(第六十三話)”トガ”の最期
養祥寺にて。
「な、なんということだ!?」
”慚愧の怪”の思いもよらない変容は、”トガ”に衝撃を与えた。滅びの淵にあった筈の彼らが蘇り、さらには殀鬼に変えた人間を元に戻す力まで得ている――。
「ん?この気配……」
映像越しに謎の気配を察する”トガ”。これは――かつての同族のものだ。
「あいつら……まさか私を本気で潰すつもりか!?」
”トガ”はまだ自分に勝機があると、心の中で言い聞かせていた。しかしその手は震えていた。
その頃、書庫にて。
「にゃ~」
「可愛い……全然逃げない」
福はいつの間にかゆずの膝に乗っていた。父が百五十部隊に関して嘘をついているとの疑念を抱いてから、両親と顔を合わせるのが気まずくなって、二人とは距離を置いている。互いに背を向けたまま、会話もしていない。
「追い出されてる私たちを避けないなんて……何て優しい子なの」
――その瞬間。
(な、なんということだ!?)
「にゃ⁉」
遠くから声が聞こえた時、突然福が飛び起きた。毛を逆立てて尻尾を立て、ゆずの膝から跳ね降りると、そのまま走り去ってしまった。
「あ、待って!」
ゆずが止めようとした時には、福の姿はすでになかった。
本堂では、”トガ”が未だに勝機に縋っていた。
「いや、まだだ。まだ終わっていない……私は殀鬼を統べる王”トガ”、これまで幾万の人間を葬ってきたのだ。その私が、ここで退くなど……」
「にゃっ!!」
「ぐあぁぁぁっ!!」
福が駆け込み、”トガ”に噛み付いた。たった一匹の、決して大きくない生き物の牙が右腕に食い込む。動揺していた心に止めを刺すような一撃。”トガ”はその激痛に悲鳴をあげた。
「……あ!」
坐胆と晶珊は拘束を解かれた。”トガ”が怯んで力が弱まったのだ。
「坐胆さん!」
「ああ」
坐胆と晶珊は二人は武器を取り直し、怯んだ”トガ”に突き立てた。
「!!」
左腕に二本の槍が刺さる。”トガ”は両手の自由を完全に失った。さらに……。
(ピカッ!)
激しい閃光と共に映像が割れた。その中から、一人、また一人と人影が現れる。
「お前たち……」
「掬緒!」
戻って来たのは”慚愧の怪”だった。
「あれは……」
「神様みたいだ……」
櫻蓮郷の民は息を呑む。白銀に輝く彼らの姿は、この世の者とは思えぬ神聖さを漂わせていた。
「”トガ”……」掬緒は”トガ”を睨みつける。
「何だ……また負け犬になるつもりか」
「違う。負け犬になるのはお前だ、”トガ”――!?」
掬緒が言いかけた時、”慚愧の怪”の体を漆黒の触手が捕える。その数――五本。しかも、その先では、両手の自由を失った筈の”トガ”が嗤っていた。
「両手をなくした者は、何も掴めないと思ったか?」
「どういうことだ……っ」
「歩くのは足ではない。物を持つのは手ではない……執念だ」
重い体を起こしながら、”トガ”が目をガッと見開く。すると触手が太くなり、巨大化して、捕えていた五人の体を突き刺した。五人は針山にされ、その白い体を染めるように血が流れた。
「掬緒――」
晶珊がそう言いかけた時、”トガ”が衝撃波を放った。右腕を噛んでいた福と、左腕を不能にした二本の槍が飛ばされた。それと共に”トガ”は力を取り戻し、立てるようになった。
「邪魔者は不要だ」
次の瞬間、”トガ”と”慚愧の怪”が消えた。民は呆然としたまま、その場に残された。
「決着をつけよう、愚か者ども」
”トガ”と”慚愧の怪”は消えたのではなかった。気配を消したのだ。
「お前たちも……お前たちに力を与えたあいつらも……もう終わりだ」
持てる憎しみの全てを集中させ、”トガ”は爛々と光る目で”慚愧の怪”を睨む。すると――。
「ぅぁっ……」
悲鳴をあげる余裕すらなかった。五人の体からみるみる力が抜け、”トガ”に吸い取られていった。神聖さを帯びる白銀の体は、頭から徐々に色褪せていく。あっという間に、五人の体の色は元通りになった。そして虫の息になった。
「最後に、その無様な姿を晒して死ぬんだな!ハハハハハ!!」
”トガ”は右腕を巨大な刃に変え、五人に止めを刺そうとした。
――グサッ。
”トガ”は確かな手ごたえを感じた。刃が肉に刺さる感触だ。自分以外、誰の息も聞こえない。
「やった、私が勝ったのだ。裏切り者は滅びるのだ。ハハハ――」
おかしい。腕をあげようとしても刃が抜けない。巨大な刃になっているとはいえ、こんなに引き上げるのが大変な筈がない――。
「我々は裏切ったのではない。元に戻ったんだ。我々の、あるべき姿に」
「周りにいる全ての人に裏切られても、決して道を誤りませんわ。私を心から愛し大切に思ってくださる方を、地の果てまで探し続けますわ」
「じゅう兄を返して!」
「”まま”を……返せ!」
腕の先から聞こえる声。そして重量感。”トガ”は何故腕が抜けないのかを悟った。刃を、八本――否、十本の腕ががっしりと掴んで離さないのだ。”トガ”が見下ろす先にいるのは、瞼を最大限に開いてこちらを見る䯊斬丸、彩蓮、綺清那、べるめろ。そして――。
「僕たちは……いや、人は……」最後の一人が刃を握る手に、一層の力が籠る。
「こんな思いをする為に生まれたんじゃない!!」
その時、掬緒の手に、槍と見紛う程の大きな矢が現れた。掬緒はそれを握りしめることもなく指で挟み、そのままふわりと”トガ”に向けて投げた。矢は一片の羽根のように掬緒の手を離れ、だが確実に、敵の額目がけて力強く飛んでいった。
「……ぁ……」
”トガ”は思った。あり得ない。あまりにも呆気なさすぎる。殀鬼の首領がこんな形で終わるなんて。嘘だと信じたい。見えるものも、聞こえるものも、感じるもの全てが虚構であって欲しい。そうでないならもう、自分は――。
「……地獄に堕ちろ」
視線の先にいる少年。嘗て自分の手下、鎧喝食だった者。その幻影が見えたような気がする。
「??」
”トガ”は瞬きして少年を見る。そこにいるのは確かに少年だ。鎧喝食の幻影は見えない。さらにその後ろには、少年の兄と姉のような者と、妹と弟のような者がいる。皆自分を、憎んでいるとも憐れんでいるともとれない目で見ている。
「お前ら……」
みるみるうちに”トガ”の力が抜けていく。彼の背後では、”慚愧の怪”が今まで見たことの無い、周囲の空間全てを呑み込むかと思う程巨大な穴が開いた。その中から無数の手が伸び、呆然としていた”トガ”の体をがっしり掴む。
「私は……私は……」
”トガ”は自分の運命を悟る。この後の行き先は決まっている。そこは自分にとって最も忌まわしき場所。憎き閻魔や八獄卒に再び会うという最悪の事態――。
「歩くのは足ではない。物を持つのは手ではない」”慚愧の怪”に向けた言葉が、”トガ”の心に蘇る。
「……執念だ」
その時、地獄に堕ちかけていた”トガ”の手が真っ白に光った。
「うっ……」
あまりの眩しさに”慚愧の怪”が目を瞑った時、その中から何かが高速で迫ってきた。”トガ”が怪光線を発したのだ。”トガ”は”慚愧の怪”の延長線上にいる。彼らに逃げる余裕はなかった。
「危ない!!」
その声と共に光は収まった。怪光線も消えた。”トガ”も地獄に堕ちたらしく、姿はない。周りの景色が開けた。ここは養祥寺だ。”トガ”の脅威は去った筈だった。
「晶珊様ぁーーー!!!」
そこには息も絶え絶えの晶珊が倒れていた。掬緒の悲痛な叫びが、養祥寺に響き渡る。
「!?」
本堂から離れた書庫にも、その声は響いていた。瑠阿武砦は、叫ばれたその名に愕然とする。
「晶珊…?」




