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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
02_Wrong choices 〈招かれざる客〉

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11 無情の黒

 この街に来た日に「黄」に入り、カッカーの屋敷の世話になるようになってから何回か「橙」へ足を踏み入れていた。


 三つ目の渦が、すぐ目の前に迫っている。


 他の入口と同様、粗末な梯子がかけられた穴がぽっかりと開いている。

 中は松明で照らされていて、更にその下へ降りれば魔術師の造った迷宮の入口がある。



「デルフィ、ちゃんと預けてきたか?」

「勿論だよ」

 黒の迷宮の入口の前で待っていた気弱そうな神官は、預かり証を出してジマシュへ見せている。それをエリシャニーの前へ差出し、青年は力強い笑みを浮かべた。

「さあ、もたもたしている暇はありません。報酬については、最初に話した通りの額で問題ありませんね?」

「ああ、いいさ。とにかく、ディオニーが助かれば私は」

「わかりました」

 即座にこう答えると、ジマシュはフェリクスへ向けて頷いてみせた。

「俺と君とでディオニーを連れて行く。魔法生物が出たら、ディオニーで攻撃を受けるんだ。ただし、深すぎてはまずい。修復可能な傷でなければ駄目なんだ。わかるな?」

「……ああ」

 

 前を行くのはジマシュとフェリクス、そしてディオニーの三人。エリシャニーは後ろに続き、その隣でデルフィは脱出の魔術を唱えられるよう備える。

 ジマシュからされた説明に頷きながら、フェリクスはちらりと後ろを振り返った。

 エリシャニーの顔色は蒼く、明らかに怯えている。その隣に立つデルフィの表情も暗く、重苦しい。


「本当に上手くいくだろうか」

 突然の悲劇に巻き込まれた商人の声は震えている。唇はすっかりからからに乾いて、真っ赤に染まっていた。

 それに応えようとしたのか、デルフィの唇が動く。だが、その前にジマシュが答えた。

「大丈夫。浅い階層には大して強い魔法生物は出ませんよ。上手くいきます。デルフィ、力は充分にあるな?」

「勿論。敵が現れたら、すぐに用意をするよ」


 街をぶらぶらと歩くだけのつもりだったフェリクスは、腰に剣を提げているが、鎧の類は着けていない。デルフィはごく普通の神官衣、ジマシュも軽装であり、防具を身に着けているのはエリシャニー親子だけだ。

 

 つまり、これは「探索」ではない。


 あまりにも突然の出来事で、何も考えていなかった。

 こんな格好で「黒」の迷宮へ足を踏み入れて大丈夫なのかどうか?


 フェリクスは自身の中に湧きだしてきた沢山の焦りを、ゆっくりと溶かしていった。


 ジマシュは自分と並んで、ディオニーを抱えている。

 既に意識もなく、呼吸も浅い哀れな青年からは少しずつ熱が消え始めている。

 彼を救う為の短い旅をしているだけ。

 後ろには、神に仕える神官がついている。

 気の毒なディオニーの父親が後ろで監視している。


 何も、不安に思う必要はない。



 黒の迷宮の入口の扉が、デルフィによって開かれる。



 一つだけ離れたところにある「橙」以外の八つの迷宮の入口は、正方形を描くように並んでいる。

 「黒」の入口は北東の角、最も人の来ない「黄」の入口の東側にあった。西側には「青」の入口があり、北側に並ぶこの三つはとにかく挑戦する者が少ない「難度の高い」迷宮で、人気(ひとけ)はほとんどない。すぐ北には武器や防具を扱う店が並んでいて賑わっており、やり取りをする声がかすかに響いて来ていたが、迷宮の入口付近は閑散としている。


 「黄」の迷宮へ入って行った時の記憶が蘇ってきて、フェリクスの心はざわめいていく。

 

 入口の隠された穴の近くには、「この下、二番目の渦」と書かれた立札があった。

 「黄」の入口は「一番目の渦」だった。改めてカッカーの屋敷の面々と訪れた「橙」には、「始まりの渦」と書かれた札があった。

 その数字が意味しているものは何なのか、誰も知らないという。迷宮が作られた順番だろうという説もあるが、古代の魔術師が何を思っていたのか、真実を知る術はない。


 

 迷宮の入口の造りは、どれもすべて同じになっている。

 樹木の神官であるキーレイがそう教えてくれた通り、「黒」の迷宮の入口も「黄」、「橙」と同じようになっていた。石でできた小さな小屋のようなものがあって、その中に扉がある。小屋の隣には円形のステージがあり、そこは「帰還者の門」だ。

 「黄」は黄金の、「橙」はオレンジ色のタイルと石で造られていた迷宮の入口。「黒」はその名の通り、漆黒のタイルが敷き詰められていた。

 作りは同じだが、「黄」や「橙」の明るさが「黒」にはない。タイルの隙間に細く入っているグレーの繋ぎ以外はすべて黒で塗りつぶされていて、その光景は酷く暗く、一切の希望を感じさせない。


「入るぞ」

 思わず足を止めたフェリクスへ、ジマシュが告げる。

「ああ」

 ここでようやく、誰かに『黒』へ来ていると告げるべきだったと気が付いて、フェリクスは強く目を閉じた。しかし今更遅い。彼らの計画通り、「すぐに脱出できる」という言葉に賭けるしかない。

「あんたはここの、『黒』の迷宮に入ったことがあるのか?」

「当然さ。探索に慣れた者は大抵、すべての迷宮へ入ってみるものだ。中の様子を見ておきたいと思うだろう? まあ、『黄』と『青』には皆、入りたがらないがな。入口付近だけだが、俺とデルフィはすべてに足を踏み入れているよ」

「そうか」


 小さな安堵を感じながら、フェリクスは足を動かしていく。

 力なく冷たくなっていくディオニーの右肩を支え、つま先をズルズルと引き摺りながら。


「どの迷宮にも、『そこにしかない』特徴がある」


 黒の迷宮の内部は明るい。五人の姿ははっきりと見える。だが、ひたすらに黒い。床も壁も大きな正方形のタイルが貼りつけられているが模様はなく、タイルの縁が濃いグレーで囲まれているだけだ。


「ここは唯一、道がぐにゃぐにゃと曲がっているらしい。白とよく似た造りで通路が細いが、曲がっているのはここだけだという話さ」

 ジマシュの声だけがまっ黒い道に響いていく。

「そして、魔法生物が一層目から出てくる。それも、この『黒』の迷宮だけの特徴だ」

 尤も、入口付近には出ないんだがな、と声は続く。ビクビクと怯えながらついて来るエリシャニーの体からふっと力が抜けるのが、デルフィにはわかった。

「エリシャニーさん、大丈夫です。とにかく離れないようにしてください」

 今にも足を止めてしまいそうな商人へ声をかけ、神官は優しく肩を叩く。

「魔法生物とかいうのは、いつ出てくるんだ。本当に大丈夫なのか? こんなに暗い場所で襲われて平気なのか」

「この中には魔法の力が働いていて暗くはありません、黒いだけです。ほら、お互いの姿が見えているでしょう?」

「ああ、そう……だな」

 エリシャニーの瞳は揺れて、焦点が定まっていない。止まらない汗で顔中をびしょ濡れにして蒼くなっている。



 危険ではないかとデルフィは感じていた。


 迷宮の中の空気は特別だ。人の多い「橙」や「緑」なら多少は紛れるが、「誰かが見ている」ようなぴりぴりとした緊張感に満ちている。「赤」や「黄」ならば、色彩の効果で心が昂る者もいる。だがここは「黒」だ。


 延々と同じ色が続く、「白」と「黒」は九つの中でも特殊な場所だった。この二つは、通路が狭く、分かれ道が多い。真っ白と真っ黒、ひたすらに続く色の海の中で、「探索者」たちは少しずつ正気を失っていくという。


 ましてや(エリシャニー)は、自ら望んで足を踏み入れた訳ではない。

 しかも、息子を「死なせなければならない」。


 「迷宮で死ぬ」こと。「死なせる」ということ。

 納得しているとはとても思えない。どれ程の不安の中にいるだろうかと考えると、デルフィもまた息苦しくなっていく。


「今から引き返して、入口で待っていても構いません。今ならまだ、駆けていけばすぐに戻れます」

 エリシャニーの瞳が揺れる。思わず振り返り、今来た道を見つめ、慌てて首を振って息を吐く。

「何処が入口なんだ……」

 

 恐らく、他の迷宮ならば。明るい色の迷宮ならばわかったはずだ。


 「黒」の迷宮は壁も床も、同じ色で埋め尽くされている。扉もそうだ。なので、扉が何処にあるのか、遠目には既にわからなくなっている。


「行けばわかります。突き当りまで歩けばそこが扉です。押せば簡単に開きますよ」

「デルフィ、一人で行かせるのは危険じゃないか」


 エリシャニーの心を決めたのは、このジマシュの声だった。


 迷宮の中に流れる空気はひたすらに冷たく、体の真ん中、骨や心臓を氷で撫でられているような寒さがあった。その中を一人で歩く恐怖に耐えられる気がしないし、「探索者」がそういうなら、恐らくそれは「危険」なのだろう。

 一人であのまっ黒い空間を歩いて行けるとは思えなかった。立ち止まっているうちに床と壁の境目がよくわからなくなってきて、意識がぐにゃりと歪んでいく。足が感じているものなのか、心が感じているものなのか、それすらもわからない。未来と現状に対する不安があらゆる方向から迫ってきていて、押し潰されてしまいそうだった。


 一人で戻る。安全なのかもしれない。しかし、行けない。この嫌な予感は何だろう? 禍々しい黒に囲まれて、何故か「自分が死ぬのではないか」という思いに捉われている。無事に生きて戻れるのかどうか、不安で不安で仕方がない。

 では、共に戻ってもらえば――?

 いや、「彼ら」に一緒に来てもらっている間にディオニーが力尽きてしまうかもしれない。そうなったら、ここへ来た理由がわからない。そうだ、どうしてこんなにも恐ろしい場所へ来たのか。


 息子を救うためだ。


「一緒に行く。わしはディオニーと、一緒に行く」


 ぶるぶると震えながら、エリシャニーは迷宮に入る前にジマシュに渡された小さなナイフを強く握りしめた。


「素晴らしい」


 その思いはきっと息子さんへ届くでしょう。ジマシュは優しげに目を細め、振り返るとまた歩き始めた。

 一行もその歩みに合わせ、再び迷宮の奥へと踏み出していく。


 やがて通路が左右に別れ、ジマシュに制されてフェリクスも足を止めた。

「左へ進むぞ」

 一層の地形についてある程度わかっているのだろう。経験者の言葉に黙って頷き、再び進んでいく。

「デルフィ、準備を始めていてくれ」

「わかった」

 デルフィは腰につけていた短い杖を取出し、両手で強く握りしめている。

「デルフィは『脱出の魔術』の準備をする。長い時間の集中が必要なので、今から、歩きながらいつでも使えるように備えるんだ。エリシャニーさん、デルフィに話しかけないようにして下さい」

 後ろの商人が首をぶんぶんと振って頷き、視線を向けられてフェリクスも「わかった」と答えた。


「そろそろ来る頃合いだろう」

「そんなのがわかるのか?」

「わからんよ」

 ジマシュは笑ってみせたが、すぐに、足音が響いてきた。


 

 ラディケンヴィルスの地下迷宮に出てくる魔法生物は、大抵が地上にいる獣を元に作られている。

 どのようにして作られているのかはいまだにわかっていない。

 古代の魔術師たちは世界中の獣を集め、研究でもしていたのか。鹿、兎、鼠、犬、猿、鳥など、野や森の中で見かける生物と似た形の「敵」が迷宮内には無数に存在していた。


 しかし、似ているのは姿だけ。足を踏み入れた人間を「敵」と見なし、荒々しく襲い掛かってくる。


「犬だな」

 ジマシュが呟き、背後へ振り返ってデルフィへ目配せをする。


 足音は小刻みに、恐ろしい勢いで近づいて来ていた。しかし、姿はまだ見えない。床を蹴る乾いた音だけが迷宮の中に響いていく。


 ディオニーを担ぎながら、フェリクスは思わず身を小さくして構える。青年の向こうでジマシュは不敵な笑みを浮かべており、フェリクスへ目をやると小さく頷いた。


「来たら、こいつを前にやるんだ。地這犬(ドゥークレー)は早いが、複雑な動きはしない。目の前の『標的』へ向かってまっすぐに襲い掛かってくる」

 

 カッカーの屋敷で、探索者の心得と共に聞いていた「魔法生物」の特徴。まずは「橙」や「緑」で出会うであろう敵について教えてもらった時に、地這犬(ドゥークレー)の名もあった。体は小さく、街の外れにいる野犬と同じ程度。鋭い爪と牙を持っており、大抵が一匹で行動しているのだと聞いていた。

 ディオニーの体を盾にするようにして、フェリクスは下がる。足音が更に近づいて来て、とうとう魔法生物が姿を現した。灰色の毛をした犬のような獣が、全力で駆けて来ていた。まっ黒い通路を吹き抜ける突風のようにあっという間に一行の目の前にやって来て、地這犬(ドゥークレー)は床を蹴り、跳んだ。


「今だ!」

 ジマシュの掛け声と共に身を更に低くして、敵の攻撃をディオニーの体で受ける。

 

 胸の向こうから衝撃が伝わり、哀れな青年の体が大きく傾ぐ。

「ふっ?」

 次の瞬間あがった声はエリシャニーのものだった。息子へ振り下ろされた運命の鎚、その瞬間を見た衝撃で出たものかと思いきや、そうではなかった。


「うわあああああ!」

 続いてあがったのは悲鳴。これもまた、エリシャニーのものだ。

 

 衝撃の後、崩れ落ちてきたディオニーの体。顔は蒼ざめて、最早ぴくりとも動かない。それを受け止めて振り返ると、そこには思いもよらない光景があった。ディオニーの体を蹴って更に跳んだ地這犬ドゥークレーが、エリシャニーに襲い掛かっている。


「エリシャニーさん!」


 ジマシュは声をあげ、ディオニーの体を投げ出して剣を抜く。


 何が落ちたのか、カランと響く音。


 戸惑いの中で、フェリクスもそれに倣う。デルフィは杖を構え、ぶつぶつと何かを呟きながらゆっくりと下がっていく。商人からは、耳を覆いたくなるような悲鳴が上がり続けている。


「助けてくれ!」


 床の上に倒れ、エリシャニーは叫んだ。そして、この悲鳴が最期。喉を食い破られて、血と共に命が「黒」の迷宮へ撒き散らされていく。



 夢中になって獲物に喰らいつく地這犬(ドゥークレー)へ向けられた切っ先は、ただひたすらに虚しい。



 迷宮の中に輝く刃は二本。だが、それは魔法生物へ向けられただけで、進んで行かない。フェリクスは一歩足を前に出したものの、それ以上進めなかった。


 背後から別の足音が聞こえてきたからだ。


 振り返ると既に、もう一頭の魔犬が迫り来ていた。哀れな商人を夢中で砕いている一頭よりも大きな灰色の影。その余りの速さ、勢いに体が竦む。

「フェリクス!」

 ジマシュが叫び、後ろから服を掴まれてフェリクスは引きずられていく。


 新たに現れた一頭は早速倒れているディオニーの体に噛みついて、ぶちぶちと肉片を飛ばしている。


「デルフィ、『脱出』を使え!」

 神官の体がぶるっと大きく震える。フェリクスも、その余りにも容赦の無い言葉に思わず声をあげた。

「そんな」

「言っただろう? 『修復可能な傷でなければ』連れて帰ったって無駄だ! 見ろ」

 

 見るまでもない。

 まっ黒い壁にはところどころに赤い飛沫が花を咲かせている。


 二人が粉々になったら、次は自分たちの番だ。


 デルフィの顔は蒼く染まり、苦悶に満ちている。額には汗を、目尻には涙を浮かべ、口の中ではまだ「脱出の魔術」に必要な言葉を紡ぎ続けていた。

「デルフィ、このままでは、皆死ぬ!」

 

 俺達まで死なせるつもりか?


 ジマシュの怒声が響くと、すぐに三人は青い光に包まれた。




 「帰還者の門」の前、「黒」の迷宮の入口の横に投げ出され、フェリクスは急いで立ち上がった。


 迷宮の外にいる。黒い扉の向こうで、今この瞬間もあの哀れな親子は魔犬に食われている真っ最中だろう。


「ああ……」


 フェリクスの後ろから苦しげな声が上がった。振り返ると、デルフィは額を床につけて震えている。その背中に手を置き、ジマシュは優しげにこう告げた。

「助かった、デルフィ。お前が居てくれて本当に良かった」


 それに対して神官は何かを答えたが、くぐもった小さな声はフェリクスの耳には届かなかった。



「フェリクス、仕事は失敗だ……。残念だが、まあ仕方がないさ」

 蹲ったまま、デルフィは立ち上がらない。だが、ジマシュは幼馴染のそんな様子を気にしていないようだった。

「失敗だが報酬はある。エリシャニーさんとはそういう取り決めをしてあったんだ。きっちり三等分にしてわけようじゃないか」


 余りにも清々しい笑顔。

 ジマシュの顔には、初めて会った時、かまどの神殿近くの食堂で出会った時と同じ、優しげな微笑みが浮かんでいる。


「報酬だって?」

「そうさ。俺達は『依頼を受けて』、この『黒』の迷宮へ入ったんだ。絶対成功するとは約束できないと事前に理解してもらっている」

「その前に……」


 余りにも拍子抜けさせられる展開だった。

 大丈夫です、必ず上手くいきます、息子さんを助けるにはこの方法しかありません――。

 そう囁き、迷宮へ連れ込み、魔法生物が襲い掛かってきたら即座に見捨てて、自分たちだけ戻ってきて。


「彼らを助けに行かないのか?」

「助けに? 何故?」

 

 ジマシュの顔から笑みが消え、代わりに氷のような冷たさが緑色の瞳に浮かんだ。


「今から戻ったところで、なにも残っていまいよ。行っても無駄さ」



 余りにも出来過ぎているじゃないか――。



「あんた、本当に彼らを助けるつもりだったのか?」


 思わず口をついて出てきたフェリクスの言葉に、ジマシュは目を丸くしたが、すぐに目をぎゅっと細め、大声で笑いだした。


「まさか、俺があの親子をハメたと思ってるのか? 魔法生物が何処で何体出てくるか、誰を狙って襲い掛かってくるのか、わかる訳がないだろう!」

 

 「黒」の迷宮の入口の前で、探索者は高らかに笑った。つい先程目の前で二人の命が失われたというのに、あっさりと見捨てて去って来たというのに、それは愉快そうに笑った。


「人の命を支配できるのは神だけだ、フェリクス。大海原ですべての運命を見守っているという船の神が、あの親子の命の期限を今日だと決めていたんだろうよ」

 散々腹を抱えて笑い、ようやくそれを収めるとジマシュは「さて」と呟いた。

「行こうか、フェリクス。預けていた指輪を処分して、分け合おうじゃないか」

 肩を叩かれ、フェリクスは戸惑いながら未だに床に伏しているデルフィへ目を向けた。

「彼は?」

「あいつは神経が細いのさ。人が死ぬたびにああして落ち込むんだ。大丈夫、そのうち気を取り直して家に戻って来る。ああいう時は一人がいいらしいから、放っておいてやってくれ」



 

 心が動いていない、とフェリクスは感じていた。

 余りにもあっさりと失われた哀れな親子の命。そしてあっさりと見捨てて帰ってきた自分たち。


 何よりも、自分自身の無事が不思議でならない。迷宮の入口から街の南へ向かって歩きながら、フェリクスは考える。

 何の装備もなく向かうような場所ではなかった。「脱出の魔術」があったとはいえ、何故あんな軽装で入っていけると思っていたのか。「黒」へ足を踏み入れたことがあるのならば、わかっていたはずだ。


 ジマシュは明らかに異様な男だと感じる。

 思えば、何故自分が誘われたのかもわからなかった。

 「橙」と「黄」の話をしなかったという因縁について、もしも疎ましいと思ったのなら、「黒」の迷宮へ置き去りにしてくれば良かったのに。

 今だって、報酬について話さなければいいものを、馬鹿正直に分け前を支払うと言う。


 真意がわからない。

 隣を行くジマシュの横顔に浮かぶ喜色に、フェリクスは眉をひそめる。



「まったく、期待外れもいいところだ」

 指輪を売り払った代金は全部で七千シュレールだという。そのうちの三千をフェリクスの手に渡し、ジマシュはにやりと笑った。

「俺のせいで借金を負わせてしまったんだからな。詫びの代わりに、君の取り分を少し多くしよう」

 

 なんと答えたらいいのか、結局フェリクスにはわからなかった。

 金はあった方がいい。三千シュレールもの金を稼ぐには時間がかかる。そう、この数日で思い知らされていた。ニーロへ返す以前に、まず生活するのにも資金は必要だ。

 それでも、この「報酬」を受け取っていいのかどうか? 眉間に皺を寄せ、喉をカラカラにしてフェリクスは考える。


 そんな新米へ、ジマシュはこう告げた。

「フェリクス、一番大切なのは『生きている』ことだ。死んだ奴はそれまでだ。どうして死んだかなんか関係ない」

 死んだら負けさ。シンプルに考えろ。お前は今「生きている」。重要なのは、それだけ。

「すべては、生きている者にのみ与えられる」


 唇は渇いて、動かない。


「探索でも、探索以外の仕事でも、必要なら声をかけてくれ。いい話があれば紹介する」

 家の位置は覚えているかな? とジマシュは微笑む。

 これにも結局、曖昧に頷くくらいしかできない。フェリクスは戸惑いながら、小さく首を動かして答えた。

「さて、戻るか。デルフィのヤツがちゃんと戻ってきているか、少し心配になってきたよ。何せ今日のは、ちょっとばかり刺激が強かったからな」


 いつでも来いよと微笑んで、ジマシュが去って行く。


 

 その後ろ姿が見えなくなっても、フェリクスはその場から歩き出せないまま、しばらく道の上で立ち尽くした。

 

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