(第四十一話)弥勒の粒選り
今から五百年ほど前のこと。閻魔が裁判に、獄卒が責苦に多忙を極めつつあった地獄の門に、何者かが息を切らしながら駆け込んできた。
「はあ……はあ……」
警備に当たる獄卒・三十一の卒と三十二の卒が、その姿を目ざとく捉え、三叉戟の刃を向ける。
「お前、何者だ!?」
「我は弥勒と申す!訳あって閻魔へ取次ぎを頼みたい、どうか……」
「余所者が許可なくこの無明絶孤地獄へ立ち入れるとでも思っているのか?とっとと去れ!」
三十一と二の卒は、無理矢理中へ入ろうとする弥勒の前で三叉戟を交わらせ、進入を阻止する。だが弥勒は一向に引く気配がない。寧ろ、進入を防ごうとするほど意固地になって、何が何でも入ろうとするのだ。
「お前……これ以上言うことを聞かないなら……」
三十一の卒が三叉戟を回す。その刃は弥勒の胸を貫こうとしていた。
「不本意だが、やむを得ん!」
弥勒は三十一の卒に向けてかっと目を開き、右手を翳す。すると衝撃波が出て、門番を押し倒した。
「三十一!!」
よろけた三十一の卒を、三十二の卒が慌てて支える。弥勒はその隙を見て進入を試みる。
「……易々と行けると思うな」
弥勒の目の前に、三叉戟を構える者が大勢現れた。一人一人、肌の色や三叉戟の刃の形が異なっている。
(あいつら、いつの間に仲間を呼んだんだ)
怖気づいている場合ではない。弥勒はまたしても目を開き、先程とは桁外れの威力の波動を発した。
「お願いだ、閻魔の元へ通してくれ。我も、いつまでもこのような真似をしたくない」
弥勒は言った。その目は誰も見ていなかった。そして誰からも見られていなかった。獄卒たちは皆地面に倒れていたのだ。
「ううぅ……」
三十一の卒が苦しげに立ち上がる。視線の先には弥勒がいる。あれだけ入りたそうにしていたというのに、今は立ち止まったまま動かない。周囲には、同胞たちが横たわっている。
「おい皆!」
三十一の卒の一喝に、他の獄卒たちが立ち上がる。
「この弥勒という者を止めておけ!我は閻魔様に報告に参る!」
獄卒たちは忽ち弥勒の周囲に集まり、三叉戟を掲げて動きを封じた。弥勒は何も言わず、大人しく囲まれている。
「閻魔様!三十一の卒にございます!至急お伝えしたいことが……」
「入れ」
謁見の間で、閻魔は三十一の卒が来るのを予てから知っていたかのように招いた。装飾豊かで重厚な門扉が開き、三十一の卒は恐る恐る入る。
「弥勒と名乗る者が、我への取次ぎを願っているのか」
「はい。何度立ち去れと言っても聞かなくて……止めましたが、仲間諸共倒されました」三十一の卒はずっと頭を下げたままでいる。
「これも我の至らなさが招いたことにございます。務めを果たせなかった獄卒として、無に帰す覚悟もございます……」
「……顔を上げよ」
口では覚悟があると言いつつも、声色は無に帰すのを恐れている。三十一の卒の真意を悟った閻魔は、厳かながらも穏やかな口調で言った。
「弥勒は我が旧知の間柄だ。これ以上良からぬことはせんだろう。ここへ通せ」
「……え?」
「其方を無にはせん。引き続き、門の警備に当たれよ」
「閻魔様!」三十一の卒ははっとして顔を上げた。
「直ちに連れて参ります!」
暫くして、三十一の卒が現れた。
「閻魔様、只今お連れしました」
三十一の卒は隣に立つ者に三叉戟を構えている。万が一のことを考え、手を出せないようにしているのだ。刃の先には、緊張した面持ちの者が立っている。その者の方を向いて、閻魔が言った。
「久しいな、弥勒。何の用だ」
「地上が殀鬼の手に侵され、人間が著しく減っている。このままでは人間が滅びてしまうかもしれない。そこで、其方の力を借りたく、ここへ来た」
閻魔は裁判の傍ら、浄玻璃の鏡で地上の様子を窺っているので、このことは重々理解していた。弥勒の言う通り、地上の至る所で人間が殺し尽くされている。鏡を見れば、必ずと言っていい程死体の山が映っている。人間が生き残る猶予が、刻一刻となくなっているのだ。
「我の力を借りるとは……其方は一体何をしたいのだ?」
「この無明絶孤地獄では、罪を贖い魂に玻璃を見出された者から順に、新たな生命へ生まれ変わることを許される」
「その通りだ」
「だが、今この地獄で責苦の最中にあり、贖いを終えていない亡者の中に、罪を悔い人間の為にできることがしたいと思っている者がいる筈だ。その者を選ぶ為に、力を貸して欲しいのだ」
「……何だと」
落ち着いた表情で弥勒の願いを聞いていた閻魔は、眉間に皴を寄せる。
「どの亡者が罪を贖い転生に値する存在となったか、その判断は全て我に委ねられている。他の者が介入する余地はない。齢僅か二千年、我の三分の一にも満たぬ其方でも、そのことはわかっているだろう?」
「ああ、勿論だ」
「ならば何故ここへ来たんだ?抑々其方は極楽へ行ったのか?」
「……」
「人間を救う者が欲しいなら、まずは極楽へ行き、戦いで命を散らした五供の魂に声をかけるべきだろう。前世の記憶や実力が引き継がれるかは定かではないが、ここにいる者よりは確証が持てる。我々の下にいるのは、地上を荒らし人間を見境なく殺した、人間にとっての紛うことなき脅威だ。その中から人間を救う者を選ぶなど、正気の沙汰ではない」
「……我も当初は五供の魂から選ぼうとした……」
弥勒が重い口を開いた。閻魔は慎重に耳を傾ける。
「だがよく考えたら……それでは意味がないのかと思った。我は過去数え切れぬ程の人間に五供の力を与えたが、未だに”トガ”を倒せていない。五供だった者が五供として生まれ変わっても、正直なところ……これまでと何も変わらないのではないかと、思った」
「……」
「其方の言う通り、殀鬼は人間を見境なく殺す。そして人間は殀鬼を恐れ憎む。我はその思いに応えて力を授け、五供とする。そして五供が殀鬼を倒す。だがまた別の殀鬼が生まれ、人間が殺される。地上では何百年もこれが繰り返されている……」
「……つまり、その繰り返しを断ち切る存在が欲しいというのか?」
「そうだ。今地上に必要なのは、単に殀鬼を倒すという意志を持つだけの者ではない。人間の脅威たる殀鬼と、それを討つ五供。互いに一縷の寄り添いもないその関係を突破できる者はおそらく、ここにしかいない。その者こそが、人間の、そして殀鬼の、比類なき希望となるのだ」
閻魔は弥勒の言葉にも一理あると思わざるを得なかった。地上で日々繰り返される、人間と殀鬼の憎み合い。それぞれの『人間を守る』『人間を滅ぼす』という大義名分を掲げての戦いには、全く終わりが見えない。それもあって、閻魔は弥勒の提案を"停滞した現状の打開策"と見て、関心を持ったのである。
「―よかろう。其方に力を貸す。但し、条件がある」
弥勒が去った後、謁見の間には八獄卒が呼ばれていた。
「来る釜開けの日に、我と弥勒の主宰の下で『粒選り』を行う」
「……はい」
「粒選りの実施に於いて、其方たちにはこれを使ってもらいたい」
閻魔が言うと、深々と頭を下げる八獄卒の前に、小さな手鏡が下りてきた。八獄卒はそれを受け取って見つめる。
「この鏡は我と弥勒が力を合わせて生み出した特別のもので、普段以上に魂の玻璃を見出し易くなっている。これで亡者を見、僅かにでも玻璃を持つ者がいたら、火車に乗せてこの地獄の果て、枝端に連れて来るのだ。よいな」
「御意」
「尚、粒選りで選ばれた亡者に対しては以下の条件を付す」
「条件……とは?」
「玻璃が見えたといえど、贖いを終えた身ではない。亡者の転生者は、命が尽きれば、地上での行いに関係なくここへ戻される。そして、贖いを終えるまで責苦を受けるのだ」
「閻魔様……それはつまり、殀鬼を倒し人間を救った者さえも、転生前の業から逃げられないということですか?」六の卒が問う。
「そうだ。どの亡者が転生に相応しいか決めるのは、我のみに許されたこと。他の者が関わって決めるのは地獄の法を逸脱することに外ならない。そのようにして選ばれた者が特別扱いされるなど、あってはならないことだからな」
ずっと頭を下げていた八獄卒の間にどよめきが走る。やがて一の卒が言った。
「お言葉ですが閻魔様、仮にも五供のように人の為に戦い罪を贖おうとしている者に、その仕打ちは惨たらしいではありませんか!……っ!!」
一の卒が言いかけた瞬間、彼の口に大輪の蓮の花が咲いた。そして倒れた。一の卒だけではない。他の獄卒も、口に蓮の花を咲かされ、うつ伏せに倒れた。
「先程の内容を禁言とする。再びその口から語ることがあれば、その蓮華が身を亡ぼすだろう」
選ばれた亡者の、あまりにも過酷な運命。思うことは色々あれど、八獄卒は閻魔の命令に従うしかなかった。




