第五章 久しぶりの朝と
翌日、学校へ行くと、周囲の風景が変わっていた。
そうか、昨日席替えしたんだったな……。
しかし、俺の席や何人かの席は替わっていない。
そうやって上手くやる奴がクラスには必ず居る。
欠席している草森の席も替わらず、ただ、俺の前に坂下、俺の横には水瀬が座っていた。
その辺も坂下が上手く細工をしたのだろう。
「行って来たか……」
坂下は振り返って俺に訊く。
俺は微笑んだだけで何も答えなかった。
「何処に行って来たの」
と俺の横に座った水瀬が訊く。
「内緒だよ」
と坂下は言って歯を見せて笑った。
「何よ、どうせエッチな所でしょ」
水瀬はそう言うと坂下に舌を出した。
勿論、今日も草森は来ていない。
それでもクラスメイト達は何も変わらない日々を送り続ける。
担任も橋爪が教室に入って来た。
そしていつもの様に出席を取る。
しかし、橋爪も当たり前の様に彼女の名前は呼ばなくなっていた。
「今日も来てないね……。草森さん……」
と、横から小声で水瀬が言う。
水瀬は彼女の事を心配しているのではない。
このまま彼女が来なければ良いとでも思っているのかもしれない。
そう考える自分が嫌になった。
「いいか、来週の月曜、身体測定があるから。体育無くても体操服忘れるなよ」
橋爪はそう言って教室を出て行った。
「一限目、世界史だよ……」
と横から水瀬が言う。
「ああ、わかってるよ……」
と、俺は鞄から世界史の教科書とノートを出した。
嫌いな小川の授業だった。
小川でなければ俺は世界史がもっと好きになっていたかもしれない。
これだけはどうしようもない。
チャイムが鳴ると、担任の橋爪同様にオッサンスリッパをペタペタ鳴らしながら小川が入って来る。
「はい、じゃあ授業始めるぞ……」
と小川は教卓の上に教科書を置いた。
昼休み。
俺は一人で屋上に居た。
あの日、草森と夕日を見たその場所はまだ夏の気配のまま熱を持っていた。
購買で買ったパンを食べ、缶コーヒーで飲み込んでいた。
いつもと変わらない街の風景を見ながら、俺は最後のパンを口に入れて缶コーヒーで飲み込んだ。
すると屋上の重いドアが開く音がした。
そこには橋爪が立っていて、俺に手を挙げていた。
「お前、こんな所で昼飯食ってるのか……」
橋爪はそう言うと俺の傍に立つ。
「屋上なんて暑いだろう」
橋爪は歯を見せて笑い、ポケットからタバコを取り出して咥えた。
「あ、たまに此処で吸うんだ……。教師になった頃は止めてたんだけどな。何て言うか、ストレスなのかな……」
そう言ってタバコに火をつける。
強い風でなかなか火がつかない様だった。
「お前も吸うのか」
橋爪は俺の顔を見て言いながらポケットにタバコとライターを戻した。
「まさか……」
俺は街を見ながら答えた。
「屋上って言えば、タバコだろうよ……」
俺は良く喋る橋爪に苦笑して缶コーヒーを飲む。
「そう言えばお前の彼女……。かなり悪いみたいだな……」
彼女……。
俺は橋爪を見る。
「ほら、草森だよ……、草森香奈江……」
俺は冷めた目で橋爪から視線を逸らした。
「別に彼女じゃありませんよ……」
「そうなのか……。みんなそう言ってたけどな……」
橋爪は煙を吐きながら言う。
その煙は風に流されて直ぐに消えた。
「夏休みの終わりに、二人で此処に居ただろう……。てっきり付き合ってるのかと思ったよ」
俺は苦笑して橋爪の事を見た。
「見舞いとか行ってるのか……」
橋爪は灰を落し、またタバコを咥えた。
「いえ……。病院も知らないんで……」
橋爪は少し驚いた様子だったが、一瞬俺を見るだけで小さく頷いていた。
「そうか……」
そう言うとポケットから吸い殻入れを出してタバコを入れた。
「邪魔したな……」
と言うと歩き出した。
「あ、此処でタバコ吸ってる事は誰にも言うなよ」
と言いながら屋上を出て行った。
何なんだ、あいつは……。
俺はまた街に自然を戻した。
最後の授業が終わると、橋爪が入れ違いで入って来る。
今週は夏休み明けで、一週間がやけに長く感じられた。
「朝も言ったが、月曜は身体測定だからな。体操服忘れるなよ。以上だ……」
と言うと教室を出て行った。
俺は机の上の古典の教科書を鞄に入れると席を立った。
すると教室の後ろの入口に橋爪が立っているのが見えた。
「恩田……。ちょっと来い」
そう言って俺を呼ぶ。
「お前、なんかやったのか……」
と坂下が小声で言う。
俺は苦笑しながら教室を出た。
少し前を歩く橋爪に追い付く。
「何ですか……」
俺は橋爪にそう声を掛けると、
「まあ、良いから来い……」
と階段を下りて行く。
俺はそのまま橋爪と一緒に職員室に入った。
橋爪は自分の席に座ると、引き出しからメモを取り出して俺に渡した。
なかなか受け取らない俺に無理矢理押し付ける様にしてそのメモを握らせる。
「誰にも教えない様にって言われてたんだがな……。彼氏なら会いたいだろう」
橋爪はニヤリと笑いながらそう言う。
俺は橋爪に握らされたクシャクシャのメモを開いた。
そこには病院の名前と部屋の番号が書かれていた。
「草森の入院先だ……」
そう言って橋爪は立ち上がった。
そしてタバコ臭い息で言う。
「彼氏なら、ちゃんと勇気付けてやれよ」
と俺の背中を叩いた。
俺はそのメモを握り、職員室を出た。
「彼氏じゃないって言ってるだろう……」
そう呟くと微笑んだ。
その日、俺は彼女の病院へは行かずに家に帰った。
正直、彼女に会う勇気が無かったと言った方が良いのかもしれない。
俺は鞄を置くと、ベッドに横になった。
そしてスマホを取り出すと、画面を開いた。
やはり彼女からのメッセージは来ていない。
かなり悪いのだろうか……。
俺はスマホを閉じるとそれを投げ出した。
草森と話がしたい……。
俺は見慣れた天井を眺めながら腕を頭の後ろに入れる。
「草森……」
俺は思わず声に出して呟いた。
ふと、思い出してポケットに入っていた橋爪に貰ったメモを取り出す。
「臨海第一病院……」
確か、新しく出来た大きな病院……。
俺はスマホでその病院を調べた。
ホームページには、二年程前に出来た病院で、やはり循環器系がメインだと書いてあった。
俺も別に医学部志望でもなく、その辺りに詳しくも無いが、彼女が心臓が悪いのならば、この病院に入院している事は理解出来る。
どのくらい悪いのだろうか……。
俺はスマホの画面をじっと見つめる。
着信音が鳴り、スマホが突然震える。
画面には「水瀬」の名前が表示された。
《橋爪、何だったの》
とメッセージが来た。
俺はそのメッセージを見て溜息を吐いた。
このまま返信しなくても良いが、隣の席という事もあり、邪険に扱うのもどうかと思い、
《別に……。成績が落ちてるって怒られただけ》
俺は適当に返信する。
すると直ぐに返信が来る。
《あら、それは災難だね……。成績なら私も、坂下君も落ちてるのにね。相当落ちた感じ……》
余計なお世話だ……。
俺はクスリと笑い、
《ほっとけ》
と返信した。
すると立て続けに変なスタンプが送られて来た。
何だよ……。
俺はスマホを閉じて、ベッドに投げ出した。
その日の夜も彼女からのメッセージは無かった。
俺は明日が休みだという事もあり、いつもより遅くまで彼女のメッセージを待っていた。
気が付くと東の空が明るくなり始めていて、俺はその頃にベッドに潜り込んだ。
翌朝、と言っても、もう昼に近い時間に目を覚ました。
部屋を出てリビングに下りると、母さんが掃除をしていた。
「おそよう……。高校生は気楽で良いわね……」
起きて直ぐに嫌味を言われて、俺は少し不機嫌な表情をした。
「ご飯、食べる……」
俺は短く返事をして、顔を洗った。
「父さんは……」
俺はリビングに戻って母さんに訊いた。
「ゴルフ」
母さんは少し不機嫌に言うとダイニングテーブルにトーストを出した。
「休みの日に、接待ゴルフなんて、時代錯誤にも程があるわよね……」
俺は大人の世界はわからないが、休日返上で接待ゴルフなんて、到底俺には出来ない事だ。
「秋物の服、買いに行こうって言ってたのに……。服なんてネットで買えって言われたわ」
母さんはハムエッグとサラダ、それにヨーグルトを出して来た。
いつもと同じ様なメニューだが、それに不満は無い。
「コーヒー飲む」
「ああ、アイスコーヒーで」
と言うと俺はヨーグルトにスプーンを差す。
十分程で朝食を食べて部屋に戻る。
ベッドの上に投げ出していたスマホを取り、画面を開くとメッセージが来ている事に気付く。
メッセージを開くとそこには水瀬の名前があった。
「何だよ、水瀬かよ……」
俺は水瀬からのメッセージを開く。
《おはよ。今日って暇》
何だよ……。
彼女かよ……。
そう思ったが、俺もまんざらでも無かった。
水瀬はクラスでも人気のある方で、彼女の事を好きな奴も何人か知っている。
《おはよ……、ってもう昼だな。特に予定は無いけど……》
俺はそう返信した。
すると返信を待っていたかの様に直ぐに返って来た。
《良かった。お願いがあってさ》
お願い……。
何だろう。
《弟の誕生日プレゼントを選びたいんだけど、よくわからなくて……》
弟の誕生日プレゼントか……。
《そうか。で、俺はどうすれば良いんだ》
《今日、プレゼントを探しに行きたいんだけど、時間無いかな……》
ん……、選びに行く……。
一緒にか……。
俺は少し考えた。
これは水瀬とデートをする様にも見えるんじゃ……。
《ダメかな……》
そんなメッセージと一緒に泣きそうなスタンプが連続で送られて来た。
俺は溜息を吐いて、メッセージを返した。
《OK。何時に何処に行けば良い》
今度は大喜びするスタンプが連続で送られて来た。
「何だよ……、こいつ……」
俺はTシャツを脱ぎ、服を着替えた。
俺は水瀬との待ち合わせ場所に立つ。
しかし、約束の時間に水瀬の姿は無かった。
何だよ、ったく……。
俺は日差しを避けて、少し陰になった場所に移動した。
誘っておいて遅れて来るなんてよ……。
とは思うが、別に怒っている訳じゃない。
女は身支度に時間が掛かる。
母さんも父さんを良く待たせていて、ガレージで何本もタバコを吸っているのを何度も見る。
その辺は大目に見るくらいの方が男はモテるのかもしれない。
ふと、視線を上げると水瀬が俺を探しているのが見えた。
水瀬……。
俺は陰から出て、水瀬に見える所に立つ。
水瀬が俺を見付けて、小走りにやって来た。
「ごめん、待たせちゃったね……」
そう言うと水瀬は頭を下げた。
水瀬は夏色のワンピースに少し大人びた踵のあるヒールを履いていた。
「本当にごめんね。お昼奢るから」
と水瀬は手を合わせる。
俺はその水瀬の姿が面白くてクスリと笑った。
「良いよ。俺も何時間も待たされた訳じゃないし、とにかく涼しい所に行こう」
俺は水瀬を後目に歩き出した。
俺と水瀬は待ち合わせの場所から少し離れた店に入る。
この店も水瀬が調べていた様で、女子高生の好きそうな洒落た喫茶店だった。
「此処ってね、オムライスがおすすめなんだって」
水瀬は小声で言う。
オムライスか……。
俺はメニューのオムライスを見る。
一種類かと思ったら、幾つかの種類があり、俺はその中でもがっつりと焼肉が乗ったモノを注文した。
水瀬はホワイトソースときのこのモノを注文していた。
「今日は本当にごめんね」
「もう良いよ……。いつまで言ってるんだよ」
俺はそう言いながら汗をかいた水のグラスを手に取った。
「ううん、そうじゃなくて、今日、会ってくれた事……」
水瀬を見ると、顔を赤くして俯いている。
「ああ、そっちか……。良いよ、どうせ暇だし……」
俺は水を口にした。
「それに弟の誕生日プレゼントを真剣に選ぶなんて、良い姉ちゃんじゃないか……」
俺がグラスをテーブルの上に置いた音で水瀬は顔を上げる。
「あ、うん……。もう中学生だし、小学生の時とは欲しいモノも違うだろうしね……。そう考えると何が良いかわからなくなっちゃって……」
俺は水瀬に小さく頷いた。
「部活とかやってるのか……」
「うん……。サッカー部……。将来プロになりたいって言ってるけど」
俺は窓の外を見る。
「凄いな……。プロか……」
と呟いた。
「でもね、凄い下手っピなんだよ。プロなんて無理に決まってるじゃん」
水瀬はそう言って笑う。
俺は視線を水瀬に戻した。
「そんな事は無いよ。昔、下手だったプロのサッカー選手なんて沢山いるんだ。続ける事に意味があるんだよ……」
そう言って俺は喋るのを止めた。
そうだ……、それはその続ける事さえ止めたんだ……。
「まあ、俺が言っても説得力無いけどな……」
俺はグラスに残った水を一気に飲み干した。
「恩田君って……、サッカー部辞めちゃったんだね……。何かごめんね……」
水瀬はまた下を向いた。
俺もそんな水瀬を見て俯いた。
「気にするな……」
店員が俺たちの前にオムライスを置いた。
そしてそっと頭を下げて戻って行く。
「食おうぜ……」
俺はそう言うとスプーンを手に取った。
飯を食った後、俺と水瀬はスポーツ店を幾つか回って、スポーツタオルと磁気ネックレスを買った。
磁気ネックレスはどうやら流行っているらしく、中学生でも付けている奴は多いらしい。
「今日はありがとうね」
水瀬は笑顔でスポーツ店の紙袋を胸に抱えて言う。
「いや、役に立てたなら嬉しいよ」
「あ、良かったら、お茶でもしない……」
と水瀬は言う。
俺は視線を水瀬の足元に落とす。
水瀬の踵が赤くなっているのが見えた。
そうか……。
無理してヒールなんて履くから……。
俺は息を吐いて、水瀬に微笑んだ。
「良いよ。冷たいモンでも飲みに行こう」
俺は水瀬と並んで歩いた。
そして、極力近くにあった店に入った。
そして日の差し込む窓際の席を避けて座る。
「水瀬、俺、アイスコーヒー頼んどいて」
と言って席を立つ。
「何処か行くの」
水瀬も席を立とうとする。
「あ、ちょっとな……」
俺はそれだけ言って店を出た。
喫茶店の数軒隣にあったドラッグストアに入って、俺は傷テープを買う。
あいつ……。
無理しやがって……。
俺はスマホで会計を済ませると、喫茶店に戻った。
席では水瀬がスマホを触りながら座っていた。
「悪い……」
俺はそれだけ言って水瀬の向かいに座る。
「大丈夫なの」
「うん……」
俺は水瀬に微笑んだ。
そこにアイスコーヒーが運ばれて来た。
水瀬はホイップクリ―ムがたっぷり乗ったアイスオーレを頼んだ様だ。
スマホが振動する。
俺はポケットからスマホを出して、画面を開いた。
坂下からのメッセージだった。
《水瀬とデートらしいな。上手くやれよ》
どうやら水瀬は今日の事を坂下に言っていたらしい。
《そんなんじゃねぇよ。水瀬の弟の誕生日のプレゼント選ぶのにヘルプしただけだよ》
俺はそう返した。
するとまた直ぐにメッセージが来た。
《それをデート言わずに何と言う》
確かに……。
これはデートだ。
少なくとも水瀬の中では……。
俺はスマホのメッセージを見ながら微笑む。
「何、ニコニコして。草森さんから」
水瀬は俺にそう言った。
草森……。
俺は草森の事を忘れていた事に気付いた。
「お前、坂下に今日の事話したのか」
水瀬は挙動不審になる。
もしかするとリアルタイムに坂下に報告されていたのかもしれない。
「水瀬……」
「あ、ごめん……」
水瀬は目を合わせずにそう言う。
「いや、別に良いけどさ……」
俺は水瀬に微笑み、さっき買った傷テープの入った紙袋をテーブルの上に置いた。
「それ、使えよ……」
水瀬は俺の顔を見ながら紙袋を手に取り、中を開けた。
「あ……」
そう言って俺の顔を見た。
「あり……がとう……」
水瀬は少し涙ぐんでいる様に見えた。
「嫌われたのかって……」
水瀬の瞳から大粒の涙が零れた。
「無理してんじゃねぇよ……」
俺は水瀬に言うとアイスコーヒーにストローを差した。
「ごめん……」
水瀬は泣き止む事は無かった。
水瀬とは駅前で別れて、俺は家に帰る。
俺が買った傷テープを踵に貼り、水瀬は喜んでいた。
やはり相当無理していたらしい。
家に戻ると、父さんが意外に早く帰って来たらしく、母さんと二人で予定通り秋物の服を買いに行った様だ。
俺は部屋に戻ると、ベッドに倒れ込む。
正直、凄く疲れた。
考えてみるとデートらしいデートなんてした事無かった。
ん……、デート……。
俺はベッドの上に身体を起こしてスマホをポケットから出した。
スマホにはメッセージが来ていて、俺はそれを見る。
水瀬からだった。
《今日は無理に付き合わせてごめんね……。でも、私は楽しかったよ》
そんなメッセージだった。
「楽しかったか……」
俺はそのメッセージを見て微笑んだ。
俺と居て楽しいって思ってくれる奴がまだ居るんだな……。
何故か少し嬉しかった。
俺はそのまま再びベッドに横になった。
《弟、喜んでくれると良いな》
俺は敢えてそんなメッセージを返した。
その後も水瀬とのやり取りは続いた。
こうやってみんな付き合う様になるのだろうかと俺は思った。
不思議と水瀬とのメッセージのやり取りは自然で嫌じゃなかった。
俺は微笑みながら数えられない程のメッセージをやり取りしていた。
気が付くと、父さんと母さんも帰って来ていて、デパ地下で買った弁当が夕飯で、俺はその豪華な夕飯を食べる。
その間も水瀬からのメッセージはやって来た。
「何、彼女でも出来たの……」
と母さんはニヤニヤしながら言う。
「え……」
俺は弁当を食べる手を止めて、母さんを見た。
「ニヤニヤしちゃって……。今日、デートだったんでしょ」
母さんは俺の前に麦茶の入ったグラスを置く。
「そうなのか」
リビングでゴルフクラブを磨きながら父さんも話に入って来た。
「そ、そんなんじゃないよ……」
俺は麦茶を一気に飲んだ。
「何よ、隠さなくても良いじゃない……」
母さんは俺の顔を覗き込んでまた笑った。
俺は高級な弁当を一気に食うと、さっさと風呂に入って部屋に戻った。
エアコンの効いた部屋で俺はベッドに横になる。
そして濡れた髪を拭きながらスマホの画面を見た。
《風が変わった。少し眠っている間に……》
そんなメッセージが目に入る。
ん……。
俺はメッセージの送り主を見た。
それはカークと書かれていた。
カーク……。
俺は身体を起こしてそのメッセージをじっと見つめた。
草森……。
彼女だ……。
俺はスマホを持つ手が震えた。
そして震える指でそのメッセージに返信した。
《起きたか……。いい夢は見れたか》
彼女からのメッセージは直ぐに返って来る。
《うん。今回の眠りは少し怖かった。だけど、目が覚めた》
彼女の言葉をどう捉えれば良いのか……。
俺は瞬きも忘れてそのメッセージを見つめる。
彼女のメッセージに重なり、水瀬からのメッセージが来る。
しかし俺は水瀬のメッセージを開かずに彼女からのメッセージだけを読んだ。
《そろそろちゃんと起きろよ。お前の好きな夕焼けが綺麗な季節になるぞ》
《うん……。一緒に見たいな、あの屋上から……》
心なしか、彼女からのメッセージに力がない気がした。
そして、彼女とは今、話しておかないといけない気がした。
《早く帰って来いよ……。待ってるから》
このメッセージに返信は無かった。
だけど俺の胸は躍っていた。
彼女からのメッセージを開いたまま、俺はスマホを胸の上に置いた。
そして気が付くと安心して眠ってしまった様だった。
翌朝、目が覚めると俺は慌てて身体を起こす。
スマホはベッドの下に落ちていた。
俺は手を伸ばしてそのスマホを拾った。
そして慌ててメッセージを見る。
彼女からのメッセージは夜のやり取りで終わっていた。
しかし、水瀬からのメッセージは幾つも来ていた。
眠った俺に諦めた様に、
《おやすみ……》
のメッセージで終わっていた。
俺はそのメッセージに苦笑して、スマホを閉じた。
壁の時計を見ると、十時を過ぎていた。
俺はリビングへと下りる。
「おはよう」
俺はリビングで洗濯物をたたむ母さんにそう言って冷蔵庫を開けると、オレンジジュースを出してグラスに注いだ。
「ご飯、食べる」
母さんが俺の傍に来て、そう言った。
「うん……」
俺はそう答えるとダイニングテーブルの椅子に座った。
「昨日デパ地下で買って来たパンで良い……」
母さんは俺の前にパン屋の紙袋を置いた。
俺は無言でその紙袋を開けて中を見る。
中から一つ取って俺は口に入れた。
「卵とか焼く……」
「いや、良い……。これで」
俺はパンをオレンジジュースで流し込む。
テーブルの上に置いたスマホが振動する。
俺はスマホを手に取って画面を見る。
カークの名前が表示されていた。
俺はメッセージを開く。
《久しぶりの朝。久しぶりの風の香り……》
朝から文学的なメッセージだった。
確かに彼女にしてみると久しぶりの朝なのかもしれない。
俺はそのメッセージを見て微笑んだ。
「何、朝から彼女……」
母さんは俺の前に座り頬杖を突いていた。
「ああ……」
俺は無意識にそう答えた。




