『謝れない人』
約束の日の夜、彼から連絡は来なかった。
「今日、連絡するって言ったよね」
翌朝、私がそう言うと、彼は少し眉を寄せた。
「いや、昨日は本当に忙しかったんだよ」
謝罪より先に、それが出た。
私は黙って彼を見た。
「……そうなんだ」
「それに、昨日の昼にも一回連絡しようと思ったんだけど、仕事の電話が入ってさ。終わったらもう遅い時間だったし」
「うん」
「別に約束を破ろうと思ってたわけじゃないよ」
「うん」
彼は少し安心したような顔をした。
自分の説明が、私に届いたと思ったのだろう。
「だから、そんな責められるようなことじゃないと思うけど」
その言葉を聞いて、私はようやく分かった。
この人は、私に謝っているんじゃない。
自分を弁護しているのだ。
「私、責めてるんじゃないよ」
「じゃあ、何?」
「約束を守れなかったことについて、ごめんって言ってほしかっただけ」
彼は黙った。
そして、少し困った顔をした。
「でも、本当に仕方なかったんだよ」
また、それだった。
仕方なかった。
忙しかった。
そんなつもりじゃなかった。
悪気はなかった。
彼の口から出てくる言葉は、いつも自分を守るためのものだった。
私はふと思った。
この人にとって「ごめん」は、関係を修復する言葉ではないのかもしれない。
「自分が悪かった」と認める、危険な言葉なのだ。
だから先に理由を並べる。
理由があれば、自分は悪くない。
自分が悪くなければ、謝る必要もない。
そうやって、いつも自分を守ってきたのだろう。
「分かった」
私はそれだけ言った。
「分かってくれた?」
彼は嬉しそうに笑った。
私は首を横に振った。
「事情は分かったよ」
「じゃあ――」
「でも、謝ってないよね」
彼の顔から笑顔が消えた。
しばらく沈黙が続いた。
やがて彼は、小さな声で言った。
「……ごめん」
私は頷いた。
それだけでよかった。
本当は、最初からそれだけでよかったのだ。
忙しかったことも。
電話が入ったことも。
悪気がなかったことも。
全部、そのあとでよかった。
けれど彼は知らなかった。
誰かに許してもらうために、正しさを証明する必要なんてない。
人との関係で大切なのは、
「自分が正しかったか」
ではなく、
「相手がどう感じたか」
だということを。
その日から私は、彼の言い訳を聞くたびに思うようになった。
この人は、自分が悪い人だと思われることを、恐れているんだ。
だから、何か起きるたびに真っ先に自分を守る。
そしてそのたび、
守られた「自分の正しさ」の陰で、
誰かの気持ちが置き去りにされる。
彼はきっと、
これからも謝ることよりも言い訳を選び続けるのだろう。
だから自分は悪くないと。
それを繰り返せば繰り返すほど、
気持ちを置き去りにされた人たちは、
その気持ちだけを彼に残して、
彼のそばから消えていく。
置き去りになっている誰かの気持ちが自分のまわりを取り囲み、
山積みになっていっても、
それでも彼は気づかない。
彼には永遠に見えないものだから。




