(第五十四話)牛の正体
立平太が地獄に堕ちた後、啞瞻が漸く結界の前に現れた。
「まぁ、これかしらん?」
結界は見えないが、宙に浮いた不自然な罅割れが見える。中を覗くと、周囲の森とはかけ離れた、人里らしきものが見えた。だがそこにあるのは、屋根が潰れ、大きな穴が壁に開いて、井戸も瓦礫で塞がれた家だった。
「立平太ぁ、待ちくたびれて随分暴れましたのねん」
啞瞻は罅割れから結界に入る。廃墟と化した家々を興味深く見回りながら、立平太を呼んだ。
「立平太ぁ~、どこにいますのん?」
「うぅぅ……わああん!!」
「ぁ……」
綺清那は膝を落とし泣き崩れた。べるめろは言葉を失った。いつかこの時が来ることをわかっていたとはいえ、大好きな故郷が変わり果てるのは耐え難いことだった。
「綺清那、べるめろ……っ」
彩蓮も言葉を失くした。泣きたかった。それでも堪え、綺清那とべるめろを抱きしめ、奮い立たせようとした。
(次の敵が来てしまったら……)
「あらぁ、お久しぶりですわねぇん!」
「!!」
彩蓮の懸念が的中した。”慚愧の怪”の目の前に現れたのだ。妙に華美な服装で、聞くのも厭わしい程甲高い声の敵が。
「啞瞻……」
䯊斬丸は刀を握って警戒する。他三人も啞瞻を見つめた。だがその目には、どこか”怖れ”が窺える。
(じゅう兄……)
綺清那は思い出した。以前の啞瞻との戦いで、十郎が怪光線に貫かれたのだ。そして力尽き、地獄へと呑まれていったのだ―。
「じゅう兄のかた―っ!?」
綺清那が鉾を構えようとした瞬間、䯊斬丸が口を押さえた。
「あの愚直な坊やの元へ連れてってあげますわん!」
啞瞻の手から怪光線が迸る。四人があと半分身を乗り出していたら確実に当たっていたであろう距離の近さだった。
「折角ですからん、もう少し絶望を味わわせて差し上げますわねん!」
啞瞻は四人にぎりぎり当たらないところに焦点を当て、怪光線で翻弄する。四人は逃げるしかなくなった。劣勢に立たされた彼らを弄ぶうちに気を良くして、啞瞻は高笑いした。
「んまぁ、子犬みたいに可愛い奴らですことん!」
「飽きましたわん。少し狙いを変えましょん」
啞瞻は四人への攻撃を突如やめた。代わりに家々や、木々や花を無慈悲に薙ぎ倒していった。
「……っ」
四人は泣きそうな表情で藪に隠れていた。やがて、䯊斬丸が冷や汗をかきながら話し始めた。
「あいつの光線は『高潔なる心』―仲間を思いその身を賭けて戦わんとする心に強く反応する。今までの敵と同じように戦っていたら、一撃でやられてしまう」
他の三人はごくりと息を呑んだ。誰よりもまっすぐ直向きで、困っている人を放っておけなかった十郎。その美しい心が彼の命取りとなった事実を、誰も忘れていなかった。
「捨てろ、今だけは捨てろ」
䯊斬丸は仲間の手を握り、必死で感情を抑えようとした。そんな彼を含め、”慚愧の怪”は皆隠れるのが精一杯で、些細な攻撃さえ出せずにいた。
「……ここか。結界がある場所とやらは」
その頃、掬緒と牛は櫻蓮郷の結界の手前まで近づいていた。牛は足を止める。
「ん?」
牛の背中に水滴が落ちた。雨が降ったのかと思ったが、空には太陽が輝いていて、雲も殆どない。
「……掬緒?」
振り向いた先には、泣いている掬緒の顔があった。だが彼の口は微笑んでいる。
「……やっと思い出しました」
(急に敬語……?どうしたんだ?)
牛が訝しむ間にも、掬緒は続ける。
「僕に粽をくれたのは、あなただったんですね。晶珊様」
「……晶珊……!?」
その名を聞いて、牛は目を大きく見開いた。”トガ”の牢に幽閉されて以来、自分が牛でしかないと思っていた。漣彌と羅呉の過去を見た時の奇妙な感覚、その正体がわからなかった。それが今、漸くわかったのだ。
「あ……!」牛の体が、直視できない程眩しい光に包まれる。
「……っ」
掬緒はそれでも光を見た。中では牛の皮膚が鱗のように剥がれ落ちている。体が二回りほど小さくなった時、牛は前足を持ち上げた。蹄は五つに分かれ、柔らかい質感のもの―指へと変わる。腕、胴、そして脚が、程よく筋肉のついた人間のものへと変わった。
「……!」
掬緒はその姿に目を奪われる。牛に初めて出会った時、まるで眉目秀麗な青年が目の前にいるかのように錯覚したことを、思い出したのだ。
「……掬緒」
振り向いた彼の顔はあの時抱いた印象に違わなかった。寧ろ、それ以上に穏やかで、どこか寂しさも漂う面影がある。
「晶珊様……」
啞瞻は破壊の傍ら立平太を探していたが、どこにも見当たらなかった。
「んもぅ、どこに行きましたのん!?」
啞瞻は家の中や木の裏、さらには地に空いた穴の那珂まで隈なく探したが、立平太の姿はなかった。
「あらぁん?」
啞瞻は集落の反対側を見つめる。そこには大きな寺があった。
「もしや、そこにいますのん!?」
あそこになら間違いなく立平太がいる。そう思って、啞瞻は足を速めた。
「!!!」
その様子を”慚愧の怪”は見ていた。全ての民が避難した養祥寺が攻撃されれば、櫻蓮郷は完全に壊滅する。四人は今すぐにでも啞瞻を止めたかったが、迂闊に出れば怪光線の餌食だ。
「立平太ぁ、待ってなさぁいん!」
啞瞻が足をさらに速め、怪光線を出そうと手を構える。その時だった。
「啞瞻……」
啞瞻の背後から声がした。だがそれは立平太のものではない。同胞の誰のものでもない。穏やかで、しかし芯の強さを感じる声。知らず知らずのうちに、啞瞻はその声に恐れを抱いた。
「誰……ですのん?」
「哀れなる殀鬼よ、立ち去るがいい」
そこに立っていたのは、見たことの無い男だった。啞瞻の心に一層の恐怖が募った。どうしてこんなに怖いのか、啞瞻にも全くわからなかった。
(ヒュン)
男の背後から金色の矢が現れた。啞瞻に向かってまっすぐ飛んだそれは、一撃で彼女の仮面を破壊した。
「ああああん!!」
耳を劈くような断末魔が響く。啞瞻の目の前がその時、真っ白になった。
「わ、私はぁ……」
啞瞻の過去が蘇る。人間だった頃、彼女は恋人を殀鬼に殺された。復讐を果たそうと道場の門を叩いて回るが、どこで教わった方法をもってしても、殀鬼を一人も倒せなかった。啞瞻は次第に虚無感を覚えた。
「それで、”トガ”様に会ってぇ……」
その時の啞瞻は最早、殀鬼が宿敵だったことをどうでもいいと思っていた。兎に角力が欲しかった。自分が確実に強くなったと思える力が。
「美しい心で正々堂々と戦うなんて、馬鹿らしいと思ったんですわん……」
”トガ”が与えた力は、啞瞻の絶望に応えるかのように彼女を強くした。自分が馬鹿にした『高潔なる心』を持つ者が一撃で死ぬ怪光線を放てるようになったのだ。過去に回った道場がどこも役立たずだったのとは対照的だった。
「哀れなる殀鬼よ、立ち去るがいい」
木霊のように遠くから響く声。先程の男の声だ。それだけではない。感じる。美しい心ともそうでない心とも言い難い何かの気配を。
「何ぃ……?これぇ……?」
体を引かれながら、啞瞻はぼそりと呟いた。こんな心を持った人間には、今まで出会ったことがない。
「わ、わ、私はぁ……」
自分でも何を考えているのかわからなくなった時、啞瞻の姿は地獄へと消えていた。
「……随分と呆気なかったな。何も残らなかった」
浅からぬ因縁のある相手の末路に、䯊斬丸は仇討ちの達成感すら味わえなかった。
「掬緒!」彩蓮がすぐに掬緒の姿を捉え、駆け寄った。
「よかった……無事でしたのね」
彩蓮は泣いて喜んだ。続いて駆け寄った綺清那とべるめろも、嬉し泣きしていた。
「そちらの方はどなたですの?」
掬緒の隣に立つ男が気になって、彩蓮は話しかけようとする。だが彼は倒れてしまった。
「晶珊様!」
掬緒の声が響くと共に、四人の顔色が変わった。
「晶珊!?まさか、あの!?」




