2-2. 父との思い出。羊飼いとしての成長
俺が13歳のときだ。
栗月(10月)のある日、父さんと遊牧の旅に出た。
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■ヴォルグルーエル@闇刻魔王
待て
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■自分
ん?
なんだ? 要望どおり異世界編だぞ?
この旅で立ち寄った街で、初めてのボコりだぞ
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■ヴォルグルーエル@闇刻魔王
旅立つ前に、どういうところで生まれて、どういう親に育てられたかを教えろよ
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■ケルリル@ケルベロスとフェンリルのハーフ
おーしーえーて。
ボクと会う前のアレルのこと、教えて!
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■自分
マジかよ……。
面倒くせえな。想定以上にさかのぼらないといけないのか……。
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しょうがない。幼少期から回想していくか。
転生した俺は、いったん頭空っぽの状態で異世界人アレルとして、羊飼いの父と機織の母に育てられた。
俺が生まれたのは住人が200人くらいの、特に産業のない寂れた村だ。大人は近隣の村や都市へ出稼ぎに出て食料やお金を稼いでいた。
ノルド・モンターニュという名前を聞けば立派な印象を受けるが、これは単に異世界語で「北の山」を意味しており、近隣の村民がそう呼んでいるだけだ。
俺は6歳の頃から、父の羊飼いの仕事を手伝うようになる。
俺が新米羊飼いになったとき父さんは23歳だったが、旅で風雨にさらされ続けた疲労が蓄積するのか、栄養の少ない食生活による影響なのか、30台か40台に見えた。
8歳の時、村にラルム教の司祭がやってきた。俺はまっとうな全国民がそうされているように、ラルム教の信者ということにされているが、別に信仰心はないので司祭に『様』はつけない。部長様や社長様とは言わないしな。
俺は守護属性付与の儀式に参加した。これはその名のとおり、ラルム教信者の子供すべてが参加し、守護属性を授かる儀式だ。
厳密には、本人が生まれつき持っている属性を調べてもらうだけだ。
人々は守護属性を自覚し、修練を積めば、一部の才能ある者は魔法を使えるようになる。
俺の守護属性は水だった。
まあ、大した才能はなかったが、別に家から追放されない。
俺がレベル0だとしった父は笑いながら『魔法の水よりも、寝小便の方がたくさん出るな! うはは! えらいぞ!』と、俺の頭を撫でた。
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■ヴォルグルーエル@闇刻魔王
えらいえらい
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■自分
ぶちのめすぞ!
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■ケルリル@ケルベロスとフェンリルのハーフ
ぐーぐー……
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■自分
こいつ、勝手に人の夢に入ってきたあげく、夢の中で寝てるだと……。始まったばかりだぞ……!
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■ケルリル@ケルベロスとフェンリルのハーフ
むにゃむにゃ……。ボクも……水、属性、かも……。
お水、いっぱい、出る……。
じょばあぁぁ……
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■自分
おい、待て。これ俺の夢だよな。
お前、じょばあぁってなんだ。
小便を漏らしたのか。
俺は、お前が憑依しているレストに抱き着いて寝ているんだが?!
おい
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守護属性付与の儀式が終わったあと、司祭がせんべいみたいな薄くて固いお菓子をくれた。村では一度も口にしたことのない砂糖が使われていて甘かった。
そのお菓子を口にしたとき『たった3個の材料で作れる超お手軽クッキー!』という動画を見た記憶が蘇った。
こんな感じで、無課金のモンスター図鑑が埋まるように、時間をかけて少しずつ、断片的な記憶が蘇ってくる。
だから、俺はある日いきなり『日本人だ!』と思いだしたわけではない。今でも日本の両親のことは思いだせない。おそらく、新しい両親に愛情を抱けるよう、転生か記憶を司る神様が気をきかせてくれたのだろう。
父とともに遠方へ遊牧するようになったある日、俺は羊の群れ全体を守るために、1頭の子羊を殺すことになった。
父は俺にナイフを握らせると、それまで一度も見せたことのない真剣な表情をした。
「アレル。いいか? 近くにモンスターがいる。かなり危険なやつだ。このままだと預かりものの羊が何頭か食われるだろう。だからな、まだ育っていない羊を1頭、餌として差しだす。そいつが食われている間に群れを逃がす。さあ、アレル。お前がこの槍で子羊を殺すんだ」
俺は『嫌だ』『怖い』と泣き叫んだ。
自分の手で命を奪うことが怖かった。
「アレル。群れ全体を護るためには、1頭を殺すしかないんだ。子羊1頭と、群れ全体。どっちが大事だ? アレル。お前は羊飼いだ。いずれひとりで群れを率いる。お前は群れ全体の命に、責任を持たなければならない」
父に何度も諭され、俺は木製の短槍で子羊を刺した。
子羊は暴れた。俺は涙と血で顔を真っ赤にし、何度も刺した。
しかし、子羊は死なずに暴れ続けた。
俺は自ら手を伸ばして、父さんの棍棒を借りて、重いそれを子羊の頭に振り下ろした。
そのとき、たくさんのことを思いだした。
通学路の途中にいた飼い犬が、俺に気づくたびに吠えてきて怖かったこと。
クマのイラストが刺繍されたお気に入りのブランケットを、もう古びてボロボロだからという理由で捨てられて泣いたこと。
中学校の下校途中、背後から追い越してきた電動キックボードが小さな段差で転倒し、乗っていた人の顔面が血まみれで動かなくなったこと。
ひとり暮らしを始め、動画を見ながら初めて自分の包丁で魚を捌いたこと。
死ぬ前に見た、血まみれの自分の手のひら……。
あとから父に聞けば、子羊を殺す必要はなかった。
子羊を殺すよりも、脚を怪我させて、生きた状態で囮にする方が全体の生存率は上がるからだ。
父は俺に、自らの手で命を奪う経験を積ませたかったのだ。
この体験がなければ、俺は日本人の記憶が戻るにつれて「殺せない人間」になっていたかもしれない。俺は、父さんのおかげで「異世界人」になれたんだと思う。
しばらくして、父はモンスターを瀕死まで追いこんだら俺に「トドメを刺せ」と命令するようになった。異世界で生きる術が少しずつ俺にインストールされていく。
羊飼いは羊の餌にする牧草を求めて、夏は北の方へ、冬は南の方へ移動する。俺は父に同行して仕事の手伝いをしていたので、一年の多くを村の外で過ごした。
俺が父の手を借りずに初めてひとりで小型の狼タイプモンスターを撃退した8歳のとき、羊飼いとしての本格的な教育が始まった。
ああ。羊飼いの子に生まれて良かった。
俺は、俺の知らない知識を与えてくれる父を尊敬した。
転生者として、年下の父に精神的なマウントをとることなく、素直に尊敬し信頼し、憧れ、俺はまっすぐ育った。
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■ヴォルグルーエル@闇刻魔王
まっすぐ?
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■自分
ああ。何か変か?
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■ヴォルグルーエル@闇刻魔王
人間も魔族も、自分のことは自分でもよく分からないよな
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■自分
何をわけの分からないこと言ってんだ?
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「アレル。人の姿はすぐに変わる。一度別れて次に会えば顔には剣で斬られた傷ができているかもしれないし、腕や足を戦場で失い、病で目が黄色く濁っているかもしれない。誰もが季節が一巡する頃には別人になりうる。だがな、山や谷はその姿を変えない。季節が巡れば雪を頭にかぶることや緑で覆われることはある。だがな、見ろ。この雄大な景色を。自然は、何度でもこの姿を現す。目に焼きつけるんだ。そして来年、また同じ景色を見る。それが羊飼いだ」
絶景だ。前世では写真や動画でしか見たことがないような、圧倒的な自然。
だが、俺の心の中心に刻まれたのは父の言葉と表情だ。
山の薄い空気の中で鮮烈な陽光を浴びて煌めく瞳を、俺は一生忘れないだろう。
まあ、忘れたい記憶ものあるのだが……。
「うはは! さあ、小便だ。山の上でする小便は気持ちいいぞ! どっちが遠くまで飛ばせるか勝負だ! 水の魔法で水増しして飛距離を稼いだりするなよ! うはははははっ! そうれ見ろ、アレル! うはははっ! その程度か! まだまだ俺にはかなわんようだな!」
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■ヴォルグルーエル@闇刻魔王
お、おう……
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■自分
父さんのこういうところは人間くさくて魅力的だと思うんだが、他人に知られるのは恥ずかしいな……
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■ヴォルグルーエル@闇刻魔王
魔王城の最上部まで来たら記念に小便の飛距離で我と勝負するか?
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■自分
それもありだな。魔王に勝てば一生自慢話にできそうだ
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■ケルリル@ケルベロスとフェンリルのハーフ
ボクも勝負するー! ぐーぐー……
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■自分
起きてる……のか? 寝言なのか?
人の夢の中で寝言なのか?
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