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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X8_Blocked the Passage

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104/244

100 嘘が導く(下)

 誰かに呼ばれてギアノが席を立ち、マティルデは一人、のんびりとお茶の香りを嗅いでうっとりとしていた。

 朝から走ったり転んだり泣いたり働いたり、随分疲れていたけれど。

 ギアノの淹れるお茶はどうしてこんなにも良い香りで、美味しくなるのか、とても不思議だと感じている。


「ギアノと随分仲良しなんだね」

 隣から声をかけられて視線を向けると、アデルミラがマティルデを見つめていた。

「ギアノにはいっぱい助けてもらってるの」

「親切だもんなあ、ギアノは」

「うん」


 向かいに座っていたはずのララがいない。

 二人の使っていた食器は片づけられたのかテーブルの上には置かれていない。


「それ、ギアノが作ったお菓子? 見たことないけど」

「新しく作ったものだって言っていたわ」

 この「新作」は、自分にしか出されなかったのだろうか。

 二人の神官の前にも、同じような皿が並んでいたと思ったのに。

「もしかして、ギアノの恋人なの?」

「えっ……、違うわ」


 突然切り出されて、マティルデは焦る。


「恋人なんていたことないもの。大体、恋人ってどうやってなるものなの?」


 こんな風に答えると、視線の先に三人、見覚えのある若者が現れていた。

 ティーオと、カミル、コルフの三人はマティルデの為なのか、少し離れたところで立ち止まり、戸惑ったような表情を浮かべている。


「やあ、マティルデ。元気にしてた?」

 ティーオは少女に声をかけて、首を傾げている。

「ギアノだけじゃなくて、アダルツォも平気なの?」

「アダルツォ?」

「隣に座ってる」


 違和感はあった。だが、アデルミラではないことには気が付いていなかった。

 マティルデは驚いたが、隣に座っていたアダルツォも相当衝撃を受けたようだ。


「嘘だろ。俺、そんなにアデルに似てるのか?」

「似てるよ、アダルツォ」

「話しててもわからないほど?」


 言われてよくよく見てみれば、アデルミラよりも少し大きいし、髪も短いし、声も低いし話し方も違う。

 顔だちはそっくりだが、まったく同じなのは首にぶらさがっている雲の神官のしるしだけだ。


「アデルミラだと思い込んでいたわ。……でも、確かに、あなたのことも平気かも」

「平気ってなんだい」

「私、男の人が怖くって」


 優しいアデルミラにそっくりだから、アダルツォも平気、なのだろうか。

 男性的な要素はほとんど感じられない。背も、マティルデの方が少し高いくらいではないかと思える。


 ティーオたちは良かったと笑ってくれたが、アダルツォにはショックだったようだ。

 それでも雲の神に祈りを捧げて正気を保ち、ティーオたち三人との間に入ってマティルデの壁になってくれている。


「マティルデ、魔術師の塾には行けそう?」

 コルフに声をかけられ、マティルデは肩をすくめた。

「ううん、まだ。お金を稼ぐって大変なのね」

「今日はギアノのお菓子を売っていたんだろう? いいよねえ、あのお菓子は美味しくって。店でも持てばいいのになあ」

 カミルはお菓子よりも料理の方が良いと言い、ティーオは特製保存食がどうなるのかが気になるらしい。

「お菓子だけじゃなくて、味付き干し肉も今売っているよね」

「きっと売れてるよ。だってものすごく旨かった!」

「あれ、迷宮用にする必要はないと思うんだ。小腹がすいた時なんかに食べたらちょうどいいから」


 わいわいと騒ぐ三人の様子を、アダルツォはにこにこと微笑んで見つめている。


「アデルミラのきょうだいなの?」

「ああ、まだ名乗ってなかったね。アダルツォ・ルーレイだよ。アデルミラの兄で、雲の神官なんだ」

「ティーオたちと仲がいいのね」

「一緒に探索をしているんだ。アデルが以前ここで世話になっていて、みんなと探索をしていてね。いろいろあって稼ぎが必要で、今は俺が仲間に入れてもらっているんだ」

「アデルミラも探索に行っていたの?」


 女だらけのパーティに足りないのは、前で戦ってくれる戦士があと一人と、神官が一人。

 ララは探索なんて絶対に嫌と宣言しており、ではどうしようかと思い悩んでいた。


「私と一緒に探索に行ってくれないかしら?」

「探索? 君も行くの?」

「ええ。私、世界一の魔術師になるのよ」


 とは言ったものの、初心者用の教室にすらまだ行っていない。

 コルフに連れていってもらわねばならない上、男性だらけの教室でまともにやれるかどうかもわからない。


 急にしゅんと落ち込むマティルデに、アダルツォは慌てている。

「なにか悪いことを言ったかな」

「ううん、違うの」

「そういえば、君はなんて名前なの?」

「ごめんなさい、私も名乗っていなかったわ。マティルデよ」

「素敵な名前だね。よろしく、マティルデ」


 話している間にアデルミラが戻ってきて、ティーオたちと同じ驚きを感じたようだ。

 けれどマティルデが兄と仲良く話せるのは喜ばしかったらしく、似た顔を並べて二人はにこにこと微笑んでいる。


「並んでみたら、割と違うだろう?」

「ううん、似ているわ」

「ああ、そう……」


 妹同様、兄もきっと優しく穏やかな人間に違いない。

 二人はとても神官らしいと思えたし、ヌウとやらが探している神官も、そんなに深刻な理由があるわけではないのだろうとマティルデは考える。


「ああ、やれやれ、やっと終わったぞ」

 ギアノが戻ってきて、アデルミラには今日の手伝いの礼を言い、アダルツォたちにも今日の成果について声をかけ、最後にマティルデの前にやって来る。

「マティルデ、誰か迎えが来るかな。良かったら家まで送っていくけど」

「いいの?」

「もちろん。ユレーさんの好物を作ったから、届けないとな」

 南の市場も覗くから、遠慮はいらないと管理人は言う。

「それとも、一人で帰ってみたいか」

「えっ」

 

 挑戦するべきか、マティルデは迷う。

 今日はぎりぎり、来ることができた。

 きっと帰ることもできるとは思う。けれど。


「冗談だよ。今日は疲れただろう?」

 楽に帰った方がいいと言われて、マティルデは心底ほっとしている。

 ギアノの優しさに甘えて、カッカーの屋敷を二人で出た。


 

 お菓子や保存食の売れ行きはかなり良いらしく、また販売の機会がありそうだということ。

 屋敷の仕事にもすっかり慣れて、住人たちも協力的になってきたこと。

 ユレーに家事の手伝いを頼んだ家も、落ち着いてきたこと。


 歩きながらいろんな話をされたが、例の神官についての話題は出てこない。

 明るい話題を口にしているギアノの表情は楽しげで、マティルデは思わず、じっと顔を見つめてしまう。


「ん? なにかついているか、俺の顔」

「ううん」

「今日はいろいろ作っていろいろ食べたからなあ」

「ギアノには恋人がいるの?」


 突然の質問に驚いたのか、ギアノの足が止まる。

 マティルデも慌てて立ち止まり、隣を歩く男の顔が赤く染まっていく様を見つめていた。


「なんだ、いきなり」

 そんなものはいないよ、と答えは続く。

「故郷の港町に残してきたりしていないの?」

「してないよ。俺は女の子とはさっぱり、縁がないみたいでね」

「どうして?」

「どうしてって……。俺が好きになったとしても、向こうが好きになってくれるとは限らないからなあ」

「好きな女の子はいたの」

「そりゃまあ、少しくらいはね」


 でもみんな、周囲の他の男たちの嫁になってしまった、とギアノは言う。

 

「一番最後に好きになった子は、俺の兄貴と結婚しちゃったんだ」

「お兄さんと」

「そう。自分ではよくわからないけど、俺は本当によくいる顔をしていて目立たないんだとさ」

「ギアノは親切だし、なんでもできるのに」

「仕事ばっかりしてたからかなあ。次から次へあれこれ頼まれて、あっちこっちに行っていたから。俺は街の便利な仕掛けみたいなものになっちゃってたのかもな」


 今もそうなり始めているのかも、とギアノは笑っている。

 その笑みはいつもの優しいものではなく、どこか諦めたような寂しげな空気をまとっていた。


「とにかく、恋人なんかいないよ。そっちこそどうなんだ?」

「私も恋人なんかいないわ」

「マッデンは違うのか」

「マッデンは小さな頃からずっと私についてまわって、いつか結婚するんだって言い続けてたの。大人たちはみんなにこにこ笑って、将来が楽しみだなんてのんきなことを言っていたけど」


 けれどマッデンはとんだ卑怯者で、臆病で、無責任だとわかった。


「良かったわ、本性がわかって!」

「はは、手厳しいんだな」

「マッデンが勝手につきまとっていただけだもの。ここに来たのも、私が迷宮都市に行きたいって言い続けていたからなのよ」


 根性無しのマッデンは、今頃きっと家に戻って羊の世話でもしているに違いない。

 マティルデのことをどう伝えているのか少しだけ気になってきたが、考えても仕方がないだろう。


 南に向かって再び歩き出した二人の間に、しばらく沈黙が続いた。

 恋人なんていたことがないから、話はもうない。

 マティルデは時々隣を歩くギアノの横顔を見たが、いつもよりも少しだけ、遠くを見ているように思えた。

 無言の帰り道はあっという間に進んでいった。以前のようにしがみついて歩いていないから、早くたどり着けるようになったのだろう。


 そう、いつの間にか、並んで歩けるようになっていた。


「これ、ユレーさんに渡してくれ」

「寄っていかないの?」

「まだ仕事があるからな。急いで買い物を済ませないと」


 マージの家の前で、ギアノはお土産をマティルデに手渡し、去っていってしまった。

 いつでも来いよと言い残して、あっという間に道の向こうに消えていってしまった。


「ああ、マティルデ。お帰り」

「ただいま。ユレーは?」

「今日は仕事だよ。朝、マティルデがいなくなってたって心配してたよ」

「え? ああ、そっか。急いでいかなきゃって思っちゃって」

「ちゃんと仕事に行けたみたいで良かった」


 ユレーが心配しているところにマージが帰宅し、グラッディアの盃まで様子を見に来て、労働に励んでいる姿を確認していたらしい。

 

「どうしてお菓子を買いに来てくれなかったの?」

「なんだか混みあっていたからねえ。あたしたちはギアノにいつももらっているだろう? 他の人に譲って、知ってもらった方がいいと思ったのさ」

「そっか。そうよね。買いそびれた人はいっぱいいたの。気の毒だわ、あんなに美味しいものを食べられないなんて」

「ギアノが店をやればいいんだよ」


 マージが笑い、マティルデも頷く。

 いつでもあの美味しいものが食べられれば、迷宮都市で働く女の子たちはみんな幸せになれるに違いない。


「ねえマージ、ギアノは神官の知り合いはいないんだって。お隣の神官長さんくらいしか心当たりはないって言ってたわ」

「ギアノに話したのかい」

「だって、ハッキリした方がいいでしょう? ギアノは自分に似た人が大勢いるから、間違って覚えられたんじゃないかって言ってたわ」

「ああ、なるほど。ギアノならあり得るかもしれないねえ」


 二人が話しているとユレーが仕事を終えて戻ってきて、まずはマティルデの無事を喜んでくれた。

 黙っていなくなられると驚いてしまうと苦情を言われ、マティルデは素直に反省をしていく。

 

「わあ、これ、美味いんだよねえ。ギアノは本当に良い奴だよ」


 説教めいた話はすぐに終わり、夕食の準備に取り掛かる。

 ユレーの好物があるので、あとは少し、一品二品軽く食べられるものを用意すれば良い。


 準備がすぐに終わり、三人でいつものように食卓を囲む。

 女だけの探索者のパーティを作りたいとマージに声をかけて、そこから勢いだけで同居を始めたが、とても居心地のいい場所だとマティルデは思っている。

 マージはいちいち話が長いし、ユレーは少し愚痴っぽいところがあるが、三人の仲は良好と言えた。


 マティルデは魔術師の学びを始められていないし、あと二人、必要なメンバーが揃っていない。

 なのでまだ、探索に出かけたことはない。


 探索者としてのスタートを切っていないから、まだのんびりとした空気の中でぷかぷかと迷宮都市の片隅に浮かんでいられる。


「二人には恋人っているの?」

 食事が終わるなりマティルデが問いかけて、マージとユレーは揃ってお茶を吹き出している。


「なんだいいきなり!」

「気になったから」

「ええ? いやだねえ、まったくもう……」

 マージはもじもじ、ユレーは鼻に皺を寄せ、マティルデのまっすぐな視線に耐えている。

「いないの?」

「いや……。あたしはほら、心はもうウィル様の嫁だもの」

「断られたじゃない」

「馬鹿、マティルデ! 心はって言ってるだろう!」

「まあまあ怒りなさんなって、マージ」


 ユレーは余裕たっぷりで同居人を諫めたが、こちらにも語るほどの話はないらしく、マティルデは首を傾げている。


「どうしたら恋人になれるか、二人にはわかんないってことね」

「なに言ってんだい。そのくらいはわかるよ」

「いきなり結婚してくれって言うのが?」

「違うよ。あれはちょっと、いきなりウィル様が出て来たから慌てちゃっただけでね」


 真摯に相手に好きだと伝えるのが第一歩だと、マージはしっとりと話した。

 

「できれば、目をじっと見つめて、手を取ってね」

「それで?」

「相手も自分のことを好きだって言ってくれたら、それで関係は成立だよ」

「ねえマージ、そうわかっているのにどうしてあんなことをしたの」

「だから、慌てちゃったんだってば! 仕方ないだろ、ウィル様のあのきれいな顔がいきなり目の前に現れたんだから。刺激が強すぎたんだよ」

「そんなことを聞くなんて、マティルデ」


 慌てるマージの向こうで、ユレーがにやにやと笑っている。


「なにがあったんだい。いいことがあったのかい」

「今日、ギアノと恋人同士なのかって聞かれただけ」

「誰に?」

「アデルミラっていう神官の子がいるって話したでしょ。その子にお兄さんがいて」

「なんだ、そういう話か」

「そういう話?」

「その男の子、あんたに気があるんだね」

「今日初めて会ったのよ」

「いやいや、この街の年頃の男は飢えてるから」


 アデルミラが自分よりも二、三歳年下だとして、ではアダルツォはおそらく同じくらいの年頃なのだろう。

 同じ年頃の男の子たちがどの程度「飢えている」のか、マティルデにはよくわからない。


「そういえば、マッデンもずっと結婚するって言い張ってたっけ」

「薄情者のマッデンね。無事に故郷へ帰ったのかね」

「帰ってるわよ。あの根性無し、お母さんに泣きついたに違いないわ」



 この日は頑張ったせいなのか、睡魔がいつもよりも早い時間に襲ってきたようで、マティルデはすぐに眠ってしまった。

 残った二人の大人の女は、たまには酒でも飲もうかと遅い時間までひそひそと話し込んでいる。


「ギアノと良い仲になったのかと思ったのにねえ」

 ユレーの言葉に、マージは苦笑している。

 二人は間違いなく惹かれ合っていると同居人は強く主張し、家主もそうだろうと思っている。

「マティルデはあんなに可愛いのに、鈍いもんね。ギアノが強く押さなきゃ、他の男にさらわれちゃいそうだよ」

「いやいや、あんなに鈍いんだから、逆に簡単に他の男にさらわれたりはしないよ」

「うーん。確かに。それもそうか」


 ちびちびと酒を酌み交わす二人は、迷宮都市で暮らす女性でありながら、男から言い寄られたことがない。

 マージには仕方がない理由がある。女として暮らしているが、女になれたわけではないから。

 ユレーはそう美しくもないし、魅力的な体つきでもない。物言いも荒いし、性格もかわいげがない。


 二人は揃って自分の恋愛のことは少し遠いところに置き去りにして、愛らしい居候の将来について考えるのに夢中になっている。


「このまま魔術師の塾なんかに行かなきゃいいんだよ、マティルデは」


 ユレーがぼそっと呟いて、マージはこくこくと頷いている。


「ギアノに言わなきゃいけないね。しっかりマティルデを捕まえて幸せにしてやっておくれって。本当に店を開いて、二人でやればいいんだよ。あいつの腕なら絶対にうまくいくんだから」


 酔いがまわってきたのか、ユレーの瞼がゆっくりと閉じていく。

 やがてテーブルに突っ伏してしまい、酔っぱらいはもう夢の中だ。

 背中に毛布をかけてやり、マージはしばらく悩んだものの、遅くなってから家を出ていた。





「あっ、ヌウ」

 

 店の奥の「いつもの席」に座っていたヌエルは、友人に声をかけられ、手をあげて応えた。

 ジャファトは小走りで席までやってきて、ヌエルの頬にそっとくちづけをして、向かいに座る。


「顔が赤いな、ジャファト」

「少し家で飲んできたんだ。同居人と、ちょっとだけね」

「仲良くやれているみたいだな」

「うん。いい子たちなんだよ」


 幸せな話をしているが、ジャファトの目は泳いでいる。

 目を合わせようとしない友人をじっと見つめると、視線にすぐに気が付いて、ジャファトは小さな声でこう切り出した。


「南の方の薬草店に、最近働き出した男がいるんだって。背が高くて、すごく痩せている人」

「名前は?」

「名前まではわからない。いろんな人に声をかけて、ちょっと聞いただけでね」

 

 でも、店の名前と場所はわかる。その男は宿舎に入って暮らしているとも聞いている。

 今度はしっかりと視線を合わせて、ジャファトは囁く。


 見つめ返しただけで意思は伝わり、薬草店の名が告げられる。

 ミッシュ商会は大きな薬草業者で、宿舎は男性用が二つあり、ひょろ長は新館の方で暮らしているらしい。


「ありがとうな、ジャファト」

「ねえ、ヌウ。どうしてその人を探しているんだい?」

「悪いことをしたんだ」

「神官なんだろう? なにをしたってんだよ」


 神に背くような真似をしたのか、ジャファトは問う。

 

「似たようなもんだ」


 ヌエルにとって、ジマシュは神にも等しい。

 彼の期待、信頼、友情、優しさ、すべてを裏切って行方をくらましたデルフィを、許すことはできない。

 それも、二度もだ。一度だって許されるはずがないのに。


「そんなに怖い顔をしたら嫌だよ」

「怖い? 真剣なだけだ」

「ヌウ」

「俺にはとても大切な人がいるんだ。あいつはその人を裏切った」


 ジャファトは寂しげに目を伏せる。

 なにか言いたそうに何度か顔をあげたものの、結局、しょぼしょぼとこう呟いた。


「そう……。とても大切な人なら、仕方ないね」

「ああ」

「その人、ヌウを大切にしてくれてるのかい」


 ジマシュとの時間はすべて、ヌエルにとって黄金に輝く宝のようなものだ。

 声をかけられれば至福、見つめられれば天に昇るよう。

 冷たい言葉ですらも褒美でしかない。

 どんな風に扱われようと構わなかった。

 ジマシュの為なら魂を捧げられる。


 デルフィ奪還の時に与えられた最上級のご褒美の時間が、ヌエルの忠誠をゆるぎないものにさせていた。


 マージの問いには、静かに頷くのみ。

 大切にされているかどうかなど、関係ないのだから。



 夜が明けてから、友人の情報を頼りにミッシュ商会へと向かう。

 まだ店は開いておらず、狭い路地の向こうから従業員たちがぞろぞろとやって来る様子が見えた。

 物陰に潜んだまま待っていると、ひときわ背の高い男がやって来て、ヌエルは立ち上がる。


 ひょろりとした痩せた体に、頭ひとつ分飛び出した高さは同じ。

 デルフィと同じシルエットだが、髪の色が違う。

 赤茶色の髪は手入れがされていないのかぼさぼさとしていて、だらしなく肩の下まで伸びている。

 口の周りにももじゃもじゃと髭が生えていて、あの鍛冶の神官らしくない。


 もう少しだけ物陰に潜んだまま、店が開くのを待つ。

 じっくりと時を流した後にヌエルは用意していた帽子を被り、顔が見えないようにして、客の増えて来た店の中へ進んだ。


 商品を探しているふりをしながら、店の中をぶらぶらと進む。

 接客をしている店員はみんな似たようなサイズで、目立つひょろ長の姿はない。


 薬草や薬が並んだ店の奥には、草の加工をしている職人たちの姿があった。

 作業中は自由にしていいのか、わからないがとにかく、ぺらぺらと会話を交わしている者がいるようで声が聴こえてくる。

 耳を澄まし、気付かれないように視線を向ける。

 すると、例のひょろ長がいることがわかった。


 他の客が従業員に声をかけ、質問を投げかけている。

 そのそばにある棚に隠れるようにして、ヌエルはじっと男の様子を窺った。


「この草の臭い、たまったもんじゃないなあ。俺の故郷の、裏のモン爺の納屋とおんなじ臭いだよ!」


 やたらとおしゃべりな奴が一人いると思っていたら、どうやら赤茶色のもじゃもじゃ、例のひょろ長の声だったようだ。

 甲高い声をやたらと張り上げて、同じテーブルを囲む従業員たちをいちいち叩いたりしていて忙しない。

 どうしようもないことを言っては諫められ、仲間たちと一緒になって笑っている。


 とうとう責任者がやってきて、やかましいと叱られて。

 ひょろ長はぺこぺこと頭を下げ、お調子者らしい謝り方を更に注意されている。


「お客様、なにをお探しですか」


 手の空いた従業員から声をかけられ、ヌエルは用意していた答えを口にしていった。

 眠気を覚ます薬を用意してもらい、会計を済ませ、ミッシュ商会の店を出る。


 すると道の向こうに知った顔が待っていた。

 心配してついて来ていたのかもしれない。来ているだろうと、どこかで思っていた。


 向かいの建物の隙間で待つジャファトのもとへ歩いていくと、どうだった? と問われた。


「違う奴だったよ」

「そうか。ごめんよ、ヌウ」

「謝ることはない。背格好は似たような感じだった」


 また同じようなひょろ長の噂を聞いたら教えてほしい。

 ヌエルが頼むとジャファトはこくんと頷いて、仲間の胸を優しく撫でた。


「また、店に行くから」

「ああ」


 ジャファトが去って行って、ヌエルは天を仰いでいた。

 また探さなければならない。

 鍛冶と雲の神殿を見張っている者から報告を聞いて、ギアノの行方を探って、今夜の宿を決めなければならない。


 あの日の失敗が悔やまれてならなかった。

 どうやって抜け出したのかも、探っておかなければならない。

 もしまた捕まえたとして、逃げられてしまっては意味がないのだから。


 

 路地の奥の暗がりで、ため息を思い切り吐き出して。

 ジマシュの麗しい瞳を心に思い描くと、再び心を奮い立たせて、ヌエルは東に向かって歩き出した。


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