてそれでマティルデと仲良くなろうとしてるんじゃないか?」

 神官が朗らかに笑い、フェリクスは少しだけ呆れている。

「いや、さすがにそれだけの為じゃあないだろう」

「だって、あんなに入れあげていたんだから。少しくらいは考えているかもよ」


 フェリクスがいない間に菓子の販売の機会があり、マティルデは必死で屋敷までやってきて、売り子をしていたという話を聞かされる。


「なんで屋敷に来るぐらいでその女は泣いたりするんだ」

「マティルデはこの迷宮で大変な目に遭って、それ以来男が怖くなっちゃったんだって」

 ギアノとアダルツォだけは平気みたいだけどね。

 カミルの話に、フェリクスは驚かされている。

「アダルツォも平気なのか」

「そんないい話じゃないよ、フェリクス。あの子は俺をアデルだと思い込んで話していただけなんだ」

 情けない告白に、フォールードはがはがはと笑った。

「似ているもんなあ、神官さんとあの妹は!」

「そんなに似ているかな。よく見てくれよ、フォールード」

「いや、そっくりだ! 男か女かくらいしか違いはねえ!」

 

 アダルツォが気を悪くしたところで休憩は終わり。

 四人は気を取り直して再び迷宮を進んでいった。

 六層へすぐに辿り着き、泉の世話になって、もう少しだけ先へ。

 でこぼことした部分のある道は歩きにくいが、四人は慎重に進んでいった。六層を過ぎてからは混雑が緩和されて、蛇を仕留めて皮を剥いだり、兎肉を手に入れたりして地上へ戻っていった。



「なにせ大回りしなきゃだからねえ」

 街の東側に住む者にとって、「緑」の迷宮は遠い。

 他よりも早めに探索を切り上げなければならず、滞在の時間は短くなりがちだった。

「雲の神殿からなら近いね、アダルツォ」

「ああ、そうだな」

「もしも神官用の寮に入ったら、すぐに来られるかな?」

「寮はもっと南側にあるんだ。だから、そこまで近くではないな。神殿からならあっという間に着くけれど」


 雲の神官兄妹は住処をどうするか、まだ悩んでいるらしい。

 寮は男女でわかれているので、別々に暮らすことになってしまう。

 妹の将来が心配らしく、アダルツォは一番良い方法を探したいと話していた。


 このままギアノの手伝いをしながら、屋敷で暮らすのがいいんじゃないか。

 フェリクスもまた、アデルミラの暮らしが良いものになればいいと願っていた。

 最初に出会った時からフェリクスに起きた出来事に心を痛め、シエリーに気付いて寄り添ってくれた。

 勇敢で、働き者で、心優しい神官のアデルミラ。彼女には幸せに暮らしてほしい。

 アダルツォが妹を想う気持ちは、痛いほどによくわかる。

 

「どこかに自分らの家があればいいんだろうなあ」

「いいよねえ、家。欲しいよね。大きくなくてもいいからさ」

 カミルは「成功の証」としての自宅が欲しいのだろう。

 アダルツォとは悩みの質は違うが、そろそろ屋敷の卒業が見えて来たのだから、フェリクスも一緒に考えなければならなかった。

 宿屋に移るか、貸家を見つけるか。アダルツォの身の振り方も含めて、検討していかなくてはならない。


 この日もまた、ささやかな成功と未来への不安を抱えたまま屋敷へ戻った。

 肉はギアノに納めて、蛇の皮は売り払ったが、「藍」に比べて報酬は少ない。


「鹿って儲かるんだな」

「そうだよ、フォールード。コルフが戻るまで少し我慢だ」

「四人でも行けるんじゃないか?」

「そういう安易な考えが失敗のもとだよ。流水の神官チュールもそう言っていたんじゃない?」

 敬愛する師の名前を出されると、新入りの表情は一瞬で引き締まる。

「もうわかったとか、自分は平気だって思った時が一番危ないんだ」

「それ、アークのおっさんがよく言っていたよ」

 そういうことだとカミルは笑う。ベテランのアドバイスほど、よく聞いて心に留めておいた方がいいのだと。


 四人で協力して夕食の準備を進めていくと、コルフが塾から戻ってきた。

 「脱出」の魔術はどのように学ぶのかわからないが、どうやらくたくたになっているようで、食堂の隅の席でだらんと座り込んで動かない。


 よく同じ席に陣取ってきたせいか、一番奥の辺りはフェリクスたちの指定席という認識が生まれつつあった。

 どこの席に座ろうが構わない、逗留している人数よりも席の多い食堂なのだが、みんないつも似たような場所に座るようになっている。


「コルフ、大丈夫か」

「もちろん大丈夫だけど、慣れないことをしたせいか、ちょっと頭が痛いんだ」


 疲れた魔術師を気遣い、四人で五人分の準備を整えていく。

 コルフは感謝の言葉を口にして、この日受けた授業の話を仲間に聞かせてくれた。


「どういう力の使い方をするのかはなんとなく知っていたんだ。聞いていたし、一度術符を使わせてもらっただろう、キーレイさんに。あの時に助言をもらったのもあって、こういう風かなっていう自分の考えは既に固まってはいた」

 魔術師の話は抽象的で、四人にはよくわからない。

「言葉ではうまく説明するのは難しいな。とにかく、術符や魔術で迷宮から出たことがこれまでに何回かあったからね。あの感覚を知っているのといないのじゃ、違いは大きいって話なんだよ」

「ニーロさんの脱出はすごかったもんな」

「なにがすごいんだ。例のチュール様の仲間のおっさんの弟子だよな、そいつは」

「そうだよ。魔術師ニーロの脱出は、一味違うんだ」


 迷宮から一瞬で飛び出す秘術について、カミルがフォールードへ説明していく。

 術符は読み上げるだけで入り口の隣に導かれるものだし、脱出も同じようなものなのだと。


「魔術師の力に余裕がある場合、持ち帰れる量が増えたり、帰る場所を自由に設定できたりする」

「自由にって?」

「ニーロさんは自分の家に帰ったんだよ。迷宮からは少し離れているし、あの時は全部で六人だったけど、余裕だったよな」

「脱出はものすごく消耗するって話なんだけど。余裕だったね、無彩の魔術師は」 


 コルフはしみじみと呟き、明日もまた頑張ると四人に話した。

 フォールードはたびたび話題にあがる「元上級探索者が育てた弟子」仲間であるニーロに、ぜひ会ってみたいと息巻いている。


「そいつもチュール様に会ってるかな」

「ニーロさんは森の中で師匠と二人きりで暮らしてたとかじゃなかったかな」

「十歳でこの街に来てるし、チュールには会ったことはないんじゃない?」


 呼び捨てにするんじゃねえとフォールードが凄み、コルフは笑いながら謝っている。

 脱出の魔術習得には最短でも七日程度はかかるらしいので、しばらく四人でできることをやっていくしかないだろう。


「次は『橙』でも行ってみるか?」

「素人の行くところなんだろう、そこは」

「そうだけど、慣れるにはいいところだよ。夜明かしのために深く行ってみてもいいと思うし」

「夜明かし?」

「迷宮はみんな三十六層作りで、一日で進めるようなところじゃないんだ。だから、迷宮内での睡眠っていうのにも慣れた方がいい」

「敵が出るのに、どうやって寝るんだ?」

「それはアークには教わってないの?」


 街へやって来たばかりのド素人には、まだまだ学ぶべきことが山のようにある。

 事前にどれだけ教わっていても、迷宮の中に実際に足を踏み入れなければわからないことだらけだ。

 まだ何も知らないフォールードは主にカミルからあれこれ教わって、認識を改め、次へ挑む気力に変えている。


 明日の予定を「橙」に決めたのなら、早くベッドに入った方が良い。

 最も込み合うところへは早めに出かけた方が良く、フェリクスもそうしようと考えていたのだが。


「フェリクス、ちょっと」

 体を洗って部屋へ戻ろうとしたところにギアノが声をかけてきて、立ち止まる。

 招かれるままに管理人の部屋へ向かうと、中には無彩の魔術師の姿があった。


「ニーロ」

「久しぶりに会いましたね。カッカー様たちと一緒にいたと聞いています」

「ああ。いろいろあって……」

 この魔術師が自分の事情を気にするかどうか、フェリクスは考える。

「今朝用意したものがあったのですが、追加されてしまったので」


 紙が差し出され、フェリクスは戸惑いながらそれを受け取った。

 なんの話なのかよくわからなかったが、受け取った紙に書かれた文言を読むと、ますますわからなくなってしまった。


「それでは」

「待ってくれ。これは、どういう意味なんだ?」


 去ろうとするニーロを、フェリクスは慌てて止めた。

 渡された紙には、借金の残額がはっきりと示されている。

 残りは何故か三万五千シュレールとなっていて、期限はなく、代わりに指輪を預かっている旨も明記されていた。


「残りの金額がわかるようにしてほしいと言われたので書いただけです」

「五万のはずでは?」

「あなたは承知していなかったのですか」

「誰かが払ったのか」


 部屋の中にいたギアノに視線を向けると、管理人は慌てて自分ではないとアピールをしてみせた。

 

「誰が一万五千も……。ウィルフレドが?」

「いいえ、違います」


 それ以上の心当たりがないフェリクスへ、ニーロは視線をまっすぐに向けて、二人から支払いがあったことを話した。

 一人はティーオで、一万シュレールを支払った。

 もう一人はアデルミラで、こちらは現金ではなく、赤い短剣をニーロに返し、五千シュレールの減額になったという。


「ティーオが、どうやって?」

「あなた方は仲間なのでしょう?」

 自分で聞いてくれと言い残し、魔術師は去っていってしまった。


 驚きながら部屋を出たところで、雲の神官の兄妹とばったり出会う。

 フェリクスは大慌てでアデルミラを呼び止め、問いかけていく。


「ニーロに渡したと聞いた、今」

「ええ、そうです。……私は今は探索に行きませんし、それに、行ったとしてもやはり剣は使いません。あの赤い短剣はニーロさんにとって大切なもののようでしたし、売ってしまうよりはお返しした方がいいと思ったのです」

「それは、そうか。そうだろうけれど」

 ちゃんと自分のぶんも受け取ったのか。フェリクスは問いかけながら、無駄な質問をしてしまったことに気が付いている。

 答えはもちろん否だが、アデルミラはきりりとした顔で、フェリクスへこんな風に答えた。

「私にも少しくらい、恩を返させて下さい」

「恩だなんて、そんな」

「兄さまが帰ってきてから、どこでどうやって暮らしていたのか詳しく聞きました。母さまにはとても伝えられませんでしたし、そもそもは兄さまが物事を簡単に考えてしまったせいですけど」

 隣にはアダルツォが控えており、顔色はみるみる青くなっていく。

「私は娼館がなにをするところなのかは、わかっています。けれど、どんなところなのかは知りませんでした。どんな人たちが経営をして、どんな風に働く人が集められるのか。世間には知らないことがたくさんあるのだと、思い知らされたんです」

「アデルミラ」


 辛い労働、自由のない暮らし、理不尽な清算など、アダルツォの落ちた穴の暗さを理解した、とアデルミラは語る。

 けれど本題は、娼館での下働きの内容などではなかった。


「普通の人なら、避けるところでしょう。関わることすら躊躇するはずです」

 けれど、フェリクスは行ってくれた。行って、アダルツォを救おうと動いてくれた。

 それを感謝しているのだと、神官は涙を浮かべながら話している。

「アダルツォを見つけたのはウィルフレドだし、彼の協力がなければ」

「そうですけど、だけど、フェリクスさんが助けようと言い出したって聞きました」

「誰に?」

「ティーオさんです。フェリクスさんが言い出さなければ、兄さまはまだ何年も働かされていただろうって」

「だけど支払いのほとんどは」

「金額の問題ではありません。フェリクスさんだけの力ではなかったとしても、きっかけを作って下さったのはフェリクスさんですから」


 だから、力にならせてほしい。

 アデルミラは涙をこぼしながら祈りの言葉を唱え、アダルツォも一緒になってフェリクスを見つめている。


「二人にはメーレスを助けてもらった。二人も命を賭けてくれたんだ。充分に返してもらったから、だからもうそんな風に、まるで救い主のように言う必要はないよ」

 フェリクスからも礼を告げると、兄妹はようやく笑顔を見せてくれた。

 あの可愛い赤ん坊に、いとおしい命を守るカッカーたちの上にも恵みがあるように。

 二人の言葉はひたすらに優しく、美しい。


 おやすみの挨拶をすませて、急いで階段を登っていく。

 ベッドでごろごろしているティーオの手を掴み、もう一度階段を通り抜けて中庭へ。

 探索者卒業の話をされた時と同じ丸太の上に、また隣り合って座り、フェリクスはティーオへ清算の話について問い質した。


「ニーロさんがわざわざそんなの用意してくるなんて意外だな」

「話を逸らすな。一万シュレールって、どうしたんだ、そんな大金を」

 ティーオは照れ臭そうに頬を赤くして、頭をぽりぽりと掻いている。

 フェリクスが呆れた顔をすると、おかしくなったのか小さく噴き出し、にやりと笑いながら答えてくれた。

「見ただろう、強盗が入った時に。俺の持っていた白い剣」

「ああ、そういえば、あったな」

「ニーロさんから譲ってもらったのは話したっけ。ものすごく軽くて、水を浄化する魔術が使えるっていうすごいやつでね。使ったことはないから魔術の話は本当かどうかわからないけど、だけど『白』の下層で見つけたって言っててさ」

 それが高く売れたから、お裾分けをした。

 ティーオは金の出所を打ち明けると、申し訳なさそうにこう続けた。

「本当は全額って言えたらいいんだけど、ごめんな。半分は俺の今後の生活のためにもらったんだ」

 そんなに高く売れる剣があるとは。

 フェリクスは驚いたが、それは隠して、お裾分けにしては多すぎると抗議をした。

「怒ることある? 借金が減ったんだ。喜んでいいと思うけど」

「ティーオだって金は必要だろう? それに、俺には分けてもらう理由がない」

「ははは。そういうところだよ、フェリクス」

「どうして笑うんだ」


 ティーオは立ち上がり、一歩、二歩と進んで、くるりと振り返った。


「俺、フェリクスには本当に感謝してるよ。いろいろ巻き込んだり、迷惑をいっぱいかけたのにさ。全部許してくれただろう。術符を独り占めした話とか、マティルデに夢中になってさぼったりとか、呆れてただろうに許して、俺を見放さないでいてくれた」

「ティーオ」

「俺のせいで強盗にまで入られたってのに」

「いや、被害はなかったし」

「たまたま戻ってきただけだ。盗られたのには変わりはないよ」

「アダルツォを助けるために協力してくれただろう。ティーオは三万も出してくれた」


 この金額について知っているのは、フェリクスとティーオ、ウィルフレドの三人だけ。

 アダルツォの救出に一番多く払ったのはティーオなのに、誰も知らないし、想像すらしていないはずだ。

 そのせいで、感謝はフェリクスへ向いてしまっている。

 ウィルフレドの尽力と、ティーオの支払いがあって成立したのに。


 そんなのはおかしいとフェリクスが語ると、ティーオは情けない顔をして、こう答えた。


「あの時、俺、しらんぷりするつもりだったよ。いくらなんでもそこまでできないって。だけどフェリクスを見ていて、本当に恥ずかしくなったんだ。ズルして手に入れた大金を隠し持っているのに、誰にも手を差し伸べずに黙っていようとしたんだから」

 あの時なにもせずにいたら、自分を許せなかっただろうとティーオは言う。

 そう思っていたとしても、実際に支払ってくれた。心を変えて、他人のためにすべて差し出してくれた。

 実際の行動こそが評価されるべきだと、フェリクスは語る。

「ティーオのお陰でアダルツォをあそこから助けられて、それで、メーレスも助かった」

「それは、フェリクスの心掛けが良かったからだよ」

「心掛けなんて……」

 物事はすべて繋がっている。ティーオはそう考えたのだと、フェリクスに伝えていく。

「フェリクスはいつもちゃんとしているから。探索にも真剣に取り組むし、俺みたいに都合の悪い時に後ろに隠れたりしないで、みんなに声をかけたり、おっかない相手とも真正面から話してくれただろう。アデルミラがフェリクスのことを心に留めていたのは、いつでも誠実でいたからだ。フェリクスが本気でアデルミラを思って、アダルツォを救いたいと考えたから、俺も心を変えた。俺はずっと、フェリクスに助けられていたし、教えられていたよ。俺だけじゃなくて、カミルもコルフもね。フェリクスがいてくれるから、俺たちはまとまっていられたんだ」


 君は素晴らしい人だよ。

 ティーオは真剣な眼差しで、フェリクスをまっすぐに見つめている。


「今は迷いがあるかもしれないけど、だけどさ、フェリクスは大丈夫だよ。信頼できる人間だって、みんな思ってる」


 もっと自信を持っていい。自分を信じていい。

 偶然同じ部屋になっただけだけど。共に過ごしてきて、今は一番の友だと思っているよ。


 ティーオの言葉は宝石になって心の中に落ちてくる。

 友人として得難い存在だと思う気持ちは、フェリクスも同じだった。しかし。


「違うんだ。俺は、立派な人間なんかじゃあない」

「そんなことないよ。フェリクスは自分を」

「違う、ティーオ。俺は悪いことをした。アデルミラもアダルツォも俺を恩人だと言ってくれるけど、そんな資格は俺にはないんだ」


 様子がおかしいことに気付いて、ティーオは再びフェリクスの隣に腰を下ろした。

 友人に肩を抱かれ、涙とともにあふれ出て来た思いが、青年の口からこぼれ落ちていく。


「……あの時」

「もしかして、故郷での話?」

「ああ。最初に親友のメーレが死んだ。妹のシエリーと結婚をしたいと言って、両親同士で話す予定だったのに。なぜか盗賊退治に連れていかれて、死体になって帰ってきたんだ」


 どうしてそんなことになったのか、フェリクスにはまだわからなかった。

 けれどすぐに、理由はわかった。妹を妻にしたいと望んでいる男がいたからだった。


「シエリーも俺も、メーレの家族も悲しみに暮れていた。だけどすぐにわかったんだ。領主の息子なんていう知らない誰かが、欲しいものを手に入れるために手段を選ばずに暴れまわっているんだって」


 贈り物が届けられたり、使いがやってきた。

 シエリーは拒み、両親は娘の気持ちを重んじた。

 ただそれだけ。ごく普通の娘と、娘を思う親がいただけだったのに。

 懐柔から恫喝へ。娘のため、妹のために家族が策を講じている間に、手段は強奪に変わってしまった。

 フェリクスが無事だったのは、妹を逃がす相談をするために隣の町へ行っていたからだ。

 帰り道、遠くに黒い煙が上がっていることに気付いて、神に願いながら走った。

 どうか自分の家ではありませんように。シエリーが無事でいますように。誰も傷つけられていませんように。

 どうかどうか、お守りください。


「祈りは届かなかった。そうならないでいてほしいことが全部、現実になっていた」

  

 誰かの声が聞こえた。シエリーは連れていかれた、と。

 燃える家のそばに家族の姿はなく、誰かが汲んできた水を被って炎の中に飛び込み、父と弟は既に失われていることを知った。

 母だけはまだ、動いていた。慌てて駆け寄ったが、炎の立てる音の中で母の声は聞こえず、最後にぐったりと力を失くしていく様を見ることしかできなかった。


 母の手から指輪を外し、家から飛び出した。

 火がついたまま出て来た若者に何人かが水をかけてくれたが、ほとんどが遠巻きにしたままで動かない。

 息子の親友を可愛がってくれていた、メーレの両親もそう。

 遠くで、複雑な顔をして、立ちすくんでいて。

 けれど母親の方が、声を出さずに口を動かした。


 逃げなさい


 見慣れない顔の人間がいることに、ようやく気が付いていた。

 シエリーを奪うために家族を始末しに来たのだから。

 一人足りない息子を探していたのだろう。


 起きた悲劇について語る青年の背中に、ティーオはずっと手を当て、撫でてくれている。

 その優しさがたまらなくて、フェリクスは唸るように告白を続けていった。


「俺は……、シエリーを助けようと決めて、あんな酷いことをしたやつを許さないと決めて、町から出ようとしていたんだ」

「辛かったな、フェリクス」

「違うんだティーオ。俺は町の出口に向かって、そこで……」


 突然、一人の女が立ち塞がった。

 町のはずれのボロ小屋で暮らしている、人の悪口ばかり言う嫌われ者の女が。


 あんたは家も家族も捨てて一人で逃げるのか。卑怯者。お前のせいでまだ幼い弟が死んだのに、どこに行こうというのか。


 女はフェリクスを責め、石を拾っては投げつけ、ありとあらゆる悪態をついた。

 そして最後に、ラクトの家の長男が逃げようとしていると大声で叫び始めた。


「やめろと言っても聞かなかった。声はどんどん大きくなって、それで」


 フェリクスは女を殴り倒した。それを更に罵られて、また殴った。女の叫びはけたたましくなる一方で、罵声は呪いに変わっていき、妹と家族を酷く侮辱され――。


「俺は、人を殺した」

「フェリクス」

「あの時は、怒りでどうかしていた。どうしても許せなくて、これは必要なことなんだって考えてしまった。強くならなければいけないと、あの女の家から金まで奪ったんだ」


 ずっと後悔してきた。復讐してやる、妹を助けるために強くなると言い訳をして、自分の罪を見ないようにしてきた。

 けれどやはり、間違っていた。憎んでいる相手と同じところまで落ちて、手を血に染めてしまった自分が、一体誰を助けられるというのか。


 体の震えも、涙も止められない。

 嗚咽を漏らしながらぶるぶる震えていると、ティーオが強く、きつく抱きしめてくれた。


「フェリクス、もう泣くな」

「俺は悪い人間なんだ……」

「悪くないよ。とんでもなくひどい目にあったんだ、仕方ないし、誰だって間違うことはある」

「でも」

「わかった。ひどいことをしてしまった。それはわかった」


 ティーオはフェリクスの真正面へ移動して、友の肩を力強く掴む。

 ようやく顔をあげたフェリクスに、ティーオは大きく頷くと、こう語った。


「いいよ。俺が許す。一緒に背負う。他の誰かに咎められても、俺だけは絶対にフェリクスを許す。俺はフェリクスの良さを知ってるから。『黒』の迷宮であったことにいつまでも心を痛めているし。マスター・ピピを探してやれないかって言いだしたり、自分が借金を負ってでもアダルツォを助けようとしたことを知ってる」


 ティーオは袖を引っ張ってフェリクスの顔をごしごしと擦り、手荒に涙を拭いていく。


「悪いことをしたかもしれないけど、それでフェリクスのしたいい事の全てがなくなるなんて俺は思わないよ」

「ティーオ」

「フェリクス、自分のためにも生きろ。生き抜いてメーレスと幸せになれ。いつか命が終わる時に、神に責められるだろうけどさ。その時は俺、一緒に頭を下げてやるから」

「どうして……」

「いい奴だからだよ。わかってくれ、フェリクス。とんでもなく不幸なことが起きたから、とんでもないことをしちゃっただけなんだ。フェリクスは心の底から正しい人間だ」

「正しくなんかない」

「正しいから後悔しているんだろう、いつまでも、そんなにも深く。悪い奴ならそんなこと考えないよ」


 ティーオはフェリクスを強く抱きしめると、たどたどしい祈りの言葉を口にしていった。

 特別に許してやってもらえませんかと願い、腕に力を込めて、フェリクスへ故郷の町の名と、町はずれに住む女の名前を聞いた。


「どうしてそんなことを聞く?」

「一緒に背負うって言っただろう」


 友の力強い言葉に、フェリクスはなにも返せなかった。

 涙を止めて部屋に帰り、ベッドに横になったが、しばらく眠れないまま過ごした。



 目が覚めるともう昼間で、フェリクスはおおいに焦った。

 仲間たちの姿はなく、慌てたが、ギアノが事情を説明してくれた。

 ティーオがなにやら話したお陰で、今日は皆それぞれの用事を済ませる日にしたのだと。

 管理人もフェリクスの状態を察したようで、軽食とお茶を用意して、振舞ってくれた。


 その後。

 部屋で一人、自分の心と向かい合いながら、静かに過ごしていく。

 こんな過ごし方は初めてだと、フェリクスは思った。


 故郷で見た最後の光景。炎と、死体、暴力、仲良くしていたはずの町の人々の、冷たい視線。

 今、目の前にある暮らし。友人、仲間、迷宮の道。カッカーとヴァージ、二人の「姉」に囲まれて笑う、小さなメーレス。


 時が静かに過ぎていく。窓の外が橙色に染まっていき、ゆっくりと暗くなっていく。

 

 いつまでも座り込んでいても仕方がない。

 フェリクスがなんとか立ち上がろうとすると、扉の向こうから騒がしい音が聞こえ、近づいてきた。


「フェリクス!」


 勢いよく扉が開かれ、ティーオが飛び込んでくる。

 激しく叩きつけられたせいかとんでもない音がして、扉には大きなひびが入ってしまったようだ。


「うわ、しまったどうしよう! まあいいか、フェリクス!」

「どうしたんだ、ティーオ」


 友人は満面の笑みで、汗だくで息を切らせている。

 あの騒音では当たり前だろう、慌てた様子でギアノがやって来て、扉に起きた悲劇にすぐに気が付いてティーオを咎めた。


「扉だけは壊さないでくれよ、ティーオ」

「ギアノ、ごめん、ちょっと待ってて。大変なんだ、フェリクス!」

 ギアノは呆れた顔をしたが、待ってくれるようだ。扉の前で止まって、腕組みをして口をへの字に曲げている。

 あまりにもご機嫌な様子のティーオに、フェリクスは戸惑いながら問いかける。

「なにがあった?」

「行ってきた! お前の故郷! 生きてたぞ、例の嫌なことばっか言うおばさん!」

 明るく朗らかに、ティーオはけらけらと笑っている。

「今も元気に嫌なことばっかり言ってるって!」


 なんのことだとギアノが呟き、ティーオは勢いよく内緒だと答えた。


「わざわざ行ったのか?」

「うん。乗合馬車の店に行ってさ。ちょっとひとっ走り頼むよって。はは、結構聞いてもらえるもんだな」

「ティーオ……」

「これで元気が出ただろう? 悪いことはちょっとはしたかもしれないけどさ。悪いことしない人間なんていないんだから。だからフェリクス、なにも心配しなくていい。大丈夫だから。まずはお母さんの指輪を返してもらってさ。それからじっくり、どうしていくか考えたらいいよ」

「ありがとう」

「泣くなよ。いや、泣いてもいいか。でも今日で終わりにしよう。フェリクス、カミルたちとさ、うっかり一流の探索者になっちゃってくれよ。応援しているし、俺も負けないから」

 

 ティーオはとびきりの笑顔を浮かべており、フェリクスは深く頷き、わかったと答えた。


「一緒に頑張ろうな」


 最後の涙をこぼすフェリクスを抱きしめて、友情をより強いものにした次の日。

 ティーオはカッカーの屋敷を卒業していった。


 扉の修理代は二人で半分ずつ出し合って、三日後に無事に新しいものに取りかえられた。

 

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