(第六十一話)地獄の祈り
地獄では、八獄卒が絶望的な状況に陥った人間界の様子を見ていた。
「……」
誰もが呆然とし、もどかしさに胸を詰まらせる。いかに惨状であろうと、自分たちは亡者の良心を見逃さず監視し続けねばならない。“慚愧の怪”を助けることなど、到底許されないのだ。
「……最早これまでか。また、尽きることなき責苦の日々が続くというわけか……」
四の卒が肩を落とす。他の面々も力なく項垂れ、誰も地上の様子を見ていない。その中でもただ一人、映像から目を離さない者がいた。一の卒だ。
「諦めるのはまだ早い」
意外な言葉に、一同がはっとして彼へと視線を向ける。
「我々は今まで、どんなに心が穢れた者の中にも玻璃のごとき一片の善を見出そうとしてきた。それと同じだ。ここで諦めるようなら、我々は務めを放棄したも同然」
「しかし……一体どうしろと?」三の卒が呻く。
「閃いた」七の卒が顔を上げる。
「一か八か、賭けてみようではないか」
謁見の間にて。
「もう……終わった」
浄玻璃の鏡の前には閻魔がいる。”慚愧の怪”が倒れたのを見て、虚ろな声を漏らした。全ての希望が潰えたと思った。その時―。
(ゴワーン)
「ん?」銅鑼の音が響いて、閻魔は入り口に目を向ける。
「閻魔様、八獄卒にございます!」
短い沈黙の後、低い声が響いた。「よい。入れ」
「突然の無礼、平にご容赦ください。此度は―」
「地上での件か」
「はい」
「何のつもりだ」
「閻魔様……」一の卒が一歩進み出て、遠慮がちに口を開く。
「あの五人……”慚愧の怪”に力を貸したく存じます」
「其方ら……」閻魔は呆れて溜息をついた。
「奇々衆たるもの、地上に出るは許されぬと―」
「わかっております!」一の卒が言った。思いもよらぬ強い声に、閻魔は目を見張る。
「我々がこの”身”を地上に出すのは禁忌―ならば、せめてこの”思い”だけでも届けたいのです」
一の卒の言葉の後、八獄卒は次々に懐から何かを出す。光り輝く切っ先―鋭利な短刀だった。
「そ、それは……!」
「もしこれが失敗した暁には、我々はこの命を絶つ所存にございます」
八獄卒の静かな、しかし激しい気迫。閻魔は、自分に恭しく仕える彼らに気圧される日が来るとは思いもしなかった。
「……必ず成功させよ」
掟がどうのこうのと言う余裕はない。閻魔は彼らの覚悟を受け止めた。
「あ……ありがとうございます!」
八獄卒は深々と頭を下げる。だがその直後、七の卒はすぐに顔を上げた。
「閻魔様。恐れながら、なお一つご許可を賜りたきことがございます」
「何と、まだあるのか!?」六の卒が思わず声を上げる。
「まあ落ち着け」七の卒は宥めつつ、閻魔を見据える。
「改めて申し上げます。我が願いは―」
場面変わって一丁目~八丁目にて。それぞれの管轄区に戻った八獄卒は、亡者たちに呼びかける。
「人を殺め世を血に染めた罪人たちよ、聞くがよい。其方らの在りし日の姿を写す者たちが、今まさに危機に瀕している。この戦いは、其方らが人として生きた証を残す機会に外ならない。己の誇りを守り、罪を贖わんとする思いが砂の粒ほどでもあるなら、我に力を貸せ!」
亡者の反応は三者三様だった。度重なる責苦を受けても尚人間への恨みを忘れない者。何が起きているのか掴めていない者。そして獄卒の言う通り、人としての心があったことを地上に刻みたい者まで―。
「何だかよくわからないけど……まあいいわ」魚小女は渋々頷く。
「え?何だ??」増蔓は首を傾げるばかりだった。
「それよりあのクズ親に会わせろ。話はそれからだ」喜猩々は尚も前世の両親への恨みに縛られている。
「俺が罪人……?何故だ、人助けをしてたのに」怪木師は今の境遇に納得していない。
「……娘や……」燭灯角は力なく呟きつつも力を貸す。
「ぬいぃぃぃ……くぅぅぅぅ……」畜飛出は肉のことしか頭にない。
「……ぁ……」立平太は何かを思うのもままならない。少なくとも力を貸す意思はないようだ。
「いやですわん、そんなありきたりなのは」啞瞻は相変わらず正々堂々を嫌い、応じる気はない。
三丁目にて。三の卒と玖英が対面している。
「な、なぁあんた、玖煙はどこにいるんだよ?」
「……」
「おい、言えないのかよ!?」
「……どこかにいる。確実に」三の卒は厳かに、ゆっくりと言った。
「じゃあ、消えたわけじゃないんだな!?」
「そうだ」
その時、絶望で真っ黒に染まっていた玖英の目が開いた。漆黒の闇に包まれていた世界に、光が宿ったようだった。
「力を貸すよ!俺は玖煙の兄・玖英だ!殀鬼なんて化け物じゃない!!」
四丁目にて。
「……兄ちゃん……?」
眠りかけていた玖煙が目を覚ます。引き離されて久しい兄の声。それは微かだが、確かに耳に届いている。
「兄ちゃん……そうか……そうなんだね」
「力は貸すのか?」四の卒が重い声で問う。
「……うん!」
(離れていても、心はずっと一緒だから……)
五丁目にて。
(――――)
青白い炎に囲われた独房の中。そこに哀蝉がいた。首から下は手の形をした無数の槍に貫かれ、一切の声を発することができなくなっている。
「力を……貸すのか?」
五の卒の囁くような声。耳を傾けるうちに、哀蝉の心にある記憶が蘇ってきた。遠い昔のこと、でもとても温かいもの。
「母さん、これなあに?」
「笛よ。吹いてみて」
「♬~」
「おお、上手だな」
「そう?父さん」
「ああ。まるで歌っているみたいだ」
「ふふ、じゃあ今度は歌を歌ってあげる!」
「♬~」
「ありがとう、初一君。心のしこりがとれたみたいだよ」
「よかったねぇ、こんないい子ができて」
「初一が殀鬼に殺されてしまったらどうしよう……」
(とう……さん……かあ……さん……)
声なき声の主の目から涙が流れる。でももう遅い。両親はどこにもいない。
(いや……でも、きっととどかにいる……)
亡者になり、呼吸すら忘れた哀蝉。五の卒の言葉以外に音がない中で、ゆっくりと、しかし力強く歌う。
「♪~♬~♩~♫~」
五の卒は哀蝉の、音のない歌に耳を傾ける。
「力を貸してくれるか。その思い、しかと受け止めた」
七丁目にて。七の卒の視線の先には十郎が横たわっていた。啞瞻に敗れた彼は、人間の為に懸命に戦ったのが皮肉な結果となったことで、絶望に打ちひしがれて無気力になっていた。
「この者たちに覚えはないか?」
七の卒が地上の映像を見せる。そこには横たわる嘗ての仲間たちと、見知らぬ少年が倒れていた。
「み……みんな……それに、この子まで……」
「諦めるな。彼らは気を失っているだけだ。まだ希望はある」
仲間たちが倒れたのを見て最早これまでと思いかけた十郎。七の卒の言葉を聞いた時、どこからか力が溢れてくるのを感じた。
「……く……っ」
十郎は二本の腕で、上体を一段、また一段と持ち上げていく。まるで、新たな道を一歩、また一歩と踏み出すかのように。
「もう一度……もう一度、皆と戦いたい!」
闇も、劫火さえも切り裂く咆哮のように響くその声は、正に魂の叫びだった。七の卒は微笑み、静かにその思いを受け止める。
八獄卒は閻魔の前に再び集まる。そして彼の立会いの元、精神を集中させる。亡者たちの思いを受け止めた八獄卒の体から魂が抜け、地上を目指して閃光の如く飛翔する。閻魔の前には、うつ伏せに倒れる八獄卒の姿があった。
(信じているぞ。あの日、池の中でも一際美しい蓮の花から生まれた者たちよ)




