(第四十二話)若中将の地獄巡り 前編
八獄卒はそれぞれの管轄区に戻り、手鏡で亡者を見て回る。
「ん?あれは……”魂の玻璃”か!」
閻魔が言う通り、心臓の辺りにごく微量ながら白い光を放つ玻璃が見える亡者がいる。八獄卒はそのような亡者にすかさず声をかけた。
「其方を粒選りの候補とする。速やかに浄炎で身を清め、火車に乗れ」
そう言われた亡者たちは、浄炎と呼ばれる青白い静かな炎へ入る。その身を覆う傷や痣は、炎を出る頃には綺麗さっぱりなくなっていた。
「……!」
見違えるような体になった亡者。だが驚く間もなく火車に乗るよう促される。火車は枝端を目指し、暗闇の中へ消えていった。
枝端には粒選りの候補となった亡者が集められていた。そこには亡者十六番こと若中将の姿があった。
「ん……」
若中将は元々一丁目におり、その時は候補に選ばれたことを光栄に思っていたが、いざ枝端に来ると緊張感の方が強くなった。閻魔も弥勒も、まだ姿を見せていない。若中将は他の亡者をきょろきょろと見る。
「うえぇぇぇぇん……ひっく」
右を見れば、泣きべそをかきしゃっくりをしている少女がいた。暫く見ていたが、ずっと泣いていた。
(よくこれで選ばれたな……)
若中将はそう思いながら、今度は左を見る。
「……ん?」
亡者たちの足元をよく見ると、その膝にすら届かない程小さな背丈の童子―否、赤子が立っているのが見えた。
(こいつ……本当に候補者なのか?)
少女といい赤子といい、明らかに候補者とは思えない様子を見せていた。他の亡者が緊張した面持ちで粒選りの時を待っている中でその様子なので、若中将は二人が気になって仕方なかった。だが間もなく、二人を上回る異様さの亡者が目についた。
「うわっ……」
傍にいる亡者が次々に後ずさりする。声につられてその姿を見た若中将も、思わず顔を顰めた。ざんばら髪は所々根元から抜けている。肌は膿と傷だらけだ。顔を見るに若い女性のようだが、目が窪んでいる上に猫背で、足取りも重く、最早老婆にしか見えない。
(あいつ……まさか、浄炎を浴びなかったのか?)
ずっと穢れた体だったのを、やっと綺麗にしてもらえるなんて嬉しいことこの上ない筈だ。浴び忘れたとも到底思えないし、一体何を思ってあの姿で来たのだろう。若中将は考えを巡らせている。
「これで全員だな」
唐突に、太く大きな声が響き渡った。亡者たちは驚いて整列し、声がする方へ体を向ける。
(これは、閻魔様と……それから、弥勒様と思しき方の声も聞こえる。愈々だな……)
若中将もあれこれ考えるのを止め、気を引き締める。
「それでは……」
「閻魔様!!」
閻魔とは反対の方向から、彼を大声で呼ぶ声が聞こえた。緊張していた亡者たちは、何事かと思い後ろを振り向く。
「もう一名おります!!!」
亡者の視線を一身に集めていた者、それは六の卒だった。くすんだ藍色の肌を持つ彼が背負うのは、体に尖った鉄が複数見られ、後頭部は何かをぶつけられたのか、割れて血が出ている亡者だった。ぐったりして首を垂れたまま動かず、立てない程に衰弱しているのが明らかだった。
(あれは……)
若中将の視界には、先程の汚い亡者と、六の卒に背負われた亡者が重なって映っている。
(ここへは火車で来る筈が、あいつは六の卒様自らがお連れになった。もしかすると、火車が出払ってから候補者として選ばれたのかもしれない。だとすると、あの女の方は―)
亡者は枝端につくられた亜空間で弥勒と順に話をしている。やがて若中将の番が回って来た。若中将は眩い後光にたじろぎつつ、自分の思いを打ち明ける。
「私は本に興味がありましたが、人には興味がありませんでした。一番知るべき大切なことを、つゆとも知ろうとしませんでした」
「それで?」
「いや、その……自分はもっと人を知るべきであると。人と話をすべきと、責苦を通して思ったんです」
「そうか」 弥勒は少し考えて言った。
「折角なら、その練習をしてみないか?」
「え、えぇ!?そんな……」
「折角の機会だ。私が話をつけるから、ここで待っていなさい」
ここは地獄の全ての丁と繋がっている中央広場。そこに八獄卒が集まっていた。
「弥勒、我々全員と話をさせてくれとは……何とも唐突な」五の卒が溜息交じりに言う。
「しかも初めは閻魔様に話をさせるつもりだったのだろう?閻魔様は只でさえ多忙でいらっしゃる。初めから無理な話だ。閻魔様が我々を呼ぶ手間をかけさせるなら、我々に直に聞けばいいものを」
広場に来る前、八獄卒は謁見の間に呼ばれていた。そして閻魔から、自分に代わって若中将の話し相手になって欲しいと頼まれたのだ。八獄卒も責苦で手一杯だったが、閻魔が決めた以上は従うしかない。他の獄卒とも折り合いをつけて、何とか時間を確保した。
「我々の使命は、全ての亡者の魂に眠る玻璃を見出し、美しく磨き上げること―」ふと、一の卒が呟いた。
「亡者が自ら玻璃を探そうと望むなら、我々は力を貸すのに吝かであってはならないだろう」
「いかにも」隣に座る二の卒が言った。
「此度の件、我々にとっては寧ろ本望と思うべきだな。どうする?誰から順に話をするのだ?」
「やはり、一から始めるのがいいのではないか?」向かいに立っている八の卒が、飄々とした顔で口を挟む。そして、一の卒に視線を向けた。
「其方が面倒を見ていた亡者だ、語りたいことは誰よりも多かろう」
「確かに、語りたいことは多い」一の卒が応える。
「だがそれ故、語るべき内容がまだまとまっていない。我は最後にして欲しい」
「そうか」流れを受けて七の卒が言った。「それでは……」
「順は七、三、四、二、八、五、六、一丁目とする。厳守せよ。全ての丁は中央広場に繋がっているので、そこから標を見て参れ。各々の丁にて時間の制限はないが、必ず釜開けが終わるまでに全員と話せ……」
誰もいない中央広場に立つ若中将は、八獄卒に渡された覚書に目を通しながらぶつぶつ呟いている。
「まずは七丁目か……」
若中将は暗がりで目を凝らすと、広場を囲むように何処かへと伸びる八本の道が見え、その手前に矢印の形をした木の看板が立っていた。
「これか」
若中将が看板を見ると、漢数字が書かれている。その中に「七」と書かれたものがあった。若中将はその方向へ足を進める。
「では、我からは改めてこの無明絶孤地獄について語らせてもらおう」
背筋を伸ばして正座する若中将の前で、七の卒が仁王立ちしている。
「あまり緊張するな。落ち着いて聞くがいい」
そう言われても、若中将の緊張は解れなかった。威容のある姿を見、豪放磊落な声を聞くだけで体が震えるのだ。
「無明絶孤地獄は、地上で殀鬼と呼ばれていた者が力を失い亡者となった後、堕とされる場所だ。一から八丁目があり、亡者はそのいずれかに割り振られて、地上での行いに応じた責苦を受ける」
「は、はい……」
「我々が責苦を与える理由は、亡者の魂に眠る玻璃を見出し、次なる生へ向けて美しく磨き上げるためだ」
「あ、あの、七の卒様」
「どうした?」
「七丁目は……こんなに広かったんですか?」
「ここだけではない。一から八丁目、全てがこの広さだ」
若中将の視界には、赤黒い劫火に身を焼かれている者や、体を八つ裂きにされている者が密集している様子が映っている。その向こうにも、同じ気配を感じる。どこまでも、おそらくは地平線の彼方まで、この光景が続いているのかもしれない。
「一丁目にいた時は、自分と一の卒様以外、誰の気配をも感じませんでした。それに、劫火の向こうは漆黒の闇が広がるばかりだったような」
「無理もない。亡者からは、担当の獄卒以外の者の気配を隠しているからな。獄卒と亡者、互いの気が散らないように、掟で決まっているのだ」
(己と向き合い、罪を悔い改めよということか……)若中将は物思いに耽る。
「他に聞きたいことはあるか?」
七の卒に問われ、若中将は我に返る。他に聞きたいことがあったかもしれない。だが忘れてしまった。
「いえ、ありがとうございました」
若中将は七丁目を出た。
三丁目にて。
「ふむ。我からは、候補者の中でも特に印象に残っている者の話をさせて貰おう」
「お願いします」
「全身膿と傷だらけの、人間でいうところの”女”の姿をした亡者を見かけなかったか?」
若中将は思い出した。あの姿で忘れられるわけがない。どこから来たのかと思ったが、成程三丁目だったようだ。
「はい。浄炎を浴びていなかったのかと思うくらい酷い姿で……」
「そうだ。彼―地上では戻橋姫と呼ばれていた亡者は浄炎を浴びなかった。正確には……浴びるのを拒否したのだ」
「どうしてですか?」
「我も何度も理由を問うたが、首を横に振るだけだった。ただ……」
「ただ?」
「弥勒によれば、彼はこう言っていたそうだ―」
弥勒が亜空間で戻橋姫に話しかけようとしている。戻橋姫は俯いたまま顔を上げない。
「其方はこの無明絶孤地獄で、何を思ったのかな?」
「……ふ、ふふ、ふひぁは、は、ははははは……」
静かで、しかし狂気を孕んだ笑い声と共に、戻橋姫は顔を上げた。目には明らかに生気がないのに、口角をあげて無理に笑顔をつくっている。
「ほほほほほ……」
弥勒は思った。ここへ来たからには罪を贖う意志があるのは間違いないが、この調子では話が進まない。そこで、質問を変えることにした。
「其方は生まれ変わったら何をしたいかな?」
戻橋姫は暫しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いて言った。
「ねぇ弥勒様、私を生まれ変わらせるのではなく、この姿のまま地上に出してくださらない?」
「そんな……その姿のまま出すなどとんでもない。どうして……」
「……どんなに苦しくても、どんなに追い詰められても、誘惑に負けて殀鬼になったら末路はこの通り。悲しみと後悔しか残らない、惨めな存在に成り果てるわ。もし、地上で殀鬼になろうとする人がいたら、その人の前にこの姿で現れるの。そうすればきっと思い留まってくれるわ。殀鬼になる人を一人でも減らすことが、私にできる唯一の償いなのよ……」
戻橋姫の顔からは狂気が消えていた。只々さめざめと泣いていた。弥勒は肩にそっと手を添える。
「この姿でなくとも、人を思う心はきっと活かせる筈だ。さあ、涙を拭きなさい」
弥勒は小さな布を差し出した。戻橋姫は涙を拭うも、それが尚流れるのを止めることができなかった。
「……我に出来るのは、彼が”トガ”を倒すよう祈るのみ」三の卒がどこか物憂げな表情で言った。すると、何処からか子どもの泣き声が響いた。
「うえぇぇぇぇんお兄ちゃーん……」
三の卒は「ああ、また……」と言わんばかりに声の方へ向かい、子どもを鎮めた。声が聞こえなくなった頃、三の卒が戻って来た。
「失礼。またあの亡者が兄を探して泣いたものでな。他に聞きたいことはあるか?」
「特にありません。ありがとうございました」
若中将は三丁目をでる。四丁目への道中、あることが気になって仕方なかった。
(あの亡者の兄とやらは、何処にいるのだろう?)




