(第三十九話)相思晶
”トガ”の下で訓練を重ねた幻水兄弟は、黒い雲を発生させて雷を落とす能力を得る。
「兄ちゃん!」
「おう!」
玖煙が黒い雲を出した直後に腹を裂いて兄を呼べば、玖英が現れて周囲を雷の絶壁に包む。暗黒の叢雲と無数の雷光は、幻水兄弟にとっては互いの”顔”だった。人間だった頃にも増して絆を深めていく二人は、ある日、”トガ”に嘗ての家だった屋敷が今どうなっているかを見せられる。
「こいつはお前らの叔父に間違いないな?」
”トガ”が水晶の中に浮かべる光景には、美しいけれども変わり果てた屋敷が映っていた。季節の移ろいを告げ心躍らせた花々はほぼ全て切り倒され、両親が殺された日の暗澹たる空を貼り付けたような、どす黒い奇岩が犇めき合っている。それを、恰も以前より庭を美しくしたと言わんばかりのご満悦の表情で見つめる男がいた。兄弟はその男には数回会っただけだが、顔ははっきりと覚えている。
「……はい。この男は、確かに叔父上です」
そう答える玖英を、隣で玖煙が見ている。静かながら怒りに満ちた顔。そして震える握り拳。表情と言い挙動と言い、玖煙はこんなにも恐ろしい兄の姿を今まで見たことがなかった。
「こいつはお前らの両親を殺して屋敷を奪い、お前らを人買いに売った。おまけに己の罪を隠して宮中にのさばっている。このままでいいと思うか?何もしなければ、全ては叔父の思う壺だ」
玖英の目は嘗てない怒りに燃えていた。隣で彼をちろちろ見ていた玖煙も、水晶の中しか見ていない。その体は震えている。
「父上と母上の仇を討ちたい」
玖英が”トガ”を見上げて言うと、玖煙も力強く頷いた。”トガ”はにんまりとして言った。
「よし、行け」
「うわっ!?」
都中の者がそう言った直後、都は壊滅した。最期の言葉もないまま、全てが雷に焼かれたのだ。無論、幻水兄弟が嘗て住んでいた屋敷も―。
「やった……やった……これでいいんだ」
「そう……そうだね、兄ちゃん」
「はは、は……ははは、は」
「ははは……ははははは!!」
兄弟の乾いた笑いが響く。復讐を遂げ気分がよくなった筈の兄弟。だが二人は心のどこかで不安を覚えていた。
(これで終わりではない。人間はまだまだいる。これで満足するな、全てを殺せ)
”トガ”の声が耳に響いた時、不安の正体がわかった。自分たちは、もう後戻りできなくなったのだ―。
幻水兄弟は”トガ”に命じられるまま人間を殺しつくした。最早自分らが恨みを抱いていたかどうかは関係ない。人間の姿が目に留まれば、すぐに雷を落として焼いた。骨まで焼け焦げた死体を見る日々を繰り返し、兄弟は悶々としていた。でも仕方がない。後戻りができないなら、その先がどうなっていても前に進み続けるしかないのだ―。
ある日、”トガ”は幻水兄弟に言った。
「残念な知らせだ。お前たちの復讐はまだ終わっていない」
「どういうこと……ですか?」
「お前らの叔父の娘が襲撃から生き延び、逃げていた。この村にな」
水晶に浮かぶ映像には、村人に匿われる少女の姿があった。都を襲った際、叔父の近くにいた少女だ。言われてみれば、顔がどことなく叔父に似ている。
「こいつを生かしておいたら、お前たちとてどうなるかわかったものではないぞ?」
「行きます!!」
玖英と玖煙は同時に頷いた。自分たちとは無関係な者ばかり襲っていた日々。ここに来て、自分たちが殀鬼になったことの意義を再確認させる存在に巡り合えたと思えたのだ。
「フッ、お前たちは本当に聞き分けがいいな」
兄弟が殺し損ねた娘がいる村、それこそが正に“慚愧の怪”が赴いた村だった。人間は大方殺したが、肝心の娘はまだ、その姿すら見ていない。さらに、䯊斬丸が生き残った者を地下に誘導した為に、娘の行方を追うのが難航した。取り敢えず地下へ続く道は封鎖したが、中を確認しなければ意味がない。そう思ったところに“慚愧の怪”の仲間が三人も現れた。
「んもぅ!」
「玖煙、落ち着け。まずはあいつらを倒そう」
宙に浮き腹を介して話す兄弟は、雷で三人を足止めした隙に、䯊斬丸と彩蓮によく似た亡骸を見つけた。それらを三人に見せつけると、思惑通り彼らは動揺。その隙を突いて、“慚愧の怪”を全滅させたのである。
地上に人間の姿がなくなったのを受けて、幻水兄弟はゆっくりと地上に降りる。戦法の関係で宙に浮いている時間が長い二人は、地を踏みしめる度に新鮮な感触を覚えた。乾いた土が足に絡むのさえ、どこか楽しく感じられる。
「玖煙……気持ちはわかるが、早く地下道に行かないと」
「あ……そうだった」
玖英に諫められ、心を弾ませて歩いていた玖煙は地下道に向かう。村には雷が何度も落ちたが、雨は一滴も降らなかった。水はすっかり枯れ果ててしまったかと思われたが、奇跡的にか、水溜まりが一つ残っていた。玖煙は足を止めてしゃがむ。
「……」
「玖煙……」
寂しげな表情で水溜まりを覗き込む玖煙に、玖英が心配そうに声をかける。
「……これ、兄ちゃんじゃないんだよな」
周囲から間違われることもあった程、兄とは瓜二つの顔。でも今映っている顔は兄のものではない。紛れもない自分のものだ。玖煙がそう思っているうちに、徐に開いた腹から玖英が現れる。
「はぁ……」
溜息を漏らす玖英。玖煙は互いの顔を見られなくなってから、水や鏡を見る度に寂しそうな顔になってしまった。「気にするな」と励ましても、自分の顔を映すものがあれば憑りつかれたかのように見つめ、今の境遇を嘆く。大地が枯れてやっとその心配がなくなると思っていたのに、現実は残酷だ。
「……これは、玖煙じゃない……」
玖煙を心配していたのに、玖英はいつの間にか水溜まりを覗いていた。そして自分でも気づかぬまま、玖煙と同じことを思っていたのである。
「……っ……」
倒れていた掬緒が立ち上がった。顔中土塗れの彼は、ふらついた足取りで仲間を探し歩く。
「……?」
何かおかしい。自分の目の前にあった筈の村が消え失せ、赤々と火柱が立ち上る、どこか別の場所に来たようなのだ。意識が朦朧とする中、掬緒は混乱する。周りには仲間がいない。誰もいない。自分は孤独だ。もう何も出来ない。急に無力感に苛まれた掬緒は、泣く力も失くして再び倒れてしまった。
「きい兄、立って!!」
幼い子どもの声が聞こえる。きい兄とは言っているが、綺清那やべるめろの声ではない。でも掬緒は、その声を聞いたことがある。懐かしくて、温かい気持ちになる声。
「きい兄!!」
「掬緒!!」
「掬緒君!!」
子どもだけではない。大人の声も聞こえてくる。そのどれもが、聞き覚えのある声だった。
「……!」
やっとわかった。これは両親、そして故郷の皆の声だ。倒れて何も出来なくなっていた自分を奮い立たせようと、助けに来てくれたのだ。
「父さん、母さん、皆……僕はここにいるよ」
掬緒は、自分が見ているものが幻であることに気づいておらず、呼びかけに応じたり、子どもを抱きしめるような動作を見せる。その様子を見ていた玖煙は動揺した。
「どういうことだよ……あいつ、仲間の姿が見えるのか?」
「違う、玖煙、あいつは幻を見ているだけだ。早く倒そ―」
「いや、違う、違う!違うんだ……」
玖煙は急に取り乱し、とうとう玖英の言うことを聞かなくなった。その上、あろう事かこのようにまで言った。
「あいつは幻を見てるんじゃない……僕に、あいつの仲間が見えてないんだ……」
「玖煙……こうなったら……」
敵を前に動揺して一歩も動かない玖煙に痺れを切らし、玖英は強制的に入れ替わろうとする。その時だった。
(ガッ!!)
遠くで地割れのような音が響いた。玖煙がぎょっとして音のした方を向くと、文字通り地面が割れていた。
「はあ……はあ……」
割れた大地から飛び出して息を切らしたのは䯊斬丸だった。その後ろには彩蓮、そして生き残った村人たちが立っている。地下道に逃げた者は全員無事だったのだ。
「掬緒……」
刀を握り、疲弊しながらも様子を窺う䯊斬丸。視線の先では、恰も目の前に仲間がいるかの如く幸せそうな表情の掬緒がいた。遠目で見てもわかった。掬緒は幻を見ているのだ。今の彼に何かしろと言っても、聞こえないだろう。
(では、まずは……)
䯊斬丸は刀を収める。そして後ろを振り向き、ある者を呼んだ。玖煙の方に向き直った時、䯊斬丸は傍らに一人の少女を連れていた。
少女は緊張した面持ちで背筋を伸ばし、深呼吸をして言った。
「私はお父様を愛してはいるわ。でも、尊敬なんてしてない。欲の為に人を殺すなんて、許される筈ないもの!」
玖煙は心の奥底で何かを揺さぶられたような気がした。それもその筈、今自分と向かい合っている少女は、ずっと探していた、叔父の娘だったのだ。
「彼女から事情を聞いた。これで満足か?」
䯊斬丸が冷たい目で言った。だが玖煙はとても満足などできる状況になかった。それ以上に心に刺さるものがあったからだ。
(欲の為に人を殺すなんて、許される筈ないもの!)
玖煙は幼心に薄々気づいていた。”欲の為に人を殺す”という、正に叔父を憎む切欠となった行為を、自分たちもしていたことに―。
「―あ、」
その頃、掬緒が見ていた幻が消えた。先程までそこにいた大切な者たちが、風のようにふっと消えたのだ。掬緒は目をぱちぱちさせる。そこには果てしない曇天と、草すら生えない土の大地が広がっているだけだった。
「掬緒!」
掬緒は䯊斬丸の声に振り向く。そこには蓮や、他にも大勢の人たちがいた。
「そいつらを射ろ!」
䯊斬丸が視線で指示した先には、動揺して立ち竦む玖煙がいた。その腹はほんの少しだけ裂けて、中から唸るような声が聞こえる。だが、それ以上のことは起きていなかった。
(今なら当てられる―)
掬緒は弓を出し、玖煙の顔目がけて矢を射る。一撃で地獄へ堕とすつもりだった。だが。
「あれ?」
風もないのに、何故か矢の軌道が大きく逸れた。矢は玖煙の顔ではなく、裂けかかっていた腹に命中したのだ。矢は裂け目にじりじりと進入した後、玖煙の体を貫通して何処かに消えた。
「ぉぉぉ……うあぁぁぁ!!」
裂け目が大きくなって、中から玖英が現れた。そのまま体が玖煙と入れ替わ―らなかった。玖英と玖煙は別々の体になったのだ。
「玖煙……」
「兄ちゃん……」
十数年前ぶりに見た互いの顔。兄弟は嬉しさも忘れ、只々顔を見つめ合う。その時、掬緒の矢が戻って来た。そして、兄弟の顔を纏めて貫いたのである。
「!!」
仮面が割れ、力を失った兄弟。その背後には暗黒空間が浮かび上がる。地獄への扉が開こうとしているのだ。
「あれは……」
目を丸くして呟く玖英。そこへ、呆然としたままの掬緒の横を過ぎた䯊斬丸が現れた。
「お前たちはこれから、離れ離れになる」
䯊斬丸の口からは信じ難い言葉が放たれた。彼の視線の冷たさ、そして声の重さからして、それは間違いない。
「な、何だよそれ……嘘だろ……?」
「本当だ。お前たちのせいで、沢山の者が、大切な者を奪われた。そんなことをしておいてお前たちは一緒にいられるなんて、許される訳がない」
顔が真っ青になる兄弟。玖煙は䯊斬丸に怖気づいて何も言えずにいたが、遂にそれを抑えられなくなった。
「嫌だぁぁぁ!!やっと兄ちゃんの顔を見られたのに、離れ離れになるなんて……そんなの認めるもんかあぁぁぁ!!!」
乱心を起こした玖煙は、䯊斬丸に駆け寄って顔をボコボコに殴った。勢いに任せているだけのそれは、避けようと思えば避けられるものだった。だが䯊斬丸は目を閉じたまま微動だにせず、攻撃を全て受け止めた。
「あ……ああ……」
ひとしきり殴打を終えた玖煙は、目の前にいる瘤だらけの顔に恐れ戦いた。あれ程殴られたのに、その足をしっかりと大地につけている。まだ動けるという余裕を感じる佇まいに、玖煙は腰を抜かしてしまう。
「……?」
重い首を動かして、玖煙は振り向く。そこには、残された力を振り絞って服の裾を引っ張る玖英がいた。
「兄……ちゃん……?」
「もう、やめろ……」
絞り出すような声の玖英は、手を玖煙に握られた後、䯊斬丸を見て言った。
「なあ、俺たちは、ほんの少しの間、離れるだけだろ?……消えてなくなる訳じゃ、ないんだろ?すぐに、また、会えるよ、な……?」
「……それは、わからない」
「えっ……?」
「でも、消えてなくなることはない。これは紛うことなき事実だ。その気があれば、生まれ変わった世界で会えるかも……な」
瘤に口を塞がれているとは思えないくらい、䯊斬丸の言葉が、重く、はっきりと聞こえる。掬緒は、䯊斬丸と兄弟の成り行きを見守っていた。
(地獄に堕ちると……離れ離れになるの……?)
掬緒はこれまで、殀鬼について色々聞いてきた。だが、”親しい仲にある殀鬼同士が、敗北と共に離散する”というのは聞いたことがなかった。そう思っている間に、地獄の扉が大きく開いていた。しかも、二つも。
「わあああぁぁぁ兄ちゃぁぁぁん!!」
二つの扉からどす黒い複数の腕が伸びた。先に足を取られた玖煙が、地獄へと引き摺られていく。
「玖えぇぇぇぇぇぇん!!」
玖英の足にも腕が伸びていた。だが玖英はそれを振り切り、玖煙に手を伸ばした。
「……えぇ……」
それは兄弟と掬緒が同時に発した言葉だった。玖英が伸ばした手は、玖煙に届く前に腐って塵になってしまったのだ。兄弟も、それを見ている掬緒も、あまりの現実に愕然とした。
「いや、まだ、まだ……」
玖英は手が腐っても尚残っている体を使い、全身全霊で玖煙に近づこうとする。玖煙はその姿に、今までになく心を打たれた。
「兄ちゃん、今ならまだ、手が、届き―」
その時、玖英と玖煙双方に伸びていた手が、がっつりと足を掴んだ。そして二人別々に、地獄へ堕ちていった。
(あんなに仲が良さそうだった二人が、僕のせいで、離れ離れに……)
掬緒の心は今にも潰れそうだった。人を殀鬼の脅威から守る為にしたことで、こんなに罪悪感を覚えたことはなかった。
(ああ……僕は、何てことを……ん?)
掬緒は気づいた。幻水兄弟が消えた地点に、先が二つに分かれた枝が落ちていたことに。しかも、その先端には水晶玉のような透明感のある、不思議な実がついていた。
(……)
掬緒は思わず近づいて、拾った枝をまじまじと見つめる。いつの間に落ちていたのだろう。兄弟の置き土産なのか。
「掬緒、行くぞ」
背後には䯊斬丸がいた。掬緒は枝を握りしめたまま、彼についていった。
掬緒・䯊斬丸・彩蓮の三人は綺清那・べるめろと合流し、犠牲者に手を合わせる。生き残った村人たちは、幻水兄弟の叔父の娘を仮の領主として村の再興をすると誓い、“慚愧の怪”と別れた。
ところ変わって養祥寺。本堂で改めて犠牲者を追悼した掬緒は、仲間が出てもまだ残っていた。
「どうした?もう皆出て行ったぞ」坐胆が声をかける。
「……ん?」
坐胆は掬緒が、見たことのない実をつけた枝を握っていることに気づく。
「それは供え物か?」
「……はい」
坐胆は掬緒の、躊躇いがちな言い方が気になった。供え物を壇に乗せず、いつまでも持っているのも違和感がある。
「……でも、ここに供えるものじゃないんです」
「どういうことだ?」
「この枝は……あの兄弟が地獄へ堕ちた後、その場に落ちていたんです。二人とも……最後まで離れ離れになるのを嫌がっていました」
掬緒の脳裏に前世の記憶が蘇る。地獄で散々な目に遭わされた時のことを。一瞬の隙もなく自分を襲う責苦。自分は痛みに耐えるのが精一杯で、それ以外のことを考える余裕が全くなかった。
「先生……」俯いていた掬緒が顔を上げる。
「もしあの二人がお互いを忘れてしまったらどうしよう……ぅぅ、ぅわぁーん……」
掬緒は泣き出した。坐胆はやるせない気持ちになりつつも、掬緒の肩に手を差し伸べて言った。
「掬緒、すまない」
「え……?」
「殀鬼は誰にも付き添われず地獄に堕ちると、ずっと話さなかった。お前が抱える苦しみは、私のせいでもある」
気持ちが落ち着き、掬緒は泣き止んだ。坐胆は再び枝に目をやる。
「これを隠棚に供え、兄弟が互いを忘れることの無いよう祈るんだ。そうすれば……お前の思いが届くかもしれない」
「先生……」
掬緒が出て行った後の本堂では、坐胆が物思いに耽っている。
(䯊斬丸……何度も顔を殴られたようだったが、何も言わずに包帯を巻いて、何事もなかったかのように振舞っていたな……)
“トガ“の本拠地の地下牢にて。
「うぅ……うぅ……」
鎖に繋がれた黒い牛が、体を震わせて唸っている。




