(第六十話)絶体絶命
「くっ……」
「お願い、やめて!」
「わあぁぁ!!」
「……ぁ……」
殀鬼に襲われていたのは掬緒だけではなかった。“慚愧の怪“全員が、それぞれ別の場所に飛ばされ、殀鬼の大群に囲まれていたのだ。しかもそれは―かつて自分たちが命懸けで守った人々の変容体だった。
「駄目だ!戦うなんて、嫌だ!!!」
今までは何の迷いもなく殀鬼を倒していた。だが今、彼らの胸にあるのは全く異なる感情だった。誰も手を出せない。それでも殀鬼は容赦なく迫ってくる。
「こうなったら……」
“慚愧の怪“は、一人、また一人と力を解放し、殀鬼に変身していった。ただ一人、䯊斬丸を除いて。
(先生との修行、そして誓いにかける……!決して殀鬼になどならない!)
爪が、牙が、目前に迫る。五人は殀鬼になる者とならない者に分かれたが、誰一人として相手を攻撃しなかった。手が出そうになる衝動を何とか抑え、守りと回避に徹している。
その頃、 瑠阿武砦一家は養祥寺に避難していた。とはいえ、彼らは他の民と同じ間にはいない。瑠阿武砦と葡つ美が掬緒を殺そうとしていたことから警戒され、丙に書庫へ案内されたのだ。さらにここは、隠棚への通路がある書斎が目に入らない。
「こんなところで一体何をしろと……」
「食事は持ってきてもらってるけどねぇ。勝手に出てはだめって、丙さんが言ってたものねぇ」
「あの件で、ここまで信用されていないとは……」
「殺されなかっただけありがたいじゃない」両親の会話に、ゆずが割って入る。
「本当なら私たち、この櫻蓮郷に入るのさえ許されなかったのよ。仲間の命を狙う人なんて、入れたくないのが当然じゃない」
「それはわかる。お前のおかげで入れてもらったが……」
言葉を失う瑠阿武砦。心の奥底では、殀鬼から自分たちを守った存在へ敵意を向けたことに、うすうす罪悪感を覚えていたのだ。
「にゃー」
「ん?」
書庫に、そろりそろりと福が入って来た。福は瑠阿武砦たちを警戒せず、三人の膝に順番に乗っては喉を鳴らした。
(ゴロゴロゴロ……)
「あらあら、可愛いわねぇ」
「金目銀目の三毛猫とは、珍しいな」
「あ……」
瑠阿武砦と葡つ美が福を愛でる間に、ゆずの視線は本棚へ吸い寄せられた。そしてそっと立ち上がり、どんな本があるのか確かめようとした。
「!」
ふと一冊の背表紙に目が止まる。題は「五供・百五十部隊」―。
「これって、お父さんの―」
ゆずは夢中で本を読み進める。父には百五十部隊について幾度か聞かされ、関連資料も読んだ。ゆず自身も十分すぎるくらいあれこれ知った筈だが、今読んでいる本はそれ以上のことが書かれている。気がつけば最後の頁まで来ていた。
(え?)ゆずは眉を顰める。
(お父さん、百五十部隊は”トガ”を倒した後に全員死んだって言ってた筈……亡くなった人を弔う旅に出たって、どういうこと……?)
「おい、ゆず!」瑠阿武砦がゆずに気づいた。
「駄目だろ、勝手に読んじゃ―」
「お父さん」本を抱えたゆずが父を見据える。その目は暗く冷たい。
「百五十部隊が全員死んだって、嘘だったの?」
「……」
「本当のことを教えて。百五十部隊の人たちは、”トガ”を倒した後、どうなったの?」
「……」娘に何を問われても、瑠阿武砦は押し黙ったまま。
「ねえ、どうして何も言わないの?」
「ははは!案の定、誰も手を出せないな!!」
表では”トガ”が、民に恐ろしい戦いの様子を見せている。“慚愧の怪“が離れ離れになり、しかも自分たちの故郷を破壊した化け物そのままの姿になっている。殀鬼対殀鬼という、誰も見たことの無い構図が、民を戦慄させた。
「おいこれ……どっちが敵で、どっちが味方なんだよ……」
「しかもあれ……見て……」
ざわめきの中から漏れる声。民が指差す先には―。
「殀鬼が……泣いてる?」
「信じられない……殀鬼が泣くなんて……」
驚きか、悲しみか。自分が抱く感情がどちらなのかわからない。必死に戦う五人の姿を見て、民の間に得体の知れない気持ちが広がっていく。
「“慚愧の怪“って一体……何者なんだ?」
“慚愧の怪“の哀しい戦いを見せる”トガ”と、固唾を飲んでそれを見る民。両者の様子を、身動きの取れない坐胆と晶珊が見つめている。
「”トガ”!私の弟子たちに何ということを……」
坐胆は拘束を解こうともがく。だが殀鬼の首領というだけあって”トガ”の力はそう簡単に振りほどけるものではなく、しかも、動く度に痛みが走る。坐胆は次第に、抗う意識を削がれていった。
「掬緒……みんな……」
晶珊は映像に目を見張る。彼はわかっていた。“慚愧の怪“は各々大変な痛みを抱えた上で、『人を守る』という信念を曲げず、気高い心を持って生きてきた者たちだ。牛だったときの掬緒との長い旅、そして養祥寺で個別に話を聞いた時のことを、晶珊は何一つ忘れていなかった。自分のような生粋の人間には決して抱けない、壮絶な決意が、佇まいから伝わる。そんな彼らが長きに亘り積み上げてきた成果が、轟音を立てて崩壊しようとしているのだ。
「頼む……掬緒……みんな……どうか耐えてくれ……このまま終わらないでくれ……」
晶珊は、ただ祈るしかできなかった。
坐胆が、晶珊が、そして民が、“慚愧の怪“の無事と、彼らが人間に戻るのを心から願った。だがそれも虚しく、べるめろ、綺清那、彩蓮、そして人間の姿を保っていた䯊斬丸さえもが倒れてしまった。唯一動けるのは、掬緒だけになっていた。
「……ぅっ」
掬緒も限界を迎えていた。殀鬼の姿になりながら相手を襲わないでいることが、予想以上に体力を消耗したのだ。頭がふらつき、遂に掬緒もばたりと倒れる。
「最後に教えてやろう」掬緒の耳に声が響く。
「”ト……ガ”……」
「お前が鎧喝食の転生者であることは、生まれた時から知っていた」
「何だっ……て……?」
「でも敢えてあの集落に手下を送らず、静観していた。お前の仲間もそうだが、不思議なことに”慚愧の怪”とやらは皆、齢十五までに嘗ての姿に戻っていたからな」
「な……」
「だがお前は違った。十六の誕生日を迎えても何も起きなかった。だから手下を送った。罪を背負った身とは思えぬほど愛され、鈍らになった魂を目覚めさせる為にな」
「そ、そんな勝手な理由で皆を……」
掬緒は怒りに震え、体を持ち上げようとする。そんな彼を冷ややかに突き放しながら、”トガ”は言った。
「私のせいではない。いつまでも目を覚まさなかったお前の落ち度だ。わかったか?」
(ガッ!)
「ぁ……っ」
それはほんの一瞬のことだった。掬緒は何者かに腹を蹴られた。目の前にいる殀鬼は、皆立ち止まって動いていない。
「誰……だっ……」
折れ曲がった体がガクンと重くなる。目の前に何も見えなくなりかけたその時、掬緒の目に周囲の殀鬼ではない何者かの姿が焼き付いた。
「幻影如きにやられるとはな。所詮は猫を噛む負け犬といったところか」
掬緒は意識を失い、ふらふらと崩れ落ちる。辺りにはただ、殀鬼の「シューシュー」という荒い息の音だけが響いていた。
「ああ……」
「そんな……」
絶望の中での祈り。”慚愧の怪”に託した思い。”トガ”に怯える民の頼りはそれしかなかった。それさえもなくなってしまった。
「……」
坐胆は呆然として言葉が出なかった。今まで弟子を育ててきて、それが報いもなく終わった。生きた心地がしなくなり、坐胆は首をガクンと落とす。そんな彼の隣では―。
「掬緒ーーーーーーーー!!!!!」
晶珊の叫びが、絶望に覆われた空気を震わせた。




