飛んできた鷲
エレクトアの話
迎えに来てくれた。
彼の手を取ることを選んだのは私。でも、彼に触れてわかったの。
この手は私をやさしく拒絶している。その内に私を受け入れてはくれないの。
感情の見えない面差しにこの手のぬくもり…
私、貴方が好きなの。
そう言った私に彼は君との間に子供を持つことはないと、はっきり言った。
随分前に彼に尋ねた事がある…私に貴方の子を産む未来はあるのかと。
その答えを今、口にするなんてひどいわ。
そう思った。
もしかしたら迎えに来てくれるかもしれない…
あの時、その言葉を聞いていたら私、心の奥底でそうは望まなかった。
それに今更貴方が好きだなんて言わなかったわ。
…彼は迎えに来たんじゃなくて、私に選択肢を増やしに来てくれただけ。
私は彼の手をとったけれど、彼は私に手を差し伸べてはいなかったのが何よりの証拠―――
それから、それから…………そう。
私は魔法を飲み込んで全てを忘れたの。
私は『私』のしがらみを断ち切ってエレクトアになった………
***
冷たい風が頬を軽くこするように通り過ぎていく。
すべらかな大きな石に腰掛けた身体は冷えてきたが暖かい場所へ戻る気にはなれなかった。
何か羽織ってくればよかった…見上げる空には雲は見当たらず青かった。
吐息を漏らしつつ思い浮べるのは幾つかの会話。
……嫁いで間もない頃は若いからまだ大丈夫…そんな言葉をよく投げ掛けられた。
それから一年、二年、…三年が過ぎる頃には私が子供を産みたがらないのは体型を気にしているから、人妻の身で馬や武芸をやっているから子が出来ない、どこか悪意のまざった噂が立ったのだ。
……調和のとれた食事と軽い運動をして健やかな生活を心がけていただけ。
……馬は好きだけどそんなに頻繁には乗っていないわ。
第一、子供が欲しくないなんて思っていない。
……私だって赤ちゃん欲しいの。彼との子供を望んでるのに。どうして?どんなに願っても赤ちゃんはきてくれない。
目頭が熱くなって握った手の甲に雫が一粒落ちた。
「―――エレクトア」
背後から声が聞こえたが振り向くことができない。だってこんな所を見られたくない。だって…
「エレクトア」
平淡な優しい声。
どうしよう、涙が止まらない。振り向かないまま首を左右にふる。
妻となった女がこんな子供っぽい仕草をするなんて呆れてる?
「風が冷たくなってきた…」
そう言って私の前で芝生に膝をつけ、両手で私の手を覆う。
「……ごめんなさい」
「君が謝る必要はないんだ」
「でも、わ、私…」
あなたの子供が産めないの。
言葉のかわりに涙が彼の手の甲に落ちた。
「エレクトア、彼等の戯言に耳を貸す必要はないんだ。君も私も健康で…それでも子供ができない事はあるものだ。それに私達は結婚してから夫婦らしい時間を持つ事が少なかったしな…。私が…」
彼が言い終わる前に私は口を開く。涙もどこかにとんだ。
だって前と同じ台詞は聞きたくない。…不安になるから。
「そんなことないわっ!あなたは国の為に働いていたのに私が寂しいって我が儘ばかり言ってただけ」
彼は会戦が始まるのを阻止すべく奔走していたのに私は彼が構ってくれない事に不満を感じていたのだ。
「…私の子を産むことは義務ではないんだ。君がそばに居てくれるならでいい」
優しい。この人は優しい。
石から下りて芝生に座り込み、目の前の彼に抱きついた。彼はやさしく抱きしめてくれる。だから…私は彼の恥ずかしくない妻になりたい。
「……私が奥さんとしてもまだまだ未熟だから言いだせなかった?ううん…私が産むことに囚われすぎてたからだね」
「ん?」
「双子の兄妹」
「…知っていたのか…」
彼を抱きしめる腕に力が入る。
「ええ…あなたに引き取って育てて欲しいって…」
「私達にだ」
そう言って今度は彼が腕に力を込めた。
「私、双子のお母さんになれるかしら」
「…彼らは君には懐いていたな…この前も君の側から離れなかった。そうそう他人には馴染まないんだが…」
「そうだった?一緒にお菓子を食べたりしていただけよ?絵本を読もうとしたら嫌がられちゃったし」
私がそう言うと彼は抱きしめる腕を外して私の目元を軽く撫でながら微笑む。
「彼らはもう絵本なんて読まないよ」
「まあそうなの?」
「それにあれは嫌がったというより恥ずかしがったんだろう。……そうだな、無理に親になろうとするんじゃなくて、君のままで彼らに接すればいいんじゃないか。そういう君を見て母と感じていくだろう…。今更だか、彼らを引き取りたいんだがいいかい?」
「勿論よ」
彼が立ち上がり私に手を差し出そうとした時、鳥が一羽私達に向かって飛んくるのが見えた。
「エレクトア!」
彼は私に覆いかぶさり、私は彼の足の間からその鳥が地面に降り立つのを見ていた。
「大きいわ…鷹?」
「そうだな…鷲だな」
暗褐色の羽に脚には下向き曲がった爪…鉤爪を持っている。
そして曲がった鋭い嘴。不思議なことにこの鷲は嘴に草を挟んでいた。
「どうしたのかしら…」
鷲はおよそ半歩の距離からこちらをジッと見ている。
「……君を見ているみたいだな」
彼は立ったまま私と並んで鷲と向かい合っていた。
鷲はそのまま歩いて私が座って居るところまでくると嘴で私のお腹の辺りをつつこうとする。
「なっ、何?」
「エレクトア、私の後ろに…」
「多分、大丈夫よ。…この草を私にくれるの?」
問うように言うと鷲は言葉がわかるのか首を傾げる。そしてまた私のお腹をつつこうとする。
「…腹に何かあるのか?」
彼がそう言うと鷲はまた首を傾げ、そして今度は私の顔に向かって首を伸ばしはじめた。
「どういう事かしら…」
「………彼女にそれを食べて欲しいのか?」
「えっ」
鷲は首を立てに振り私の手のひらに草を置いた。
草は束になっていて掌より少し大きい。葉は小指の爪程度の大きさで楕円形で厚く、色は濃い緑だ。食卓に出るような野菜には見えない。
「これ、どうやって食べるのかしら…」
「食べるつもりなのか?」
「え、ええ…何だか無性にこれが食べたいの…これがどういう草かわかる?」
そう言って束から一本抜き出して彼に渡す。
「………………………心当たりはあるが…まさかな」
草をまじまじ見ていた彼はそう言って思案顔になる。そして鷲を見た。
「…念の為毒味をしてから彼女に食べさせてもいいか?」
鷲は首を立てに振り、役目は終わったとばかりに飛んでいった。
「帰ろうか。早く暖かい場所に行ったほうがいい」
そして私達は帰途に就いた。
後に彼に聞いた話ではあの草は万病に効く魔法の薬草らしい。
見分けるのが困難だったようで私がその薬草を食べたのはあれから一月も後だった。
そんな貴重な物を私が食べていいのかと思ったが、彼に許可は貰ったし君は熱を出したらすぐ重い症状になるだろ、と言われた。
そのせいなのか私の記憶はひどく曖昧ではっきり思い出せるのは近年のものだけ。
だから強く断ることはできなかった。
鷲が持ってきた薬草。
何故私に持ってきたのか、誰かに運ばされたのか、不思議に思う事はあったが、あの草は確かに特別だった。
一月経っても萎れることはなく、鷲が持ってきた時のままだった―――
そして私は何度目かの熱を出してベットに横たわっている。
傍らには末っ子のリコリスが頭をベットに預け眠り込んでいる。
腕を出して彼女の髪をゆっくり梳いてやる。
父であるダミアノス様と同じ少しくせ毛なリコリス。
兄や姉のような黒く艶やかな髪を羨ましいそうに見ていたわね……。
一房軽く握って目を瞑る。そして何度目かの言葉を呟く。
私はあなたのくせ毛の髪好きよ……。