(第五十話)狂気と絶望の歌
「傷が深いと見ましたが……意外としぶといのですね」
「ゆずの親や村の人たちをあんな風にして……絶対許さない!!」
掬緒は哀蝉に正面から戦いを挑もうとして、攻撃を何度か受けてしまった。体中に凄まじい痛みが走っているが、二度も幸せを壊した敵である彼を己の手で倒さない訳にはいかなかった。
(仲間がいなくても、自分を信じれば……)
掬緒はその執念を頼りに、哀蝉に矢を向けようとしている。
掬緒と哀蝉が戦っている場からやや離れたところに、ひなびた一軒家があった。そこには老夫婦が住んでいた。
「はぁ……」
二人は外を寂しそうな目で眺める。だが辺りは一面の闇だった。何もないとわかるや、二人は溜息をついて戻り、明かりを消して眠りに就く。その枕元には鳥の形の笛があった。
今から二十年前。当時年齢五十歳近くだった夫婦が、子を授かりたいという長年の夢を叶えた。男の子だった。
「やっと会えた、俺たちの子に」
「嬉しい……奇跡みたい」
夫婦は彼が自分たちにとって最初で最後の子になるだろうと思って『初一』と名付け、愛情を込めて大切に育てていた。
初一は少し大きくなった頃から歌を歌うことが大好きになった。それだけでなく、歌で心が沈んだ人を励ますことも好きだった。
「♬~」
「ありがとう、初一君。心のしこりがとれたみたいだよ」
「よかったねぇ、こんないい子ができて」
初一の歌に癒された者は、両親への祝意さえ表した。人々の初一への愛情と信頼は、日に日に大きく広がっていった。
初一の素朴ながら平和な日々は、ある日、殀鬼によって破壊された。
「あれが……殀鬼?」
殀鬼については以前から聞いていたが、こんなに恐ろしい存在だったとは想像できなかった。両親も村人たちも怯え切り、初一は彼らの為に歌を歌って回った。
「感動した。ありがとう……」
村人たちに感謝される初一。だが彼の目には、遠くに佇む瓦礫の山が見える。平穏な日々はもう帰ってこない、自分がどんなに歌っても。
(僕の歌は、一時の慰めにしかならないんだ……)
一年後。殀鬼襲来の傷跡が濃く残る村に、胡乱な雰囲気の男が現れた。
「人間は殀鬼に勝てない。人間が滅びの道を免れるには、殀鬼を神と崇め奉るしかない」
男はこう言って村を回る。胡散臭がられ、追い出されたり水をかけられたりしながらも、男は根気強く教えを説いて回った。そうするうちに、男の言葉は殀鬼に怯える村民の心を捉えていった。初一もその例外ではない。
「初一が殀鬼に殺されてしまったらどうしよう……」
両親は口癖のようにこう言うようになった。初一は愛する両親の不安を取り除こうと、こっそり男の元へ赴いて入信した。
「よかろう。私についてきなさい」
男は初一を受け入れた。これ以降初一は両親の元へ帰らなくなり、男と共に教団拡大に力を入れるようになる。
「♬~」
初一は足繫く男の元へ通い、歌を披露した。その美声に男は太鼓判を押し、信者たちも「入信すれば美しい歌が聞ける」を売り文句に積極的な勧誘活動を行い始める。初めは小さな空き地を拠点にしていた教団は、信者の増加と共により広い場所へ拠点を移した。
「私も!」
「俺も入れてください!」
「ここを頼らにゃあ、おいらが生きる道はねぇ」
初一の歌声と心の拠り所欲しさに入信する者は後を絶たず、中には政や商工業の重鎮もいた。こうした者たちの後援あって、教団は自警団を結成して自らの兵力とした。教団のこれらの動きは、次第に村の領主から警戒されるようになった。
そして、遂にその日が来た。
「あいつらを殺せ!!」
領主が教団の弾圧に乗り出した。当初は領主側が優勢だったが、男は不安がる信者に笑みを浮かべてこう言った。
「安心なさい。これも想定内のことです。私に従いなさい」
男は信者を洞穴へ導く。そこで武器を配布し、戦闘に備えさせた。準備が整った後、男は初一に合図を送る。
「♫〜」
小高い丘の上から朗々とした歌声が響いた。領主の軍団は突然聞こえたそれに震え上がり、戦意を喪失した。
「今だ!!」
男が叫ぶと、洞穴から武装した信者がぞろぞろと現れた。
「村に救いを、順わぬ者には死を!」
立ち竦んでいた領主軍は一瞬で囲まれ、次々に命を落とした。軍は撤退を余儀なくされ、その報を聞いた領主は降伏を宣言する。力をつけた教団は未入信の村民を全て取り込み、遂には領主を殺害。村での実権を完全に握ったのである。
数日後。男の呼びかけで、教団の祝勝会が開かれることとなった。
「皆よくやった。疲れただろう。酒も食料もたくさん用意したから、遠慮なく食べるといい」
信者は歓声をあげ、男が用意した食べ物を貪った。一部の者は気分が高揚し、狂ったように踊った。
「皆、そろそろ席につきなさい」騒がしくなった宴の場を、男が落ち着ける。
「トリはやはり、彼にやってもらおう」
男の手招きで、舞台上に初一が現れる。そして、いつもに違わぬ美しい歌を披露した。
「♪~♬~」
信者たちは皆その歌に涙した。 歌が終わった時、初一は大きな拍手と歓声を受けた。初一は歌い手冥利に尽きると思って微笑み、信者たちに手を振った。
「初一、どうもありがとう。これにて祝勝会はお開きとする。皆これからもよろしく―」
奇妙なことが起きた。いつも流暢に祝辞を述べる男が、突然言葉を詰まらせたのだ。
「……?」
初一も、席についている信者たちも、何かおかしいと思った。その時、男の顔が豹変した。
「馬鹿め!!」
見るからに邪悪な笑みを浮かべる男を闇が包み、その姿は元とは似ても似つかぬものになった。
「!?」
「私は”トガ”。全ての殀鬼を統べる王だ。人間ども、私の贄となるがいい!」
男を包む闇が辺り一面に広がった。歓喜に満ちていた会場は、阿鼻叫喚の地獄と化した。
「わあっ!!」
信者たちは逃げ道を塞がれ、一人、また一人と死んでいった。気がつけば、生き残ったのは舞台上にいた初一ただ一人だけだった。
「教祖……様……?」
呆然とする初一。だが”トガ”は初一を殺そうとしない。血の海に立つ彼に、”トガ”はただ一言だけ言った。
「来い」
”トガ”は遠い目のままの初一の腕を引き、眉間に手を近づける。それは見るからに邪気に満ちていた。
「この世はやがて殀鬼に支配される。私に従わぬ者へ、最期の慈悲として歌を送れ。『哀蝉』」
”トガ”が邪気を放つ間、哀蝉の記憶は静かに塗り替えられる。歌を歌っていた当初の目的は完全に忘れた。
「はい、”トガ”様。まやかしの希望を齎さんとする者は、僕が全て灰にします」
人間だった頃の優しい面影が消えた、冷酷な瞳の少年はそう言った。
「我が同胞を倒して気をよくしているようですが……あなた方に守られた村より、滅んだ村の方が遥かに多いことをご存じですか?」
「それが何だっていうんだ」
「あなた方は人間に希望を齎しているのではありません。来るべき絶望から目を逸らさせているのです」
「違う!僕たちは絶望を打ち砕く為に戦ってるんだ!お前たちを倒して、みんなに平和を取り戻すために!」
「無駄口を叩くのはやめなさい。人間が滅びるのは時間の問題ですよ」
掬緒が傷だらけなのを歯牙にもかけず、容赦ない攻撃を仕掛ける哀蝉。一方掬緒は、満身創痍になりかけるのを、”慚愧の怪”としての誇りを胸に何とか堪えていた。
(僕たち”慚愧の怪”は、いつも五人一緒に戦ってた。僕一人だけで戦うのがこんなにも辛いなら、それは兄さんたちにとっても同じ筈だ―)
哀蝉を倒し、牛を取り返して、皆の元へ帰る。どれだけ痛みに苛まれても、諦めるわけにはいかない。
夜明けが近づく空の下、決意を固めた掬緒を、哀蝉は冷ややかに見る。止めを刺そうとした時、遠くの民家の扉が開いた。
「初一~ぃ」
「初一~ぃ、どこだ~い?」
「!?」
微かに、しかし強烈に響く声。腕が止まり、哀蝉は力を失った。
「う……うぅ……」
突如、哀蝉を激しい頭痛が襲った。脳が締め付けられる感覚に、哀蝉は蹲り、顔を歪めた。
「……!?」
掬緒はどうすればよいか迷った。この機を逃さなければ、哀蝉を倒せる。だが掬緒の耳にも、哀蝉を苦しめる声が聞こえていた。そしておそらく、彼の本当のものであろう名前も―。
「……初一……!?」




