(第五十三話)櫻蓮郷の危機
いつもは縮地盤の前に座る坐胆が、この日は立っていた。非常事態に備え、即座に動けるようにしているのだ。
「……」
櫻蓮郷のすぐ近くで殀鬼の反応があり、䯊斬丸を結界の外へ送って時間を稼がせているが、反応がなくなる気配はない。
「䯊斬丸……」
坐胆は心配そうに縮地盤を見つめる。櫻蓮郷の場所を突き止めた殀鬼は、これまで一度も現れなかった。今䯊斬丸が戦っている相手は間違いなく最強格だろう。援軍を送りたいが、まだ櫻蓮郷は慌ただしい状況にある。混乱が広がる前に備えを万端にするのが最優先だと、坐胆は考えたのだ。
「どうか耐え抜いてくれ、私の一番の弟子よ……」
その頃、綺清那とべるめろは太鼓を打ちながら家々を回っていた。
「今すぐ家を出て!」
「養祥寺へ行って!」
民たちは大急ぎで養祥寺へ向かう。綺清那とべるめろが、紙芝居の傍ら太鼓を鳴らして「この音がしたら養祥寺に来てね」と周知していたのが功を奏し、大きな混乱もなく全員を避難させることができた。
「もう、皆行ったみたいだね」
「うん……帰ろう」
養祥寺の貯蔵庫にて。
「米をあと五袋お願いしますわ!」
汗だくの彩蓮が走って来た。これまで本堂と貯蔵庫を何回往復したか、数える余裕はない。
「彩蓮さん、これをお願いします!」
丙・乙兄弟は、彩蓮が来るのに合わせてせっせと食糧を出している。米の他にも肉や魚、野菜や果物など、彩蓮に言われたものをすぐに見つけては渡した。
「普段から備えておいて正解だったわ」
「ああ、本当に」
本堂には避難した民がいる。皆怯えきり、身を寄せ合って泣いていた。
「怖いよぉ……」
「どうなっちまうんだよ俺たち……」
民たちは、坐胆から外に出ないようにと伝えられている。坐胆は縮地盤の様子を見つつ、民一人一人に声をかけて不安を取り除こうとしていた。それでも民にとっては、故郷を破壊され大切な人を失った末に得た平穏が崩れようとしているのが現状だ。
「あああああ!!!」突然、民の一人が叫び声をあげた。
「もう駄目だ!終わりだ!!」
(ああ、あの者は……)
叫んだのは中年の男だった。坐胆は彼を保護した時のことを覚えている。
(ある集落でたった一人の生き残りだった。保護した際にも動揺し切っていた。こんな事態になって、故郷の惨劇を思い出してしまったに違いない)
坐胆は民全体に目を向けて言った。
「ここは必ず守る!誰も死なせない!!」
本堂がしんと静まり返る。民は一斉に坐胆の顔を見た。その力強い目は、決意の強さを物語っていた。
「……」
不安でたまらない民たちは、坐胆の姿をまじまじと見つめる。今頼れるのは彼しかいないと思っているかのように。
「先生、米をお持ちしましたわ!」
彩蓮が米俵を抱えて現れた。ほっそりした体には似つかわしくない程の大きさだった。坐胆は彼女を見て言う。
「彩蓮、実は……」
民を避難させ終えた綺清那とべるめろは、廊下で彩蓮と鉢合わせた。
「さい姉、それは……」
彩蓮は薙刀を携えていた。しかも、表情がいつになく引き締まっている。
「敵がすぐそこまで迫っていますの……最早猶予はありませんわ」
彩蓮の言葉と表情で、二人は事態の深刻さを察する。
「べるめろ」
「……うん」
二人の手が光り、武器が現れた。その直後、彩蓮の後ろに丙と乙が近づいてきた。
「ここは私たちが引き受けるわ」
「䯊斬丸さんをどうか、お願いします」
「わかりましたわ!」
姉弟に見送られ、三人は䯊斬丸の援護に向かう。
結界の外では、䯊斬丸と立平太が戦いを続けている。
(こいつ……こんなしぶとい奴だったとは……)
䯊斬丸は立平太の意外な粘り強さに苦い顔をする。弱められてからは悪運だけが味方であるかのように戦っていた立平太だが、その悪運には䯊斬丸の予想を上回る程恵まれていた。䯊斬丸にとっては、そのような者はただ力が強いだけの者よりも厄介だった。
「あっ……!」
しっかり狙いを定めても、刀が当たる寸前で立平太に避けられてしまう。飛び道具を持っていない彼は䯊斬丸に近づけない分とにかく攻撃を避けて、疲弊するまで時間を稼いでいた。とはいえ、その立平太も流石に疲弊しつつあった。
(このままでは結界に入れない。”トガ”様を喜ばせられない……)
立平太は、若造一人に苦戦する自分が、情けなくて仕方なかった。
(お前に力をやろう)
立平太は天啓にも似た声を聞いた。それは紛れもなく”彼”のものだった。
「“トガ“様……!」
主からの思いもかけない力添えに、立平太は涙が出そうになる。
「こ、これは……!!」
次の瞬間、体の内側から、温かいを飛び越えて、燃え上がるように熱い力が沸き上がった。それは立平太の心さえも跳ね上がらせる勢いがあった。もしこの状況でなかったら、そのまま飛び上がって喜びたいくらいだった。
「何だ……これは!?」
突然凄まじい邪気を放ち始めた立平太に、䯊斬丸は驚いて足が竦んでしまった。
(!!)
邪気が䯊斬丸の刀を掴む。立平太は刀を介して䯊斬丸を呑み込まんとしていた。䯊斬丸は刀を収めようとするが、邪気に阻まれてしまう。
「お前の力など、ないも同然だ!!」
䯊斬丸は恐ろしい事実に気づいた。立平太は謎の邪気に目覚めた瞬間、『香』の力を克服したのだ。刀からはまだ香りが漂っている。それが、目の前にいる立平太に全く聞いていないのだ。
(ガッ!!!)
突然響いた、重く鈍い音。䯊斬丸の視界から立平太が消えた。否、ほんの一瞬だったが、立平太が闇に包まれたのだ。
「おお……!!」
声と共に闇が晴れ、立平太が現れた。それを見て䯊斬丸は戦慄を覚えた。彼の体は自分の方を向いていない。向いているのは―。
「!!!」
䯊斬丸の悪い予感が的中した。立平太が結界を破壊しようとしていたのだ。
「やめろ!!」
䯊斬丸は止めようと向かったが、結界には既に罅が入りかけていた。もう、いつ破られてもおかしくない。
「これで……これでやっと“トガ“様の為に……っ!?」
もう少しで結界を破れると思った直後、立平太は周りに新たな者の気配を感じた。そこにいたのは、䯊斬丸を含めて計四人。
「ほう。お前たちか、”慚愧の怪”とやら」
立平太は涼しい顔をしている。まるでこの状況を望んでいたかのようだ。
「お前ら、私に勝てるとでも思っているのか?」
四面楚歌の状況で余裕綽々の立平太に、”慚愧の怪”は警戒を強める。
「ふっ」
立平太がほくそ笑んだ瞬間、彼の全身から真っ黒な衝撃波が放たれた。
「わっ!!」
あまりの凄まじさに、”慚愧の怪”は一瞬で散り散りになってしまった。
「思った通りだ。この嘆かわしい程の弱さときたら……ぁ?」
体が無数の花弁に包まれ、立平太は動きを封じられた。その直後、何処からともなく火を纏う法輪が飛んできて、立平太の体を切り刻むように焼いていく。そこにあの、嗅ぐだけで失神しそうな香りが漂ってきた。効果を打ち消せたばかりなのに、仲間が現れただけで再び効くようになった。
「この……っ」
立平太は執念で拘束を解き、反撃に転じようとした。
「んっ!?」
岩に金属が当たったような音がしたかと思うと、立平太は巨大な波に襲われた。もがけばもがく程、体は水に吞まれていく。
「こいつら……」
立平太は”慚愧の怪”の強固な連携に阻まれ、結界に手が届かない。
「“トガ“様ぁ……!」
高を括っていた相手の予想外の強さに参ってしまい、立平太は“トガ“に泣きついた。
(ではさらなる力を与えよう)
立平太の耳に、再び“トガ“の声が響く。水の中で冷えかかっていた立平太の体は、湧き上がるような力と共に熱くなった。
「うおおぉぉぉぉ!!!!!」
水が弾け飛ぶ。立平太はその力で一気に拘束を解き、囲んでいた”慚愧の怪”を吹き飛ばした。
「わあっっ!!」
再び四人が散り散りになった隙をついて、立平太は結界に近づく。そして拳を振り上げた。
(バリン!!)
”慚愧の怪”が気づいた時にはもう遅かった。立平太は遂に、櫻蓮郷への侵入に成功したのだ。
立平太は櫻蓮郷の中を見渡す。その間にも“トガ“は力を介して命令していた。
「結界を破壊した後、中にいる人間は殺すな。私を裏切った者どもに、これ以上ないと思わせる程の絶望を与えてやるのだ。この手でな」
「かしこまりました!」
立平太は主の命令を快く受け入れ、衝撃波を放った。周囲の家が一瞬で破壊された。
立平太は家々を瞬く間に破壊していく。主の命令に背かないよう、ただ力任せに壊すということはしなかった。中を確かめ、人間が一人もいないことを確かめてから壊すという徹底ぶりだった。
「これで“トガ“様に喜んでいただける!殀鬼冥利に尽きるとはこのことだ!!」
(よくやった)
(シュウウウゥゥ……)
「??」
その瞬間、立平太は与えられた力はおろか、自分の本来の力、さらにはそれと共に得た高度な知性さえ失った。だが立平太本人は何が起きたのかさっぱりわからない。そこへ”慚愧の怪”が現れた。
「立平太!!」
「……ぁ……」
虚ろな目で口を開く立平太。あまりの変貌ぶりに四人は言葉を失うが、彼からは確かに殀鬼の反応がある。
「観念しろ。もうこれまでだ」
突如虚しさを覚えた䯊斬丸が立平太の面を斬ると、背後に黒い闇が開いた。
「……ぁ……」
人間だった頃の記憶すら朧気のまま、立平太は地獄に堕ちていく。“トガ“に利用された挙句、敵の本拠地を突き止めた直後に蛻の殻にされる―。姿が消えるまで、立平太は自身の惨めさに気づかなかった。
「……」
”慚愧の怪”は呆然と辺りを見回した。美しく幸せに満ちていた故郷の姿は、もうなかった。
民は養祥寺で不安なまま過ごしている。外から聞こえる凄まじい破壊音に耐えきれず泣き出す者も現れた。坐胆は彼らを気遣いつつ、丙と乙と話している。
「僕は殀鬼が憎い。人間を奴らの手から守りたい。でも、もし僕があなたや”慚愧の怪”の皆さんの立場だったら、正直、同じように思えた自信がありません」
「あの子たちの重荷を取り除けないなら、私はどこまでも一緒に背負うつもりよ。たとえそれがどんなに重くてもね」
「彼らの為にも、亡くなった者たちの為にも、最後まで誇りを持って戦おう。五供・八十四部隊として」
三人は固く手を握り合った。




