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12 Gates City  作者: 澤群キョウ
21_Self‐Reliance 〈雛鳥の巣〉

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100/244

96 格下認定

「ところで、預かる子供ってなんて名前なの?」


 ろくに眠れなくても、朝はやってくる。

 レテウスはクリュに叩き起こされて、近くにある食堂に連れていかれ、一緒に朝食をとっていた。

 値段は安いが、味は悪くない。今までに味わったことのない濃い味付けは、まだ若い三男坊には嬉しい新発見だった。


「もしかして知らないの?」

 きょとんとして答えないレテウスの様子から察したのだろうか。クリュは困った顔をして、まっすぐに三男坊を見つめている。

「名前も聞いてないなんて」

「まだ会っていないのだから仕方ないだろう」

「会ってもいないの? その子のために家を用意するのに?」


 呆れた顔をしても、クリュの美しさは損なわれないらしい。

 薄青の瞳には自分の顔が映っていて、不満げな表情がはっきりと見えた。


「家探しもしなきゃいけないだろうけど、どんな子なのかわかっておいた方がいいんじゃないの?」

「それもそうだな」

「まさか、女の子ってことはないよね?」

 答えられないレテウスに、クリュはまた目を丸くしている。



 探し求めていた人にやっと会えたから、機会を逃したくないからといって、焦りすぎた。

 今更ながら反省をしつつ、クリュとともに宿を引き払い、レテウスは南に向かって歩いていた。

 もう一度ウィルフレドに会い、少しくらいは情報をもらっておくべきだろう。

 

 そう考えて訪ねた黒い壁の家には、残念ながら誰もいないようだった。

 

「探索者は留守にしていることが多いよ」

 カッカーの屋敷の管理人にも同じように言われたことを思いだし、レテウスは静かに頷いている。

「では……、どうしたらいいだろう」

「この辺りに空いてる家がないか探してみたら?」

「外から見てわかるか」

「どうかな。まあ、良さそうなところがあったら、近所の人に聞いたらいいんじゃない。どこの業者が扱ってる家か、教えてもらえるかもしれないし」

「業者というのは」

「貸家の持ち主だよ」


 すべての家が、バルシュートの店で取り扱われているわけではない。

 クリュと話しているうちに理解が進んで、レテウスは眉毛をぴくぴくと動かしている。


 小汚い通りに並んだ貸家を覗きながら歩いていく。

 住人たちは怪訝な顔でレテウスを見るが、後ろについてきたクリュに気が付くと、ぱっと表情を明るく輝かせた。

 ろくに会話もできない三男坊と違って、クリュが間に入ると話はすいすいと進んでいく。

 貸家で暮らす探索者たちは麗しい訪問者に頬を赤く染めて、ありとあらゆる質問に答えてくれる。

 おかげで、どこに空き家があり、いくら用意すればいいのかがわかった。



 下調べを終えて、昼食のために、近くにあった食堂へ。

 目の前にクリュが座っている状況が当たり前になってきた、とレテウスは考える。


 使い込まれた皿にはまだ抵抗があるが、迷宮兎の肉の味は気にならない。

 食事はそれなりの味だし腹は膨れるが、財布の中身は減る一方で、気が滅入る。


 ため息交じりのレテウスを、向かいに座るクリュがじっと見つめているが、会話はないまま食事は進んだ。


 安い宿に安い飯のままならば、レテウスの財布はすぐに空になることはない。

 空になる前に、資金を用意する方法を探さねばならなかった。

 

「金を稼ぐ良い方法はないのだろうか」

「探索の達人の仲間に入れてもらえれば早いかもね」

 クリュは楽しげに、ウィルフレドと一緒に行ければかなり稼げるのではないかと笑う。

「そうか」

「冗談だよ。レテウスには無理」

「戦いならできる。探索に必要な人員がいれば、高価なものを手に入れられるのだろう?」

「浅いところを一回歩いた程度じゃあね。罠にかかってすぐ死んじゃうよ」

「罠で死ぬのか?」


 レテウスは迷宮に興味がなく、探索の話に真剣に耳を傾けたことはない。

 だが、地下には罠が仕掛けられており、探索者たちがそういった危険を乗り越えて進んでいるくらいは知っている。

 

「矢が出てきたり、落とし穴があったりするのだろう」

「良かったね、レテウス。うっかり『黄』に入ったりしなくて」


 小馬鹿にされた気がして、三男坊はすっかり気を悪くしていた。

 だが、ここでクリュと喧嘩別れをしてしまっては、またひとりになってしまう。

 貸家街の住人はレテウスに良い顔を見せなかったし、街を歩いていても避けられているように感じていた。

 調査団は頼れないし、キーファンにはこれ以上迷惑をかけられない。


 この街では「仲間」はすぐに見つけられるというが、彼らとレテウスの目指すものは違う。

 貸家を用意して子供を預かりたいから、協力してほしい。

 こんな話を真剣に聞いて、共に悩んで、力を貸そうと考えてくれる人間などいないだろう。


「ちょっと……、いいだろうか、サークリュード」

「なあに」


 すっかり滅入ってしまった気持ちを晴らしたくなって、預けた愛馬のもとへと向かう。

 コラス・ヘルドの屋敷の場所を教えてもらい、訪ねてみれば、馬好きの商人はレテウスを大いに歓迎してくれた。

 街の南側に作ったという牧場へ連れていってもらい、元気そうな姿に久々の安堵を覚えている。


「それ、レテウスの馬なの」


 客人の麗しい連れ、というポジションのお陰で、クリュも手厚くもてなされていた。

 大きな椅子にゆったりと座り、香りの良いお茶を振る舞われ、にこにこと笑っている。


「ああ。十三になった時に父上から贈られたのだ。それ以来、もう五年も世話をしてきた」

「レテウス、十八歳なの?」

「そうだ」


 用意を済ませて、しばし愛馬との時間を過ごす。

 広々とした草原を駆けていると気分はスッキリしてきて、時折目に入って来たクリュとコラスが話している様子などまったく気にならなかったのだが。


「ねえ、五万シュレールで買ってくれるって」

 馬から降りた三男坊を、クリュの輝く笑顔が出迎える。

「なにを?」

「あの馬を」

「まさか、売ったのか?」

「ううん。レテウスのものだから、レテウスの許可がいるって言われた」


 馬鹿なことを、と三男坊は怒る。

 だが、クリュは涼しい顔でレテウスを見つめていた。


「家がいるんだろ。レテウスはちまちま稼ぐのは嫌なんだから、あの馬を売れば良いよ」

「嫌などと言ったか、私が」

「探索なんか自分のやることじゃないとか、剥ぎ取りなんて気持ち悪い、やりたくないって」


 他に実入りのいい仕事は建築の現場、薬草の採集などがあるが、いきなり大金を手にできるものではない。そもそも、そんな労働をレテウスがするとは思えない。

 一気に資金を得たいのだから、必要のない馬を売れば解決、というのがクリュの意見のようだ。


「四万って言ってたんだぞ、最初は。俺がいろいろ話して、五万まであがったんだ。五万もあれば貸家は用意できるよ」

「あれは父上から頂いた」

「馬なんてあと何年かで死んじゃうだろ」

「サークリュード」

「それとも、レテウスよりも長生き?」


 当然、自分よりも長寿なはずはない。

 家を追い出され、王都での勤めも最早ないレテウスに、馬が必要なのかと言われれば、ない。ないのだが。


「こんないい話は今だけだよ。いつまでもタダで預かってもらえるわけがないんだから」

「なぜそう思う?」

「赤の他人の為にずっと世話してくれるはずないじゃないか。預けっぱなしにしてたらそのうち、無料で世話なんかできない、この馬はもらうって言われちゃうに決まってる」

「コラス殿がそんなことを言うだろうか」

「あの人、商人だよ。得にならないことなんてやらないよ」


 クリュの言葉に納得はいかない。

 だが、反論ができない。

 嫌だ以外の意見が、浮かんでこない。


「金には余裕があった方がいいだろ、レテウス。家を用意できたからって、それで終わりじゃないんだから」

「なにが終わらないんだ」

「食事は毎日必要だし、身の回りのものを揃えるだろ。子供の分もだけど、レテウスだってなんにも持ってないんだし。家賃だって、そのうち毎月請求されるようになる」


 クリュの声はすべてきっちりと届いていたが、三男坊が理解するには随分時間がかかった。

 それでもひとつ大きな気付きを得て、レテウスは麗しい相棒をまっすぐに見つめた。


「みんなわかるのか」

「わかるって、なんの話?」

「見知らぬ子供を預かるために家を借りるなど、あまりない話だと思うのだが」

「そりゃあそうだね」

「サークリュードにもそんな経験はないのだな」

「当たり前だよ。なんの話なの、レテウス」


 家の用意も、子供の預かりもしたことがないのに。


「ブルノー様は、この街にやって来た若者なら皆、家を用意したり、他人の面倒を見るくらいはできると言ったんだ」


 大真面目なレテウスの声に、クリュの表情はみるみる曇っていく。


「いや、家の準備は大変だよ。他人の面倒なんて見たくはないし」

「やはり、できないな?」

「ん-。明日すぐにやれっていう話なら無理だけど、時間がかかってもいいなら、ちょっとずつやっていけばいつかはできるんじゃない?」

「ちょっとずつ?」

「あれはやだとか、絶対にやらないとかさ。贅沢言える身分じゃないんだよ、俺たちは」


 レテウスとは違ってね、とクリュは呟いている。

 唇をつんととがらせた顔は愛らしく、遠くから二人の様子を見ていたコラスが、うっとりと目を細めている。


「サークリュードが今の私の立場だったら、馬を売るか?」

「売る。地道にやってたら何年かかるかわからないだろ。その間に子供は大きくなっちゃうし」


 一気に解決できる方法があるのは幸運なことだとクリュは言う。

 大真面目に、草原を駆ける馬へ目を向けたまま。呆れたような口調だった。


 確かに、成長すれば保護者は必要なくなる。

 ブルノーだって、いつまでも待っていてはくれないだろう。


「俺なら、その腰から提げてる剣も売るね」


 魔法生物と戦うために武器は必要でも、豪華な装飾品はいらないから。

 風が吹いて来て、今度はにやりと笑ったクリュの長い髪が、ひらひらと靡いて踊る。



 相棒の手を取り、レテウスは決意をしてコラスのもとへ向かった。

 商人は満面の笑みを浮かべており、馬の買い取りの話に随分喜んでくれた。


「良かったな、レテウス」


 馬好きのコラスはクリュを随分気に入ったらしく、話の間中目を向けていたし、良ければ自分の店で働かないかともちかけていた。

 麗しい探索者はまんざらでもない顔をして返事を保留していたのに、街に戻ってから「働くわけないのにな」と笑い飛ばしている。


「コラス殿の店で働かないのか」

「嫌だよ、あんな目で見てくる奴の下で働くなんて。なにをされるかわかりゃしない」


 馬の譲渡に関する約束については文書にまとめてあり、代金は後日受け渡すことに決まった。

 また適当に選んだ安い宿に泊まって、次の日は貸家の業者をめぐり、代金の確認をして。

 

 候補を三軒まで絞り、あとは交渉をして決めるだけになっていた。

 

「ところでさ、レテウス」

「なんだ、サークリュード」

 何度目かの二人の夕食が終わり、騒がしい食堂の一番奥の席で。

「ここまで協力したんだから、借りた家に俺も住まわせてくれよ」

 クリュにこう切り出され、レテウスはしばらく答えに悩んだ。


「駄目?」


 即答できずに悩んでしまった理由は、この後の暮らしについてまだなにも考えていなかったからだ。

 資金はすべて負担するのだから、誰が住むのかは、家主であるレテウスが勝手に決めていいはずだ。


 ここで三男坊は、珍しく頭を働かせ始めていた。


 家を用意したら、次に取り掛かるのは「子供の預かり」。まだ名前も性別もわからない、十一歳を迎え入れる。


 二人で暮らせるのかどうか。

 残念ながらまったく想像がつかない。


 買いそろえなければならない物がいろいろとあることはわかるが、具体的になにがいるのやら。

 掃除だの、洗濯だの、任せられる人間が欲しいところだが、探したり頼んだり、うまく交渉できるか自信がなかった。

 いや、交渉などできやしない。ここまで、交渉相手と話してくれたのはすべてクリュだった。彼が微笑んだり、首を傾げたりすることで、あらゆる値が下がったし、サービスを受けられるようになっている。

 自分が話してもただ要望が伝わる程度であり、どうしてこんなに差があるのか不思議だった。

 つまり、どうやれば話をうまく進められるのか、レテウスはわかっていない。隣で見ているのにヒントすら掴めていない。


 クリュは家の代金を出さない。

 だが、いてもらえばきっと助かるだろう。

 

「駄目ではない」


 他にもっと協力的な誰かが現れる可能性はない。

 この数日で何人もの迷宮都市の住人と話したが、手ごたえはゼロだ。

 隣にクリュがいるから、すべてうまくいった。自分だけの時とは明らかに態度が違うと、コラスとの交渉の時に気が付いていた。


「やった。ありがたいな。困った時は助けてあげるから」


 手を取り合って、同居が決まる。

 関係はまだ浅く、不安がないわけではない。

 けれど、今はこれ以上良い方法はないだろう。




「驚きましたな、こんなに早くに来ると思っておりませんでした」


 近くに貸家を用意したと報告しにいったレテウスに、ウィルフレドは笑みを浮かべている。


「ではレテウス殿、預かって頂きたい子供を、今から迎えに行ってもよろしいか」

「こちらにいるのではないのですか」

「ええ、街の中央にある、魔術師の屋敷にいるのです」


 クリュは貸家に残っており、掃除をしているはずだ。

 まずは寝床の準備をしておこうと決めており、麗しい探索者には一日家事を請け負ってもらっている。


「では行きましょう」

 憧れのブルノーの背中を追って、レテウスは歩き出した。

 街の南側へ向かい、西へ曲がり、「紫」の迷宮があるという穴へ向かう。

「レテウス殿、預かってもらう子供ですが、名前はシュヴァルといいます」

「シュヴァル。男の子ですか」

「ええ。彼はいろいろとしでかしたので、保護が必要です」

「しでかした?」

 ウィルフレドはきれいに切りそろえた髭を撫で、ふっと笑いを漏らしている。

「あなたのような人物に託せればと思っていました」

 これは誉め言葉のように思えて、レテウスも笑みをこぼしてしまう。

「この街のあらゆる店で、彼は一人で出入りすることが許されていません。目を離さず、必ず行動を共にしてください」

「必ず?」


 シュヴァルという少年は一体なにをしでかしたのか。

 レテウスは困惑していたが、目の前に唐突に扉が現れ、そちらにも驚かされている。


「こちらです」


 木箱の隣に現れた扉の先は、ごく普通の部屋に繋がっていた。

 レテウスが視線を走らせると、右側にベッドがあり、美しい少年が寝そべったまま顔をしかめている。


「いつもいきなり来るんだな、ヒゲオヤジ。今日はなんだ、息子でも連れて来たのか?」

「元気そうでなによりだ」

「わざわざ嫌味を言いに来たのかよ」

「いや、住む場所を用意できたから、迎えに来た」

 シュヴァルは目を大きく見開いて、ウィルフレドとレテウスの顔を順番に見つめている。

「迎え?」

「レテウス・バロット殿だ。これから彼が君の世話をしてくれる」

「お前じゃなくて、そっちの眉毛が?」

「ああ。いい機会だから、読み書きや計算、言葉遣いなどを教わるといい」


 少年は顔をくしゃくしゃにしかめて、そっぽを向いてしまった。

 とても仲良くやれそうになく、レテウスもすっかり青ざめている。


「ブルノー様」

「ウィルフレドです」

「……ウィルフレド様、彼は一体どういう子どもなのです?」

 肩に手を置かれ、部屋の隅へ押しやられ。

 ウィルフレドはレテウスにぐっと顔を近付けて、こう囁いた。

「とても大切な方の息子なのです。不幸なことがあって、あまり良い暮らしをしてこれませんでした。決して目を離さず、絶対に死なせないように」


 最後は消えいるような声で、頼みます、と続いた。

 ブルノーの依頼は思いのほか深刻なもののようで、では、絶対にやり遂げなければならないだろう。


 胸の中で強く誓って、レテウスはベッドに向かって進み、膝をつく。

「私はレテウス・バロットだ。よろしく、シュヴァル」

 返事はなかったし、差し出した手は足で蹴り飛ばされてしまった。

 ウィルフレドの前で怒るわけにはいかない。レテウスは精神力を振り絞って耐え、魔術師の屋敷を後にした。





「お帰り、レテウス。え、その子は例の子供?」

「おい眉毛。お前、もう女を連れ込んでるのかよ。いやらしい顔をしてると思ったぜ」


 あとで様子を見に行くという約束でウィルフレドと別れ、貸家へ戻るなり、早速争いが始まっていた。


「俺は女じゃないよ」

「女じゃない?」

 シュヴァルはクリュの胸を掴んだり叩いたりした挙句、股間にも手を伸ばして遠慮なく「確認」をしている。

「なにするんだよ!」

「本当に女じゃないのか。ふうん、眉毛、お前。……ふふっ」

「レテウス、ウィルフレドって人から預かるの、本当にこの子で間違いないのか?」


 あの摩訶不思議な扉をくぐって一緒に迎えに行ったのだから、この子供で間違いはないだろう。

 シュヴァルほど幼い少年は、迷宮都市では珍しい。

 ウィルフレドがわざわざ偽の子供を用意するとは思えない。だが、クリュが文句を言う気持ちはよく理解できた。


「シュヴァル、これから私が君の世話をする。ウィルフレド様から頼まれた通り、必ず共に行動をするからな」

「お前、あのヒゲとどういう関係なんだ。変な名前で呼んでいたよな?」

「あの方をヒゲなどと呼ぶんじゃない」

「あいつはヒゲで、お前は眉毛だろ」


 クリュを指さして、こいつはオンナだな、とシュヴァルは下品に笑う。

 麗しの同居人はよほど腹が立ったようで、外へ飛び出していってしまった。


「サークリュード、どこへ行くんだ」


 シュヴァルを置いていくわけにはいかず、レテウスは仕方なく中へと戻った。

 口汚い少年は家中を見てまわっているようで、三男坊も少し離れたところから様子を窺っている。


「あいつと暮らしてんのか、眉毛は」 

「さっき出ていってしまった者の名は、サークリュードだ」

「オンナでいいだろ」

「サークリュードは女ではない」

「知ってるぜ。確認したから」

「君の話し方はとても不愉快だ」

「俺もお前みたいな気取ったしゃべり方は嫌いだよ」


 少年はくるりと振り返って、気が合うな、とニヤリと笑った。

 レテウスではとても太刀打ちできる相手ではなさそうだし、クリュが戻ってくるかどうかも不安で仕方がない。


 シュヴァルは家の中を見て回り、ありとあらゆるものにケチをつけている。

 シケているとか、ボロだとか。レテウスとしても同じ思いではあるが、少年はとにかく言葉が汚く、態度も悪く、耐えがたい。


 ブルノーが託してくるのだから、おとなしく知的で、さぞ品のある子どもだろうと思っていた。

 はっきりとそう考えていたわけではないが、そんな風に楽観していたのは間違いなかった。


「なあ、着替えたいんだけど」

「着替え、は……」


 昨日クリュと二人で買い物に行き、いくつか服も用立てたはずだった。

 同居人は働き者だったらしく、入り口そばに積み上げていたはずのあれやこれやはどこかにしまわれてしまったようだ。

 レテウスは小さな個室をひとつひとつ覗いて、ようやく衣類を発見して子供のもとへ戻る。


「シュヴァル?」


 玄関から入ったところにある大部屋にいたはずが。

 椅子に座って足をブラブラさせていたはずのシュヴァルが見当たらない。


 大慌てで外へ飛び出すと少年が立っていて、扉の当たった大きな音に体をすくませていた。


「うわ、びっくりした」

「驚いたのはこちらの方だ。何故勝手に外に出たのだ」

「暇だったから」

 遠くへ出て行ったわけではないのだから、文句を言われる筋合いがないとシュヴァルは言う。

「外の空気を吸うくらい、いいだろ。駄目なのかよ」

「いや……、いや。そんなことはない」

「服一枚出すのにお前がモタモタしてるから」

「君が待っていてくれれば」

 

 ふん、と鼻を鳴らして少年は家に入っていく。

 なにがなんでも脱走してやろうという気はないのだろうか、とレテウスは考える。


「しょうもねえ服だな」

 シュヴァルには少し大きかったようだが、用意した服はちゃんと着てもらえた。

 脱いだ薄紫色の服はレテウスに投げつけられて、なんともいえない香しい匂いに包まれる。

「腹減ったんだけど」

「ああ」


 ああ、と言ったものの、だった。

 少しくらいは用意した方がいいと提案されて、鍋だの皿だのは購入してある。

 だが。

 そこから先は未知の世界だ。


 レテウスが調理場を覗きにいくと、鍋には必ずなんらかの料理が入っていた。いい香りがして、わくわくさせられたものだった。

 あの中身はどうやったら完成するのだろう?

 わからない。頼みのクリュも戻って来ない。


「おい、眉毛。どうしたんだよ」

 小さなかまどの前で立ち尽くすレテウスのもとに、シュヴァルがやってきて顔を覗き込んでくる。

「鍋がどうかしたのか」

「いや、どうもしない。……から、困っている」

「はあ?」


 シュヴァルの顔はクリュと少し似ている、とレテウスは思った。

 丸い輪郭はまだ子供らしさが残っていて、目が大きくくりくりとしていて愛らしい。

 髪の色は落ち着いた栗色、瞳は深い青色で、クリュのような魔性は感じられないのだが。

 それはつまり、白金の細い髪と、あの凍った湖のような薄青の瞳の色がそう思わせているということなのか。


「お前、変だぞ。大丈夫か?」


 目の前でぱたぱたと手を振られて、レテウスは現実に引き戻されている。


「ぼけっとしやがって。随分と見掛け倒しなんだな、眉毛は」

「随分酷いことを言う」

「誰にでも喧嘩を売りそうな顔をしてる割に、あわあわしてるしバシっと答えないし、図体がでかい癖に、頼りねえ野郎だぜ」


 罵詈雑言の連発に力が抜けて、鍋を取り落としてしまう。

 シュヴァルは驚いた顔をしたものの、落とし物を拾い、かまどの上に置いた。


「おい、眉毛」


 視線だけを動かし、レテウスはシュヴァルを見つめた。

 なにも言わない大男の様子をどう思ったのか、少年は三男坊の尻をばしんと叩くと、椅子に座るように言う。


「なんだっけ、名前。レテウス?」

 シュヴァルもすぐ隣の椅子に腰を下ろし、二人は並んで座っている。

「ああ。レテウス・バロットという」

「お前、なんで俺の世話を引き受けたんだ」

「ブルノー様に頼まれたからだ」

「ブルノーって、あのヒゲのことか」

「あの方をヒゲなどと呼んではいけない」

「ウィルフレドってんだろ、あのおっさんは」

 そうだ、とレテウスは頷く。

 意気消沈した三男坊を、少年はじっと、憐れむような目で見つめている。

「なんで鍋を落とした。どこか悪いとこでもあんのか?」

「悪いとこ?」

「痛いところがあるのか? 怪我でもしてるのか」

「いや、怪我などはしていない。至って健康だ」

「じゃあ、なんで?」

 

 シュヴァルの視線はまっすぐ、レテウスの瞳のど真ん中に向けられている。

 失礼極まりない荒々しい子供だと思っていたのに、その目の強さに心が負けてしまった。

 レテウスが困り果てた理由はすべて明かされ、今度は少年の方が困惑している。

 

「鍋の中身がなんだって?」

「だから、鍋の中身がどうやったらできるのかがわからないんだ」

「中身って……。料理すりゃできるだろ」


 正直な告白に、シュヴァルは呆れを通り越して驚きの表情を浮かべている。


「料理人がなにかしている、あれのことか」

「見たことないのかよ」

「見たことならあると思うのだが」

「材料を切ったり、火にかけたりして作るんだ」


 料理人の仕事を見かけたことなら、きっとあると思う。

 だが、彼らがなにをしているのか、興味を持ったり、考えたことがなかったのだろう。


 シュヴァルは腕組みをしたまま黙り込み、レテウスは動けない。

 どうしたらいいのかがまたわからないと気づいて、更に深みにはまっていく。

 謎の沈黙に支配された貸家を救ったのは、扉を叩く音と、それに続いて聞こえた声だった。


「ウィルフレドです」


 レテウスが立ち上がっている間に、シュヴァルが走っていって勝手に扉を開いてしまう。


「おい、ヒゲオヤジ!」

「食事を持って来たぞ」

「それどころじゃねえよ。こいつは駄目だ。俺、この眉毛と一緒に暮らすなんて嫌だよ!」


 矢継ぎ早に繰り出された自分への苦情でレテウスの心は粉々に砕かれる寸前だ。

 来客の戦士は穏やかに少年を止めてくれて、とりあえずは家の中へ。


 テーブルにみやげの「食事」が並べられて、話は後にまわされることになった。

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