(第六十五話)巨悪への裁き
地獄の裁きの間にて、”トガ”が縄に縛られた状態で立っている。その向かいでは閻魔、八獄卒、そして特別に呼ばれた弥勒が並び、”トガ”を見下ろしている。
「千年を超える長きに亘り、人間を殺めた其方の罪は――」
閻魔が威厳溢れる声で宣言した。その時――
「!?」
場の空気が一変した。”トガ”の体が闇に包まれ、それがゆっくりと晴れると共に、中から別の存在が現れた。しかもそれは、閻魔と八獄卒には見覚えのある容姿をしている。
「そ、其方は……!」
弥勒を含む一同が息を呑んだ。彼らの視線の先にいるのは、遠い昔に干からびた花弁から化生し、閻魔に不吉な存在と蔑まれ、八獄卒の情けを仇で返した、名もなき獄卒だったのだ。
「フッフッフ…………ハッハッハッハッハ!!」
突然、天を仰いで高笑いする獄卒。閻魔たちは何事かと疑問に思うも、唇を固く結び、神妙な面持ちを崩さずに見据える。
「何が愛だ!慈悲だ!お前らは数多の人間が殺されても、傍観するしかできなかっただろうが!それに加え、五千年以上生きていて我の正体気づかぬとは、いくら笑っても足りない!とんだ未熟者ども、一から修業をやり直したらどうだ!?」
沈黙。
「……お、おい、何だ」
「我々が罵られるのは構わない。だが……」
「!!」
「つまらぬ欲で人間を弄ぶな!!!!!」
私欲のままに人間を殺した同胞への、八獄卒の怒りの一喝は、獄卒の鼓膜を破壊せんとする勢いの轟音だった。裁きの間を天地ごと揺らすその声に、獄卒は平衡を失い、膝を折って倒れた。しかもその姿は――体中から顔や腕、足が生えた、とても表現しがたい悍ましさの化け物だった。手下にもいなかった、この世の何よりも醜悪で、一度見たら忘れられない存在だった。
「ああ、我としたことが……」
壁に映る姿を見て、八獄卒は赤面する。激情に駆られ、禍々しい異形と化したことを恥じたのだ。顔も手足も次々に消え、八獄卒は瞬く間に元の姿に戻った。
「……っ!」
ギリリと引かれた縄に縛られ、獄卒は息を詰まらせる。彼の目には尚、異形と化した同胞の姿が焼き付いていた。
「な、何なんだ、お前ら……」
獄卒からは先程までの狂気じみた笑いが消えていた。声が震え、目は恐怖に開かれている。
「……ぁ……ぁ……」
獄卒はわかっていた。彼らが皆、自分に途轍もない怒りを向けていることを――。
「うむ。では改めて――」
八獄卒が落ち着きを取り戻したのを見て閻魔は佇まいを改め、判決を続ける。
「其方は一億年、この無明絶孤地獄の一丁目から八丁目で責苦を受けるものとする。但し――」
(……但し?)
「一億年後の節目に於いて、我や獄卒、そして全ての亡者の中に一人でも異議を唱える者がいれば、その度刑期をさらに一億年延長する。この地獄にいる全ての者が許さない限り、其方は永遠に責苦を受け続けるのだ!」
閻魔の厳かな声がこだまする。判決はここで終わった。獄卒は嘗ての同胞に引き摺られ、責苦の場に向かった。
「もう……どうにでもすればよい」
最後の悪あがきで吐き捨てる獄卒。だが、その声に耳を傾ける者は誰もいなかった。
長年抱えていた瑠阿武砦との確執が、掬緒の仲立ちで解けた。晶珊の心は晴れ、体力もみるみる回復。遂には立って歩けるようにまでなった。
「みんなに心配をさせてしまった。早く本堂へ戻りたい」
「でも晶珊さん、まだ……」
「ああ……丙さんも一緒に来てくれませんか」
「……もう」
丙はふくれっ面で渋々晶珊についていく。その後に掬緒らが続き、全員が離れを後にした。
「晶珊様!」
「晶珊!」
掬緒と瑠阿武砦は、丙を追い越して晶珊の両隣に来た。左肩を瑠阿武砦が、右肩を掬緒が支えて歩いていく。
その頃、本堂ではまだ坐胆が民を宥めていた。目まぐるしく繰り広げられた戦いの記憶が生々しく、”トガ”の消滅を信じられなかった。また何か来るのではないかと、不安を隠せないのだ。
「先生!」
坐胆は驚いて振り向く。そこには掬緒の姿があった。彼の隣には晶珊、その隣には瑠阿武砦がいて、二人で晶珊を支えている。
「晶珊殿……?」
目の前で起きていることは夢なのだろうか。坐胆はそう思っていた。あの怪光線を直に受け、そのまま倒れ込んだ晶珊が生きている可能性など、ほぼないと諦めていた。その彼が、支えられながらではあるが、自分の足で歩けるようにまで回復している。しかもその表情は、どことなく、今まで見た中で最も明るいものに感じられる。
「おかげ様でここまで回復しました。心配をかけてすみませんでした」
「いや……でも良かった、本当に……!」坐胆は言葉を詰まらせる。
「もう、まだ治ったばかりなのに」
「姉さん……」
”慚愧の怪”、葡つ美、ゆずに続いて本堂に入った丙が冷や冷やしながら言った。乙はそれを見て手を止め、姉を気遣う。
「おぉ……」
民の間にも安堵の空気が漂い始める。その時、星屑のような光と共に、本堂に声がき渡った。
「坐胆、そして”慚愧の怪”よ」
その声に、坐胆は目を見開く。
「この声……もしやあなたは、弥勒様でございますか?」
「悪は去った。この世界に、殀鬼と呼べる者はいなくなった。其方たちは安心して、人として生きなさい」
光が静かに消えた。坐胆は呆然としたまま、弥勒の言葉を反芻する。
「殀鬼が……この世から、消えた?ということは……」
「我々はもう……殀鬼になることはないと?」
「䯊斬丸……そうだ。殀鬼はいない。そして、もう誰も、殀鬼にならないんだ!」
振り向いた坐胆の目には、嬉しさに満ちた涙が溢れている。
「掬緒……みんな!」
「晶珊様!」
晶珊は怪我から治りたてであることを忘れ、思わず掬緒を抱きしめた。䯊斬丸ら”慚愧の怪”の仲間も、丙・乙姉弟も、瑠阿武砦一家も、そして彼らを見守っていた民も――。
「やった!」
「よかった……もう、怖い思いをしなくて済むのね」
「しかも、この櫻蓮郷の、誰もが犠牲にならなかった!」
「やっと……悪夢が去ったんだ……」
本堂は、瞬く間に歓喜に包まれた。




