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慚愧の怪  作者: Masa plus


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(番外編 その一)懐かしの戦友

 ある日の朝、掬緒は書斎にやってくる。

「……兄さん?」

そこには既に䯊斬丸がいて、黙々と本を読んでいた。

「隠棚に行きたい」

「急にどうした?」

「兎に角……ちょっと行ってくる!」

掬緒は掛け軸を捲り、通路へと走り去ってしまう。


 

 闇が開け、隠棚が掬緒の目の前に現れる。いつもと変わらない質素な佇まいの後ろには曇りかけた空が見え、少し強い風が木々を叩いている。

「……」

掬緒は黙ったまま、隠棚の前で膝をつき、両手もついて、深く首を垂れる。


「閻魔様、獄卒様。この声が聞こえるならどうか聞いてください。そちらの世界にいる、かつて殀鬼と呼ばれた者たちを、彼らが大切にしていた人に会わせてあげてください。たった一度だけでも。彼らが一日でも早く罪を悔い、再び人の為に生きたいと思えるように」

頭を下げた掬緒の耳には、風に揺れる葉の音しか聞こえない。

「もし、もしこれが地獄の掟に背くことだというなら……僕はどんな罰でも引き受けます」

今度は、風の音さえ聞こえなかった。



「閻魔様。彼がこのように言っておりますが、どうしましょう?」

七の卒が言った。彼ら八獄卒と閻魔は、丁度鏡で地上を見ていた。


「彼には気の毒だが、何を言われたところで掟を変えるつもりはない。あれもこれもと認めたら、掟が崩壊する」


「”どうしても愛する者に会いたいなら、生まれ変わった後にどこまでも探しに行け”、ということですね」

「そうだ」

「”慚愧の怪”に力を与える際、亡者に協力を仰ぐと申した我が、またしても願いを通せると確信するのは思い上がりも甚だしいと、存じております」

「……何だその言い方は」閻魔は顔を顰める。

「伝えたいことがあるなら言うがいい。余計な含みなどいらない」

「恐れながら閻魔様。我が預かる亡者に、ここを出るまでそう間もないであろう者がいるのです」

「ああ、あの亡者か」

「ここを出たら、彼の記憶はほぼなくなるでしょう。その前に一度、嘗ての仲間と話をさせてやって欲しいのです。粒選りで生まれ変わった亡者の中でも、彼は特に直向きな思いを抱えていましたから」

「敗れるまでの彼の活躍ぶりも、目を見張るものがあった。それは否定できない」

一の卒たちは、いつも豪快な七の卒が妙に暗い面持ちなのを不思議がって見ていた。


暫くの沈黙の後。

「その亡者の転生前に、この隠棚なるものを通じて一度だけ、共に戦った者と会うのを認めよう」

「閻魔様……!」



「……緒!」

「??」

「掬緒!」

「!?」

祈りの返答を待つうちに、掬緒はいつの間にか眠っていた。

「兄さん!?」

「隠棚に行ったと思ったら……」

「……」

「まさか、何か祈っていたのか?その体の向きからして……」

「……うん」

「閻魔様や獄卒様にか?」

「一度だけでもいいから、離れ離れになった人たちを、会わせてあげて欲しい、って」

「どうだろうな。閻魔様も獄卒様も、掟には大変厳しい方々だ。たった一人の人間の願いを、そう易々と聞いてくださるとは――」

「聞いたんだ」掬緒はきっぱりと言った。


「一人、もうすぐ地獄を出る亡者を、共に戦った者と会わせるって。この隠棚の前で」

「!」䯊斬丸は察した。

「まさかそれは……十郎か!?」

「……多分」

「閻魔様は、いつ来ると仰っていたんだ!?」

「わからない」

「……そうか」

 

 翌日の朝食後、”慚愧の怪”は全員で隠棚を訪れる。

「閻魔様、獄卒様。十郎が地獄から出るのを許される時が来ましたらどうか教えてください。我々はいつでも、彼が来るのを待っていますから」

䯊斬丸の言葉と共に、五人は膝をついて深々と頭を下げる。だが何も変化は起きない。

「まだか……」

五人は落胆して隠棚を去る。その後も朝と夜の一日二回、隠棚に来ては十郎の状況を伺うも、地獄からの返答がない日々が続いた。それでも五人は十郎に会えるのを信じ、根気強く隠棚を訪れ続ける。



 八月半ばのある日。

「閻魔様、獄卒様。十郎が地獄から出るのを許される時が来ましたらどうか教えてください――」

いつものように、”慚愧の怪”が隠棚の前で頭を下げた。


「今宵、再びここに来るがよい。其方らを含め、亡者が世話になった者全てと共にな」


五人ははっとして顔を上げた。隠棚の向こうから、聞き覚えのある声が響いたのだ。

「閻魔様……!」

「夜明けまで、思う存分話すがいい」


 

 その日の夜。隠棚の前には、”慚愧の怪”、坐胆、丙・乙姉弟、さらに晶珊と瑠阿武砦が集まった。

「それにしても暗いな……灯りは棚上の蝋燭しかないのか」

「この方が、十郎君の姿がよく見えるんだろう」

暗闇の中で、瑠阿武砦と晶珊が小声で話している。


 一同が静かに頭を下げた時。


「……みんな……!」


風の音すらない静寂に響く声。掬緒、晶珊、瑠阿武砦以外の者には懐かしい、胸が熱くなる声――。


「十郎……!」

「じゅう兄!」


「十郎君……僕が来る前の、『飲食』の力を授かった五供……」


それぞれが思いを抱えて顔を上げる。その視線の先には、棚を隠すように立つ、ぼんやり光る少年の姿があった。


「十郎……」

「十郎くん……」

「お久しぶりです、十郎さん」

「先生、丙さん、乙さん……お久しぶりです」


感極まった表情で言う、十郎という名の少年の霊。他の者も次々と後に続く。

 

「十郎、待っていたぞ」

「もう、会えないかと思っていましたのに……」

「兄さん、姉さん……」

「じゅう兄ぃぃぃ!会いたかったぁ!!」

「もう、綺清那ってば」

「じゅう……兄……」

「はは、べるめろも相変わらずだな」


「あ、あの……」

「もしかして君?『飲食』の力を継いだのは」

「うん」

「はじめまして。僕は十郎」

「僕は掬緒……よろしく」

掬緒は内心気まずかった。十郎がこの場にいられるのはそう長くない。今ここで「よろしく」なんて言っても、あまり意味がないのでは――。

「掬緒君、よろしくね」

掬緒の気まずさは、その一言で一瞬で消えた。



「十郎君、初めまして。僕は五供・百五十部隊の『飲食』、晶珊です」

「俺は同じく百五十部隊の『香』、瑠阿武砦だ」


(晶珊……さん?瑠阿武砦……さん?あの百五十部隊の……?)

 

「ずっと憧れてたんです、百五十部隊の皆さんに。まさか会えるだなんて……夢みたいです」

「……そうか」

「瑠阿武砦、湿っぽいな。もっと喜べばいいのに」


(ハハハハハ……)



 色々話すうちに、東の空が仄明るくなった。夜明けが近づいているのだ。


「そろそろ……お暇させていただきます」


十郎がそう言う間にも、日はどんどん高く昇っていく。隠棚の前に立つ者の背後に、長く長く影が伸びた。ただ一人、十郎を除いて。


「じゅう兄……もう、お別れなの?」綺清那が寂しげな声で言う。


「いや、違う。これでやっと、本当に、みんなにまた会えるんだ――」


遂に、朝が来た。


「みんな、また来るから!生まれ変わって会いに来るから!!」

十郎は静かに、地獄へと戻っていった。


 

 それから数年後。

櫻蓮郷に、十郎とよく似た少年が現れたのは、また別の話――。

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