秋の終わりに
アメリカの農場の様子を少しでも感じて頂けると嬉しく思います。
ああ、今年も秋の終わりの風が吹く。
まだほのかに暖かさを感じる太陽の日差し、その中に肌を刺激する冷たい風が吹く。
昨年までは大きな街でサラリーマンをしていたが、父さんが亡くなったと聞いて、この農場に帰ってきた。
草の匂い、木の香り、そしていつもどこからか風が吹いてくるこの農場に。
薪ストーブに使う木の薪割りの手を休めた。
この季節になると、いつも僕が思い出す出来事がある。
あれは、僕がまだ小学校二年生の頃の話だ。
僕の家は山の上にある飼料用のとうもろこしを作っている農家だった。
秋の終わりになるまでの間、農場に住んでいる人たちはみな忙しい日々を送る。
飼っている家畜の冬支度、冬用の牧草ロールを作る、畑を休ませるために藁をしいたりとやることがたくさんある。
僕のうちでも、数頭いる牛のために牧草ロールを既に作った。
家族が忙しく作業している間、子どもの僕はかまってくれる人もいないので、自分なりの楽しみを見つけないとならない。それが田舎、農家で暮らす家族の子どもの宿命みたいなもんなんだ。
先月の誕生日にそんな僕を気遣ってなのか、お父さんは小さな双眼鏡をプレゼントしてくれた。
決して高価なものではなかったけれど、秋の終わりの忙しい時間に一人の楽しみを作るには充分な代物になった。
双眼鏡で山を見ると、稀に七面鳥を見つけたり、鹿を見つけたりすることがある。僕に見られていることを知らない野生の彼らは、とても生き生きとした生活の様子を見せてくれる。
時に、うちの山から見える他の農場の家畜の出産が見えたりすることもある。
双眼鏡は、小さく新しい世界を毎日僕に見せてくれた。
ポーチから見える反対側の山には、農場があった。
そこには、青い屋根の家が建っていた。
ある時、僕がその家の周辺を覗いてたら、金色の藁草の海の中に女の子の姿があった。
ピンクのリボンのついた麦藁帽を被っている。
後ろ向きしか見せない少女は、時折手を誰かに振っているようにも見えた。
かわいらしい紺の吊りスカートが秋の風になびくたびに、僕の心をどきりとさせた。
「こっちを向いてくれたら、手を振ってあげるのに……」
少女が僕の方を向いてくれるといいなとずっと思っていた。
ある日の夕方、お父さんが少女がいる農家に飼料用のとうもろこしを届けるというので、一緒に車に乗り込んだ。
「あの少女に会えるかもしれない」という大きな期待で心は満ち溢れていたので、途中の変わり映えしない山道さえも退屈を感じなかった。
農場に着くと、お父さんは農家のおじいさんにとうもろこし飼料の大きなバックを渡し、二人で他愛無い話しを始めた。
僕は彼らから離れて、おじいさんの農場を見渡した。
彼女がよくいると思われる場所に走っていき、彼女を探してみた。
どこにも人はいなかった。
お父さんのところに戻って、おじいさんに女の子がいるかどうか聞いてみようと思っていた矢先、視線の外れにピンクのリボンが揺れているのが見えた。
「あの少女だ……!」
辺りはもう暗くなってきていた為に、すぐに見つけられなかったのだ。
僕は腰の高さまである藁草を飛ぶように走った。
彼女を目の前に何を言うのかも考えていないのに、心はときめいていた。
数メートル手前まできて、僕は頭をトンカチで殴られたような衝撃を受けた。
カカシだ……。
僕は女の子の格好をしたカカシにときめいていたんだ。
「バカだな、僕って…」
そう呟きながらも、僕は目は涙でうるんでしまっていた。
小さな双眼鏡が見せた小さな喜びだったのに、思いのほか自分が落胆しているのがわかった。
僕がカカシの前でたたずんでいると、お父さんとおじいさんがやってきた。
「よく出来てるだろう?彼女は今年充分に仕事をしてくれた。彼女のおかげで農作物は獣にあらされることはなかったんだよ」
おじいさんはそういうと僕の肩を軽く叩いた。
僕はうつむいたまま頷くしかなかった。
「彼らの仕事はな、人間として見えることなんだ。そうすることで畑を害獣から守ることなんだよ。彼女が人間に見えるようにって毎年作るんだよ。彼女は畑の守り神のような存在なんだよ」
僕はただ、風に揺れるスカートの裾を見つめ続けていた。
僕らは、おじいさんが作った野菜を車に載せて家に向かった。
その夜、僕は夢を見たんだ。
カカシの彼女が、後ろ向きで立っている。
金色に輝く草の波が風にゆれ、彼女は僕に手を振っていた。
そして僕にこういったんだ。
「あなたを落胆させてごめんなさい。そして、私を人間だと信じてくれてありがとう。誰かが、何かが私を人間だと思うことで、カカシとしての仕事を立派に勤めることができたの。私はあなたに感謝することで、今年の自分の努めを終えることができるわ。ありがとう」
彼女に会いたいと思った僕の不純な気持ちとは反対に、カカシの彼女はとても誇らしげに見えた。
翌日から僕の農場でも秋の終わりを告げる仕事を始めた。
目覚めた僕は、うちの庭で仕事をしていたカカシを取り外しにいった。
僕が昨夜見た夢のせいなのか、来年はもっと人間らしく見えるように作ってあげようと思ったんだ。
地面に刺さっている棒を力一杯引き抜いて、棒の刺さっていた穴をきれいに塞いだ。
この世にあるものは、必ず何か役目がある。
小さな仕事でも、人から嫌がられる仕事でも、それを懸命に成し遂げようとする人がいて、感謝する人がいるんだ。
子どもの自分にも、そんなことが見えたような気がしたんだ。
僕はカカシに声をかけずにはいられなかった。
「今年も立派に仕事をしてくれて、ありがとう」と。
まるで昨日のことのように思い出せる、この農場での僕の思い出。
父さんは亡くなってしまったけれど、僕はこの地に帰ってくることで人間らしさを取り戻していくような気がする。
さてと、もう少し薪割りを続けるか……。
汗で湿った僕の額に、冬の到来を告げる冷たい風が吹いた。
誤字を訂正しました。浅川さん、ありがとうございます。