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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
  X8_Blocked the Passage

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99 嘘が導く(中)

 次の日、マティルデはいつもよりも早く起き、早く身支度をして、同居人の二人を急かした。


「なんだってんだい、もう少し寝かせておくれよ」


 文句を言うユレーに朝食を作らせて、急いで平らげて。

 心配する二人をよそに、マティルデは昨日よりも早い時間に家を出ていた。


 時間がかかりすぎて間に合わなかったのだから、間に合うように余裕を持てばいい。

 そう考えての行動だったが、時間帯が変わったせいなのか、通りを歩く人の数が昨日よりも多かった。

 南側に滞在する探索者は少ないし、初心者が挑む迷宮もない。

 けれど、商人は多い。荷運び人も多い。従業員もたくさん住んでいて、仕事場へ向かって歩いている。


 迷宮都市の初心者は毎日山のようにやってくる。

 街へ来たばかりの少年少女はきょろきょろとあたりを見回して、自分の目的地を知っていそうな人間に声をかける。

 まだあまり開いている店がないので、当然、声をかけやすい店員もいない。


「あの、すみません」


 三人組の少年が駆け寄ってきて、マティルデは身をすくませていた。

 

「薬草の店を探しているんです。なに商店だっけ?」

「エードの店じゃなかったっけ」

「どこにあるか知ってますか」


 頬を赤く染めて、少年たちは緊張した様子で声をあげている。

 自分に暴力を振るったワルとは明らかに見た目も話し方も違うのに。

 それでもマティルデよりも背が高く、遠慮なく近づいてくる少年たちに、体がすくんで動けない。


「わあ、きれいな人だなあ」

「おいワルカン、なにを言ってるんだい、いきなり」

「ごめんなさい、ワルカンはあなたみたいなきれいな人を見るのは初めてで」


 二人に止められているのに、ワルカンの顔はじわじわと迫ってきていた。

 鼻をすんすんと鳴らして、目をうっとりと閉じている。


「離れてちょうだい!」


 と、言えれば良いのに。「待って」でもいいし、「わからない」と答えれば会話は終わる。

 けれどマティルデはなにも言い出せないまま、その場にへなへなと座り込んでしまった。


「どうしたの!」

「大変だ。お医者はどこだ」


 ワルカンたちが騒いで、人が集まってくる。

 親切な通りすがりが医者の場所を大声で叫んだし、体の大きな髭もじゃの男が、運んでやろうとマティルデを持ち上げてしまう。


 ああだこうだと口を出す者が溢れて、医者への搬送には時間がかかった。

 大勢の男たちに手と口を出され、あわあわしたまま運ばれて。

 診てもらおうと順番を待っていた患者たちを押しのけようとしたせいで、言い争いも起きた。


 少女の意思とは関係なく、大騒ぎになってしまった。

 怒鳴り合いが始まり、医者は困り果て、患者の一人が倒れてしまう。


 混乱を極めた現場からなんとか逃げ出し、マティルデは必死になって走った。

 男の集団を見つけるたびに物影に隠れて、路地裏を進んで迷って。

 

 その間に、太陽は空のてっぺんを通り過ぎてしまった。


 

 グラッディアの盃には辿り着けず、夕方になる前にようやく帰宅。

 昨日よりもずっとしょんぼりとして膝を抱えるマティルデを、ユレーとマージが心配そうに見守っていた。


 ため息をついて、また、ため息をついて。

 右へ左へ首を傾げては、ふう、とか、はあ、とか。

 繰り返していると、女だらけの家の扉を叩く音が響いた。


「マティルデ。良かった、帰ってたんだな」


 ギアノは昼過ぎにもここを訪れていて、少女の行方がわからないことを心配し、探してくれていたという。


「いきなり声をかけられちゃって、それでちょっと」

「そうか。ごめんな、マティルデ。無理をさせちゃってたみたいで」


 アデルミラが隠す理由はないのだから、昨日も結局働いていないことはもう知られているだろう。

 今日も一切手伝いはできていないのに、ギアノはマティルデをまったく責めなかった。


「初めて会った日のこと、覚えているよな。バルディさんの店に来ただろ」

「うん」

「あの店で働いていた子と偶然会ったんだ。ティッティっていう給仕係をしていた子なんだけど、今は仕事は夜だけみたいで」


 昼間の短い時間なら手伝ってもらえそうだから、それで人手は足りる、とギアノは言う。


「菓子の売れ行きはすごくいいらしい。いっぺんにお客が来た時は、グラッディアの店の人も手伝ってくれたみたいでさ」


 軒先での販売に留めず、店でも出そうかという話になりつつあるとギアノは笑っている。

 マティルデは話を聞きながら、キャリンはちゃんとおすすめのお菓子を買えただろうかとぼんやり考えていた。


「マティルデ、自分のペースでいいからな。無理して、変なことに巻き込まれちゃ大変だから」

「マティルデには本当に優しいねえ、ギアノは」

「はは、ユレーさん。そういや無茶なお願いしたのにお礼をしてなかったな。ごめんごめん」


 ちょっと小さいんだけどと言って、マティルデには可愛らしいサイズの焼き菓子を手渡して。

 次はユレーの好物を作ってくると言い残し、ギアノは帰っていった。



 明日について、来るなとも、来いとも言われなかった。

 マティルデが行けば喜んでくれるだろうし、行かなくても責めたりはしない。

 ギアノは優しい。ユレーに言われなくても、もうわかっている。


 やっと力になれると思ったのに、行けない。

 ギアノの隣にはアデルミラやティッティがいて、忙しくても和やかに働くのだろう。

 

 菓子を睨みつけたままモヤモヤし続けるマティルデの隣に、マージがやってきて座る。


「あのさ、マティルデ」

「なあに?」

「ギアノに、聞いた?」

「聞いたって……。ああ、神官が来たかどうか? 聞かなくていいって言っていなかったっけ」

「ああ、そうか。そうだったね、はは、あたしとしたことが。ごめん、ごめん」


 マージの笑い声はぎこちなく、魔術師見習い志望の少女は口をへの字に曲げている。


「どうしてそんなことを聞くの?」

「いやあ……。なんでもないよ。変なことを言っちまったようだね」

「すっごく変よ、マージ。なにか隠しているでしょう」


 部屋の主は嘘をつくのが下手だったようで、マティルデが不自然だと問い詰めると、観念したようにこう答えた。


「実は、あたしの昔の知り合いが探していて」

「ギアノを?」

「ううん、あたしの知り合いが探しているのは神官で、その神官がギアノが知り合いなのかな、そんなことを言っていてさ」

「神官と会うのがいけないことなの? ギアノはたくさんの神官に囲まれて暮らしているわ。お隣は神殿だし、あそこには雲の神官も住んでるし」


 迷宮都市の中で最もしっかりと身分を保証されるのは、神官で間違いないとマティルデは思う。

 商人や探索者のように、激しい浮き沈みの中にいないから。

 神に仕え、教えを守り、真摯に生きる神官たちこそ、この街で最も「ちゃんとした」住人と言っていいだろう。


「ねえ、マージ」

「ううん……」


 マティルデに詰め寄られて、マージはすっかり困り果てた顔をしている。


「確かに神官っていうのは、ちゃんとした人間が多いよ。だけど探索に行くことだってあるだろう? 探索中になにか起きて、それで、なにか事情がこじれたりだとか、そういう可能性はあるんじゃないかい」

「探索中になにが起きるの?」

「そりゃあ、いろいろと起きるさ。場合によっちゃあ死人だって出るんだから。神官がちゃんと傷を治せなかったとか、いざこざがあってもおかしくはないよ」

「つまり、マージのお友達はその神官を恨んでいるってこと?」

「いや、恨んでいるかなんて、わからないけど」


 少女の鋭い瞳がマージに近づいていく。鼻先が頬に触れそうなほどに近づいてきて、ようやくスカウトの女は観念して答えた。


「詳しくは知らないんだよ。ヌウは大したことは言わなかったから。あたしが背の高い人が好きだから聞いただけみたいでね。だけど、あの子、前と違っているように思ったんだ。焦っているようにも見えたし、仲の良い誰かを探しているような雰囲気じゃなくて」


 神官とギアノの関係性もわからない。

 ひょっとしたら危険な話かもしれない。


 けれどとにかく、マージが一番不安に思っているのは、マティルデが巻き込まれてしまわないかということだったらしい。


「もちろん、ギアノは良い奴だからね。ギアノに悪いことが起きたら、あたしも嫌だよ」

「だったらちゃんと伝えるべきだわ」

「でもさ、ギアノをどうこうしようって話じゃあないみたいなんだよ。それに」

「それに?」

「ヌウも、あたしの大切な友達なんだ」


 もっと友人から事情を聞き出して、危険な話なら手を引くように説得したいとマージは話した。


「時間がかかるかもしれないけど、妙なことをしないように、あたしから言うから」

「マージはギアノを知ってるか聞かれたんでしょう? 嘘をついたの?」

「そりゃあそうだよ。ヌウの力になってやりたいけど、ギアノにも世話になってるし」


 その「ヌウ」とやらが現れるかもしれないからと、マージは夜になってから出かけてしまった。

 ユレーと二人で床に就いたものの、マティルデは頭が冴えてしまって眠れない。



 ヌウと神官、それから、ギアノ。

 穏やかな話ではなさそうだと感じたから、マージはどうにか探れないか考えたのだろう。

 直接ギアノに害が及ぶような話ではないと言うけれど。

 マティルデが巻き込まれてはいけないと思ったのなら、やはり、危険だと感じたのではないだろうか。


 マージはスカウトだから。

 常人よりも感覚が鋭い。ユレーやマティルデにはわからない気配にいち早く気がついて、二人を守ってくれる。

 三人で探索に出かけたことはない。日常の中での話だ。

 普通に暮らしているだけでも鋭いマージが、なにかを感じ取ったというのなら。


 そういえば、仲間を失った話をしていたではないか。

 パーティーを組もうと約束していた相手が、探索に行ったきり戻ってこなかったと。

 ギアノには直接関係なくても、周囲でなにか起きている可能性は? あるのではないか。

 マッデンを殴って怒られたとも言っていたし。

 思いがけないことで恨みを買っている可能性だって、あるかもしれない。



 しばらくして眠りに落ちたものの、マティルデは嫌な夢ばかり見てしまい、汗だくになって朝を迎えていた。

 いつもならパクパク食べられる朝食にも手が伸びないし、心がざわめいてしまって落ち着かない。


「今日はどうするんだい、マティルデ」


 隣の部屋からユレーが呼びかけてきて、少女は心に決めた。

 同居人に返事をしないまま、外へ飛び出し、カッカーの屋敷へと向かって走る。


 あまりよく寝られなかったから、足に力が入らない。

 朝早くても通行人は多くて、最短の道を進んでいけない。

 ところどころで隠れて、人を避けて、とうとうめそめそと泣き出している。


 この三日間の不甲斐なさが思い出されていた。

 一人で行けると嘯いて、結局一人では行けなくて、正直に話すこともできなくて。

 やっとギアノの役に立てると思ったのに。

 実際に役に立っているのは、マティルデではない「他の女の子」だ。


 道中で何度も驚き、慄き、時には転びながらマティルデは進んだ。

 誰かと一緒に、守られて進んだ時の倍以上時間はかかったが、なんとか樹木の神殿までたどり着いていた。

 目指すところはすぐ隣で、疲れ果てた細い足に気合を入れて歩き出す。


 ふらふらになって屋敷の扉に辿りつき、ようやくほっと、安心したのもつかの間。

 若者の集団がどやどやと中から出てきて、マティルデは驚きのあまりしりもちをついた挙句、声をあげて泣いてしまった。



「立てるか、マティルデ」


 わんわん泣いている間になにが起きたのか、目の前にはギアノがいた。


「こんなに汗だくになって。無理しなくて良いって言ったのに」

「だって」

「とにかく中に入ろう。みんな、大丈夫だから。行って」


 周りには若い男ばかりが並んでいて、いきなり屋敷の前で泣き出した少女の様子を窺っている。

 管理人に促されてそれぞれに散っていき、マティルデも手を貸してもらって管理人の部屋へ向かった。


「昨日のことを気にしちゃったのかな。迎えに行けば良かったよ」

「そうじゃないの」

「違うの?」

「マージの知り合いが、ギアノを探してるの」


 疲れ果てて、めそめそ泣いた後の頭はうまく働かず、説明はなかなかうまくいかなかった。

 それでもギアノはじっくりとマティルデの話に耳を傾け、詳しく話せるよう、誘導してくれる。


「そのマージの知り合いの名前はわかる?」

「ヌー」

「ヌー?」

「うん、ヌーって呼んでた」


 ギアノは首を傾げていて、心当たりはなさそうに見える。


「そのヌーが探しているのは神官だって話だけど。名前は聞いた?」

「名前は言ってなかった。……でも、背が高い人なのかも」

「背が高い?」

「マージは背の高い人が好きだから、それで聞かれたって」


 ギアノの瞳が、キラリと輝いたように見えた。

 表情は変わらなかったが、なにかに気付いたのではないかとマティルデは思った。


「心配して、こんなに慌てて来てくれたんだな。ありがとう、マティルデ」

「ねえ、ギアノ」

「俺は基本的にはこの屋敷にいて、一人になることはないんだ。隣はこの街で最も有名な探索者がまとめている、樹木の神殿だし。おかしなことなんて起きない。不安に思わなくていいよ」

「心当たりがあるの?」

「うん? どうかな。わからない。一人だけ、もしかしたらって思う人はいるけど」

「いるけど?」

「今はそれどころじゃない。今日が最終日だから、用意をしなきゃ」

 

 休んでいていいよと言われ、部屋に残される。

 確かにへとへとだし、もう眠い。疲れ果てた体が重たくて、すぐそばにあるベッドで寝転んでしまいたい気分ではあった。

 でも、ここまで来たのだから。今日はとうとう、一人で来ることができたのだから。


 マティルデが部屋から出ると、廊下には数人、屋敷に滞在しているであろう若い男たちの姿があった。

 彼らの隙間を素早く駆け抜けて、厨房へ入る。

 ギアノとアデルミラが大きな箱にお菓子を詰め込んでいて、たまらなくいい匂いが溢れていた。


「マティルデさん、おはようございます。もう落ち着きましたか?」

「うん。大丈夫。私も手伝う」

「そうか。じゃあ頼むよ。でもその前に」


 ギアノに言われて、アデルミラと共に食堂へ向かう。

 隅の椅子に座り、乱れた髪を整えてもらった。


「きれいな髪ですね」

 雲の神官の声はとても優しい。マティルデの長い髪は丁寧に梳かされ、後ろでまとめられ、最後に白い花が添えられる。

「私とおそろいですよ」


 穏やかな笑顔でのぞき込まれて、マティルデは自分を恥じた。

 自分よりも年下の女の子に、二日間も余計な労働をさせてしまった。

 ギアノと仲良くしているのが嫌だと思っていたけれど、そんな自分にもアデルミラはとても優しく接してくれる。


「ごめんね、アデルミラ」

「謝らないでください。ギアノさんから少し、事情を聞きました。今日はとても勇気を出してこられたのでしょう? マティルデさんはとても立派です」


 雲の神への祈りの言葉が聞こえてくる。

 やはり神官に悪い人間などいないのではないかと、マティルデは思う。


「さあ、準備を進めましょう」

「うん」


 台所には平たい木箱がいくつもあって、中には大好きな美味しいものがきれいに並べられている。

 つまみ食いの誘惑と戦うのは大変なことだったが、マティルデはなんとかそれに打ち克って、商品を運ぶための台車まで運んだ。

 ふんわりとしたお菓子はたいした重さではないようで、台車は思いの外簡単に動いた。


 急に用事が出来たギアノは後から来ることになり、マティルデとアデルミラの二人で店へと向かう。

 グラッディアの盃はまだ開いていないが、昼のための仕込みは既に始まっていて、おいしそうな匂いが漂っていた。

 店の人間に挨拶をして、テーブルを借り、運んできた甘いお菓子を並べていくと、すぐに女性が寄ってきてもう買えるのか尋ねてきた。


「昨日来たけど売り切れていたのよ」

「それは失礼しました。すぐに準備をしますから、もう少しだけお待ちいただけますか?」


 アデルミラの丁寧な言葉遣いと、おそらくは首から下がっている神官のしるしのおかげで、客は大人しく店の前で待ってくれた。

 噂を聞きつけたり、前日に買いそびれたのであろう女性が一人、二人と集まってきて、列を作っていく。


「あの、ギアノさんのお菓子の売り場はここですか?」

 ティッティがやってきて、二人に手短に挨拶をすませると、すぐに準備の手伝いを始めてくれた。


 そわそわとした客のために急いで準備を終わらせて。

 いつの間にか接客は主にアデルミラが請け負い、包む役をティッティがこなしている。

 マティルデがにこにこと微笑みながら立っているだけで、商品はみるみる減っていき、あっという間に残りは一つだけになってしまった。


「ああ、良かった。間に合った!」

 最後の客はキャリンで、昨日も買いそびれて、慌ててやって来たらしい。

「これってどんなお菓子なの?」

 とにかく手に入れなければという勢いだけで、最後に残っていたものがなんだかわからないまま買ってくれたようだ。

「これはね、中に甘く煮込んだ果実が入っているの。まわりは焼きたてのパンみたいにふんわりしていて、でもパンよりは少し甘くって。中の果実と一緒に食べると、ほっぺが落ちちゃいそうになるのよ」

「わあ、美味しそうね。早く食べたい!」

 キャリンはマティルデの説明に満足したらしく、うきうきした様子で店へ戻っていった。

 

「いいですね、マティルデさん。そんな風にどういうお菓子なのか、お客さんに説明できたら良かったですね」

「そっか。ギアノも味の感想を伝えてくれたらいいって言っていたわ」

「でも、説明する前になくなっちゃいました」


 昨日よりも早く売り切れてしまって、あとの仕事は残念そうな客を追い返すことだけになってしまっている。

 今日で最後だと言われて落ち込む女性たちの後ろ姿は寂しいもので、もっと続けるべきではないかと三人で話し合う。


「あれ、終わったのか。商品を落としちゃったとか?」


 ようやくギアノがやってきて、からっぽの箱が台車に載せられた光景に驚いている。


「売り切れたんです。人から美味しいって聞いて買いに来た方が多かったみたいで」

「そうなのか。そりゃあ嬉しい話だな」

「商店で働いている女の子たちはみんな寮で暮らしているから、噂が広まりやすいんでしょうね」


 ティッティは今、南側にある食堂で働いていて、店主たちが共同で用意した寮で暮らしていると話した。

 女性だらけの寮はおしゃべりの花が咲き乱れるところであり、食事と水浴び、寝る前は特に盛り上がるらしい。


「今日で終わるなんてひどいって言われましたよ、ギアノさん」

「はは、じゃあまた考えなきゃならないな。保存食もどうなるかまだわからないし、しっかり計画を立てるとするか」

「もしもお店を開くなら、雇って下さいよ」

「気が早いな。俺の本業は料理人じゃないんだよ、ティッティ」


 ギアノはこう言って笑ったが、また販売をすることになったら声をかけるとティッティに約束している。

 売り上げを確認し、それぞれに今日の労働の対価が支払われ、助っ人店員は寮へ帰っていった。


 屋敷に寄って帰らないかと誘われて、マティルデはギアノとアデルミラと共にカッカー邸へと向かう。

 頑張らせすぎたお詫びにと出て来たのは見覚えのない焼き菓子で、新しく開発されたものらしい。


 匂いを嗅ぎつけたのか、ララがやってきて椅子に座る。

 ギアノはしょうがないなと呟きながら、もう一皿用意して厨房から戻って来た。


 神官の二人が向かい合って座り、楽しげに笑いあっている。

 マティルデの向かいにはギアノが座っていて、「頑張らせすぎた」ことを優しい言葉で謝ってきた。


「ごめんな、マティルデ」

「ギアノが謝ることじゃないわ。わたし、昨日も一昨日もまともに働いていないし」

「でも、来ようとはしただろう。頑張ったじゃないか」


 結果よりもその心意気が大事なのだと管理人は言う。

 責められないで済むのも、寛大な心で評価をしてもらえるのもありがたい。

 けれどちっとも働いていないことはやはり申し訳ないし、マージの様子はどうしても気になってしまうとマティルデは思った。


「ギアノ、神官の知り合いのことだけど」

「本当に心配しなくていい、マティルデ」

「でも」

「背の高い神官なんだろう? 正直、キーレイさん以外には心当たりがないんだよなあ」

「樹木の神官長さんのこと?」

「ああ。神官の知り合いなんて、隣の樹木の神殿に仕えている人たちと、アデルミラたちくらいだから。ひょっとしたらマージの知り合いは、誰かと俺を間違えているのかもしれないな」


 誰かに似ているとしょっちゅう言われているから、とギアノは笑う。


「ラディケンヴィルスに来てから、どれだけ間違えられたか。ピアッチョだのチャレドだの、ロカは何度言っても俺のことをオーレンって呼ぶし」


 マティルデも故郷のテイバンおじさんに似ていると感じて勝手に親近感を抱いたわけだし、違う誰かの名で呼ばれているところは何度も見ていた。


「きっといつもの人違いなんだよ。マージにもそう伝えてくれ」

「そうね。わかった、伝えておくね」


 マティルデが頷くと、ギアノはにっこり笑って、話題を今日のおやつに切り替えてしまった。


「新しいお菓子はどうかな。この間、用事があって西側に行ったんだけど、その時に珍しい果物を見つけてね」

「あのお魚のお店に行ったの?」

「いや、用事があったのは他のところ。でも近かったからついでにバルディさんの店にも寄ろうと思ったんだけど、潰れちゃっててね。薬草を使うアイディアを周りの店に真似されて、うまくいかなくなっちゃったみたいだ」

「あのおじさん、どうしたの?」

「王都に行ったらしいよ。奥さんと子供が暮らしているって言ってたから、楽しくやってるんじゃないかな」


 とにかく西側に行った時に、お隣のスアリア王国から持ち込まれた珍しい果実があって、ギアノはそれを使って新たな味を生み出したらしい。

 焼き菓子の中には鮮やかな赤い果実が詰まっていて、とろりとした食感も、甘酸っぱさも初めて味わうものだ。


「すごーくおいしい! とろーっとしてて、口の中にいい匂いが残るのがいいわ」

「良かった。またあの商人のところに行って、もっとたくさん持ってきてもらえるよう頼んでみようかな」


 珍しい果実は皮が硬く、手軽に食べられるものではなくて、売れ行きは控えめであり、少ししか入ってこない分値段が高いのだという。

 

「ギアノがこのとろっとした感じにしたの?」

「ああ、煮込んだらこうなった。皮が硬いだけで、中身はそのまま食べても旨いよ」


 乾燥果実にもしてほしい、とマティルデは思う。

 大真面目な顔をしていた少女に、ギアノは優しげに笑いかけ、こんな問いかけをした。


「マティルデ、魔術師の塾には行けた?」

「……ううん。まだ、お金が貯まってなくて」

「お菓子作るのには興味はないかな。俺の作業を手伝ってくれたら嬉しいんだけど」


 手先の器用さに関して、まるで自信がない。自信がなさすぎて、答えられない。

 深刻な表情で黙り込むマティルデに、ギアノは楽しげに笑った。


「マティルデは作るより食べる方がいいか」

「そりゃあ、そうだけど」

「じゃあ、もしもまた販売をすることになった時のために、名前を考えてくれないか?」

「名前?」

「ああ。俺の菓子や保存食の店の名前」

「私が決めていいの?」

「もちろん。マティルデが一番のお得意さんだからな」


 嬉しい言葉に、マティルデはぱっと顔を輝かせている。

 けれど店の名前はすぐに浮かんでくるものではなくて、すぐにうんうん唸り始めていた。



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