第9話 続・真昼の潜入捜査
秋葉原駅前は、昼間から人であふれていた。
観光客、買い物客、チラシを配るメイド服の少女たち。雑踏は絶えず流れ、立ち止まるだけでも気を遣う。その人波の中で、豪太と詩織は立っていた。
美咲を探しに来ていたのだった。
だが皮肉なことに、二人のすぐ近くに本人がいることには、まだ気づいていない。
「あ!」と発して詩織が、少し離れたところの人のもとに、駆け寄った。
「美咲か?」と豪太も詩織のあとに続いて、一歩、二歩と踏み出し、その場を離れた。
「マンガ家さん。みーつけた」
「ああ、詩織ちゃんか。ビックリしたよ」
「へへ、偶然だね。こんなところでなにやってんの?」
詩織は、小林の腕を抱きかかえて、顔を覗き込むように聞いた。
「マンガの資料を探しに来たんだよ」
「そっか。その顔はあまり寝てないな。クマが出来てるぞ。無理しないで、頑張ってね。」
詩織は、小林の頬を指でツンツンして、ウインクした。
少し離れたところで、その様子を見ていた豪太は、顔をしかめ、拳を握りしめて、
「誰だ。あいつ・・・」
と、小林を睨みつけていた。
* * *
美咲は、自分の真後ろにいた詩織と豪太がその場を離れたことで、瞬間ホッとした。
この隙にと、目の前でスマホをいじっている小百合の手を掴んで、すぐ横の自動販売機の陰に隠れた。
「ちょっと、美咲ちゃん、どうしたの」
「いいから」
自動販売機の横から顔を出し、豪太と詩織の様子を伺った。
*
突然、腕を掴まれて自動販売機の横に連れて行かれた小百合。不意の美咲の行動に、何かと思い、一緒に顔を出して覗き込んでみた。どうやら美咲は、あの二人のことを気にして隠れているんだな。ということがわかってきた。
「美咲ちゃんの友達?会いたくないの?」
「うん」
小百合のスマホがブルブル鳴ったので、チェックをした。すると偶然にも、秋葉原駅前の、このすぐ近くにいる男の人からの連絡だった。食事をするだけで、一万円くれる。という条件をのんでくれた人だ。
小百合は、タピオカ屋さんの横の自動販売機のところにいます。とスマホに打ち込んだ。美咲に教えてあげたくて、「ほら、こういう風に連絡してきて会ってくれる人がいるんだよ」とスマホを見せようとしたら、美咲がちょっと怖い顔して、「しッ」と人差し指を立てた。
なんか、それどころじゃないんだな。と思った小百合だったが、ポンポンと肩を叩かれて振り返ると、太ったオジサンがニコニコして立っていた。たった今、連絡を取り合った人だ。ホントにすぐ近くにいた。ポロシャツにチノパン姿のかなり太ったオジサンだ。目一杯にベルトを伸ばしたウエストバックを着けていた。名乗ろうとしたのか、「かわか・・・」と言いかけたので、小百合も「しッ」と人差し指を立てた。オジサンは、ビクッとして黙った。
美咲は集中して、詩織と豪太のことを覗き見ていたので、そんなことには一切気づいていない様子だ。小百合も、美咲と同じように、もう一度顔を出して覗き込んだ。その様子につられたのか、太ったオジサンも同じように顔を出して、覗き込む形になった。
変な構図である。この場合、詩織と豪太に見つかりたくないのは美咲だけだ。小百合も太ったオジサンも隠れる必要はない。だが、美咲のあまりに真剣な様子につられてか、小百合も太ったオジサンも隠れて覗き見る格好になっている。
小百合が見てみると、美咲のお友達二人は、タピオカ屋に戻ってきて、注文していた。
*
詩織が出窓越しにタピオカを二つ受け取り、一つを豪太に差し出す。
「はい。豪ちゃん」
「俺はいいよ」
「もう、さっきから何怒ってるの?」
「怒ってねーよ」
豪太はそう言って、そそくさと歩き出した。
「怒ってるじゃん・・・もう、わけわかんない」
と、詩織は手にタピオカドリンクのカップを二つ持って、豪太のあとを追っかけた。
店の前のベンチシートには、詩織の巾着バックが置き忘れられた。
*
美咲は、その、置き忘れた巾着バックを見て、「あ、詩織、バカ」と言った。
「ホントだ。バック忘れてるし・・・」思わず小百合も口をついた。
「小百合ちゃん、届けてくれる?」
こちらを一瞥もせず、美咲が頼んできた。
「いいよ」
と、小百合は答えたが、ちょっと不思議だった。
友達だったら美咲ちゃんが拾って届ければいいのに。でも、それが出来ないほど、結局会いたくはないんだ。なのに不思議なのは、助けてあげたいって思いもあるみたい。だから、こっちに頼んできた。別に、頼まれたことが嫌なわけでもないが・・・ほっときゃいいのに。関係ないじゃん。と小百合は思った。
――あっ! と美咲が叫んだ。
見ると、通りすがりの人が巾着バックに気づいて、のぞきこんでいる。盗まれちゃうかもしれない。
「小百合ちゃん。早く」
と言って、美咲は手を掴んで、走り出した。
走り出した。は、いいけど。
美咲ちゃん。それ私の手じゃないんだけど――と、小百合は一人取り残されて、呆気にとられた。
美咲は、太ったオジサンの手を引いて、一目散に走っていった。
*
走り込んで、巾着バックを拾い上げた美咲。――よかったぁ。と安堵して、
「小百合ちゃん」と振り返ったはいいが、知らない太ったオジサンの手を握っていた。
――きゃああああ!
美咲は投げ捨てるように、手を離して叫んだ。
「いや~・・・」と、オジサンは、頭を掻いて照れ臭そうにしている。
「誰?」
「川上です」
「知らない」
美咲は怯えながら、小刻みに首を振った。
「美咲ちゃ~ん」と、小百合が走ってやって来た。
「小百合ちゃん、知らないオジサンが・・・」
「川上です」
川上は人のよさそうな顔をして、ニコニコしている。
「そうそう・・・川上さんっていう人」
「知り合い?」美咲が聞いた。
「さっき知り合ったばかりだけど」
「どういうこと?」美咲にはわけが分からない。
「ほら、食事したら一万円くれるオジサンだよ」
「川上です」
川上はペコペコしながらも、ニコニコした表情を崩さない。そして、妙に距離が近い。
「呼んじゃったの?」美咲の眉間に皺が寄る。
「近くにいるって言うから」
「信じられない。こういう人と会っちゃダメ。何されるか分かんないでしょ」
「食事するだけだよ」
「ウソよ!」
と語気を強め、美咲は小百合を背中に回した。小百合をかばうようにして、川上に向かい合って、堂々と言った。
「オジサン! 小百合ちゃんになにするつもりですか! この娘中学生なんですよ。変なことしたら大きな声出しますから!」
「あ、いや、そんな・・・」
川上は、美咲の剣幕に押されつつ、胸の前で両手を小さく振った。
*
小百合は、美咲が後ろ手に持っている巾着バックの中を覗いた。
巾着なので、口が緩んで中が丸見えだ。
すっと、白い財布を抜き取った。
「もう~、やだ~。美咲ちゃん、この人はなんにもしないって~」
白い財布を素早く仕舞って、隠した。
「ね、オジサン。なんか食べにイコ」
小百合は、美咲をかわし、川上の手を取って歩き出した。
「わかった。じゃあ、私も一緒に行くから・・・」
と、美咲がついて来ようとしたので、
「それ、お友達に届けなくていいの?」
と、小百合は聞いた。
先ほど美咲に、「届けてくれる?」と頼まれた巾着バック。だが財布を盗んだことで、この場を早く離れたくなった小百合は、そんなことは忘れたかの様に、すっとぼけて突っ込んだ。
「あ・・・」
美咲は、思い出したかのように、巾着バックを見た。
すると、
「私が声を掛けてきますよ。どの人ですか?」
と、川上が切り出した。
「あの、白いワンピースの娘です」
美咲が、30メートルぐらい先の詩織を指差した。
「わかりました」
と言って、川上は走り出した。
「これお願い。私、隠れるから」
と今度は、美咲がバックを小百合に預け、自分は自動販売機の陰に隠れてしまった。
小百合は巾着バックを手に持たされて、所在なく立ち尽くす羽目になった。
* * *
「すいませーん。バックをお忘れですよ」
詩織と豪太が振り返ると、川上がドスドスと音をたてて走ってきた。
「タピオカ屋さんの椅子のところに、ほら」
と、川上が指差した。
詩織と豪太が見ると、巾着バックを持った小百合がポツンと立っている。
「あ、やだ・・・」
詩織は、両手にタピオカドリンクを持ったまま、固まった。
豪太は、ビシッと気をつけをして、川上に深く一礼した。
「あ、これはどうも、ありがとう御座います」
いかにも体育会系の、キレのある、真っすぐなお辞儀だ。
詩織は固まったままだ。豪太は、詩織に向かって、おい、お礼は。と促した。
「どうも、すいません。ありがとう御座います。ありがとう御座います」
詩織もカップを持ったまま、何度も頭を下げた。
「いえいえ・・・はあはあ・・・」
川上は、両手を膝について、息を整えるためにか、もう、喋れそうにない。
豪太は猛ダッシュして、バックを持っている小百合に向かった。
*
小百合は、自分に向かって猛ダッシュしてくる豪太の迫力におののいた。
大きく腕を振り、ジャケットのすそをなびかせて、真っすぐに自分を見つめ、一直線に走ってくる男子をはじめて目にした。
小百合の目の前で、ビタっと止まった豪太。息ひとつ切らさず、ビシっと気をつけをして、
「ありがとう御座いました。おかげで助かりました!」
と、これまた深くてキレのいいお辞儀をしてきた。頭が膝につきそうだ。
小百合は巾着バックを手にしたまま、思わず背筋が伸びた。体中に走る得体のしれない衝撃に困惑した。なにこれ、なんなの、なんなの。と、頭の整理がつかない。
さらに詩織が走ってやってきた。
「すいませ~ん。ありがとう御座いました」
と、豪太と同じように、二人で並んで、深くお辞儀をしてきた。
小百合は、目の前の二人の姿を見るに耐えられなくなり、そっぽを向いてしまった。
「べつに、私は何も・・・」
そう呟いて、バックを詩織に渡して、小走りにその場を立ち去った。
*
美咲は、一部始終を自動販売機の陰で見ていて、ホッと胸を撫でおろした。
* * *
秋葉原の昼間は、音が多すぎる。
呼び込みの声。
店頭スピーカーのアニメ声。
信号機のメロディ。
飛び交う外国語。
すれ違いざまの笑い声。
小百合は、人の流れに押されるようにして一人で歩いていた。
立ち止まると邪魔になる街だから、考える前に足が動いていた。
繁華街の雑踏の中、小百合は捨て犬のように人波を漂っていた。
ふと、コンビニが目に入った。
自動ドアをくぐると、街の音が急に遠のく。
小百合はごみ箱の前に立ち、先ほど盗んだ白い財布を取り出して、中を確認した。
五千円札が、一枚だけ入っていた。
* * *
タピオカ屋の前のベンチシートに川上が腰を掛け、ぜいぜい言っている。
巾着バックを受け取った詩織と豪太は、あらためて、川上にお礼を何度も言い、立ち去った。川上が、ベンチシートに一人で腰を掛け、一息ついていたところだった。
美咲が、「これ、おごり」と言って、川上の目の前にタピオカミルクティのカップを差し出した。川上は受け取って、ストローを咥え、チューと吸う。
「ああ、おいしい・・・ど、どうも」
川上は、ペコっと頭を下げた。
「オジサン、悪い人じゃないみたいだけど・・・」
と、美咲が言いかけると、川上が気付いた。
「あれ? あの娘。小百合ちゃんは?」
「いなくなっちゃった」
川上は立ち上がって、キョロキョロと辺りを見回す。
「え? うそ。 そんな・・・」
美咲は、サッと川上の前に立ちふさがった。
「ちょっと、やめてください。小百合ちゃんを追っかけまわすのは」
「え、いや・・・」
「大体、恥ずかしくないんですか。いたいけな少女をお金で釣って、変なことして」
「変なことって・・・」
「それ飲んだら、今日はもう帰ってください。小百合ちゃんのことは諦めて」
「えええ・・・」
川上が、すがるような目をして訴えてきたので、
「わかりましたか!」
と、美咲は凄い剣幕で言った。
「はいい」
川上は直立不動で返事をした。
* * *
「この娘のこと知りませんか?」
スマホの画面を見せて、詩織が、チラシを配っているメイドに質問した。
画面には制服姿の美咲が写っている。
「このあたりでチラシを配っていたらしいのですが・・・」
豪太が続いて、聞いた。
メイドカフェやゲームセンターが乱立する繁華街の一角。
メイドのコスプレをした女の子が等間隔に並んでチラシを配っている路上である。
さあ。と首を振られる。私は、見たことないかな。と答えられる中、
「似てる娘だったら、メイドリアンって店で働いていたかも・・・」
と、有力情報をゲットした。
「メイドリアンか・・・豪ちゃん、そのお店に行ってみようか?」
詩織が言い出した。
「おい。そんなお金持ってきてないぞ。メイドカフェって高いんだろ」
「ふふ~ん。こんなこともあるかと思って、今日私は、大金を持ってきたのであります」
詩織は自慢げに、胸に抱えた巾着バックをポンっと叩いた。
大金が入っているなら、置き忘れるってどういうことだ。と豪太は呆れかえった。
「その娘なら、うちで働いているよ」
と声がした。
見ると、ギロっとした目の、明らかに四、五十代のオバサンが、腕を組んで壁に寄りかかっていた。
「え、本当ですか!」
豪太は思わず聞いた。
「ああ、ちょっと覗いていくかい?」
「ありがとう御座います」
豪太はまたしても、深くてキレのあるお辞儀をした。
「じゃあ、ついてきな」
と、背中で壁を押してオバサンは歩き出した。
この女の名前は、千葉田絵里という。
最近流行っているメイドカフェを真似して、自分なりに衣装を揃えた結果、家事労働をこなす時代錯誤なメイド服を身に着けていた。『風と共に去りぬ』に出てくる、乳母役マミーの様な格好である。床を磨き、鍋を抱え、誰かの世話をするための服だ。決して、フリルのついた可愛いモノではなかった。この女、女優の柴田理恵にどこか似ている。
* * *
白い財布の中には五千円札が一枚。
コンビニのゴミ箱の前で、中身を確認した小百合は、チェッと舌打ちした。
財布から五千円札を抜き取って、ごみ箱に捨てようとした時だった。
目の前のガラスの向こうを、豪太と詩織が歩いて通り過ぎた。
先ほど自分に向かって、真正面から『ありがとう御座いました』を繰り返した二人だ。
財布を捨てようとした手が、止まった。
よく見ると、豪太と詩織は、千葉田絵里のあとをついて歩いている。
小百合はまたチェッと舌打ちをして言った。
「あの、ババア」
* * *
タピオカ屋の前では、川上がベンチシートに座って、慣れない手つきでスマホを必死に打ち込んでいる。相当焦って打っているので、ああ、もう。と言いながら、何度もやり直している。
そんな姿を見て、美咲は、中腰になって川上に向かい、問い正す様に聞いた。
「オジサン、誰に連絡してるんですか?」
「え?」
「小百合ちゃん?それとも、今度は別の娘ですか?」
「いえいえ・・・」
川上は、引きつったような顔をして、続けた。
「いい加減にして下さい!」
と美咲が、もう一度お説教を始めようとしたところで、後ろで声がした。
「美咲ちゃん、友達・・・ヤバいよ・・・」
振り返ると、小百合が立っていた。
だが小百合は、美咲に視線を合わせることなく、下を向いて立っていた。
* * *
豪太と詩織は、狭い路地を、千葉田絵里のあとについて歩いていた。
古びたビルの前で止まった千葉田は、地下に降りる暗い階段を指差した。
「店はここだよ」
「はあ・・・」
豪太と詩織は、怪しい店の雰囲気にゾッとして、目を合わせた。
「なにしてんだい。友達に会いたくないのかい」
と言いながら、千葉田は階段を下りていく。
はい。と豪太が階段を降りる。詩織は豪太の腕にしがみつき、あとに続いた。
階段の入口には、地下にある店の看板がある。
『メイドカフェ 黒猫のだんご』
そう表記された店名の横には、だんご三兄弟を真似したであろうイラストがあった。
苦悶する表情の黒猫の顔が、縦に三つ並んで、串刺しになっていた。
* * *
美咲は、下を向いている小百合の様子を伺いながら、聞いた。
「友達が・・・どういうこと?」
「さっきの、バックを忘れた娘たちが・・・」
小百合がぼそぼそと喋りだした途端、川上がベンチシートから立ち上がった。
「永野小百合君。警視庁万世橋警察署の川上です」
川上が警察手帳を見せる。
「わかってるね。署まで同行してもらいますよ」
小百合は唖然とした。
* * *
豪太と詩織が足を踏み入れてみると、
『メイドカフェ 黒猫のだんご』の店内は、場末のスナックの様に狭くて暗かった。
テーブルを挟んだ四人掛けのボックス席が三組。それだけで店内はいっぱいいっぱい。
なんの飾り気もないカウンター席と、その向こうに狭いキッチンがある。
換気扇のうなりが聞こえる。
豪太と詩織は二人並んでボックス席に座らされた。他にお客はいない。
千葉田が水を二つ、テーブルにドンと置く。
詩織がスマホの画面を見せて「あの~、この娘は?」と聞いた。
「もうすぐ出勤すると思うよ。それより、待ってる間に、うちのオムライスを食べていきなさいよ。評判いいから。うちもほら、一応喫茶店だから。ね」
千葉田が上から見下ろす様に言った。
豪太と詩織は、お互いの顔を見合わせて、じゃあ。と仕方なく返事した。
「私もお呼ばれするヨ。お腹減っちゃってさ。ご注文。オムライス三つ」
千葉田は奥に向かって、オーダーを通した。
すると、店の奥から、強面の男がにゅっと顔を出して言った。
「りょうかい」
この男の名前は、近藤健吉という。
髪型はオールバック。眉毛が薄く頬がこけており、いかにもチンピラ風な風貌である。
アロハシャツの上に、エプロンをつけている体裁から、一応厨房担当なのがわかる。
この男、俳優の遠藤憲一にどこか似ている。
* * *
ベンチシートの上に飲みかけのタピオカミルクティが置いてある。
「どういうこと? 説明してよ。オジサン」
美咲は半信半疑の面持ちで、川上に訊ねた。
「警視庁の川上と言います」
川上はそう言って、美咲に名刺を差し出した。
警視庁万世橋警察署生活安全課・警視庁巡査長・川上登志夫。
と書いてある。
「どうして、警察の人が・・・」美咲が困惑していると、
「この娘は、万引きやスリの常習犯でね。うちでマークしていたから」
と、川上は小百合に向かって顎をしゃくった。
小百合は、下を向き、じっとして、動かない。
美咲が小百合に向かって、「小百合ちゃん、ウソでしょ。ウソよ」と、聞いた。
小百合は、自分のバックから白い財布を取り出した。
「これ、友達の・・・ごめん」
美咲は詩織の財布を受け取り、信じられない。という顔をした。
* * *
小百合が万引きに手を染めたのが、12歳。小学6年生のときだった。
厳しい教育方針の両親のもと、いくつもの塾に毎日通わされていた。
ある時、小百合は衝動的に万引きをした。
別に、欲しい品物ではなかった。裕福な家庭なので、モノに困っているわけでもなかった。
親の期待に応えなきゃというプレッシャーからか。中学受験の苦しさに耐え切れなくなったのか。はっきりとはわからないが、ストレスがたまりにたまった小百合は、手を出した。
走って逃げるとき、もちろん背徳感はあったが、なにより、
――生きている実感があった。如実に感じた。 そして、やめられなくなった。
子供のやることだ。とうとう見つかって、お店に両親が呼び出された。
父親は激怒し、母親は泣いていた。両親はかなりのお金を払って、お店に口止めをした。
中学生になっても、万引きが止められなかった。何度も繰り返した。見つかって、両親が呼び出されると、やはり、お金で解決しようとした。しかし、毎回そうもいかない。とうとう中学校にバレた。居たたまれなくなった小百合は中学三年になったとき、家出をした。
ホスト崩れの男の家に居候して、万引きどころか、スリにまで手を出し、秋葉原で頻繁に起こる事件の容疑者として、警察にマークされるようになっていた。
* * *
同じテーブルで、ガツガツとオムライスを食べている千葉田。
「どうしたの? 食べなさいよ。友達も好きだよコレ」
そう促された豪太と詩織は、同時にスプーンを握って一口だけくちにした。
「ちょっと味が薄いかもね。こういう時は」
と言って、千葉田はテーブルの上にあるケチャップを握りしめて、
「萌え萌え、ギュン!」
と、自分のオムライスにぶちまけた。
* * *
タピオカ屋の前にはパトカーが数台集まっていた。
婦人警官が小百合の肩を支えて、連行しようとしている。
「小百合ちゃん、逮捕されたんですか?」
美咲が川上に聞いた。
「未成年だからね。補導ということになるね」
小百合が、引きつった顔を美咲に向けて言った。
「へへ・・・ドジ踏んじゃった。私バカだから、怒られてばかりで、結局人のモノ盗んで、挙句には自分がイヤになるの。でもね、美咲ちゃん。私、その財布を美咲ちゃんに返せてよかった。小百合。今日はね。ちょっとだけいい娘になれた気がするよ」
小百合の顔が少しだけ和らいだ感じがした。
「さ、行きましょう」
婦人警官が小百合を促し、ミニパトに向かった。
* * *
テーブルの上には、空になった皿が一皿。一口だけ食べたオムライスが二皿。
豪太と詩織は伝票を見て、驚いた。
――三万円!
「オムライス一個、一万円だからね。そうなるね」
千葉田は、テーブルに腰かけ、足を組み、タバコをふかしている。
「ボッタくりじゃないか! 」
豪太が立ち上がって、抗議すると、近藤健吉がカウンターの向こうから、
「なんだあ。文句あんのか? 小僧!」
と、脅してきた。
いえ。と豪太はビビって、座り込んでしまった。
「さあ、払って貰おうか。いくら持ってんだい」
千葉田がテーブルをドンっと叩いて、身をのりだした。
豪太は、俺はこれしかない。とポケットから千円札を出した。
詩織は、巾着バックの中をまさぐるが、財布が見つからない。
「やだ。財布がない!」
* * *
美咲は、ミニパトに向かう小百合の背中から視線を外し、ふと、手に持った白い財布に目を落とした。財布を掲げて、思わず言った。
「小百合ちゃん。コレ、ありがとう」
小百合が振り返った。
「ううん。美咲ちゃん。こっちこそ――ありがとう」
そう言って、小百合は涙をボロボロとこぼしながら、今度は叫んだ。
「今のは素直に言えたー」
美咲も答えた。
「うん。真っすぐ届いたよー」
美咲も、涙が溢れて止まらなくなった。
小百合がミニパトに乗り込もうとしたとき、何かを思い出した。
「あ、美咲ちゃん! 友達が黒だんごのババアについて行ったの。ヤバいかも」
「黒だんご?」美咲は首を傾げた。
「黒猫のだんご」
「あっ、あのボッタくりの・・・」
秋葉原では悪名で知られている店だ。美咲も、噂はしょっちゅう聞いていた。
「店に連れ込まれたかも。早く行って」
「ええ!」
と言って、美咲は走り出そうとしたが、すぐに止まって振り返り、もう一度小百合を見た。
「早く!」
「うん!」
詩織の財布を胸に抱えて、美咲は脱兎のごとく走り出した。
* * *
詩織は巾着バックの中をまさぐりながら、慌てふためいた。
「ない。ない・・・豪ちゃん、財布がない」
なんだって。と、豪太も目を丸くした。
近藤健吉がカウンターから出てきて、豪太に詰め寄ってきた。
「小僧。お前ら無銭飲食だったのか?いい根性してるな」
上から見下ろすようにして睨みつけられた。近藤はデカい。
近藤の圧に耐え切れず、豪太は視線を外す。何も言えなくなった。
「冗談じゃないよ。ウソはやめて、早く出しな」
大金を持ってると聞いて、連れてきたカモだ。千葉田は詩織の巾着バックに手を掛けた。
「いやー」
詩織もバックを離さず、千葉田と引っ張り合いになった。
「このクソガキが!」
千葉田が、思いっ切りバックを引っ張った。
詩織はその勢いで、椅子から転げ落ちた。と同時にバックの中身が飛び出し、床に散らばった。
「きゃあああ!」
「詩織!」
豪太が叫んだ。
* * *
「はあ、はあ、はあ・・・」
美咲が息せき切って走ってやって来た。
確か、このビルだ。『黒猫のだんご』の看板を確認した。
「詩織、豪太・・・」
美咲は一気に階段を駆け下りた。
* * *
「詩織、大丈夫か?」
豪太が倒れた詩織を抱きかかえると、詩織は、うん。と頷いた。
「お前ら、詩織になにすんだよ」
怒りに震え、立ち上がった豪太、
「殴るなら、俺を殴れ!」
ジャケットをはだけて、顔を突き出す様に前に出した。
その瞬間を美咲は目にした。店の入口に立った時、豪太の背中を直視した。
詩織の目の前に、バックから飛び出したスマホが転がっている。
スマホには美咲の写真が画面に写っていた。
「美咲はいったい、どこにいるのー」
詩織は思わず叫んだ。
――ここだよ!
詩織と豪太が振り返ると、美咲が逆光の中、立っていた。
「美咲!」
美咲は息を整えながら、ゆっくりと歩き出し店の奥に進んだ。
詩織に財布を差し出して、
「詩織。あんた、財布落としてたよ」
と、渡した。
詩織は「え? やだ。ホント・・・」と受け取った。
美咲は自分の給料袋から二万円を取り出し、テーブルに置いた。
「これで清算してもらうから」
千葉田は鼻で笑った。
「ふ、噂のお友達かい・・・足りないね。三万円なんだよ」
さんまん・・・美咲はたじろいだ。
「これじゃあ、全然足んないだよな。お嬢ちゃん」
近藤が上から見下ろす様にして、美咲ににじり寄る。
すかさず、豪太が美咲と近藤の間に入った。
「やめろ。近づくな」
詩織が自分の財布を開けた。
「あ、私、五千円なら持ってる。え? え? どういうこと?」
財布の中身を見て、詩織は戸惑った。
「どうしたの?」
美咲が言って、詩織の財布を受け取る。中を見て、呟いた。
「小百合ちゃん・・・」
美咲は一瞬目を閉じた。
何かを噛みしめるようにしてから、ゆっくりとうなずく。
「三万円ね。耳を揃えて、払ってあげるわ」
詩織の財布から一万円を抜き取り、テーブルに叩きつけた。
「帰るよ。詩織。豪太」
きびすを返し、店を出て行く美咲。
「え? え? いいの? 大丈夫なの?」
詩織は状況が飲み込めず、落ち着かない。
豪太は床に散らばったスマホやポーチを拾い、巾着バックに戻した。
「ああ、もう済んだ。帰ろう」
バックを詩織に渡す。
その背中に、近藤の低い声がかかった。
「おい小僧。このまま帰れると思ってんのか」
豪太は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
近藤の鼻先まで歩み寄る――が、足下に落ちていたサングラスを拾い上げる。
それをかけて、一言。
「忘れ物だ」
くるりと踵を返し、詩織の肩を支えて「帰るぞ」と店を出て行った。
千葉田と近藤は、テーブルの上に視線を落とし、チッと舌打ちをしながら不機嫌な顔で見送った。
テーブルの上には三万円が並んでいる。
美咲が最後に叩きつけた一万円札には、ネコマークがついていた。
* * *
豪太の父、正春が、バケツとヒシャクもって店先に打ち水をしている。ふと見ると、朝顔のつるがバットに絡まっている。つるは三周まわっていた。
正春はバットから朝顔のつるを慎重に外して、横にある鉢の上の支柱に巻き直した。
* * *
小百合は万世橋署の取調室にいた。
机を挟んで調書を取っている婦人警官が聞いてきた。
「あなた、やめられなくて苦しんでいるんじゃないの?万引き」
「え、あ、はい・・・」
小百合は素直に認めた。
「あなたと同じように苦しんでいる人達が、なんとか立ち直ろうとしている集まりがあるのよ。自助グループって言うんだけど・・・」
「何ですか? それ」
小百合は身をのりだした。
* * *
秋葉原駅前広場まで三人はやって来ていた。
「みさき。みさき」
詩織が美咲に抱き着いて、思いっきり泣いている。
美咲は、わかった、わかった。と詩織をハグして、頭をポンポンする。
豪太が傍に立って、聞いた。
「美咲、お前バイトしてたって、本当か?」
「もう辞めたけどね。辞めさせられちゃった。中学生ってバレて」
「なんだよ。お金が必要になったのか?」
「ちょっとね・・・」
美咲は返事を濁らせた。
「ほら、もう泣かない」
美咲は、詩織のほっぺを挟んで、ギューとした。
「だって、だって。大変だったんだから。豪ちゃんが私を守ってくれたんだよ」
詩織は顔をグシャグシャにして、「豪ちゃ~ん」と、今度は豪太に抱き着いた。
「おいおい・・・」と、次は豪太が詩織を支える羽目になった。
美咲は豪太に軽く拳を当てて、
「豪太、カッコよかったぞ・・・」
と、拳を当てたままで、今度は美咲が、そのままグスグスと鼻をならし始めた。
「美咲、大丈夫か?」
豪太が声を掛ける。
「ごうた・・・うわ~ん・・・」
美咲も豪太に抱きついて、泣きじゃくった。
豪太は、詩織と美咲、二人の頭を同時にポンポンするしかなかった。
「おいおい、おいおい。俺だって泣きたいよ・・・」
ジャケットの裾が風に吹かれ、パタパタとなびいた。
* * *
吉岡豆腐店の店先には、
タオルで磨いたバットが、コトンと壁に立て掛けられた。
正春がタオルを腰のポケットに押し込み、ヒシャクの入ったバケツを持って店の中に入った。
咲き終わって、しぼみかけている朝顔とピカピカのバットが並んでいた。
第9話 終




