第3話
今日は何を聴こう。そんな能天気なことを考えながら、スマホを見つつ図書館へ向かって歩み始める。本当は歩きスマホは良くないことだが、大学のキャンパス内だし、時々周りを確認すれば他人にぶつかることも無いだろう。人間、全て善で出来ているわけでは無いのだ。これは言い訳なのかもしれないが。ただ、もし善だけで生きている人間がこの世に存在するというのなら、その人にとってこの世界は酷なものだろう。この世界にとって、いや権力者にとってその善は悪に捉えられていることの方が多いのだから。まあ、善悪をどのように定義するのか、それに善悪という2つの基準のみで議論すること自体おかしいのではないかと思うがそこは専門家に任せよう。どうせ、僕が考えたところで答えは出ないのだから。
どうしようもないことを考える前に、早く今日聴く音楽を決めなくては。いくらキャンパス内にまだ人が少ないからといって知り合いに会う可能性は捨てきれない。さっさと聴覚を自分の好きな音楽で遮らなければ。知り合いでなくとも無駄に癪に障る大学生特有の何とも言えない会話が聞こえてくる可能性もあるのだから。そうは言っても選ぶのは様々なジャンルが混合するプレイリストの中からなのだが。
最近の自分の中でのトレンドは専ら洋楽だ。自分がスマホ買ってもらって音楽を聴き始めてからはほとんど邦楽ばかり聴いていたのだが、好きな食べ物でも毎日食べると飽きてしまうのと同じように、邦楽に興味を失ってしまったのだ。しかし、自分の人生に少しながらも彩を与えてくれた音楽からは離れることはできず、謎に敬遠していた洋楽に手を出してみた。というのも、英語は高校までのレベルなら受験勉強をしていた手前理解することはできるが、洋楽を聴きながら自分で理解するという能力までは持ち合わせていなかった。ただ、世の中便利なもので和訳の付いた歌詞の動画も投稿されていた。そこからは自分でも思っていなかったほど洋楽の沼へと入っていった。
その中でも最も深くまで沼に入っているのは意外にもヒップホップだった。勿論、邦楽を聴いていたころもヒップホップの曲を聴いてみたことがあったのだが、自分の選曲が悪かったのか、あまりいいイメージを持てていなかった。彼らが曲の中でラップしたのは、喧嘩、金、女、宝石など。人とバカ騒ぎすることのない僕にとって、クラブでかかるようなパーティーソングというものは受け入れがたかった。しかし、歌詞は別にしてそのラップ独特のリズムと曲調に惹かれていたのも事実だった。
実際に洋楽に手を出してみたときに目にした世界で最も聴かれている音楽のジャンルのランキング記事には、ヒップホップが1位となっていた。ただ、それでも邦楽を聴いている間に抱いたヒップホップに対するマイナスな印象は拭いきれず、ロックやポップスに手を出してみた。その中には自分がまだテレビを見ている時代にCMで流れていた曲もあり、感傷的な気分にもなった。しかし、ポップスの曲の中にも母国語ではないため気づかなかっただけで過激的な表現が含まれているものもあったりと、きちんと歌詞の内容を理解して聴かないといけない気分にもなった。別に歌詞の内容関係なく、曲調だけで好きになり、リズムに乗ることが出来ればいいという意見も分かるが年齢と共に歌詞の重要性というか、自分が歌詞を気にする比率というものが高くなった。
ただ、歌詞の重要性に気づくとともに避けることのできないジャンルが僕の前に立ちはだかった。それはヒップホップだ。そもそもヒップホップ自体はアメリカで生まれ、そこが本場である。それが日本に来たのだから、アメリカのラップ自体も喧嘩、金、女、宝石などという富や成功をラップするパーティーソングのようなものが主流だった。それもそうだろう。ヒップホップのバックグラウンドとしては黒人音楽という面があり、アメリカの貧困地域で生まれた黒人がラップで成功する、それを曲に昇華するというものだからだ。だからこそ、リアルなアメリカの様子が曲として表れていて、芸術として興味深かった。確かに、日本人とは感性の異なる人々が作っている楽曲なため、過激な表現が日本のラップよりも多いのは仕方がない。それが向こうの文化なのだから。それに目をつむってみれば、アメリカのヒップホップというのは僕の知らない世界をまざまざと見せつけてくれた。
アメリカという国に対してどのような印象を持っていたか。以前までは世界一の経済大国であり、世界のリーダー的な立ち位置の国というのが僕の中での印象だった。それが正しい知識だったかどうかは正確には判断することはできないが、概ね正しいだろう。世界一の経済大国なこともあって、日本よりも平均年収は高い。まあ、平均年収はというところが大事だと思うのだが、経済や統計の専門家でもない一学生が思うことなので正確ではないかもしれないが。しかしながら、労働によって大金を獲得できる可能性というのは日本よりも大きいだろう。だから、いつの時代も人々はアメリカンドリームに夢を見るわけだ。
ただ、あるとき中学校の先生か誰かが僕に教えてくれた。ニュースになるのは特別なこと、特殊なことだと。つまり、僕らが夢見るアメリカンドリームもそれと同じようなものだろう。僕らが何らかの媒体を通して夢をつかみ取った人に憧れを持つのと同時に、その裏には同じ夢を目指しながらも競争に負けた敗者が必ずいるのだから。だが、彼らの様子が世間に知らせることはほぼない。それもそうだろう。誰だって、強いものに興味があるのだから。それは一種の生物的な思考なのかもしれないが。
現実的にも、アメリカの平均年収の高さの裏には、突出した富裕層の影響がかなり強く出ている。それはデータを見れば如実にわかるのではないか。それとも、アメリカに実際に行けば分かるだろう。我々が抱いていた世界一の経済大国の輝かしい姿などアメリカの一部の地域でしかないことに。それに僕が気づかされるきっかけとなったのがヒップホップだった。
資本主義社会で生きる上において金銭面に関して勝者と敗者が生まれてしまうのは仕方のないことかもしれない。しかしながら、その格差というものは日本の中よりもアメリカの方が酷いものだった。ただ、日本は金銭の格差というものよりも社会全体として、経済が停滞しているということの方が近年の問題だと思うのだが、それでもアメリカと比べてほとんどの地域でインフラや安全面というのが保証されているのは大きな違いだろう。だが、近年そのメッキが剥がれつつあることは気になるが。
一方のアメリカは金銭面的に勝者であるものは次々と地位や名声を手にしていく。その裏で敗者は逆転可能な人もいるかもしれないが、そのような人の方が少ないだろう。貧困地域に生まれた場合、ほとんどどうすることもできないだろう。日本と違い、インフラや防犯面などの差が貧困地域と富裕層が住んでいるエリアではまるで違う。それは人種のサラダボウルと言われるアメリカ故の側面もあるかもしれない。そのなかで長年にわたって続いてきた差別の歴史が今の現状を創りだしているのかもしれないが。
そこから生まれた黒人音楽。ヒップホップ。それが時に攻撃的な歌詞になるのはバックグラウンドからしてみれば仕方のないことかもしれない。貧困地域に生きる人々にとって、犯罪を犯さなければ生きていけない人々だっているのだから。大体、そういう地域にはギャングなどが跋扈している。そんな状況で日々が生と死の瀬戸際なのは想像しやすいだろう。そんな中でも、ヒップホップを通して、成功した者たちは成功の証として、金、女、宝石をラップするのは当然のことかもしれない。だが、ヒップホップ自体、生まれ育った場所を大切にする文化が存在する。そんな中で彼らの多くは勿論のこと貧困地域に生まれた人の方が多いだろう。そんな彼らが、地元を勇気づけるために、若者に夢を見させるためにラップしてきた富というものは時として仇となる。それを目的もしくはギャングの抗争に巻き込まれてしまったラッパーというのは、ヒップホップが生まれて約50年、多く存在する。それも若くして亡くなった場合がほとんどだ。
だからこそなのだろうか。平和ボケした国に住んでいる僕にとって本場のヒップホップの文化は刺激的だった。常に生と死の狭間で生きてきた人々の魂の叫びでもある曲だってあるのだから。黒人差別という根強い歴史に対抗しながらも、成長を遂げてきた文化なのだから。それは僕を完全に魅了した。別にラッパーになりたいという訳ではない。彼らの歌詞が僕の心に刺さって抜けないだけだ。
とはいえ、日本に住んでいる僕らだって資本主義社会で生きているのだから、金が無ければ満足に生きていくことができない。ここでいう満足の基準は人それぞれであろうが。ただ、アメリカの貧困地域に生まれた人々に比べれば、すぐに死が待っているというような国ではない。ほとんどの人に対して最低限度の生活は保障されているのだから。ここにも怪しい部分があると最近、国家の問題として浮き彫りになっている気がするが。
さらに言えば、近年のAI技術の進歩は凄まじい。いつの日か、今人間がやっている仕事がAIに置き換わる日が来る日は遠くはないだろう。そんな状況の中、人生のほとんどの時間を労働に勤しんでいる日本人の普通を僕は不思議に疑問を感じている。
いくら、インフラや最低限度の生活を保障されているからといって、金が無ければ自由に生きていけない。ただ、その金を得るために自由な時間さえも削っていないか。それなら、何のために生きているんだ。ひたすら金を稼ぐために、労働するために生きているのか。そんな国なのか、日本は。そうだとしても、そんな常識のようなものはいつまで続くのだろうか。AI技術の進歩に近い将来には、AIが人間の知能を超えることだって予測されている。そんな中で、労働だけが人生のすべてのような生活をしていた人々は何を目的に生きるのだろうか。どうやって、金を取得するのだろうか。
現在大学2年生であるが、就職というのはもう近くまで来ている。こんな時代に生まれたが故の悩みなのだろうか。そのカウントダウンは恐怖でしかない。まあ、特に金に興味が無いというのも影響しているのだろうが。そんな僕を、ヒップホップは時として普通の資本主義社会で生きる人々が持つであろう競争心を持たせてくれる。僕の場合は違う闘争心というものも同時に持たせてくれるのだが。
僕にとって、集団生活というのは基本的には嫌いだ。それは大学生活だろうが同じだ。同じ教室という閉鎖的空間に入れられ、同じ授業を受ける。非常に面倒くさいが、それを分かっていながらも大学に入学したのには、将来的に就職面で高卒よりも有利であるということを知っていたためである。いくら金に縛られる生活が嫌いであろうと、この資本主義経済の中で生きていくためには仕方のないことだ。時として自分の考えから異なるものに対しても、心の中で嫌悪感を持っていようと従わなければならない。そんな苦痛ともいえる生活の中で、ヒップホップがくれる闘争心というのは日々の精神安定剤のようなものになっていた。そんなこともあり、今日とて変わらず最近お気に入りのヒップホップの曲を聴きながら歩く。
幸運にも図書館に着くまで知り合いに会うことも無く、好きな音楽に浸りながら過ごせて気分はいい。早速、図書館内の自習スペースで勉強を始める。昨年、高校と大学のレベルの違いを痛感した。いくら、大学が始まって2週目といえど、今の内から復習をしておかないのと定期試験前に痛い目に合うのは自分だから。そんなことをもう2度と経験したくない。そう思いながら、付けていたワイヤレスイヤホンを外して、目の前に広がった教科書や授業ノートとにらめっこを開始する。
そうこうしているうちに、1限の終了を告げるチャイムが鳴った。机の上に散らかった教科書やノートをまとめ、授業の教室を目指す。勿論この間もワイヤレスイヤホンを付けることを忘れない。少しでも、一人の時間を確保したいんだ。そして、周りは当たり前だが、同じ大学生が歩いている。何とも言えない大学生特有の甲高く、内容も薄い会話が耳に入ってくるのが嫌なのだ。もしかしたら、仮面を被って友達と話している自分も他人からしてみれば、そっち側なのかもしれないが。