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1 ある冬の日

ある冬の日、とある地方の領主の娘リコリスは春が待ち遠しいと思っていなかった。

目の前の机の上には姉からの手紙。何度読んでもリコリスには姉の言うところの『朗報』が誰にとっての『朗報』なのかわからない。


「行きたくないあ」

そう呟きながら立ち上がり、姿見の前にいく。鏡に映るのはドレスとそれを着ている自分。

「毎日こんなのを着て過ごすなんて苦しそう」

普段着慣れない流行の型の洋服と自分とは別次元で繋がっているようで何だかおかしい。

しかめっ面で鏡に映る自分に気付き、無理に頬笑んでみるがどこか薄ら寒いものを感じる。

今、上流階級の女性の間ではウエストは細く!スカートは大きく!が主流なようで、

リコリスも端麗に装う習慣を強いられていたのだった。


「リコリス様、そのように無理に頬笑むぐらいなら、まだ無表情の方がましですよ」

ノックの後部屋に入ってきたのは使用人のアラーラだった。

「無表情?」

「ええ。リコリス様の無表情は憂いを帯びた深窓の姫君に見えなくはないですから。勿論、きちんと着飾っての無表情ですよ」

「お姫様に見られなくていいからこれ脱いでいい?やっぱり、いつもの頭から被るローブの方が好きなんだけどなぁ。楽に着れるしー」

普段は上下が一続きの長くてゆったりしている、いわゆるローブをリコリスは好んで着ていた。

「リコリス様。

王都で恥をさらしたいのですか」

アラーラの声が一段低くなったのでリコリスは直ぐ様、ごめんなさいと言ったのだった。

姉からの手紙はリコリスの日常にちょっとした変化をもたらした。

『朗報』は王都での淑女教育。

地方の有産階級の娘にとっては一種の社会的な地位の象徴になるのだが、

リコリスにとって淑女教育とやらは憂鬱の種でしかない。

苦しいウエストに刺繍の練習。

此処でもできるのだから、わざわざ王都へ行かなくても、とリコリスは思っていた。

タルボット家の家長であり、リコリスの父ダミアノスが治めるこの地方は寒冷地であるため冬は雪に閉ざされてしまう。

リコリスの姉であるナタリアは、日差しが鈍く弱いこの地方の冬は陰鬱な気分にさせると言って憚らない。

育った場所だから心底嫌いと言うわけではないが、曇り空の多い冬は野外活動を好む彼女にはもどかしく感じるのかもしれない。

そんな彼女はリコリスが七歳の頃、生活の場を王都の屋敷へと移しており、最近では年に数回の手紙のやりとりだけだ。

それでも姉妹の仲は良好であるとナタリアは思っていたし、リコリスもできれば半年に一回は姉に帰って来てほしいなあと思っていた。

でもリコリスは手紙に帰ってきてほしいと書いたことは一度もなかった。

手紙の端々から姉が今の生活を気に入っていることはわかるし、

それにどうも多忙なようでたまに遠征地らしき所から手紙が送られてくるのだ。

姉からの返事は嬉しいが、返事を貰うたびに仕事の邪魔をしてるのかも、と脳裏に浮かぶのだ。

そして冬のはじまりに届いた今回の手紙。

封筒の中には姉からの手紙だけではなく、今は王都にいる父ダミアノスの短い文章もあった。

―――春には詳細な手紙と迎えを寄越す、と。

宮中へ呼ばれた父とは半年近く会ってはおらず、どうやら冬を領地で過ごすのはリコリスと母のエレクトアだけのようだ。

ナタリアが思うほど、ここの冬が陰鬱だとは思わないが、リコリスも鉛色の空ばかりだと気が滅入る。

でもその分、差し込む日光が伸び始め、しだいに明るさを取り戻して春が近いことを知るとなんだか、わくわくする。

アラーラに言わせればリコリス様の場合はわくわくではなく、そわそわです、ということだが

少なくとも、そのわくわく感の為に鉛色の空があるのだとリコリスは思っていた。


「リコリス様、午後は刺繍の続きでよろしいですね。こちらの部屋に準備しますか?」

「ねえアラーラ。ちょっと思ったんだけど、王都でも刺繍はするんでしょう?だったら今やらなくてもいいんじゃないかなぁ?」

そう言ったリコリスを一瞥すると、アラーラはため息をついた。

「リコリス様が今なさっている刺繍は基礎中の基礎なんですよ。

あちらではおそらく流行りの意匠でしょうから、今はそれに対応できる基礎を身につけて欲しいのであってですね……」

「あー、あのね、アラーラ」

お小言が長くなりそうだと思って口を開いたリコリスだったが、そのとっさの判断はよくなかった。

口を開いた瞬間、アラーラの片方の眉がやや上がったように見えた。

「リコリス様。人の話は」

「遮らない」

「その通りです。

話を戻しますが、刺繍も勿論ですが、王都では今まで習った事の総仕上げをするんだと思ってくださればよいのです」

「総仕上げ……なら半年も王都に居なくてもいいと思うんだけど」

アラーラは言葉に詰まった。

リコリスの王都での滞在期間についてはアラーラも疑問に思っていたのだ。

リコリス位の身分なら長くても二月程で淑女教育は終わるはずである。

今年十三歳になるリコリスはずぼらな所はあるが、行儀作法などの基本はまずまずの出来である。

本人は社交界に興味はないようだし、領主や奥方のエレクトアからも社交界でのお披露目について聞いたことがない。

だから淑女教育だけで半年近くも王都に留まる理由がアラーラにはわからなかった。

ただ、アラーラには気になることはある。それはリコリスの母であるエレクトアの言葉だ。


  ―――リコリスと一緒に王都へ行ってくれないかしら?

  ―――いいえ私はここに残るわ。そうね、半年……もしかしたら一年。

  ―――あなたを選んだのは、リコリスがあなたに懐いているようだし、

  以前王都で生活してみたいとあなたが言っていたと聞いたから…

  ―――それにあちらで長く暮らすつもりがあるなら、職は用意するわ。勤め先を自分で探すのなら紹介状を用意します。

  ―――返事はすぐにとは言わないわ。ゆっくり考えて頂戴ね。


リコリスの滞在期間はは延びる可能性がある。それに職を用意するという言葉。

リコリスの滞在期間が終わってからの話だとは思うが、その後も王都に留まっていいのだろうか……

領地に戻るリコリス様の世話はどうするのだろう……

そもそもアラーラは、王都で生活してみたいと本気で思っているわけではない。

以前使用人仲間との会話の中で苦手なものの話題が出た時、

雪国生まれなのに寒さが苦手だったアラーラは話の流れで冬は王都で生活したいですねー、ここよりは暖かそうですし、と話しただけだった。

実家の農園は弟が継ぐ予定で、許婚や恋人がいないアラーラは比較的身軽であるし、貯えもそれなりにある。

住む場所と働き口があれば王都で生活する事は可能なのだ。

だから疑問はあるが、おそらくこれは自分の人生の岐路なのだからじっくり考えようと思うアラーラだった。



「王都にはナタリア様もおられますから領主様のご配慮かもしれませんよ?」

とりあえず無難な返答をするアラーラ。

「そうかなぁ」

「他に理由があるにしろ私にはわかりませんね。

それでは刺繍の準備はこちらの部屋にしておきますね」

「……わかった」

「では失礼します」

部屋から出ていくアラーラを見つめるリコリス。

ピンとした背筋に整った顔立ち。薄い化粧に纏め髪でもなんだか見つめてしまう雰囲気がある。

だからリコリスはアラーラの方が淑女教育とやらをした方が似合うにと思うのだった。



刺繍の時間までまだ少しあったのでリコリスはなんとなく母であるエレクトアの寝室へ入った。

寝台に横たわるエレクトアに目覚める気配はない。

近くにある椅子に腰掛けるとリコリスはエレクトアの寝台に頭を預け目を閉じた。

ふと思い浮かんだのはお母様から貰った魔法の草。

お父様には内緒よ、と絹のハンカチに包まれた一本の濃緑。

私よりお母様に必要なんじゃないかな、とリコリスは思ったが、

私はもう十分この恩恵に与ったの。だからこれはリコリスが持っていて。

そう言われてリコリスは魔法の草とやらを受け取ったのだ。

万病に効くという話だが、たまに寝込むエレクトアを見ると、効果に疑問を感じる。

だからリコリスにとって魔法の草とやらは薬というよりは、一種のまじない的なお守りみたいな感覚だった。

「お守りだから王都に行く時も持っていったほうがいいよね」

なんとなく呟き、しばらくしてリコリスは眠りはじめた。


意図せず午後からの刺繍の時間は無くなったが、かわりにアラーラのお小言と、次の日の刺繍の時間は倍に増えていたのだった。



遅くなりましたが第1話です;

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