(第五十九話)殀鬼の根源
䯊斬丸の呼びかけで、本堂に”慚愧の怪”が集まった。坐胆は晶珊に肩を支えられ、荒い息をつきながら口を開く。
「奴が来た……”トガ”が……」
「もういるぞ」
その声が割って入ったのは正にその瞬間だった。坐胆が言い切る前に、張本人の”トガ”が現れたのだ。
「構えろ!」
䯊斬丸の号令で武器を出す”慚愧の怪”。だが”トガ”を軽く一瞥しただけで、薄く笑った。
「わあっ!!」
”トガ”が衝撃波を発した。広い本堂の壁際に、五人はばらばらに叩きつけられた。
「ぐっ……」
五人は頭を強打して気絶した。その隙に”トガ”は坐胆と晶珊の目前に迫り、妖力を解放させる。すると腕が巨大化した。鷲の足にも似て骨ばった手は、二人の頭をがっちりと掴んだ。
「まずはお前からだ、癋獅噛」”トガ”の目が坐胆を射抜く。
「そんな名前で私を呼ぶな……!」
”トガ”への抵抗も虚しく、鋭い爪が頭蓋を軋ませる。坐胆は呻き声を残しながら気を失った。
「お前は前世の頃から私に抗っていたな。介錯人になってまで私の命を抑えようとするとは」
「民を欺いて皆殺しにした貴様が何を言うか」
「ふん!お前にもう用はない」
”トガ”はそう吐き捨てて坐胆を投げ捨てた。そして今度は晶珊へと顔を向ける。
「お前は癋獅噛以上の愚か者だ、晶珊。否、お前を含む百五十部隊そのものが、な」
「……どういう意味だ」
「子が全て流れる呪いをかけられたのにも気づかず、家庭を築きたいとはな。全くもって笑止千万」
「……まさか、佳琉が……漣彌や羅呉が死んだのは……」
「ははははは!」”トガ”の暗い嘲笑が、本堂に響き渡る。
「そんな程度で死ぬくらいなら、初めから逆らわなければよかったのだ。お前だって、仲間を失くして路頭に迷い、私の術に絡め取られて手下になっただろう?」
「き、貴様ぁ……!」
晶珊は震え上がった。体の底から感情が湧き上がる。手から、足から、血と共に全身を伝う怒り。それが脳天で集約されようとした刹那、ぎりぎりと音を立てて割れた。爪を頭を締め上げたのだ。
「お前もあいつと共に屍となるがいい……否、もう一つすることがある。こんなものよりもっと重要なものがな」
晶珊は飛ばされ、坐胆の傍へ転がった。
”トガ”は”慚愧の怪”の方へ、ゆっくりと向かう。全員が倒れ伏している中、目をつけたのは䯊斬丸だった。
「若中将……癋獅噛と手を組んで私に刃向かうとは」
冷笑と共に、”トガ”は䯊斬丸の頭を掴んだ。一瞬で激痛に襲われた䯊斬丸は、痛みを感じる余裕がない程に意識を削がれた。
「お前の記憶を見せてもらおう」
䯊斬丸の記憶の断片を見る”トガ”。
「新たな“怪“となる者を寺の全員で見守るのが習わしだからな」掬緒が新たな”慚愧の怪”となるのを見守ったあの日。
「ああなるほど。はい。それで?」胸襟開きで民の悩みやら愚痴やらを聞いていたあの日。
「統治者たる者は、殊更に優れた業績を上げずとも、最悪の事態を防ぎきれれば十分である」掬緒に胸襟開きの意義を聞かれた時の、あの答え―。
「ううぅ……ぁぁっ……!」
記憶を抉られる度に、脳髄を焼かれるような激痛が走る。そんな䯊斬丸を見下しながら”トガ”は言った。
「こんな小細工でもって、人間を”殀鬼の根源”から遠ざけようとしていたのだな」
”トガ”は怒りを募らせ、爪を喰い込ませる。䯊斬丸の頬に、真っ赤な血が伝った。
「どいつもこいつも……殀鬼にならなければ苦境を脱することができなかったというのに、私を裏切った。藁をも縋る思いで”生きたい”と願ったのを叶えてやったのに、生まれ変わって私に刃を向け、悪人呼ばわりして討とうとする……」
「貴様、何を―」
坐胆は”トガ”を止めようとするが、本人は歯牙にもかけない。
「フッ。お前の弟子がこれからどうなるか、その目でよく見るがいい」
”トガ”は再び衝撃波を発生させる。本堂が丸ごと飛ばされてもおかしくない威力だったが、風が収まった後の坐胆の目には、いつも通りの本堂の姿があった。晶珊もいた。だが。
「䯊斬丸……?みんな……?」
”慚愧の怪”が、丸ごと姿を消していた。痕跡も残さず、初めから本堂にいなかったかのように消えた。
(―バタッ)
”トガ”は縮気絶した坐胆と晶珊を引き摺りながら廊下を歩く。
「この先に多数の人間の気配がする」
向かった先には避難した民がいた。坐胆がいつまでも帰ってこないので、彼らは皆不安がり、丙・乙姉弟が必死で宥めている。
(スーッ)
障子が開く音がした。民はやっと坐胆が来たのかと安堵したが、顔を見てそれが絶望に変わった。現れたのは坐胆ではなく、”トガ”だったのだ。坐胆は晶珊と共に体を縛られ、”トガ”の足元に転がされた。
「人間ども!お前たちはもう終わりだ!冥府への土産代わりにこれを見るがいい!!」
”トガ”の言葉に、民に残されていた最後の希望が砕かれた。言われるがまま、彼の映像を見るしかなかった。
”トガ”の衝撃波の後、掬緒はどこか知らない場所にいた。雪よりも真っ白で、どこか異様な虚無の空間だった。
「ん……」倒れていた掬緒はゆっくりと目を開け、周囲を見渡す。
「あれ?みんな?」
周りには誰もいない。真っ白なだけで何もない空間に、たった一人で取り残されている。
「みんな!どこにいるの!?」
仲間の声は聞こえない。掬緒の声だけが、残響のように掻き消えていった。
「よく聞け愚か者ども。お前たちにはまだ残っている筈だ。人間への、そしてこの世界への絶望が」
「!!」
掬緒は目をガッと開けた。これは”トガ”の声だ。
「ならばいっそ、その手で壊してしまうがいい。お前たちが楽になれる道は、それしか残されていない」
「いや……何を言ってるんだ!」
地に拳を突き立て、体を持ち上げる。そして見えない”トガ”に向かってこう言い放った。
「わかってる……お前また、僕を殀鬼に堕とそうとしてるんだろ?独りになった時を狙って、甘い言葉で誘う。それがお前の手口だ」
間。
「もう騙されない。同じ轍なんか踏まない。僕は五供の『飲食』・掬緒だ!お前の手下なんかなんかじゃない!!」
(ブワッ)
「!!!」
掬緒の前に現れたのは、夕闇にも似た暗い影だった。しかも一体だけではない。空を覆い隠さんとするばかりの巨体が、何体もいる!
「馬鹿め!先程の言葉は、こいつらに向けたものだ!!」
”トガ”は掬緒を殀鬼に堕とそうとしていたのではなかった。無辜の人間を殀鬼にしようとしていたのだ。
「しかも、ここって……」
開けてきた風景を見て、掬緒は愕然とした。ここは嘗て、自分が仲間と共に赴き、殀鬼を倒した地だ。
「お前たちが現れた場所に”印”を残しておいた。そして……」
「ま、まさか……」
「そこの人間どもを殀鬼に変えてやったという訳だ!ははははは!!」
耳を劈く高笑いが、”慚愧の怪”の脳を震わせる。来てしまったのだ。ある意味で人間が皆殺しにされるよりも悍ましい、最悪の事態が。
「嘘だ……こんなの……」
掬緒は頭が真っ白になった。それは絶望という言葉すら生温い境地だった。仲間がいる、自分が五供である。そのような事実が、千切られる紙のように、一つ、また一つと脳内から消えていく。
「さあ行け!裏切り者を血祭りに上げてやれ!!」
”トガ”の合図で、殀鬼が一斉に動き出す。いつもなら仲間と共に、躊躇わず、その面を射て地獄に送る。だが今目の前に迫るのは、自分たちが命を懸けて救った人々だ。その彼らを、今度は自らの手で射よと迫られている。
(嫌だ!この人たちを射るなんてできない!!)
掬緒は躊躇う。だが殀鬼は一歩一歩確実に、自分の元へ近づいている。ここで射なければ自分が殺される。そして、どこかにいるであろう仲間たちも―。
(僕、どうすればいいんだろう……)




