Ep4 囁きと絶望
玲子は一歩後ろに下がり、ソファに腰を下ろす。冷静に優人を見下ろす視線には、微かな興味の光が残る。
「あなたは……楽しませてくれるわよね?」
「ええ……もちろんです。玲子さんのゲームに付き合うのは悪くないです。涼さんより、もっと楽しめるはずですよ」
優人の笑みには、涼の死を前にした緊張感と、優位に立った優越感が混ざり合った。
玲子は首を傾げ、冷静なまま微笑む。
「ふふ……なるほど。あなたの言葉は耳障りがいいわね」
しかしその瞳は、揺らぐことなく優人の内面を探り続ける。
「ほら、涼さんのように焦りや嫉妬に溺れないし、僕の方がずっと理性的で、玲子さんに忠実です。試してみてくださいよ」
優人の声は低く、しかし挑発的だった。
「玲子さんの望むゲームを、無駄なく楽しめます。僕に任せれば、もっとスリリングに……安全に進められます」
玲子はゆっくり立ち上がり、ソファから優人に近づく。
「うん……確かに、理性的で、私の思惑に沿って動いてくれそうね……でもね。私、知っているの」
声にわずかに冷たさが混じる。
「……あなたたちが、私に劣情を抱いていたことを。だから、理性じゃなくて愛の言葉でも語ってくれる?」
冷たい微笑を浮かべ、優人を見下ろす。瞳の光はほとんど消え、すべてを見透かしているかのようだ。
優人は一瞬眉をひそめたが、すぐに微笑を作った
「愛……か。面白い要求ですね」
一瞬考えた後、優人は玲子に囁いた。
「玲子さんを……楽しませるためなら、何でもします。あなたのためなら……何だってできます」
「ふふ……なるほど。でも、その程度で満足するわけないでしょう?」
玲子はゆっくりと優人を見つめた。瞳の奥の冷たさが、じわりと温度を下げていく。
「ねえ……あなた、“京子”って女の子を知っている? あなたが可愛がっていた子よ」
その名が口にされた瞬間、優人の肩がわずかに跳ねた。
血の気が引き、瞳の奥で一点だけが急速に暗く沈む。
「知っているわよね……彼女がどうなったか」
玲子の声は一定で、氷のように滑らかだった。
「私……その家族から復讐の依頼を受けたの」
優人の喉がひゅっと鳴り、呼吸が止まる。
「……そ、それは……」
言葉がつかえ、冷静さを保とうとするほど震えが増していく。
背筋を冷たい刃物でなぞられたような恐怖が、骨の内側まで浸み込んだ。
「でもね……あなたが“きちんと”私を愛してくれるのなら、考えてあげてもいいわ」
囁く声は甘いのに、逃げ道は完全に塞がれていた。
「ほら……愛を囁きなさい?」
「……愛している。玲子さんのすべてが……魅力的だ。
玲子さんほど完璧で、恐ろしく、美しい女はいない……」
縛られた腕がわずかに痙れ、ロープがきしむ。
逃げたくても動けない恐怖が、言葉の震えとなって喉に滲み出た。
呼吸は浅く、声も細く揺れている。
そのかすれた告白には“愛”の気配など一片もなく、ただむきだしの“生存本能”だけが混ざっていた。
玲子は目を細める。
「それだけ?」
優人は全身を縛られたまま、指先すら満足に動かせない。
逃げられないと悟った身体が、声だけを武器に、必死に生へとしがみつく。
「愛してる……玲子さんのために何でもする。
僕の人生を……喜んで捧げる」
震えた囁きは、愛情の響きとは程遠い。
そこにあるのは恐怖と屈辱、そして“服従しないと生き残れない”という動物的直感だけだった。
玲子はふっと笑い、腰からそっと力を抜くように長い吐息を落とした。
耳に残る優人の震え声が、胸の奥をじわりと熱くする。火照りを誤魔化すように、ゆっくりと指先で前髪を払った。
「ふふ……そんな声を聞かされると、私……変に火照ってきてしまうわ。シャワーを浴びてくるから、そこで大人しく待っていてね」
そう言い残すと、玲子は静かに部屋から出て行った。
――シャワーの水音が止まり、玲子はリビングに戻ってきた。長い髪から滴がしたたり落ち、床を濡らす。タオルを脇に置いた玲子は、ソファに横たわり、冷たい微笑みを浮かべながら優人を見つめる。
その視線には、物を観察するような冷酷さと、絶対的な支配欲が混じっていた。
優人の瞳には、涼の運命を見た衝撃と、自分がどうなるかの恐怖が映っていた。
玲子は、そっと優人から目を離すと仰向けになり、ゆっくりと呼吸を整え、天井を見つめた。
“……これは……何なんだ……。
こんな……こんな光景を、どうして……僕は……”
言葉にならない恐怖が、理性をじわじわ侵食していく。
玲子の心臓は、ドクン、ドクンと熱をこぼしながら荒く脈打っていた。
左手を胸に添え、右手を太もものあたりで止めると、ゆっくりと力を抜く。
恐怖に震える優人の視線を感じるたび、胸の奥が甘く痺れ、鼓動が跳ね上がる。
目を閉じ、そっと指を上下に滑らせた。ひと撫でごとに胸の奥から小さな息が漏れる。抑えきれないかすかな声が、静かな部屋に震えながら広がっていった。
優人は声を出そうとするが、喉が詰まり、言葉にならない。
玲子の指のわずかな律動と、漏れ落ちるかすかな声――
その全てが優人の理性を侵食し、絶望の縁へじりじりと追い詰めていった。
――玲子は余韻に浸るように、乱れた呼吸をゆっくり整える。
優人は呼吸が浅くなり、身体を小さく縮こませた。鼓動は早まり、胸の奥でせわしなく音を立てる。
やがて玲子は静かに立ち上がる。
その視線がゆっくりと優人に降りていく。
数秒の沈黙――重く、逃れようのない時間が二人を包んだ。
「さようなら」
その声と同時に、優人の恐怖と無力感は頂点に達した。
外では、午後の透明な冬の光が静かに庭を照らしている。
その穏やかさとは裏腹に、室内には沈黙と狂気だけが濃く沈殿していた。
全ての計画は完了した。
玲子は冷徹な笑みをひとつ浮かべ、その静寂を、まるで戦利品のように独占する。
玲子が去って数分後、音もなく黒い手袋の人物が影のように部屋へ入ってきた。
彼のスマホの画面には、玲子からの短いメッセージが光っている。
《終わったわ。あとは任せる》
男は淡々と端末をしまい、表情のないまま作業を開始する。
天井の光だけが、静かにその終わりを照らしていた。




