105 迷宮事変
進んだ先には下りの階段があって、七層へ。その先も戦いをこなしながら進んでいく。
道を行き、上がり、道を行き、また上がる。
五層目にたどり着き、また見知らぬ道を進んでいく。
家に戻ったら地図を確認しなくては、とキーレイは考える。
「白」は完全な地図が完成していないが、上層部はかなりの部分が埋められているから。
今歩いている道も、途中までなら確認できるのではないかと思えた。
昼前にやってきて、食事を一回とっている。
夜明かしをしたくはないが、そろそろ夜も更けてきた頃だろう。
「何層まで進むのかな。上層だと話していたように思うが」
「ご安心ください神官長。この先に四層へ続く階段があって、上れば目的地はすぐそこです」
ここは迷宮の中なので、「何も起きなければ」すぐなのだろう。
慣れない面子との探索行で、消耗している。
キーレイも疲れを覚えていたし、亡霊のような二人に挟まれて戦い続けるマリートの状態も心配だ。
そして自分たち以上に、マリートの左側を歩くファブリンのことが気になって仕方がなかった。
この探索が始まる前は、なにも言わない程度だった。
迷宮に入ってからは、一応スカウトの仕事をこなしてはいた。
戦いにも参加はしていた。傷を受けていたが、ザッカリンが癒していた。
そして今。
白いスカウトの体がゆらゆらと揺れている。
まっすぐに立てないのではないか。キーレイはそう感じて、立ち止まるように声をかけた。
「どうかしましたか、リシュラ神官長」
「ファブリン、大丈夫か」
「大丈夫ですよ。ファブ兄、平気ですよね」
「いや。止まって体調を確認した方がいい。ジャグリン、マリート、見張りを頼む」
声をかけても歩みが止まらず、キーレイはファブリンを追いかけていって腕を掴んだ。
大きな体はぐらりと揺れて、白いスカウトはバランスを失って床の上に倒れた。
「やはりどこか悪いのでは」
床に臥せったファブリンの顔色を見ようと、キーレイは手を伸ばす。
だがその前にザッカリンがやってきて、白い方の兄を思い切り蹴り飛ばした。
「なにをするんだ、やめなさい」
「大丈夫ですよ。ファブ兄、ほら、早く立ち上がって」
弟の指示通り、ファブリンは立ち上がった。
長い髪がぺたりと顔に張り付いていて、顔がまったく見えない。
つんと高い鼻の先だけが、ちらりと見えている。
あんなによく回っていた大きな口は、ずっと閉じたままなのだろうか。
心配をするキーレイをよそに、ファブリンはゆらゆらと歩き出していた。
ザッカリンは満足そうだが、マリートは不安そうな顔で神官長を見ている。
「いくらなんでも様子がおかしい。もうやめた方がいい」
「いえいえ、とんでもありません。せっかくお二人が来て下さったのですから」
また改めて付き合うから、今日はやめておかないか。
こう言うべきなのだろうが、躊躇してしまう。
できればもうソー兄弟と迷宮に入りたくはない。
だが、そうでも言わなければ今のめちゃくちゃな探索はやめられそうにない。
悩んでいると、遠くから足音が聞こえて来た。
「ほうら、敵です」
「白」の迷宮に相応しい、真っ白い毛の兎が跳ねてくる。
「橙」や「緑」に出てくるものとは違って、大きいし凶暴な魔法生物だ。
迷宮白兎は動きが素早いし、群れで出てくることが多い。
浅い層では見かけないはずなのに、今は五層で自分たちに迫ってきている。
脱出すべきだともっと早く言えば良かった。
後悔してももう遅くて、五人は容赦なく戦いの中に放り込まれていく。
ジャグリンの大きな刃は兎に避けられ、神官の二人を襲おうとしていた一体はマリートの剣に貫かれている。
キーレイも短剣を抜き出して用意したが、戦えるか自信がない。
足音からして、五、六匹はいるだろう。
よろめきながらもファブリンが剣を振り、自分の足元に来た一体に切り付けている。
だが、浅い。大きな兎は鋭い前歯でファブリンの腿に噛みつき、赤黒い血が周囲に飛び散った。
「おい、しっかりしろよ!」
珍しくマリートが大きな声をあげて、ファブリンを襲った一体を貫く。
ジャグリンの刃も一体をまっぷたつにしたが、大きな体に分厚い剣は素早い兎を屠るのに向いていない。
スカウトの二人は何度も噛みつかれて、白い床が赤く染まっていく。
兎は素早く前衛の三人の隙間をすり抜けて神官たちのもとに来たが、その一体はザッカリンの指から放たれた炎に焼かれて床に落ちた。
「脱出」ならば使える。だが、まともに使えるかどうかはわからない。
術符を用意するべきか。まだ残っている兎の動きを警戒しながら、キーレイは道を探っていく。
手だけをポーチの中に差し込んで、魔術師たちの気まぐれな落とし物を指の先に掴んだ。
だが、神官長が地上へ戻るための備えをしたのと同時に、戦いは終わった。
兎の群れは弱ったファブリンに殺到して、そのすべてをマリートが倒したようだ。
床の上に真っ赤に染まったスカウトが倒れており、その隣にジャグリンが立ち尽くしている。
マリートは通路の先を警戒していて、キーレイには背中を向けている。
「ジャグリン、後方から敵が来ないか見ていてくれないか」
黒いスカウトの反応は鈍い。だが構わず、キーレイは倒れたファブリンの傷を探った。
兎の噛み傷は腰から下に集中しており、ズボンがぼろぼろに破れている。
肉が欠けてしまった部分もあり、目を逸らしたくなるほどの深手を負っている。
「傷を塞ぐから、気を確かに」
ファブリンの頬を撫でて、髪をよけていく。
顔は真っ青で、目は虚ろ。口はだらしなく半開きになっており、端からよだれが垂れていた。
神への祈りを捧げ、ファブリンの足に手をかざす。
キーレイは目を閉じ、特別に慈悲をかけてくれるように神に頼んだが、なぜか血は止まらず、ファブリンの息は途切れ途切れになっていった。
「リシュラ神官長、いいのです。癒しは必要ありません」
跪くキーレイの隣にはザッカリンがいて、笑みを湛えている。
その表情も、言葉も、不快でたまらなくて、キーレイは声を荒らげた。
「必要ない? 何故?」
「死んでも生き返らせれば良いのです」
「なにを言う」
「生き返り」は迷宮都市だけのもの。酷な運命が渦巻く迷宮で、理不尽な死に見舞われた者のためにある奇跡の業だ。
神官の中でも、迷宮の中を歩き通し、真摯な信仰を得た者だけが使える特別な祈りで、ザッカリンの言葉はキーレイにとって許せるものではない。
だが、神官長の言葉はこれ以上続かなかった。
ジャグリンがやってきて、二人の神官を押しのけ、分厚い刃を双子の片割れに振り下ろしたからだ。
「なにを……」
ファブリンの胸に深々と刃が刺さっていって、白いスカウトの命は絶えた。
ジャグリンは自分の得物を引き抜き、立ち上がったキーレイを突き飛ばす。
異様な気配を感じたのだろう、マリートが振り返って、飛ばされてきた友人を受け止めてくれた。
どうしても来て頂きたいと招かれた二人の前で、悲劇は続く。
なんの言葉も交わされないまま、剣は一閃。
ザッカリンは首を跳ね飛ばされ、遠くに頭が、その場に体が落ちていった。
「キーレイ」
マリートの声が震えている。
ジャグリンはその場に蹲っていて、なにをしているのかわからなかった。
だが、少しすると立ち上がり、二人の方へゆらりゆらりと歩いてきた。
「キーレイ……」
背中のあたりをぎゅっと掴まれている。
神官長はまっすぐに背を伸ばし、心の中で祈りの言葉を繰り返している。
真っ黒い髪をだらだらと垂らした大男は、二人の前までやってくると、震えるマリートの右手を掴んだ。
剣士の体はびくりと揺れる。
だが、黒いスカウトはすぐに離れていって、ファブリンのところへ戻ると、真っ白い頭をゆっくりと撫でた。
「ジャグリン・ソー」
嫌な予感がしてキーレイは名前を呼んだ。
だが、スカウトは答えない。彼の声を、結局最後まで聞くことはなかった。
ジャグリンは膝を折り、ファブリンの体を抱き寄せると、自らの剣を首に突き刺し、その場に倒れた。
次の瞬間光に包まれ、キーレイは迷宮の外に立っていた。
マリートが「帰還の術符」を使ったのだろう。帰還者の門にいるのだとわかって、背後にいるであろう仲間へ振り返る。
けれど、なにも言うことができない。どんな言葉もばらばらと崩れて、心の底へ落ちていってしまう。
そう、なにも言えない。言えることなどない。
黙り込むキーレイに、マリートはぼそりと呟く。
「すまん」
「……いや」
謝る必要などない。神官長にわかるのは、それだけだった。
なにが、どうして、なぜ。
疑問は尽きないのに、答えがひとつも見つからなくて、キーレイは動けない。
そんな友人の手を引き、マリートが歩き出す。
家に戻ったことは覚えている。けれど、着替えをした記憶はなかった。
マリートが世話を焼いてくれたのだろうか。信じられないが、他に心当たりもない。
二人は同じ部屋で並んで眠って、並んで目を覚ましていた。
食事の支度が出来たと声をかけられたが、頼んで二人分を部屋に運んでもらった。
「これを渡されたんだ」
朝食を前に手をつけられないまましばらく経って、マリートは黒い棒状のものをテーブルの上に出している。
「鍵のようだね」
「ああ。黒い方が最後に渡して来た」
様子のおかしいファブリンがとうとう倒れた。
ザッカリンのあの、神官らしからぬ言葉があって。
そして、ジャグリンが動いた。
兄と、弟と、自分と。ソー兄弟のすべてを終わりにして、赤く染まった床の上に落ちていった。
「食べようか」
「ああ」
珍しくマリートは逆らわず、朝から食事をとっている。
スープは冷めてしまったが、優しい味を口にしていくうちに、ようやくまともな人間に戻れたような気分になっていく。
「石の神殿へ行くよ」
考えた末にキーレイがこう切り出すと、マリートは自分も一緒に行く、と話した。
今、樹木の神殿に行ったところで、仕事になるとは思えない。
マリートもこのままでは穏やかでいられないだろう。
食事を終えて、キーレイは改めて着替えをした。
神官長の腕章をつけ、髪を整え、靴も磨いてあるものに変える。
大抵はマリートに文句を言われる衣装替えだが、この日はなにも言われなかった。
慧眼の剣士は黙ってキーレイの隣に並び、一緒に北に向かって歩いていく。
石の神殿は北東の大門のそばにある。
門の近くなら訪問する人間も多いだろうと考えての位置だったのかもしれないが、今は安宿や初心者向けの安売り店が周囲にたくさんできて、埋もれているような状態になっていた。
なので石の神殿は財政が厳しく、良い神官もあまりいない。
そんなところに樹木の神官長が現れたので、ぼんやりと過ごしていた石の神官たちは大いに慌てた。
少し待たされた後に応接室に通されて、飲み物を振る舞われる。
マリートは慣れないのか、勝手に離れたところにある椅子に腰かけていた。
キーレイがぼんやりとした薄味のお茶を飲んでいると、会合で年に何回か顔を合わせる、石の神官長レオミオラ・モールが大慌てで部屋に入って来た。
「ああ、本当だ。リシュラ神官長、どうなさったんですか」
レオミオラは迷宮都市では珍しい女性の神官長で、カッカーと同年代だという話だった。
とても穏やかで、意思の強さを感じさせる女性だ。
石の神殿はあまり人が訪れないが、女性が安心して相談ができる場所として知られている。
「急な訪問をお許しください、レオミオラ様。少し伺いたいことがあって参りました」
「石の神殿になにを尋ねに来られたのですか」
レオミオラの優しい微笑みは、どことなく母に似ているとキーレイは思う。
今日ここで聞いても、なにも解明しない可能性もある。
だが、問わなければもっと、心は迷い続けるだろう。
「石の神官、ザッカリン・ソーについてです」
「ザッカリン・ソー?」
レオミオラは目をぱっちり開いて、細い指先を口元にあてている。
明らかに心当たりがないといった様子だが、キーレイはザッカリンの外見などについて説明していった。
「石の神官だと名乗っていましたし、神官衣もこちらに仕える者が使うものでした」
「ザッカリン・ソーという名前なのですか」
「ええ。ファブリン・ソーとジャグリン・ソーという双子のスカウトは御存知でしょうか。彼らの弟で、共に探索をしていました」
「そのような名の神官は、こちらにはいないのですが……」
双子のスカウトについては、聞いたことがあるという。
レオミオラは躊躇いの表情を見せたが、キーレイをまっすぐに見つめると、こう話した。
「ザックレンかもしれません」
「ザックレン?」
「その石の神官は、魔術も扱えたのではありませんか」
「脱出」が使えるとザッカリンは言ったが、炎の攻撃魔術も扱っていた。
キーレイが頷くと、レオミオラは深いため息をつき、心当たりがあると話した。
「ザックレン・カロンと名乗る魔術師が、一年と少し前に現れたのです。彼はまだ十八か十九か、そんな年頃の青年で、魔術師として探索をしていると話していました」
「魔術師が、神官になろうと?」
「そう言っていましたが、実際には違います。彼は迷宮探索を有利に進める為に、『生き返り』を使えるようになりたかっただけのようでした」
「生き返り」は簡単には得られないし、そもそも、信仰は探索を有利に進めるためにあるものではない。
説明は毎回同じなのに、ザックレンは何度も神殿にやって来て、奇跡の業を使えるようにしてほしいと請い続けたという。
「神官の力は、あくまで神から借りるもの。信仰がなければ扱えないと伝えました」
「それで、彼は諦めたのですか」
「すんなりとはいきませんでした。どうしてもというのでしばらく神殿に滞在させて、神の心に触れるように指導したのですが……」
うまくいかなかったと話すレオミオラの表情には、暗い影が落ちている。
普段は明るく快活な女性で、こんな顔を見るのは初めてだった。
「わかってもらえないまま、神殿での日々は終わりました」
「その後については御存知ありませんか」
「彼はもうここには現れませんでしたから。どうしただろうと少し、気にはなっていましたが」
「生き返りは使えるようにならなかったのですね?」
「おわかりでしょう、リシュラ神官長」
まっすぐに見つめられ、キーレイは静かに頷いて答えた。
生き返りは、誰かに教わって覚えるものではない。
神官になっただけで、奇跡の力を授かるわけでもない。
「ザッカリン・ソーと名乗る石の神官は『生き返り』を使えると話していました。実際には見ていないのでなんとも言えませんが、双子のスカウトたちの命を取り戻していたのではないかと思うのです」
「そんなことが可能なのでしょうか?」
レオミオラの疑問は当然のものと言える。
ザッカリンの言動は、神に仕える者のそれではなかった。
信仰を得られなければどうにもならない。
ひょっとしたら石の神殿のほかにもあちこち回って頼み込んだのかもしれないが、それでどうにかなったとは到底思えなかった。
「リシュラ神官長。生き返りについてはわかりませんが、そのザッカリン・ソーと名乗った神官は、きっとザックレンなのだと思います」
「そう思われますか」
「ええ。彼は普通ではありませんでした。私たちが考え付かないようなことをしていても、不思議はないように思います」
確かに、年頃、外見に矛盾はないようだし。
彼が本当は魔術師だったのなら、ニーロは呼ばなくていいと言った理由もわかる。
レオミオラはキーレイをまっすぐに見据え、こう問いかけてきた。
「ザックレンはなにをしたのですか」
なんと答えるべきか、キーレイは迷った。
だが、レオミオラはここまで話してくれたのだから、知らせておくべきだろう。
「彼は死にました」
「まあ……」
石の神官長はしばらくの間言葉を失っていたが、小さく首を傾げてキーレイに更に問いかけた。
「リシュラ神官長はその場におられたのですか」
「はい。……なにが起きたのかすべては把握できておりません。私にはわからない関係性もあったのだと思いますが」
探索に巻き込まれた経緯から話さなければならず、石の神殿の滞在時間は長くなってしまった。
謎めいたソー兄弟と、偽りの神官だったザックレンに起きた出来事を、なるべく正確に話して伝えていく。
「そんなことがあったのですね」
「彼らがどんな思いでいたのかわかりません。双子のスカウトたちと会ったことは一度しかありませんし、ザックレンとは初対面で、まともに話したとはとても言えませんし」
「それで、彼らは」
言わなければならない。
どんな経緯があったとしても、結果は変わらない。
迷宮の中に置いてきた。残してきてしまった。
キーレイはゆっくりと息を吸い、覚悟を決める。だが。
「俺が術符を使ったんだ。あいつらを残して、キーレイと二人で外へ出た」
いつの間に後ろにきていたのか、キーレイの肩に手を置いて、マリートが声をあげている。
「あいつらはまともじゃなかった。三人ともだ」
「レオミオラ様、彼はマリートといいます。私の友人で、共に探索に招かれて同行していました」
「あの有名な剣士のマリートですか」
「有名かは知らない。とにかく俺は、あいつらを置いて迷宮を出た。俺たちまで殺されるかもしれないと思ったんだ。あんなところで、あんな風に、キーレイの命が終わっちゃ駄目だから」
レオミオラは責めるつもりはなかったようで、穏やかな表情で、わかりましたとだけ答えている。
「お二人はとても恐ろしい思いをされたのですね」
「レオミオラ様」
「リシュラ神官長、今日、いらして下さったことを感謝します。私たちは人々の心の支えであらねばなりません。その為に、人の心の在り方も、知っておく必要があります」
それがどんな形であって、知らなければならない。
レオミオラの声は優しく響いているが、とても強いものを秘めている。
帰り道をまた二人で並んで歩きながら、「言いそびれたこと」についてキーレイは考えている。
あの時、三人が次々に死んでいったあと、自分がどうすべきか考えられなかった。
確かに、自分たちも死ぬのではないかという不安もあった。
だが結局、ジャグリンが近づいてきた時、なにも起きなかった。
彼は危害を加えてはこないという予感があったようにも思う。
問題はその後。
三人をどうにかして、地上に戻すべきだったかどうか。
「あいつらはあのままで良かったんだ」
マリートが隣で、ぼそりと呟く。
「白い方はあれ以上は無理だっただろう。インチキ野郎は、ああなったらもうどうしようもない。黒い奴は……、あいつはきっと、兄弟と一緒にいたかったんだ」
一気に早口でしゃべって、マリートは神官長の背中に手を当てた。
そのまま、家に向かって歩いて行く。
キーレイも似たようなことを考えていた。だけどそれは、推測でしかない。ひょっとしたらファブリンは救えたかもしれないし、ファブリンを救えたのなら、ジャグリンだって生きていたいと思ったのではないだろうか。
ザッカリンだかザックレンに関しては、マリートの言う通り。首を跳ね飛ばされてしまっては終わりだ。どんなに慈悲深い神であっても、命を取り戻すことはできないだろう。
「ファブリンは救えなかったかな」
「無理だろう。馬鹿みたいにずっと話し続けてお前にまで嫌がられたような奴が、あんなにふらふらになって、声をあげることすらなかったんだぞ。兎にあんなに噛まれたのに、悲鳴すらあげなかった。あげられなかったんだ」
「そうか。……確かに」
「ロビッシュよりもずっと駄目になってたじゃないか」
生き返りを繰り返しすぎない方がいい。そんな話を、マリートに何度も伝えてきた。
そんな話は知らないといつも言うけれど。
マリートは、ファブリンの変わり様を恐ろしく感じたのかもしれない。
キーレイも白いスカウトの変化は異様だと思った。間違いなく、普通ではなかった。
ニーロの試した「白」と「黒」から、今日までの期間でそこまで弱ってしまうとは。
彼らの実力はかなりのもので、そこまで罠にかかりまくったり、戦いで無様に負け続けたりするとは思えない。
だとしたら、なぜ?
二人の身になにがあった?
「マリート、ニーロのところに寄ってもいいかい」
「ニーロならなにかわかるのか」
「どうかな。けれど、あの『弟』とやらに会ったのか、話くらいは聞いていたのか、確認しておきたいじゃないか」
「そうか。俺も不思議に思ったんだ。双子ってのは有名だったが、弟の話は聞いたことがなかったから」
「しかも『生き返り』も『脱出』も使える神官だからな。神官というのはどうやら自称だったようだが、そんな探索者の名が知られていないのは少し不自然だ」
ニーロの家ならば、寄り道してもなんの文句もないのだろう。
今日の街歩きは随分長くなったが、マリートは黙ってキーレイの隣を歩いている。
「そうだ、マリート。引っ越し先なんだが」
「ああ」
「昨日紹介されたところでいいんじゃないかな。場所は希望通りだろうから」
「ああ」
「修繕が必要だからすぐには住めなさそうだけど、決めたらいいと思う」
「……ああ」
「だけどマリート、あそこに決めたとしても、気が済むまでうちで暮らしてもいいよ」
家が万全の状態になったら、荷物だけは移してほしいけれど。
キーレイの言葉に、マリートはなぜか眉をひそめている。
「お前がそんなことを言うとはな」
「おかしいかい」
確かに、早く決めろ、荷物を片付けろと毎日うるさく言っていた。
キーレイがこんな風に意見を真逆に変えることは珍しいし、マリートもそう思うのだろう。
しばらく歩くと、ニーロの家の黒い壁が遠くに見えてきた。
今日は家にいるだろうかとキーレイが考えていると、マリートがまたぼそりと呟いた。
「怖かったか?」
どんな意図で問いかけて来たのか、よくわからない。
けれど神官長は素直な気持ちで頷き、こう答えた。
「とてもね」
迷宮で起きた「事件」についても、正体のわからない魔術師についても。
そして、生き返り続ける探索者が辿る運命についても恐ろしい。
「ありがとう、私のことを救ってくれて」
「大袈裟だな」
「あの時、どうしたらいいのかわからなかった。助けるべきなのか、あんな状況で誰か救えるのか、せめて地上へ連れ帰るべきなのか、考えても答えが出なかったんだ」
マリートが術符を使わなかったら、どうなっていただろう?
地上に戻って一晩経った今でも、想像すらできずにいる。
「なあマリート、用事が済んだら、今日は一緒に神殿に行って祈ろう」
「祈りならさっき石の神官長と済ませただろう」
「たまには付き合ってくれてもいいじゃないか」
ニーロですらたまには聞き入れてくれるのに。
キーレイが文句を言うと、マリートはしぶしぶといった様子だが、承知してくれた。
「良かった」
こんな会話をしているうちに、黒い壁の家にたどり着いていた。
仲間の来訪をどうやって察知したのか、扉が開いてニーロが現れ、二人を中に招き入れてくれた。




