101 悪足掻き
「ガデン、ちょっといいか」
若者たちが大勢集う賑やかな食堂で、夕食の時間が終わりかけた頃。
管理人がやってきて、ど真ん中のテーブルに陣取る「噂好き」のガデンへ声をかけた。
会話はぴたりとやんで、視線が集まる。
中心でみんなに見つめられ、ガデンは肩をすくめ、ふっと笑ってみせた。
「なんだろうなあ。確認したい話でも、あるのかな?」
カッカーの屋敷へやって来たばかりの初心者たちの視線が煌いている。
探索の心構えや、屋敷で守るべきルールについて。
ガデンは親切にどんなことでも教えてくれる、「最も頼りになる」先輩だ。
ひよっこたちから向けられる視線には「信頼」や「尊敬」が溢れ、今日の夕食も旨かった。
近くを通りかかったアデルミラに食器の片づけを頼み、呼ばれてしまったからには仕方ない、と管理人の部屋へと向かう。
以前はカッカー一家が使っていた管理人用の部屋は広い。新しい管理人のギアノは片付けの名人のようで、部屋をいくつかに仕切り、個人で使う部分、備品置き場、屋敷の皆が利用できる相談用スペースなどを新たに設置している。
相談用のテーブルの上には、ギアノ特製の「旨いお茶」が用意されていた。
なにをどう入れたらこうなるのか、屋敷の若人たちは知らない。何度か覗いてみたが、結局ガデンもわかっていない。
けれど一度飲んだら誰もが虜になって、管理人がお茶の用意を始めたら、気付いた者はみんなで厨房近くをうろうろするようになっていた。
急にやってきて管理人になったギアノだが、確かに、どんなこともてきぱきとこなす働き者だ。
このお茶の味に関しては特に、認めてやってもいい。
なのでガデンはカップを手に取り、ゆったりと香りを楽しんでから、こう切り出した。
「なんの話なんだ、ギアノ」
管理人は向かいの椅子に座って、薄く微笑んだような顔をして、こんな問いを投げかけてきた。
「ガデン、もう探索には行かないのか」
「は?」
なあガデン、あらゆる噂に通じている情報通のガデン、知りたいことがあるんだが、から始まる問いだと思っていたのに。
「なにを言ってんだ。行くに決まっているだろう」
「そうか」
「もちろんだ。確かに最近、そんなにしょっちゅうは行っていないけどな。だがな、ギアノ。なあ、新しい管理人よ。俺は自分だけじゃなく、ここにやって来たみんなの為に有用な情報をまとめて伝えて、助けてやりたいと思って行動しているんだぜ」
ガデンの力強い語りに、ギアノはゆっくり深く頷いている。
「なるほど、じゃあ、もう大丈夫ってことだよな」
「は?」
「この屋敷は、街に来たばかりのド素人が準備をするためのところだから。なんでも知っていて、みんなに頼られているガデンなら、なにをどうしたらいいのか迷うことももうないだろう?」
「いや、は? なん……、なにを言うんだ。俺は屋敷の役に立ってる。そういう役割の人間は必要だろう」
そう、立場としては、屋敷の一切合切を引き受けているギアノに近い役割も果たしていると言えるのではないか。
ガデンはそんな主張をしてみたが、ギアノは小さく首を振って、声を潜めた。
「最近情報料だとか言って、小銭を取っていると聞いたぞ」
「はあ? はあー? いや、そんなこと、してないよ、俺は」
「ここの食事は、それぞれで作るのが基本だってことも忘れているように見える。作ってもいないし、食材の提供もしていない。誰かが作ったものをただ食べるだけというのは頂けないよ」
「それはほら……。ギアノの作る飯が旨いから……、最近は」
「誉めてくれるのは嬉しいけどね。でも、俺の出番なんかないのが理想なんだよ。来たばかりの奴らはどうしても、食事の支度までは手がまわらないから。慣れてもいないし、失敗することもあるから、足りなくならないように俺も作るんだ」
「ああ、俺も、料理は苦手でさ」
「そういう連中はちゃんと習いに来るし、手伝ってほしいと言ってくるよ。アデルミラも手を貸してくれてる。だけど、ガデンに頼まれたことはないな」
いろんな言い訳を捻りだしていったが、すべて、ギアノには通じなかった。
「この屋敷はカッカー様のものだ。だから、カッカー様の志の通りにしたい」
「それはもう、そりゃあそうだとしか言いようがないな」
強い言葉で責められたりはしていない。
ギアノの口調は終始穏やかで、ガデンの小賢しいあれやこれやについて追及してくることはなく、最後にこう言って面談は終わった。
「さすがガデン。わかってくれて嬉しいよ」
初心者でもなく、不慣れなわけでもなく、有用な仕事を出来るようになったのなら、カッカーの屋敷からは出ていかなければならない。
ずばりと言われなかったが、卒業を促されたのはわかる。
呼ばれた時とは正反対の意気消沈でガデンは自室へと戻った。
カッカーの屋敷を見つけ、住まわせてもらえた時は本当に嬉しかった。
偶然が重なって導かれ、あのカッカー・パンラと真正面から向かい合った時のことははっきりと覚えている。
探索をしたいのか問われ、世の中のあれこれについて聞かれ、緊張しながら答えたものだった。
いつか立派な探索者になって、意気揚々と出ていこうと考えていた。
自分で用意した貸家か売家に荷物を運んで、新たなステージへ進むと夢見ていたのに。
今はそんな夢想は消え去ってしまったようで、ガデンは自分のベッドに転がって頭を抱えている。
屋敷を出たくない。
準備ができていない。
日々の暮らしにかかる支払いに追われるに決まっている。
ギアノの顔を思い浮かべようとしたものの、頭の中にはっきりと浮かび上がって来なくて、いらつきながら体を震わせる。
同室で暮らしている三人が怪訝な顔で見つめてくるが、ガデンとしてはそれどころではない。
夜が更けてきて、目が冴えて眠れずにいたガデンは、ふと思い出してまた震えていた。
少し前に、食堂であれこれと話していた時のこと。
ガデンにとっては日常そのもので、特別でもなんでもない。
迷宮やラディケンヴィルスについての噂をあれこれと初心者に聞かせて、感嘆されていた。
まるで垢抜けない、田舎からやってきた少年たちから尊敬のまなざしを向けられるのが好きだから。
だから時には、つい、ということがある。その場で受けた質問から話題が逸れてしまった時、適当な話をでっちあげてしまうことがあった。
フェリクスたち、カミルたちと同じ部屋に入った、アルテロ、カラン、それからヨンケ。
彼らに言ってしまった。
「橙」の簡単な攻略法があるのだと。
あそこは、迷宮の中では簡単だから。
特に低層部分では、他にも大勢の探索者がいて、怖くはないから。
どんなに適当なことを言っても、バレやしないと思っていた。
正確には覚えていない。
鼠だの兎だの、倒すのは簡単だと。弱点を突けば一撃だと言ってしまったような気がする。
弱点など、本当は知らない。熟練の探索者がやっていた行動があったように思って、それを大袈裟に伝えただけだ。
彼らは喜び、それなら自分たちにもできそうだと笑っていた。
いちいち屋敷の先輩たちに連れていってもらうのは申し訳ないから、自分たちだけで行きたいのだと語っていた。
ギアノはなにも言わなかったが、知っているのかもしれない。
あの適当なおしゃべりの後、アルテロたちは戻ってこなかった。
七日も待ったあと、管理人は部屋を片付けていた。
新たにやって来た、なにもしらない新参者たちの為に。
帰ってこない間抜けの為にベッドを確保し続ける義理はないから。それが、屋敷の管理人の仕事なのだから。
いつでも明るく親切な新しい管理人が、ひどく暗い表情をしていたと誰かが話していた。
ガデンが夜に見かけた時には、いつも通りのギアノだったが。
自分のでっちあげた話のせいで彼らが無謀な探索に行ってしまったと、考えているのではないか。
探索にも行かなくなり、有益な情報を教えてくれる情報屋のガデンさんになって、新参者たちから小銭や食料を受けとって暮らしていた。
ガデンから求めたわけではない。誰かがせめてものお礼にと言い出して小銭をくれたのがきっかけだ。
みんなそういうものだと思い込んで、親切な先輩へなにかしらを渡すようになった。
ささやかな額だ。本当に小銭程度。食料だって、特別にいいものをもらっているわけではない。
大体、屋敷に滞在していれば、みんな食事は誰かの善意にすがるものだから。
うまくいかない日には、おすそ分けをしてもらえばいいという考え方をする場所なのだから。
こんな風に悩みながら眠ったせいか、ひどく嫌な夢を見て、ガデンは目覚めた。
部屋にはもう誰も残っておらず、勤勉な探索者たちはほとんどが屋敷を出たあとのようだ。
食堂に行くとアデルミラが後片付けをしており、いつも通りの優しい声であいさつをしてくれる。
「おはようございます、ガデンさん」
「ああ、おはようアデルミラ。……食事ってまだなにか残っているかな?」
「もちろん、ありますよ」
にっこり微笑まれて安心して厨房へ向かったが、奥にギアノがいた。
「よお、ガデン。おはよう」
「ああ」
奥のテーブルには果物がいくつも並んでいて、ギアノは皮を剥いている最中のようだ。
少し前に菓子を作って、女性向けの店で販売したと聞いている。
「また女向けの菓子作りか? いいなあギアノは、女の子たちに囲まれてさぞかし楽しいんだろうな」
「はは、そうだな。評判はとても良かったし、喜んでもらえたみたいでね」
大きな鍋の中にはスープが残っているし、パンも少し残っていた。
皿を手に取り、中身をすくって入れる。
そんなガデンに、ギアノは果物の皮を剥きながらこう呟いた。
「まだ探索に行く自信のない連中が買い出しを手伝ってくれるんだ。これは薄く切った後干して、甘く味付けして売るんだよ。売り上げの中から手伝ってくれたみんなにはお礼を渡してる」
探索で獲れる肉も買い取りをしている、と管理人は言う。
その話は、ガデンも耳にしていた。
店に近い値段で買い取ってくれるし、保存食に加工した後は、安く提供してくれるのだとも。
知っているよともごもごと呟いて、ガデンは慌てて厨房を出ていった。
急いで食事を掻きこんで、片づけはアデルミラに任せ、中庭に向かう。
屋敷の奥にある中庭では、剣の訓練が行われていた。
今日はウィルフレドが来ていて、新米たちにいろいろと教えてくれているようだ。
どこかの田舎町からやってきたばかりの若者たちは目をキラキラさせて戦士を見ている。
ウィルフレドが見本として剣を振り、やってみるように言い、それぞれに体の動かし方を指導している。
力が足りない者には単純に鍛えるように言い、見込みのある者にはもっと踏み込んだ指導がされていた。
腕の力が弱い者には短剣を渡し、短剣ならではの戦い方を。
もっと向いている武器がありそうなら、他のものを。
良いところは誉め、足りない部分は的確に指摘をして。
ウィルフレドには説得力がある。彼自身がとても強く、礼儀正しいから、みんな真剣に話を聞いている。
そんな光景を見つめているうちに、ガデンの中には焦りばかりが溢れていった。
初心者たちに頼られる先輩とは、「ああいう風」であるべきだ。
わかっていたし、目指していた。そのはずが。
今のガデンからは程遠い。
あまりにも遠くて、目眩がするほどだった。
訓練が終わり、初心者たちが散っていく。
汗を流しに行ったり、昼食の相談をしたり、ウィルフレドへ質問しに行ったり、行動は様々だ。
その中から何人か、少し気の弱そうなタイプに声をかけて探索へ誘う。
あの「情報通の」ガデンからの誘いに、みんな二つ返事で応じてくれた。
三人集めたら、今度はお隣の神殿へと急ぐ。
ちょうど当番の交代時間だったようで、目当ての人物は着替えを終えて控室を出て来たところだった。
まだ若く、不慣れな神官のロカを呼び止め、探索の誘いをかけていく。
つい先日だが、初めての迷宮入りを果たしたと聞いていたから。
勇気を出して迷宮へ足を踏み入れ、大勢の役に立てる神官になるべく修行を始めたと耳にしていたから。
ああだこうだと言葉を尽くしてロカも仲間に引き入れて、次の日、ガデンは久しぶりの迷宮探索を果たした。
初心者のみんなの為に、まずは「橙」から行こうと言いたいところだが。あそこは混んでいて進むのも大変だから。
せっかく樹木の神に仕えるロカがいるのだから、「緑」へ向かおう。
迷宮に詳しい先輩の存在は、初心者にとってはなによりもありがたいものだ。
そんなひよっこたちの導き手になってやろうとガデンは考え、「緑」へ向かった。
今ならわかる。
こんな挑戦に意味などはなかった、と。
導き手になれるほどの実力があるのなら、屋敷からは卒業すればいいだけだし。
うまくいかなくて初心者レベルの実力しかないとバレてしまえば、ガデンの評判は地に落ちてしまう。
「緑」へ慌てて向かったのは、焦っていたから。
なにもしない、ただ飯食らいだと思われたくなくて、現役の探索者なのだと示さなければと考えてしまったからだった。
迷宮都市へやって来たのは、十七歳の時。
必死で仲間を探したり、探索をしてみたり、小さな成功と死なない程度の失敗が続いて、運よくカッカーの屋敷へたどり着いた。
安息の地を得て、探索者としての暮らしは楽になった。
けれどそれから、もう六年も経っている。
カッカーやヴァージとは何回か面談があって、卒業を促されたことはあった。
泣き落としてみたり、努力を誓ってみたりして、今。
一部からは「噂好き」の名で呼ばれるガデン・アンスク、二十三歳。
だらだらとした暮らしを続けてきたのだから、体がなまっているのも当たり前。
剣の扱いもおぼつかず、「緑」の床を這う蔦に足を取られて転び、毒を食らってロカの手を煩わせて。
たったの四層で探索は切り上げられることになった。
いつでも自信に満ち溢れ、初心者たちを導く存在であったはずのガデンの失敗は、あっという間に噂になった。
慕ってくれていたはずの十四、五歳の若者たちも、さすがに気が付いてしまったようだ。
そういやガデンさん、いつでも屋敷にいるじゃないか。
ガデンさんと一緒に探索に行った話を、誰からも聞いた覚えがないな。
なぜ、いつもガデンを鬱陶しがっているのか。
ティーオやカミルが厳しい態度をとる理由を、みんなが理解してしまった。
噂が広まった結果、ガデンの株は暴落し、初心者たちに少しそっけないと敬遠されていたティーオたちの評価は爆発的に上がった。
スカウトのカミル、魔術師のコルフ、フットワークの軽いティーオと、見た目は幼いが妹を護って旅をしてきたアダルツォ。
今は何故か姿は見えないが、可憐な神官を救ったフェリクスも、見込みのある戦士なのだという。
屋敷に世話になりつつ、実力をしっかりと磨いている五人組。
初心者たちが目指すべき姿は彼らなのだと考えなおしたようで、もうガデンの隣に座る者はいない。
ティーオの言う通り。「噂好き」なだけで、「情報通」ではないとわかってしまった。
焦るあまり、考えなしに行動してしまった。
ガデンは深い後悔の中にいるが、落ち込んだところでなにか解決するわけでもない。
ただ飯食らいに向けられる視線は厳しい。
ガデンは、「なんの成果もないまま居座り続けている図々しい男」なのだから。
途轍もなく不名誉だが、今現在の状態を正確に言い表した称号といえるだろう。
ガデンとしては納得がいかない。準備が不足していただけで、ただ一度の失敗でここまでこき下ろされるのは不本意だった。
確かに、戦闘もうまくこなせず、迷宮を歩くだけでも上手にやれなくて、ひたすらにロカに癒されていたけれど。
「でも、そういうのを積み重ねてみんな上達していくモンだろう?」
一緒に探索へ行った初心者たちをひとりずつ捕まえて訴えてみるも、みんな逃げていってしまった。
最後に話したのはロカだが、神官である彼ですら、悪いけどガデンとはもう無理、と顔をしかめている。
そんな風に言っていいのは、一年目、二年目の初心者だけだと思うよ、だそうだ。
一気にひよっこたちからの敬意を失って落ち込んでいたガデンはあくる日、あることに気が付いて更に気落ちしていた。
身に着けていたはずのペンダントが、ない。
故郷から出る時に、母に渡されたものだ。
すべての神を産んだとされる大地の女神の姿を彫った、古びたペンダントだった。
ガデンが生まれた農村はのんびりとしたのどかなところだ。
ガデンの故郷に限らず、大地を耕して暮らす人間の多い辺境では、大地の女神への信仰を持つ者が多い。
迷宮都市には九つの神殿があるが、どの神への祈りもすべて大地の女神へ通じていると考えられている。
神々の成り立ちやそれぞれの教えについて、ガデンはあまり詳しくはない。
農村の人たちも同様で、細かい話はよくわからない。とにかく、大地の女神が暮らしを守ってくれているのだと信じ、困った時には祈りを捧げている。
そんな母が大事にしていた、祖母から受け継いだペンダントだった。
他に息子を護ってくれるものを持っていなかったから、これしかなかったから持たされたものだった。
ガデン自身にはあのペンダントに思い入れなどない。迷宮都市に来て、都会では神殿や神の教えですら違うのだとわかり、いかにも田舎出身の人間が持つ古臭い物だと考えていた。
けれど母親のくれた唯一のものだから。しまっておく場所もないし、それで仕方なく首からさげていた。
そのペンダントが、ない。
どうでもいいものだと思っていたのに、今の自分の置かれた状況のせいもあってか、ガデンは落ち着かない。
なくしたきっかけについてはもちろんわからないのだが、あの時かと思い当たることはある。
「緑」の迷宮で転んだ時。首を少し引っ張られたような感覚が、一瞬だけあった。
ペンダントが服の中から飛び出して、蔦にひっかかったのかもしれない。
特に音はしなかったが、紐がちぎれたのかもしれなかった。
蔦や葉の上に落ちれば、音だってしないだろう。
迷宮での落とし物は厄介だ。
落としたものは消える。魔術師ニーロによれば、低層のものほど早くなくなると言う。
迷宮都市暮らし存続の危機の中で、それどころではない。
けれど気がついてしまった。母はあのペンダントをとても大事にしていたと。
なにかあれば、母はあのペンダントを手に祈っていた。
ガデンの具合が悪くなれば、この子を元気にしてくださいと願い、良いことをすれば、素晴らしい子供に育ててくださってありがとうございますと礼を言い。
悪いことをすれば、心をまっすぐにしてください。母の祈りは常にあのペンダントと共にあった。
今はどうしているのだろう。こんなつまらない田舎は嫌だといって、迷宮都市へ行くと言い出した息子に渡してしまって。
その息子は、他人の善意という名のぬるま湯に浸って、単純な労働すらしていない。
大きな富を望めるかわりに、危険極まりないという噂の迷宮都市を、母は恐れていた。
そんなところへ行って死んでしまったらどうするんだいと震え、泣いて止めて来たのに。
ガデンは立ち上がり、共に「緑」へ行ってくれる誰かがいないか探してまわった。
屋敷の中にはあまり人は残っておらず、その残っていた誰かも、ガデンが声をかけようとすると去っていってしまった。
誰もいない。
樹木の神殿にはララがいたが、探索の同行など絶対に嫌だと断られてしまった。
けれど、すぐに諦めはつかない。
なんとなくの準備をして、ふらふら、よろよろ、「緑」の迷宮へと歩いて行く。
中途半端な四人組がいて、入れてもらえないだろうか。
そんな都合のいい考えばかりを浮かべながら、魔術師たちの住処を抜ける。
「緑」の入り口付近は混みあっている。
朝から並んだ初心者たちがまだ残っていて、その後に入ろうと業者が集まっているようだ。
知った顔がいないかガデンは探してまわったが、どうやら誰もいないようだった。
先輩たちの教えを守るいい子たちは勤勉だから、こんな半端な時間に並んでいることはないのだろう。
ガデンの願いは叶わなかった。
思い切って声をかけてみたものの、見知らぬ五人組の初心者の視線は「なんだこいつ」以上にはならないようだ。
断りの言葉をくれればいい方で、ほとんどのパーティに無視されて、ガデンはひとり取り残されてしまう。
初心者たちが朝から作った長い列は、どうやらひとまず終わったようだ。
周囲にいるのは籠を担いだ業者たちばかりで、彼らは店ごとにかたまり、忘れ物がないか調べ、今日の目的目標を確認して、入念に準備を進めている。
業者たちは服装からして、探索初心者とは違う。
全員で長い袖の服を着ているし、手袋をしているし。
冷やかしでやって来る者などいないから、目つきも違うように見える。
すっかり足に力が入らなくなって、ガデンはよろよろと座り込んだ。
「緑」の迷宮入口の穴の淵で、ひとり、しょんぼりと。
涙がこみあげてきて、景色が霞む。
ぼんやりとした迷宮都市の街の景色の中に、母の顔が浮かんで見えたような気がしていた。




