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慚愧の怪  作者: Masa plus


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(第五十六話)忘れていた記憶の欠片

 頭痛が収まった後、掬緒は寝室に向かった。晶珊もその後を追い、掬緒を寝かせようとした。だが彼の目ははっきりと見開かれている。

「晶珊様」行燈の向こうにぼんやり浮かぶ晶珊の目を見て、掬緒は言った。

「どうしても、思い出せないことがあるんです。地獄で候補者として選ばれた、その後のこと」

「弥勒様と話をした時のことかい?」

「ええ。晶珊様、力を貸してくださいませんか」

「いいよ」

晶珊が掬緒の額に手を翳す。掬緒は目を閉じる。やがて、掬緒と弥勒の朧げな影が浮かんできた。


 地獄で弥勒と対面する鎧喝食。浄炎を浴びていない彼は、全身血と痣だらけでぐったりしていて、立つことがままならない状態にあった。

「其方は、人間に生まれ変わったら何をしたい?」

「……」

「ここに来たということは、何かしら目的があるんだろう?」

「ない」鎧喝食は不貞腐れた声で、しかしきっぱりと言い放った。口からは血が漏れた。

「人を殺すことしかできなかったのに、やりたいことなんかあるもんか。僕が地獄に堕ちたのを悲しむ人だって、誰もいないんだ」

「そんなことはないぞ」

弥勒は懐に手を入れた。出した手には小さな粽が握られている。

「其方が地獄に堕ちたのを悼んだ人間からの供え物だ」

粽を差し出された鎧喝食。一瞬驚いた後、暫くまじまじと見つめていたが、やがて遠慮がちに首を振った。

「いや、あの……僕、人間の食べ物は食べられないので……」

「殀鬼ならそうだな。でも今の其方は亡者だろう?さ、食べてごらん」

弥勒に押され、鎧喝食はおずおずと粽を口に含んだ。それは責め苦で歯が殆ど折れた自分でも噛めるほど柔らかく、仄かな甘さが血の間を駆け巡るように伝わった。初めて食べた筈なのに、どこか懐かしさを感じる味―。

「そうだ。僕は……人間だったん、だ」

忘れていた感覚が胸に去来して、鎧喝食の目から大粒の涙が流れた。ふと、彼は粽が誰かからの供え物であることを思い出して問う。

「これ、誰がくれたんですか!?」

「知りたいか?」

頷く鎧喝食を見て、弥勒は右手の上に法輪を展開する。白い煙の向こうに現れた映像には、見てわかる廃神社があった。そこに、ありあわせで作ったであろう墓石を建て、粽を供えて悲しげな表情で手を合わせる青年の姿があった。

「あれ?こいつは……」


 「そなたが”人”として生まれし証をここに遺す。どうかどうか安らかに、死して尚この世を呪う存在とはならぬよう―」


「!!」

鎧喝食はその声を聞いてはっとした。青年は殀鬼であった自分を討ち、地獄へ堕とした張本人・晶珊だったのである。敵以外の何物でもない筈の自分に、まるで親しい者の死を悼むような佇まいで祈っていたのだ。

「晶珊……どうして……?」

鎧喝食の心から、晶珊への憎しみがみるみる消えていく。思いがけない祈りを受けて、嬉しさと混乱が綯交ぜになった。

「……」


 弥勒の映像が切り替わった。何処かの神社で、晶珊が付き添いの女性と何かを祈願している。礼をして帰る二人の表情は、見るからに幸せそうだった。


「いつか子どもが欲しいなあ」

「そうねぇ。素敵な家庭をつくって、皆で幸せな暮らしがしたいわねぇ」


「先の者が其方に粽を供えた少し後の様子だ」

鎧喝食の胸がざわめく。彼は人間だった頃の記憶を思い出しつつあったが、どれだけその穴をほじくり出しても、両親が温かく幸せそうな表情をした光景が思い出せない。瘤だらけで周りの様子が殆どわからず、辛うじて見える光景もぼやけているという状況の中、鎧喝食の目には映像の中の二人が強烈な印象を持って焼き付いた。

「……!」

体を動かすのもやっとだった鎧喝食は、目を見開いて徐に手を伸ばした。法輪に血塗れの指が触れるも、弥勒は静かにその様子を眺めている。

「あ、あの」

「ん?」

「僕は、生まれ変わったら、この人たちの子になりたい!この人たちなら、僕を毎日殴って怒鳴るなんて絶対にしない。ずっとこの、温かい笑顔の下で暮らせる……」

鎧喝食は必死で訴えた。だが弥勒を見ると、その表情は曇っていた。

「気の毒だが、それはできない」


「え……」

願いを即座に否定される鎧喝食。そういえば、と、自身の身の上を思い出して落胆した。

「……ですよね。自分の子が敵の生まれ変わりだなんて、呪いでしかない。そんな気持ち悪い願いが叶う筈ないのに、僕は何を言ってるんだろう……ははは……」

「いや、違う」

「え?」

きょとんとする鎧喝食の前で、弥勒は暗い目をして法輪に手を翳す。すると、映像が上の方から墨を塗ったように黒く染まり、遂には法輪全体が真っ黒になってしまった。

「彼らの幸せそうな笑顔は、ここで終わる。幸せな日々は、そう長くは続かないだろう」


 鎧喝食は呆然とする。笑顔がここで終わる?幸せな日々が続かない?こいつは何を言っているんだ、そんなことはあり得ない。諸々の思いで逡巡する中、弥勒が重い口を開いた。

「彼らは……いや、彼らを含めた四人の五供は、”トガ”を倒す直前に呪いをかけられたのだ。宿した子が全て水子になるという呪いをな。しかも、”トガ”は力を弱められただけで、完全に倒されてはいない」

「そんな……」

戸惑う鎧喝食の向こうで、弥勒の後光が弱まっている。

「で、でも、呪いは解けますよね?あなたなら……」

弥勒は俯いたまま顔を上げない。そしてそっと首を横に振った。「無理だ」


 弥勒が重く冷たい声を出したことで、鎧喝食は不穏を感じる。その心を映すかのように、弥勒の後光はますます弱くなった。

「我に出来るのは、”トガ”を倒す為の力を与えることのみ。重ねて言うが、我には彼らの呪いを解く力はない」

きっぱりと言い切る弥勒。その時、鎧喝食の体が震えた。この感情は何だろう?鎧喝食の体は両手を除き、頭のてっぺんから足の先まで硬直した。その両手は小刻みに震えている。体を流れる血が、冷たくて、熱い。やがて、鎧喝食は震えていた手を力を込めて握りしめた。

「何だよ……あんた、この人たちの未来が暗いことをわかってて、何もしないのか……?」

鎧喝食は薄々わかっていた。これは怒りだ。責苦で、意味もなく怒鳴り散らしていた時とは違う。凍り付いた体を意味もなく巡るだけだった血液が、地獄に堕とされてから一度も抱いたことのない感情を沸かせるように全身に行き渡る思いだった。そんな鎧喝食とは対照的に、弥勒の視線は冷たいままである。怒りが一層強くなった鎧喝食は、引きかけた体の痛みが強くなるのを忘れて立ち上がり、弥勒の胸ぐらを掴んだ。

「何で黙ってるんだよ!?あんたは人を救う存在なんだろ!?こんなことする暇があったらあの人たちを助けろよ!」

弥勒は尚も押し黙る。鎧喝食は彼の体から手を離し、怒号を浴びせた。

「そ……そんな分際で人を救うとか言うな!この無能が!!」


 鎧喝食の表情が固まった。

「あ、ああ……」

顔から一気に血の気が引いた。何て失礼なことを言ってしまったんだろう。弥勒は怒りを通り越して、自分に呆れてしまったのだろうか。もし、候補から外すなどと言われてしまったら……。

「……其方の言うことは、至極最もだ。我は無能だ」

鎧喝食は呆気にとられた。弥勒が、自分の罵声を素直に受け止めているのだ。

「本来、我は全ての人間の願いを叶えるべきなのだ。だが私はこの世に生を受けて僅か二千年の身。使命を果たすには、余りにも力が足りない」

僅か二千年という言葉が腑に落ちずきょとんとしたものの、鎧喝食は静かに話を聞く。

「どんな願いも、その者の思いが込められたもの。些末だからと蔑ろにしていいものではない。それをわかっているのに、我は……」

弥勒は言葉を詰まらせ、腕に顔を埋めた。その肩は小刻みに震えている。嗚咽を堪える声も聞こえる。

「……」

鎧喝食はとうとう弥勒を責めることができなくなった。彼を見つめるのも気まずくなって、俯き視線を逸らした。


「其方は、人間に生まれ変わったら何をしたい?」


弥勒の言葉を思い出した鎧喝食。何かが閃いて、顔を上げた。

「なら、僕がその人たちを助けます!」

驚いて顔を上げる弥勒。その瞼には涙が滲んでいる。

「何処の誰の子として生まれても、必ず会って助けます!!」

弥勒は思った。来世で今の記憶が残るかどうかわからない。ともすれば一生記憶が蘇らないまま生涯を終えるかもしれない。それでも、鎧喝食の瞳に漲る決意は本物だった。それを感じた弥勒は、彼の額にそっと指を当てて言った。

「彼らを、よろしく頼む。どうか……」


 掬緒は徐に目を開けた。いつの間にか涙が流れていた。

「うぅっ……」

「?」

嗚咽の声が響き、掬緒は我に返る。これは自分の発した声ではない。晶珊のものだ。

「うぅっ……うぅっ……」

尚も嗚咽する晶珊。掬緒が心配して手を伸ばした時、晶珊は彼を力強く抱きしめた。


「佳琉!僕たちの子どもは、ここにいた!!」


晶珊が突然大声で叫んだ。掬緒は驚いた。牛だった時を含め、晶珊がこんなに大きな声を出したのを聞いたことがない。

「晶珊様……」

掬緒はお礼を言いたかった。自分がここに至るまでの原点。晶珊は、絶えることがないと思われた憎しみを消し、人間の為に生きたいと思わせた恩人だ。大きさが計り知れなくて、纏めようにも纏められない感謝の念を伝えたい。だが今、晶珊は、自分を抱きしめたまま、声をあげて泣いている。

「……」

どうしてこんなに感極まった様子なのかわからない。掬緒はそっと目を閉じ、晶珊に身を委ねた。

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