12月第5週(1)~年末~
私の愛すべき目覚まし時計は今頃雪に埋もれているだろう。いやそれ以前に黒こげか。
浅井家での居候生活も早一週間。服は愛美さんのものを借りることができたので不便することなく生活できているものの、そろそろ心苦しい。しかし家もなく、両親も出張先から帰って来ないという現状において、私はこの家にお世話になるしかない。どれだけお世話になっているんだ私は。
しかしそれ以上に気がかりなのは、浅井君のこと。
結局先週から連絡は途絶えたままだ。
そろそろ捜索願を出しても良いのではないかと思うが、今出しても意味がないとも思う。
だって探してくれる人がいないから。
テレビの中の出来事だと思っていた。
だけど、そうじゃなかった。
一つの国が、終わるかもしれない。
正直今の私には状況が理解できない。今どうなっていて、これからどうなっていくのか。私はどうなるのか。私の両親は、浅井君は、宏美は、田中君は…。
浅井君のベッドの上で、私は膝を抱えて丸くなっている。2週間主を失った枕は、もう私の匂いが染みついてしまったことだろう。
時間が、浅井君を消していく。
私の中で、浅井君の輪郭が滲む。
ねぇ、浅井君。
そこにいない、浅井君に話しかける。
もう過ぎちゃったけど、クリスマスプレゼントちゃんと準備してる?
時効なんて甘い考えは通用しないから。
私だってちゃんと準備したんだよ。
ほら、欲しがってた手袋。
あ、グローブって言えって言ってたっけ?
なんでそんなところに細かいのか全然わかんないけれど、まぁ許してあげる。
だってほら…。
息が漏れる。目の前が滲む。
浅井君、誕生日だから…ね。
あぁ何やってるんだろう私。
私は丸く畳んでいた体を伸ばして、仰向けになる。
目尻から水滴が溢れ、顔を撫でていく。
寂しい。
静かだった。聞こえるのは、自分が鼻をすする音と、息を吐く音だけ。
なんでだろう、どうしてこんなに静かなんだろう。
浅井君の部屋をぐるりと見渡す。滲んだ世界に目を凝らす。
辞書と教科書しかない本棚。何故か1体だけ置かれているロボットのプラモデル。車とバイクの雑誌が山積みになっている学習机。…こっちに教科書置けよ。
エロ本も、AVも、グラビア雑誌も、同人誌もない。
ない。
…ない?
そうだ。この部屋には。
時計がない。
壁掛け時計も、卓上時計も、目覚まし時計もない。
あの手帳男は体内時計であれだけ正確な生活を送っているのか。
時計。それは束縛と責任の象徴。
それがない。
時計がない、という事実。それが何を意味しているのか。私は仰向けになったままぼんやりと考える。時計がなかったらどうなるだろう、と考える。実際は何の意味もないのかもしれないが、考える価値がある気はした。推理開始。
「わからんわ!!」
終了。
30秒程考えて、私は早々にこの問題を投げ出すことにした。第一時計がないというヒントくらいで大きな進展があるわけがない。それに浅井君だって携帯を持っているのだから、それを見れば時間くらいわかる。
何か大発見をしたような気になっていたが、そうでもないような気がしてきた。これくらいのことではストーリーは進まない。事件の計画を書いたメモの切れ端がどこかに落ちてるとか、都合の良い展開がなくては…。
私は体を捻ってうつぶせになり、枕に顔を埋める。止まりかけた涙が、再び勢いを取り戻す。
あの男、ドジっ子要素が足りない。少しくらいヒント残しとけっての。
「…ゆ、き、ちゃん!!」
「ひゃあ!!」
何だか悲鳴が滑稽になってきたが、まぁ許してほしい。理由は言うまでもないだろうが、痴女が襲いかかってきたからだと一応説明しておく。
「うん、やっぱりお尻も最高だ!」
「その手つき常習犯か!!」
人生で最も俊敏に体を動かした瞬間だった。瞬時に体を起して、痴女の方に向き直る。
「だから何やってるですか!!」
「いや女の子もありかなって…」
「もう笑いごとではすみませんね。」
痴女、否、愛美さんの言葉に私は真顔で答える。
「あら、目が赤いわよ?」
「あ、いや…これは…」
そう言っておどおどする私を見て、にやにやと笑みを浮かべる愛美さん。
しかし瞬時に真顔になって、私に問いかけてきた。
「優希ちゃん、私たちが啓司をどうしてもっと必死になって探さないのかな、と思ってない?」
「え、いや…」
突然の質問で、私は返事に困った。愛美さんは続けて言う。
「実はね、私たちもこそっと探しているの。なんでこそっと探してるのかと言えば、それは啓司に自分が探されてるって思わせないため。あの子、気を遣うところ少しおかしいからね。もし啓司が、自分が探されていることに気付いたら、きっとすぐに帰ってくると思う。けど、またすぐに出ていくでしょうね。『また出かけるから』とか言って。だから、啓司が何をしようとしてるのか見極めないといけないの。いつもはすぐに何をしようとしてるのかわかるんだけど。ちゃんとしたことしてるなら放っておくし、余計なことしてるようなら力づくで連れて帰って来る。そんな感じ。」
そこで愛美さんは呆れたように溜息を吐く。
「だけど今回はかなり手が込んでるわね。正直そろそろ限界。次で何もわからなかったら、もう心当たりはなくなるわ。DEAD ENDね。」
私は黙って話を聞いていた。やっぱりこの人たちは浅井君のことを愛してるんだ。だから待つこともできるし、行動することもできる。
「ねぇ、優希ちゃんは啓司のこと好き?」
「…ふえ?」
突然の質問に、よくわからない返事をしてしまった。どれだけ動揺してるんだ私。
「どうなの?」
愛美さんが顔を近づけてくる。前から思っていたけれど、この人凄く美人だ。なんで変態なんだ。残念な美人なのか。いやむしろ変態のほうが重要なのか?
なんて考えてるのは照れ隠しで。
「好きです。好きすぎて生きてるのが辛いです。」
変態だとか美人だとか考えながらこんなことを言うとは、私も充分残念だな。
「うん、そうかそうか。」
愛美さんは満足そうな顔をして、顔を遠ざける。美人が遠のく。
「それじゃあ、一緒に行く? 手掛かり探し。」
愛美さんはキリッと笑顔を見せて、私に問いかける。私は即答する。
「行きます。連れて行ってください。」
「ふふ、そう言ってくれると思ってた。じゃあ早速行くわよ。ガレージまで降りてきて。」
そう言って愛美さんはすぐに踵を返す。
そんな気楽に言うものだからてっきり私は車で行くんだろうと思っていたのだけれど、どうやら私は考えが甘かったらしい。そもそもこの人が浅井君を圧倒する姉なんだということを忘れていた。
「……」
「どうしたの? 早く乗って。あ、そっか。はいヘルメット。」
これ、ハーレーじゃないですか?




