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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
25_Scent of Darkness 〈昔、起きた出来事〉

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110 残り火に惑う

 迷宮の扉を開くと、暗い床と壁に囲まれた狭い道に繋がっている。

 「黒」はどうやら他の八つの迷宮よりも通路が少し狭いらしく、大柄なウィルフレドにとっては特に窮屈に感じられるところだ。


 けれどここで求められるのはまずは強さで、一層目から敵が出てくることも含めて戦士のお気に入りの場所になっている。

 

 

「まるで夜のようなのに、あなたの姿ははっきりと見えます」

 ラフィはあたりの様子を見回すとこう呟き、物憂げな眼差しでウィルフレドを見つめた。

「魔術師たちの為せる業だそうですよ」

「どうやってこんなものを作ったのでしょうね」

 不思議だ、と夜の神官は言う。

 

 狭い迷宮に入ったからか、ラフィから漂う芳香は濃度を増したように感じられた。

 余計なことを考えていては死に繋がるところで、雑念は振り払っておかなければならない。


 剣を抜いて握りしめると、待っていましたとばかりに遠くから足音が響いていた。

 床を掠るような音は迷宮を走る犬型の魔物の立てるもので、戦士は耳を澄ませて、何頭やってくるのか考えていた。


 腕の良いスカウトたちは大抵耳も良いので、彼らはかすかな違いを聞き分ける。

 二頭か三頭か、更に遠くからやって来るものがいないかを教えてくれる。

 ウィルフレドも鋭敏な感覚の持ち主で、これからやって来る犬は二頭だろうとあたりをつけていた。

 地這犬と名付けられた「黒」の最初の襲撃者は、あっという間に通路を駆け抜けてきて戦士に襲い掛かった。


 肉だの皮だのにこだわらなければ、対処はそう難しくはない。

 夜の神官が前に出てこないように手で制して、剣を振り下ろす。

 一頭目を切り捨て、大きく跳ねた二頭目はど真ん中を突き刺してやる。

 

 神官の甘い香りは血の匂いにかき消され、迷宮には静寂が訪れていた。

「確かに、危険なところのようですね」

「いつでもすぐに敵が現れるとは限りませんが」

「弱い者なら一瞬で命を落としてしまうのでしょう」


 ラフィは手をゆらりと動かして、複雑な形に指を組むとウィルフレドの知らない言葉を囁いていった。

 故郷での祈りの言葉なのだろうか。暗闇を守る神がいるのなら、この迷宮で起きるあらゆる出来事を見つめているかもしれないと戦士は思う。


 二人は静かに過ごしているのに、再び遠くから足音が響いていた。

 先ほどよりも多く複雑な音なのは、三頭か四頭か、いっぺんにやって来るからなのだろう。

 入り口に戻るべきかもしれない。ウィルフレドはそう考えたが、「黒」の犬はとにかく速い。

 背中を向けてはやられてしまう。つまり、迎え撃つしかなくて再び剣を構えていく。


 迷宮に出てくる敵性生物は、野生の獣とは言えないだろう。

 だが彼らは、野生の獰猛な獣たちのように駆け抜けて、噛みつき、爪を振るい、命を奪おうと死ぬ瞬間まで暴れまわる。

 獰猛で手強い獣が、ウィルフレドは好きだった。彼らの読めない動きの中に隙を見つけて、剣を突き立て勝利するのは迷宮都市での楽しみのひとつといっていいだろう。


 ラフィに傷を負わせないために、すべて一撃で倒さなければならない。

 そんな気分でいたが、獣は斬っても斬っても曲がり角の先から現れた。

 一頭目、二頭目を切り捨てて、その次にも勝った。

 だがその後、二頭がいっぺんに現れて、左右にわかれ、一方は大きく跳んで襲い掛かって来た。


 背後に抜けていこうとする犬を狙って、剣を振り下ろす。

 足元へやってきた犬の一撃は足で受けて、対処はその後。

 ズボンは裂けて血が噴き出したが、すぐに倒して死骸を蹴り飛ばした。

 これで、二度目の襲撃は終わり。息を大きく吐き出したウィルフレドのもとに、ラフィが駆けてきて、傷に手を当てた。


「すぐに手当を」

「いえ、先に外に出ましょう。血の匂いでまた新手が来るかもしれません」


 「黒」の迷宮を少し進んだだけなのに、床も壁もあちこちが赤く染まっていった。

 獣の臭いの満ちた通路を速足で戻って、二人は迷宮の扉を再びくぐる。


「もうしわけありませんでした。わたしが迷宮を見てみたいなどと言ったせいで」

「謝る必要はありません。行けると判断したのは私の方です」


 扉のそばにある帰還者の門の上で、まずは傷を治すことになった。

 夜の神官は戦士にぴったりと寄り添い、傷口に細長い指をあて、目を閉じ祈りを捧げている。

 迷宮都市には夜の神はいないのに、神官の祈りはちゃんと届くようで、柔らかな青い光がウィルフレドを癒していった。


「あなたの剣には迷いがありません」

 噛み痕は消えて、白い肌と裂けたズボンだけが残っている。

「あんなにも鋭い剣を、どうやって磨いてこられたのですか」


 傷は塞がったのに、ラフィはぴったりと寄り添ったままだ。

 キーレイはこんな風に近寄っては来ない。誰が相手であっても、キーレイが女性だったとしても、こんなに近くに寄るような真似はしないだろう。

 

「どうでしょう。……いつの間にか、こんな風になっていたのです。戦いしか、私にはありませんでしたから」


 戸惑いながらウィルフレドがこう答えると、夜の神官は微笑みを湛えて戦士を見つめた。

 抱き寄せてしまいたかった。まるで誘われているようで、このまま自分のものにしても良いのではないかとすら思ってしまっている。


 男の内心が見えているのかいないのか、ラフィは微笑みを浮かべたままだ。

 どんな視線にも慣れているのではないか。

 これまでにどれだけの男から求められたのか、それにどれだけ応じたのか。

 腹の奥に暗い感情が湧き出して来て、ウィルフレドは慌てて立ち上がる。


「やはりここは危険なところでした。もし迷宮に興味をお持ちなら、もう少し安全な他のところを見られるといいでしょう」

 なんとかまともな台詞を捻りだし、更に言葉を探して声に変えていく。

「夜の神について私は知りませんが、神官ならばなにか知っているかもしれません。樹木の神官長ならばすぐに話ができますから」

「いいえ、ウィルフレド。あなたの心遣いに感謝します。けれど大丈夫です。わたしの神は、ここにいますから」

 ラフィも立ち上がり、自分の胸に手を当てている。

 そして一歩前に進み出て、もう一方の手でウィルフレドの胸に触れた。

「あなたは素晴らしい戦士ですね。あなたの姿が、わたしには見えました」

「私の姿が?」

「ええ。あなたは荒々しい剣の鬼。魂を戦場に置いて生きる人です」


 あなたと一緒にまた歩きたい。

 ラフィがそう囁いた気がした。

 声は小さくて、もしかするとウィルフレドがそう願っただけなのかもしれなかった。


「ラフィ殿」

「ラフィと呼んでください。わたしもあなたを、ウィルフレドと呼んでいます」


 夜の神官の落ち着いた声には迷いがない。なにひとつ濁さずに言い切る様に、ニーロのことを思いだしていた。


「今日はありがとうございました。無理を聞いて頂いて感謝しています」

「ラフィ、あなたはどこに滞在しているのですか」

「まだ決めたところはないのです」


 探しに行かねばならない、と神官は笑う。

 胸の中を様々な思いが交錯していって、去り行く美しい後ろ姿を止める言葉が出てこない。


「また会いましょう、ウィルフレド」

「ええ」


 こんな別れの言葉を信じるしかなかった。また再会するためには、迷宮都市から去ってしまわないことを祈るしかない。



 あの妖艶な神官に、安い宿は似合わない。

 ウィルフレドは悶々としながら、家に向かって歩いていた。

 旅の神官ならば、金もそう持ってはいないのではないかとも思える。

 

 頭の片隅に、声をかけてきた男の胸に潜り込んでしまえば問題はすぐに解決するだろうと聞こえて来て、眉間に皺を寄せている。

 ラフィは神官で、神に仕え信仰に生きる者なのに。

 下世話な想像ばかりが湧き出してきて、自分の頭の悪さにひどく失望させられていた。

 男に目覚めたばかりの若者でもあるまいし。ひたすらに愚かさに責めたてられながら、ようやく黒い壁の家にたどり着く。


 中に入って装備品を外し、着替えを済ませていった。

 破れたズボンは修繕に出さなければいけないし、血の汚れも取らなければならない。

 顔が汚れていないか鏡をのぞき込み、ウィルフレドはしばらく自分と向かい合っていた。

 一体どんな目であの神官を見つめていただろう。

 だらしない、欲に塗れた視線を向けてしまっていたのではないか。


 こんなことを気にする日が来るとは。

 戦士はため息を吐き出し、頭の中にこびりつく甘い香りを必死に払っていった。


 女を抱くことはあっても、求めることはないだろうと思っていた。

 肉欲などもう自分からは去っていったものだと考えていたのに。

 今もまだ、胸に触れた指先の記憶に悶えている。

 どうしてあんなにも魅力を感じているのか。ラフィにまた会いたくてたまらないが、恐ろしくも感じている。


 髭の戦士が葛藤の渦の中でもがいていると、家の扉が開いた。

 家主の冷静さをわけてほしくて、ウィルフレドは急いで玄関へと向かう。


「ウィルフレド、すみませんでした、留守の時間が長くなって。連絡をするべきでしたね」

 この謝罪の言葉はつまり、昨夜は戻ってきていなかったのだろう。

「どこへ出かけられていたのですか」

「魔術師の私塾と、道具屋です。ザックレン・カロンについて知っている人物がいたので話を聞いたのと、彼に二つの家があったのがわかって、珍しい物の鑑定に付き合わされたのです」

「石の神官を名乗っていたのはその魔術師で間違いなかったのですか」

「どうやらそのようです。指導を引き受けた魔術師が見つかって、少しですが彼の野望について聞かされていたと教えてくれました」


 ニーロは着ていたローブを脱いで、愛用の机のそばにぽいと投げ出している。

 そばにあった椅子を引き出し、腰かけて。

 ザックレンの話を聞かせてくれるのかと思っていたら、違っていた。


「それで、どこの迷宮に行っていたのですか?」

 髭の戦士は思わず苦笑しながら問いかける。

「わかるのですか?」

「匂いがしますから」

 魔法生物の血の匂いか、それともあの通路になにか満ちているのか。

「ほんの少しだけですが、『黒』へ行きました」

「魔術師とですか?」

 ウィルフレドが違うと否定をすると、ニーロは小さく首を傾げた。

「旅の神官と行ったのです。迷宮を見てみたいと頼まれまして」

「随分危険なところへ行ったのですね」


 それは咎める言葉ではないようで、無彩の魔術師は口元に笑みを浮かべている。


「ニーロ殿はザックレンとやらの家の片づけをしてきたのですか?」

「いいえ。僕自身はしていません。魔術師からすぐに不動産業の人間に話がいって、家の確認が行われただけです」

 散らかり切った家に片付けの業者が入り、よくわからない物は鑑定士に回され、その結果ニーロにも声がかかったという流れだったらしい。

「皆仕事が早いのですね」

「家を使っている様子がないことには気が付いていて、どうなっているのか探っているところだったそうですよ」

「なるほど」


 ニーロは頷き、ふとなにか思いついたような顔をすると立ち上がった。


「食事はもう済ませましたか?」

「いえ、まだですが」

 今はまだ夕方で、夜の食事をするには少し早い。

「昨日からろくになにも食べていなくて、良ければどこかの店へ一緒に行きませんか」

「これは珍しい」

 思わず正直に漏らしてしまい、ウィルフレドは焦る。

 ニーロはふっと笑みを浮かべて、そう言われても仕方がないと呟いている。


 どこか案内してほしいと言われて、二人は外出の準備を進めた。

 まだ時間は早いが、開けている店はある。ニーロはたくさんは食べられないと言い、細かい注文に応えてくれるところがいいだろうとウィルフレドは考えた。


 キーレイと一緒にあちこちに食事に出かけた甲斐があって、家から近いところにある食堂へ出向き、二人で夕食の時間を過ごした。

 無彩の魔術師と出会ってから、二人での外食はこれが二回目だった。

 記念すべき一回目の食事は、街の西側、ギアノが働いていた「コルディの青空」で出された魚薬草料理で、どんなに体に良くても二度と味わいたくないと思ったものだ。


「そういえばニーロ殿」

 小食な魔術師の夕食はとうに終わり、ニーロはお茶を口に運んでいる。

 ウィルフレドも皿の上のものをすべて片づけて、来客があったことを伝えていった。

「訪ねて来たのは、ホーカ・ヒーカムの屋敷の人間でした」

「そうですか」

「以前にも訪ねて来たと思いますが」

「ええ。年に何回か使いを寄越すのです」

 ホーカ・ヒーカムから使者を寄越されるようになって、もう五年も経つとニーロは言う。

「僕と魔術談議がしたいとかで、招待状を持ってくるのです」

「魔術談議、ですか」

 青年の話ぶりはそっけなく、まったく興味を抱いていない様子が窺える。

 キーレイから聞いた話が思い出されて、ウィルフレドはニーロに問いかけていった。

「なにかあるのですか。ホーカなる魔術師とは」

「ありませんよ。あちらは勝手になんらかの縁があると考えているようですが」

「大魔術師ラーデンとなにか関係が?」


 師匠の名前を出してみると、ニーロはちらりと戦士に視線を向けて、小さく首を傾げてみせた。


「誰かになにか聞きましたか?」

「キーレイ殿に少し。子供の頃の記憶なので、詳しくはわからないと言っていましたが」

「僕も詳しくはわかりません。招待の理由がわからなかったので、カッカー様に相談をしたり、話を聞いたりしてはいますが」

「カッカー様に聞いて、わかったのですか?」

「他の人に聞いた話も総合すると、なにもなかったと考えるべきだと結論が出ました」

「なにもなかった」

「ええ。なにも起きなかったから、しつこく使者を送ってくるのです」


 ニーロはしばらく目を伏せていた。ウィルフレドはこれ以上答えはないだろうと考え、なにも聞きはしなかったのだが、魔術師の話には続きがあった。


「僕はどこかの森の奥で育てられていましたが、ラーデン様は本当に急に迷宮都市へ行くと言い出しました。なにもわからないまま長く暮らした家を出て、ほんの三日間ほどの短い旅をしました。その間、ラーデン様はこれからカッカー・パンラの世話になるように、街の地下に隠された迷宮へ行って、すべての底にたどり着くように僕に話したのです」

 ラーデンがニーロに言って聞かせたのはこの二つだけ。

 カッカーにはそう伝えられているが、実はもう一つ、言い含められたことがあったとニーロは言う。

「これは誰にも伝える必要がないとラーデン様は言いました」

「なんと言われたのです?」

「ホーカ・ヒーカムとは決して関わるな、です」


 ラディケンヴィルスへ辿り着き、カッカーの屋敷で世話になり、迷宮へ足を踏み入れて。

 そのまま一年ほどが過ぎて、この師の言葉について忘れかけていたとニーロは話した。


「ある日、屋敷に馬車がやって来ました」

 その馬車にはきっと、ヴィ・ジョンが乗っていたのだろう。

「断っても無視しても、定期的に使者がやってきました。時には招待させてほしいと長々と説得されもしました。それで僕も不思議に思って、カッカー様に尋ねたのです。ホーカ・ヒーカムなる魔術師は一体何者なのですかと」


 カッカーはホーカの名を知っていた。

 少し話し辛そうに、昔、五人組のパーティに入れて欲しいと頼まれたことがあるのだと少年に話したらしい。


「カッカー様の組んでいた五人組に、ラーデン様ではなく、自分を加えて欲しいと頼んできたそうです」

「それで、ラーデン様が選ばれたと?」

「そのようです。カッカー様ははっきりとは仰りませんでしたが、どうやら他の仲間に強く反対されて、術師ホーカを入れることにはならなかったようでした」

「他の仲間、ですか」


 剣の使い手アーク、スカウトのゴリューズ、流水の神官チュール。

 この中の誰が強く反対したのだろう?

 屋敷に閉じ込めている若者たちの特徴からすると、チュールともなんらかの因縁がありそうではある。

 けれどキーレイの話では、チュールは穏やかで物静かな神官だったという。

 そんな人物が、恨みを買うような振る舞いをするだろうか?

 

 だがとにかく、ホーカ・ヒーカムの願いは叶わなかったようだ。

 ラーデンに対して、なんらかの負の感情が残っている可能性はあるだろう。


「ラーデン様となにか遺恨が残って、ニーロ殿に関わろうとしているのでしょうか」

「そうかもしれません。ですが僕には応じる理由がありませんから。彼女の屋敷はひどく悪趣味だと聞いていますし、足を向ける気にはなれません」


 あの屋敷に足を踏み入れれば、大勢の若者が異常な様子で留められていると一目でわかる。

 ニーロの耳にも噂が届いているのだろう。見た目の基準は正確にはわからないが、若い男性であるニーロが警戒するのは仕方がない。

 

「では、シュヴァルをホーカ・ヒーカムの屋敷に向かわせたのは?」

「あれは冗談で言ったんです。彼は美しい顔をしているので、ひょっとしたら保護をしてもらえるかもと思ったのは本当ですけれど」

「十三歳になるまでは、と言っておられたでしょう」

「そういう決まりがあるそうですよ。十四歳からは屋敷の中に並べられると聞いています」


 とにかくニーロとしては、あの術符を使った後は遠くへ逃げていくだろうと考えていたらしい。

 確かにシュヴァルの態度は荒々しく、魔術師に対して攻撃的だったから。

 あの冗談を素直に受け取り、魔術師の館へ行ってしまうとは、思ってもみなかったのだろう。



 食事が終わり、勘定を済ませて店を出る。

 夜がやって来た迷宮都市の道の上を、二人は並んで歩いた。


 無彩の魔術師はまっすぐ前だけを見て進む。

 周囲からどんな視線を向けられても、なにを囁かれても気にしない。

 夜の神官ラフィと、やはり似たところがあるとウィルフレドは思った。

 色合いの暗さも同じだし、うちに秘めた魂に、眩い輝きを隠し持っているところも同じではないだろうか。



 家に戻って上着を脱いで、ニーロは愛用の机に向かっている。

 今日起きた出来事や交わされた会話について思い返していくうちに、そういえばまだ確認したいことがあったと、髭の戦士は魔術師のそばへ向かった。


「ニーロ殿」

 あの幼いシュヴァルを、探索者にするつもりなのか。


 「黄」でわざわざあんな試し方をしたのは、明らかにスカウトとしての才能を見込んでのことだと思う。

 十一歳はまだ若すぎる。けれど、ニーロもキーレイもその年には既に一端の探索者だっただろう。


 ウィルフレドが問うと、ニーロは静かに首を横に振った。


「探索者を目指すには、まだ早いと思っています」

「年齢的なことではなく?」

「ええ。彼が持っているのは、まだ素質だけですから」


 探索は一人でするものではないから、と魔術師は語る。

 必要な役割を担う者を集められても、足並みを揃えられなければ意味がないのだと。


「共に進むためには、まずは意思の疎通がしっかりとできなければなりません。彼はとても負けん気が強くて、強靭な精神の持ち主だろうと思います。ですが今は、それが悪い方向にも働いていますから」

 だからすぐには無理、とニーロは考えているようだ。

「底を目指して進む五人組は、互いの関係性を超えられなければならないのです」


 カッカーと「赤」の底を目指していた頃。

 集まった五人は性格も、探索者として過ごした時間も、実力にも差があった。

 カッカーは全員を平等に扱ったが、他の四人の思いはそれぞれに違った。


「けれど、誰も迷宮の中ではこだわりませんでした。誰が気に入らないだとか、苦手だとか。そういった思いは抑えて進んでいったのです」

「ニーロ殿もですか?」

「そうです。僕はやたらと構ってくるマリートさんが苦手でしたし、それとは違う構い方をしてくるピエルナという女性の戦士がもっと苦手でした」


 そんな意識は、迷宮の中を進むうちに薄れていったという。

 口うるさく言われることを不快に思っている暇など、あの危険な道の上にはないからだ。


「そのうち、二人にも慣れてしまいました」

 ウィルフレドは思わず笑ったが、ニーロは構わずに続けていく。

「慣れはしましたが、すべてが受け入れられたわけではありません。思うことは常に、様々にあります。その細かな感情に振り回されないようにならねばなりません」

「確かに、そうですな」

「あなたは最初からできていますね、ウィルフレド」

「私がですか」

「あんなにマリートさんに嫌なことを言われ続けているのに、気にせずに歩いているでしょう」


 そう見えていたのか、と戦士は思った。

 意外な言葉のように感じられるが、この表情に乏しい魔術師は、実はごくまともな感性の持ち主だったのだろう。

 更にニーロは、こんなことも言い出している。


「シュヴァルにとって、今の状況は最善だと考えています」

「あの二人と暮らしていることですか?」

「クリュという青年については知りませんでしたが、あのレテウスと二人だけで暮らすよりはずっといいでしょう。彼らとの暮らしで得るものはきっと彼の人生の役に立つし、探索者以外の道を選んだ時には更に活きるはずです」


 この言い様、ニーロはシュヴァルをスカウトにしようとは考えていないのだろうか?

 あの少年の人生の今後についての考えはあまりにもまとも過ぎて、ウィルフレドの胸にすとんと落ちずにどこかで引っかかってしまっている。


「ウィルフレド」

「なんでしょうか」


 ニーロは椅子から立ち上がり、戦士の前にまっすぐに立つ。


「今日も行ったようですが、明日『黒』に行きましょうか」

「ええ、それは、構いませんが……」

 何故そんな提案をしたのだろう。ウィルフレドは疑問に思い、ニーロは迷宮へ向かう理由を語っていく。

「スカウトがいませんから、わかっている道を進む探索になります。そういった迷宮行も必要なものだと僕は考えています」

 知っていると思っていても、見逃していることがあるかもしれないし。

 わかっていると思っていた敵に、思いがけない発見があるかもしれないから。

「マリートさんも元気になっているかもしれませんから、連れていきましょう」

「そうですな」

「二人の剣の腕があれば、いつか『黒』の最下層に行きつくと僕は思っています。あそこに出てくる敵は頑丈で鋭いものばかりですが、あなた方ならば勝利を重ねていけるでしょう」


 キーレイは多分、明日は休みのはずだからとニーロは呟いている。

 確かに、「黒」の迷宮に挑むのならば、神官はいた方がいいだろう。


 いろいろなことがあった日の終わりに、ウィルフレドは麗しい夜の神官の姿を思い出していた。

 ラフィを連れて行ってもいいのではないか。

 こんな提案は、言い出せないまま夜の闇の中へ消えていく。



 次の日の朝、準備を整えてキーレイの部屋へ向かった。

 マリートもちゃんとすぐに起きて、可愛がっている魔術師の誘いを受け入れている。

 神官長は明日は勤めがあるからと言い、一日だけに限った挑戦でもいいかニーロに尋ねた。



 四人は並んで街の北へ歩いて行って「黒」の扉をくぐった。

 マリートの顔色は優れないが、以前よりも剣の腕は冴えているように思える。

 それに負けないように、ウィルフレドも前へ出る。

 ニーロは魔術で二人を支え、受けた傷はキーレイがしっかりと癒し塞いでくれた。


 朝から夜まで戦いに明け暮れて、四人は「黒」の十層目まで進んだ。


 血と剣と戦利品に塗れた一日を過ごして、ようやくウィルフレドの心から妖しげな残り香が消えていった。 

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