(第三十八話)水玉の名を賜りし兄弟
今から十数年前、目という貴族の元に、玖英と玖煙という双子の童子がいた。
「おーい、玖煙!」
「お兄ちゃま~」
小ぢんまりとしながらも風格のある屋敷。その中の、色とりどりの花が咲く小さな庭で、玖英と玖煙は楽しそうに遊んでいる。その様子を、両親の目夫妻が微笑ましげに見ていた。
「季節が移り花の色が褪せても、この温かな日々は変わることがない」父はそう思い、幸せな日常を謳歌していた。
兄弟が八歳になった時、それは起きた。
「おい何だこれ……嘘だろ……」
「お父ちゃま……お母ちゃま……」
その日の夜、目夫妻が何者かに殺されたのだ。誰が殺した?恐ろしい光景を前に体が硬直し、泣くこともできない玖煙の手を引いて、玖英は平静を装う。そして自分たちが襲われる可能性を考え、警戒しながら殺した張本人を探していた。一歩進んでは周囲を見、また一歩進んでは周囲を見る。ゆっくりな足取りで、しかし音を立てずに、兄弟は進んでいた。
「!?」
兄弟は突然、何者かに後ろから口を塞がれ、闇の中に消えた。
兄弟が連れ去られた先は小さな波止場だった。曇天の下、生ぬるい風に煽られる木々が、唸り声のような轟音をたてている。
「お兄ちゃまー!!」
行燈にぼんやりと照らされる玖煙は泣きはらしていた。必死にもがくが、後ろでがっちり掴んでいる男の太い腕には無力だった。
「玖煙!玖煙!!」
玖煙の視線の先には玖英がいたが、彼もやはり後ろ手に掴まれていて身動きが取れず、弟を呼ぶのが精一杯だった。
「おい……離せ!!」
玖英は一層力を入れてもがくが、動くのは口だけだった。肝心の手足は雁字搦めにされ、ぴくりとも動かない。
「いい加減にしろ!お前らは売り物なんだよ!!」
(……売り物……?)
玖英は男が何を言っているのかわからず、呆然とするうちに力が抜けてしまう。
「おい!これ以上逆らったら……ぁ?」
(ゴロゴロゴロ……)
震えるような音と共に、蛇行する光が暗い空を裂いた。続いて響くザーザーという音。玖英は力が抜けたまま、玖煙の顔を見る。
(まだ……泣いてる……のか?いや―)
「ああ何だよ、こんな時に雷かよ!しかもこの雨―」
突然の雷雨に不意を突かれた男たちは、うっかり兄弟を放してしまった。
(今だ!)
玖英は男を突き飛ばし、向かいの男に肘打ちを喰らわせた。そして玖煙を背負い、爆弾の雷雨の中を死に物狂いで走っていく。だが途中で小石に躓いて転び、背負っていた玖煙が投げ出されてしまった。
「うっ……!」
玖英と玖煙は泥まみれになった。立ち上がろうにも、槍のように次々に降る雨に顔を打たれ、ぬかるんだ道に足を取られる。力もどんどん削られて、視線の先に横たわる玖煙を見つめる玖英は悔しさを滲ませた。
「どうして……どうしてこんなことに……俺たち……悪いことなんか何もしてないのに」
雨が地を打つ、びちゃびちゃとした音が轟く中、謎の声が聞こえた。
「あ~らまあ、どうしましたのん?」
「!?」
玖英ははっとして顔を上げる。そこには黒い長髪をきりりと結い上げ、男性らしい袴姿の”女”がいたのだ。
(何だ?この妙ちくりんな格好の女は……)
玖英が唖然としている間に、女は兄弟の怪我を目ざとく見つけた。
「あたくしは啞瞻。ま~あ可哀想に、お怪我を治してあげましょ」
癇に障る高さの声を不快に思う玖英だが、結局啞瞻に言われるまま連れていかれてしまった。
「……?」
兄弟が連れて来られた場所は暗かった。だが全く灯りがないわけではなく、うっすらと中の様子が窺える。仄暗い中に垣間見える調度品や、そこにいる面々の佇まいにある種の高貴さがあり、どこか懐かしい雰囲気さえした。ただ、そう思っているのは玖英だけだった。玖煙は未だに気を失ったままで、目を閉じている。
「”トガ”様ぁ~」
相変わらず癇に障る啞瞻の声を聞きながら、兄弟は目の前に鎮座する男を、畏れを抱きつつ見つめる。
「どうか玖煙を……弟を……助けて……くれ……」
息も絶え絶えに訴える玖英。それを見た哀蝉は眉を顰めた。
「頭も下げずにいきなり助けを乞うとは、何と無礼な」
「まあまあ、落ち着け」
哀蝉は冷たく言い放つも、隣にいた立平太に宥められた。”トガ”は兄弟を見てほくそ笑んでいる。
「当然だ。お前たちを助けてやろう」
”トガ”はそう言って手を差し出した。すると黒い霧が現れ、兄弟を呑み込まんとする勢いで巨大化した。恐れ戦いた玖英は玖煙を力強く抱きしめる。ずっと目を閉じていた玖煙は、玖英が気づかぬうちにそっと目を開けていた。
「……?」
玖煙の視線の先には玖英がいた。だがその時の彼がどんな表情だったのか、玖煙は覚えていなかった。聞こえたのは男の図太い声だけだった。
「立て、幻水」
霧が晴れた後、出てきたのは何故か玖煙一人だけだった。
「あらぁ~?一人になってしまいましたわねん」
「はて、こやつの片割れは何処に?」
手下たちは玖英を探すが、その姿はない。只一人、哀蝉は兄弟を冷ややかに見ている。
「あの無礼者は、手下に相応しくなかったということでは?」
「いや、違う」
”トガ”は哀蝉の言葉を即座に否定した。
「これだ」
”トガ”の手には小さな幻影水晶があった。澄んだ水晶の中に、煙のように曇った石が封じられている。特異な形状が醸し出す美しさに、手下たちは幻水そっちのけで心奪われる。
「偶々見つけたこれのようにしてみたのだ」
「ほお~素晴らしい!もしや、こいつの片割れは……」
太鼓持ちの役に回った立平太がそう言いかけたところで、玖煙が目を覚ました。彼の目に映ったのは、周囲にいる謎の者たちの視線、そしてその背後に浮かぶ薄暗い謎の部屋だった。全てが気味悪い。玖煙は忽ち不安になって玖英を探し回る。
「兄ちゃん!兄ちゃん!!」
「落ち着け」
”トガ”はそう言うと、指先から暗黒の緒を出して玖煙を宙吊りにした。
「服を開けて腹を見ろ」
何がどうなっているのかわからないのに加え、”トガ”の威圧感溢れる声に、玖煙は成す術がなかった。自分に出来るのは、大人しく言うことを聞くだけ。玖煙が服の前身頃を開けると、そこに光のような闇のような、何とも言えない縦筋が通っていた。
「その腹を左右に引け。そこに答えがある」
玖煙は困惑しつつも受け入れるしかなく、徐に腹部の皮膚を引いた。すると、皮膚はバリバリと音を立てて裂けた。力を殆ど入れていないのに、皮膚が内臓を掠めるくらいまで裂けてしまったかのような感覚だ。だが玖煙はそれ以上に、別のことに違和感を覚えていた。「痛く……ない?」
おまけに皮膚の裂け目を覗くと、そこには果てしない闇が広がっていた。そして、その奥からごうごうという、猛獣が吠えるようなおどろおどろしい声がする。
「これは一体……!?」
そう言った直後、玖煙は気を失って仰向けに倒れる。暫くの間、腹からごうごうという音が響くだけになっていた。
「ごうごう……ん……んっ」
やがて、腹の奥から聞こえた声は少年の声に変わった。しかも、先程までこの場にいた、あの少年の声に。手下たちは声が聞こえたその腹を、驚きの目で見ていた。やがて、その腹の裂け目から、声の主の玖英が、丸めた背を伸ばしながら現れた。それはまるで、植物の芽のようだった。
「おぉ~!」
立平太は思わず拍手する。こうなることは予想していたが、それでもいざ目の前でその様子を見た時の感動は一入だった。
「素晴らしいですわん!」
「このような殀鬼は……今まで見たことがない」
他の手下たちも、腹の中に片割れを秘めるという、これまでにない特徴を持った殀鬼の出現を興味深く見届ける。
「玖煙……おい玖煙、玖煙!!」
玖英も玖煙同様、片割れがいないことに気づいて取り乱す。”トガ”は再び腹を裂けと命じた。
「……」
玖英がその通りにすると、今度は玖煙が出てきた。”トガ”に幻水と名付けられた兄弟は、互いの姿こそ見えないものの、片割れは確かに存在していることを理解する。
「玖煙……」
「兄ちゃん……」
一応の安堵を見せる兄弟。だが兄弟の在り方は、今までとは全く異なるものになってしまった。そのことを思う程、玖英と玖煙は恐怖を覚える。縦筋の通った腹を見ながら不安げな様子の玖煙。
「話しかけて見ろ。声は聞こえている筈だ」
「……にい……ちゃーん……」
”トガ”に促されて玖煙が恐る恐ると言うと、「玖煙、玖煙」と返す声が聞こえた。”トガ”の言う通り、顔は見えなくても意思疎通ができるのだ。それに気づいた兄弟は喜び、何度も姿を入れ替えては声を掛け合った。手下たちが目を丸くしてその様子を見る中、”トガ”は微かに笑みを浮かべている。無論、それは兄弟の様を微笑ましく見ているからではない。




