(第四十七話)五供・百五十部隊
幻水兄弟を倒した後、不思議なくらいに殀鬼の襲撃がなくなった。男廊では、掬緒が䯊斬丸にそこはかとない不安を打ち明けている。
「……何だか、怖いな」
「お前の勘は間違っていない。今の状況は嵐の前の静けさととるべきだろう。油断はできない」
「べるめろは綺清那と一緒に人形芝居見せに行ったけどね……」
「ぐぁお~ぐぐああぉ~」
「きゃー助けて!!」
「殀鬼めぇ~許さないぞぉ!」
「ぎゃあああ!!」
「これでもう安心です!」
「ありがとう、五供の皆さん!」
べるめろが殀鬼と五供の役、綺清那が追われる人間の役をしている。戦いの傍らやっていただけあって、今や二人の演技は堂に入っていた。終演後、観客からは歓声が上がった。
「ありがとうございました!」
二人は観客に頭を下げた。
掬緒と䯊斬丸は芝居道具の倉庫に来ていた。そこには先に彩蓮がいた。
「えぇと、明日見せるものは……」
「どうした?」
「櫻蓮郷のお祭りを題材にした演目を考えていますの。でも随分久しぶりにやるものですから、どこにあるかわからなくて……」
「私も探そう」
䯊斬丸と彩蓮は人形を探す。途中、䯊斬丸の目にある箱が留まった。
「……!」
それは目当てのものではなかった。二人で探し始めて間もなく、彩蓮が見つけたのだ。
「ありましたわ!」
「……そうか」
「あら、何かありましたの?」
「……何でもない」
䯊斬丸はそう言って、箱をそっと元に戻した。
一人手持無沙汰の掬緒は、いつの間にか本堂に来ていた。本当は他に行きたい場所があったのだが、坐胆に声を掛けたかったのだ。
「先生」
「ん?」
「確か、書庫に百五十部隊の本がありますよね」
「ああ。百五十部隊についての本は数多あるが、ここの書庫にあるものは最も詳細に書かれているとされる」
「読んでもいいですか?」
「勿論。ゆっくり読みなさい」
坐胆に連れられて書庫に来た掬緒は、早速その本を読み始める。
「『飲食』の晶珊様、『香』の玻阿武砦様、『花』の羅呉様、『浄水』の漣彌様、そして『灯明』の佳琉様。当初『香』の力を授かったのは双子の兄の瑠阿武砦様だったけど、”トガ”との決戦前に負傷し、急遽弟の玻阿武砦様が力を譲られた。でも玻阿武砦様は、決戦で”トガ”の衝撃波が直撃し、命を落としてしまった……」
だがこれは故郷の本で何度も読み、すっかり暗記していた内容だった。故郷のはこれだけで全体の三分の一になるほど薄い冊子だったが、今自分が読んでいるものだと十分の一にも満たないのではないかと思う程分厚い。掬緒は期待を込め、さらに読み進める。
「すごい……僕の故郷にも百五十部隊の本はあったけど、こんなに色々書いてなかった……」
掬緒の口から感嘆の息が漏れる。坐胆が”最も詳細に書かれている”と言った通り、瑠阿武砦を含めた六人それぞれの経歴や人物像などあらゆる点について言及されている。掬緒が特に驚いたのは、”トガ”を消滅させた後の五人の行動だった。
「百五十部隊、戦地全部を回ってたんだ……亡くなった人を弔う為に……」
「それも彼らが”トガ”を追い詰めるに至った所以かもしれない」背後にいる坐胆が言った。
「”トガ”との戦いで心身共に疲弊していただろうに、被害を受けた者への気配りを怠らなかった。私にはとてもできない」
坐胆が自身の過去を振り返っている間にも、掬緒は本を読み進めていく。
「……あれ?」
突然、掬緒の目が点になった。百五十部隊が弔いの旅をした、その後のことが書かれていないのだ。それまで細かい点にも隈なく触れていたのにこの終わりかたでは、尻切れトンボとしかいいようがない。
「先生、百五十部隊の皆さんはこの後、どうなったのかわかりますか?」
「全くわからない。百五十部隊については人づてにも聞かないからな」
「……そうですか」
「一つ言えるのは、彼らは私よりも若い。せめて何処かで、静かに暮らしていればいいのだが……」
その頃”トガ”本拠地の地下牢では、黒い牛がいつにない大声を出して暴れていた。
「っあっ……この獣が……」
哀蝉が力ずくで押さえているが、牛は必死に抵抗している。もがいてもがいてもがいているうちに、遂に、牛はその角で哀蝉の脇腹を刺した。
「うっ……」
哀蝉が痛みに悶える間に、牛は枷を破壊した。そして満月のように青白い光を放って地下牢を脱出した。
(会わなければ……あの少年に……)
どこからか響く声。哀蝉がそれを聞いて立ち上がった頃には、牛の姿は消えていた。
「……ん……?」
掬緒は胸の辺りに異様な熱さを覚えた。体調を崩したにしてはどこかおかしい。しかもそれに続いて、今度は頭が痛くなった。
「おい、大丈夫か?」
心配して駆け寄った坐胆は、掬緒の胸を見てはっとした。謎めいた、しかしどこかで見たような緑色の光が出ていたのだ。
「すぐに丙のところへ……」
坐胆は掬緒を抱え連れて行こうとするが、彼に服を引っ張られ、足を止める。
「駄目だ……行かなきゃ……」
譫言のように呟く掬緒は、坐胆を振り切って走り、縮地盤に触れる。坐胆が追いついた頃には掬緒の姿はなく、縮地盤にも殀鬼の反応は見られなかった。
「あの胸の光は……!」
「うっ……」
掬緒の体にはまだ痛みが残っている。それに気づかせまいとするかのように、掬緒の足はふらつきながらもどんどん進んでいった。
「……ぅぅ……」
虚ろな目のまま歩く掬緒。辺りは真っ白な霧に包まれ、どこを歩いているのかわからない。音すらもなかった。
(……モーゥ……)
遠くから音、否、声が聞こえる。何処か切ないそれは、人の声ではない。おそらく、牛の声だ。
(あれ?この声、どこかで聞いたような気がする……)
掬緒の足取りが急に早くなった。体がひとりでに動いたかのように。心で何かはっきり思ったわけでもない。ただただ、体が”そこへ行きたがっている”のだ。
「モーゥ……」
声が近くなる。間違いない。以前も聞いた声だ。温かいような、寂しいような……そう、今自分が歩いている場所と同じような、一面真っ白な雪に覆われた山―。
(タタタタタタッ……)
掬緒は走り出した。白一色だった世界の果てに、黒い影が見える。それは声に違わぬ牛の姿をしていた。
「!!」
朧げな影は次第にはっきりしてくる。声も姿もはっきり覚えている。あの時にあった、あの牛だ。掬緒は駆け寄って抱きしめた。
「やっぱり……お前だったんだ」
掬緒は牛を優しく撫でる。牛もその思いを汲んでいるかのように頭を摺り寄せた。だが掬緒はこの期に及んで、頭痛が限界に達し倒れ込んでしまう。
「!」
牛は掬緒を気遣うように体を見る。目は半分開いていて、視線が牛の動きを追っている。それに気づいた牛は、ゆっくりと足を曲げてしゃがんだ。
「乗れ」
掬緒は牛が人の声で話すのが聞こえた。頭がぼんやりしていて、急に人の声を話したことをおかしいと思わなかった。
「……いいの?」
「勿論」
穏やかな声に、まだ会ったこともない、でも心のどこかで憧れていたような青年の姿を思い浮かべる掬緒。何故だろう。牛の面影を介して、懐かしい人に会えたような喜びを感じる。
「……行こう」
掬緒は牛の背に乗り、霧の中を進んでいった。
暫く歩いていくと霧が晴れた。その向こうには瑞々しい葉が戯れる木々、雲一つない青空、そしてそれを静かに映す清水を湛えた、大きな湖があった。一見誰もいないようだったが、掬緒が見渡すと―。
「あっ!」
それは霧の切れ端かと思われた。白くて透明、だが形は人のそれだった。腰まで下がる長い髪も、服も真っ白。顔や手もそれらに負けないくらいに白かった。
「ずっと湖面を見てる。僕たちには気づいてないみたい」
幽玄の如く佇む影に、掬緒は恐る恐る近づく。そして叫びたい気持ちを抑え、小声で呼びかけた。
「あ、あの……」
音量をかなり下げたつもりなのに、掬緒の声は湖畔に響き渡った。ずっと俯いていた影は、驚いて声の方を向く。
「……あんた……誰かい?」
影は顔を上げ、ゆっくりと話す。長髪から覗ける顔は女のものだった。頬は痩せこけているが、目はぱっちりとしていて、黒く艶やかである。穏やかな表情も相まって、労しさは感じない。
「僕、掬緒です。この牛に連れてきてもらったんです」
掬緒の隣で大人しく佇む牛に、女は視線を移す。掬緒は自分よりも牛を長く見つめている女を不思議に思った。やがて女は掬緒に向き直り、微笑む。
「あたしは沙那。ここにお客様が来てくれるなんて嬉しいよ。よろしくねぇ」
「よろしくお願いします」
掬緒は沙那に微笑み返す。傍らでは、会ってすぐに打ち解け合った掬緒と沙那を温かい目で見つめる牛がいた。
その頃、”トガ”は気まぐれで地上の様子を見ていた。水晶に、映ったのは雄大な自然が広がる山の中だった。
「何だこれは……見るからに人気のないところを映すとは……」
”トガ”が不満を漏らしたところ、映像がゆっくりと動いた。果てしなく広がると思われた森が突然開け、大きな湖が現れた。その畔には、白髪の女と少年、そして黒毛の牛が座っている。
「あれは……!」”トガ”の心に忽ち邪念が湧いた。
「あの少年は哀蝉が報告した奴だな。そして牛と女は……」
部屋の壁に灯る火が揺らぐ。”トガ”の邪念を燻らせるかのように。
「私に歯向かい裏切った奴らめ、ただ倒されるだけで済まされるとは思うな」
沙那は掬緒に身の上話をしていた。牛はいつの間にかその場を離れ、小川で水を飲んでいた。
「私はここで旦那と暮らしてたんだよ。でも旦那は、数年前に病気で亡くなってしまってね……」
「それは……ご愁傷さまです」
「旦那と二人で暮らす前は、他にも仲間が三人……あ、あともう一人、いたんだよ。毎日戦いに明け暮れて大変だったけど、今思ってもかけがえのない仲間だった……」
沙那とその夫。仲間が三人、あともう一人。その人数を聞いて、掬緒は思わず言った。
「何だか、百五十部隊みたいだなって思いました」
それを聞いた瞬間、女ははっとする。目を異様に見開いて、掬緒を見つめている。
「……?」
沙那の様子がおかしいことに気づく掬緒。だが―
「わぁぁぁ!!!」
「!!」
掬緒の叫びが、静かな湖畔を裂いた。牛は水を飲むのを止め、急いで戻ってくる。




