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第1話

 どこまでも青い空が視界を埋め尽くす。雲ひとつなく。

 

 この状況を人々は快晴と呼び、綺麗と感じるのであろう。ただ、僕はそうは思わない。青い空の所々に形も大きさも様々な雲が広がっている様子により風情を感じる。しかし、そうは思いながらも目の前の情景から目を離すことはできない。他の色が混ざっているわけではない。見渡す限りの美しい青。その光景に憧れを抱くのは当然のことだろう。

 

 ただ、自分が思い描く理想の姿とは遠い自分を見ているのと同じで、単純に青いだけの空を見ているのにも嫌気が差してきた。別の場所に行こうと芝生の上に寝転がっていた自分の身体を起こして立ち上がる。変わった視界から見える景色にはただただ広がる芝生。それはどこまでも。そんな人によっては恐怖を感じるかもしれない場所に、久しぶりに心が安らいだ気がした。1つだけ文句を言うならば、僕の上に広がる青い空。これさえ違えばよかったのにと変わるはずも変えることもできないものに文句を感じながら振り返る。

 

 そこには少し遠くの方に小高い丘とその上に大きな木が立っていた。どうせ変わらず芝生が広がっていると思っていた自分としては思いもよらない風景に自然と笑みがこぼれた。どこか映画やアニメで使われるような場所だ。特にそれらを嗜まないというのに、そこへ行こうと足が自然と前へ進む。


 歩けば歩くほど感じる芝生特有の柔らかい心地よい地面。こんな地面がどこでも感じることができればと思うが現実に広がるのは、アスファルトやコンクリートでできた硬く冷たい地面。それはどこか現実の人間関係を思い出させるようで吐き気がしてきた。特に好意や興味もないのに円滑な社会を無理やり構成させようと強要してくる世界を思い出して。今はそれを感じない場所にいて心を休めることが出来るというのに。せっかくの安らぎのひと時を邪魔されないよう自分にとって害悪の風景を頭の中から消し去って目の前に広がる緑に思考を戻す。


 思い出したくもないことを頭の中から消すために格闘していると気づいたときにはあれだけ遠くにあった小高い丘の近くにいた。遠くから見れば緩やかな斜面に見えたのだが、近くから見ればそうでもないらしい。しかし、今の自分が求めているのはただ一つ。丘の上にある大きな木に身体を任せて腰を下ろしたいだけ。どこか映画のワンシーンのようだ。まるで主人公が困難の中、何もできずに試行錯誤考えているシーンに使われそうだ。僕は決してこの世界の主人公ではないのだ。それぐらいこの年齢になれば自ずと分かる。辛いが、誰にも知られずその存在は消えていくのだ。だから、形だけでも主人公になれるそこへ行きたいんだ。最近の自分はこんな欲を感じないのに。


 再び現実のことに思考が戻ろうとしている頭を制御しつつ、丘の上に登ることに注力する。せっかくの自然に触れられ心安らぐというのに自分から壊れに行く必要もない。それに、大学生になってから碌に運動をしていないのだ。小中高と地元のスポーツ少年団や学校の部活動に所属していた僕が大学に入ってサークルや部活に所属しないと伝えたときには親や周りは驚いていたが。年齢を重ねるにつれ強要される仮面を被りながらのコミュニケーション。それは純粋にスポーツを楽しみたい、試合で勝利したいと思う自分にとっては苦痛でしかなかった。本心では思ってもいないのに円滑な組織運営のため嘘をつき、陰で集団で悪口を言い合う。周りの人間の表と裏のギャップについていけない自分にとって組織というものは嫌いになっていった。ただ、そうは言っても始めたからにはやり切れと昔から親に言われていたため高校までは部活をやり切ったが、最後の大会で負けたときには周りのように涙が流れることは無かった。ようやくこの呪縛から解き放たれたという喜びの方が強かった。そんなこともあり、大学に入学以降、運動をする機会は無くなっていった。今までやっていたのがチームスポーツだったということも関係しているだろうが。唯一身体を動かしているというのは大学への登下校時の自転車を漕いでいる時のみ。だから、この丘を登るのも注意しないと今の自分には大変なのだ。


 またしても、現実を思い出し勝手に嫌悪感を抱いてしまう自分が嫌になる。ただ、自分もしたくてしているわけではないのだ。勝手にそう脳が思い出させるんだ。今までの19年間の経験を通して。勝手に他者と比較し、到底叶わない目標を抱き、それに心が壊れそうになるまで努力して報われない。そんな人生から日常的に自己嫌悪に陥らないような人間にならない方が不思議だろう。


 逆に周りの人間がどうして笑顔で生活することが出来ているのか不思議に思う。偶々、神に愛された才能の持ち主が周りにいて笑顔でいられるのか。もしくは、苦痛に耐えながらもそれを上書きできるほどの幸せを手に入れる方法を持っているのか。そもそも、僕が思う苦痛を感じないのか、それとも単純にそれを苦痛だと認識しないのか。ただ、同じように苦痛を感じ自己嫌悪に陥りながらも人前だからかりそめの自分を演じつつも、裏で同じように苦しんでいるのか。自分が辛いのに人の心配をしている場合ではないだろう。それも赤の他人のことであり、その場面ですらないのだから。


 そんなことを考えながら登るものだから小高いはずの丘も今の僕には大きな山のように感じる。それはまるで今の自分を表しているようだった。昔なら簡単にできたこと。躊躇なく人に伝えられたこと。それが年齢が上がるにつれて大きな壁のように感じた。小さい頃ならその行為をする過程で何とも思わなかったというのに。これが大人になるということなのだろうか。良く言えばそうなるのだろう。ただ、それは社会という縛られた世界に適合していっているということだ。


 それに対し、他人がどう思うかはわからないが、僕は苦痛でしかなかった。たった一度の人生だというのに、自由に生きることが出来ないのは。それも日本という世界的にもある程度自由で恵まれた国に生まれたというのに。


 ただ、こうも考えることが出来るはずだ。日本という経済的にも安全面でも優れた国に生まれたというのなら、他人と違う道に進んでも良かった。それに自分が生まれた家庭は経済的に困窮しているわけでは無かった。その分、自分の我儘を言っても良かったのだろう。それは日常的にも進路的にも。しかし、その選択は自分には出来なかった。平日の朝早くから会社へ向かい、夜遅くに帰ってくる両親の姿を見て自分勝手な我儘を言いたくは無かった。


 だが、それは自分を良く見せたいだけの理由に過ぎない。本当は言えなかったのだ。決断できなかったのだ。自分の夢というものを。それに向け全身全霊をかけ目指していくことを。日本に生まれた限りほとんどの人に保証されている普通に生きるという道に魅せられて。


 ここで言う普通とは何か。その正確な定義は難しい。いくら日本という島国に住んでいようと一個人からしてみれば、広大な土地で様々な人々が住んでいる。そこで実際に僕が見ることのできる景色というのは一部分にすぎない。また、SNSの普及により赤の他人の感情や思考が分かるようになったとしても、僕が把握することが出来るのは日本国民のほんの一部のことだろう。それで自分は普通に生きていると思っていても他者から見れば異なるのかもしれない。


 では、特別な人間かと言われるとそうではないだろう。これも特別をどう定義するかで変わってくるのだろうが、少なくとも他人と比べて秀でた能力を有していない時点で僕はそれには当てはまらない。それは自分の人生の中では勿論自分自身が主人公であるが、この世界にとってもしくは誰かにとっての一番ではないということを如実に知らしめた。


 何様のつもりかと思われるかもしれないが、小さい頃は誰もが思わないのだろうか。誰かのヒーローになりたいと。ドラマや映画のような魅力的な主人公になりたいと。そのような願望は徐々に物事を現実的に見えるようになり消えていくのだろうが。では、僕のようなどこにでもいるような人間の人生というのは何なのだろうか。ただただ、優れた人を引き立てるモブでしかないのか。そうであるのならば、何をもって生きるのか。話が飛躍しすぎているだろうか。しかし、これは正真正銘の本音なのだ。論理的ではない考えかもしれない。だが、日々思うのだ。僕は何のために生きるのかと。多くの人にとって認知されることのなく消えていく存在ならば。


 せっかくの日常の喧騒から離れ自然に囲まれる場所だというのに再び自己嫌悪に陥る自分の頭を殴りたくなる。いつも周りにいる仮面を被った人に囲まれているわけでは無いのだ。心の中で何を考えているか見えない他者と勝手に自分を比較し、反省し落ち込んで何も出来ない自室にいるわけでは無いのだ。今ぐらい暗い感情を放り捨てて心身ともに安らいでも誰も怒らないだろう。何故だかここには誰もいないのだから。


 そう思うと目の前の緑が再び視界に入るようになった。少し上を向けばもうすぐ丘の上に辿り着こうとしていた。


 登る前に感じていた運動不足の心配は当たっていて無事に丘の上に辿り着くことはできたものの息が切れた。それもあって倒れ込むように丘の上の木に背中を預け地べたに座る。

「イテテ。はあ。」

 想像以上に急に座ったためか木に勢い良くぶつかるがそれもここまで来ればどうでも良くなった。先ほど芝生の上で寝転がっていた時よりも風情を感じる景色に心が和んだ。目の前に広がるのは芝生の緑と空の青の二色だが。大きな木が揺れる際に少し視界に映る木の葉がいい味を出している。


 こんな自然あふれる場所にいつでも行くことが出来るのならもう少し僕の心も落ち着くのだろうか。しかし、休日ぐらい家でゆっくりしたいというのが本音だ。家を出れば、そこは自分にとって落ち着く場所ではないのだから。冷たい地面に家屋や無機質な建物が立ち並ぶ人工の世界。それによって僕はこうして生きているわけであるから一概に悪とは言えないが、目の前のような自然を感じる場所というのはあまり行く機会が無い。それも自分の意志で変えることのできることだが、その過程で他人と接するのが嫌なのだ。休日ぐらい仮面を外させてほしい。


 そう思っていると心が安らいだのか。それとも心地よい風のせいだろうか。眠気が襲ってきた。それに抵抗するまでもなく目をつぶる。自分がどこにいるか分からないというのに、普段以上に安心して寝られる状況におかしいと思わず。そうして視界が閉じていくと同時に聞こえてきた。ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ...


 目を閉じる前に広がっていた自然には不相応の人工的な高い音に苛立ちを感じながら、視界がはっきりしないまま音の方へ手を伸ばす。なかなかその物体を掴めず鳴り続ける音に目が覚め見てみると、視界には自室の白い天井が広がっていた。なんだ夢だったのかと先ほどまでの幻想的な体験を悔やむと同時にいつまでも鳴り続けるアラームを止めるべくスマホを操作する。眠い目をこすりながら現在の時刻を見てみると朝の7時。今日は月曜日だから大学に行かなくてはならないのだが、幸運にも授業があるのは2限から。それでも、大学に入学して以降下宿をしている身。ぼーっとしていても何も出てこないので、布団から抜け出し朝の準備を始めた。


 この春に大学2回生になったということもあり、徐々に一人暮らしにも慣れてきた。というのも今まで家事については母親が言うことを手伝っただけであり碌にやったことが無かった。そのため、大学合格が決まった後は母主導の元、厳しい家事の訓練期間が実施された。当時は面倒くさいと思いながらもどこの家庭もそうであろうが母親の機嫌を損ねるとその日の家庭の雰囲気は最悪になるのだ。それを19年間で学んできたこともあり、文句を言わずに母親の細かい基準に合格できるよう努力したものだ。今となってみれば本当にありがたかった。あの時間が無ければ整理整頓されていない部屋が完成されていたに違いない。それと面と向かって言えなかったが、今まで家事と育児を忙しい仕事の合間にやっていた母の偉大さを感じた。いつの日かこれを伝えられる日が来ればいいのだが。


 しかし、そんなことに今は感慨にふけっているわけにはいかない。月曜日は燃えるゴミの日なのだ。いくら大学の授業が2限からとはいえ早く準備しなければゴミ収集車が来てしまう。僕らは自由なはずなのにどこかいつも時間に追われている。

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