(第三十五話)小さな寺と穴
畜飛出を倒した翌日、縮地盤には殀鬼の反応がなかった。
「ご馳走様でした」
“慚愧の怪”は朝食を食べ終えて本堂を出る。掬緒は久しぶりの休息が取れると安堵して男廊に戻ろうとした。
「!?」
何者かが腕を引いている。振り向くとそこには綺清那がいた。
「どうしたの?」
「……来て欲しいの。一緒に」
「何処へ?」
「……後で言う」
綺清那が躊躇いがちに言うのが気になったが、掬緒はそのまま手を引かれていった。
掬緒は出たばかりの本堂に戻された。手を引かれて向かった先には縮地盤がある。
「今日殀鬼の反応がなかったら、一緒に行きたいと思ってたの……先生、いいですか?」
視線を坐胆に向けて問う綺清那。坐胆はゆっくりと頷いた。綺清那が縮地盤の一点に手を翳すと、その地点が光った。掬緒と綺清那は共にそこに手を近づけ、光の中に消えていった。
「そうか。掬緒にはまだ明かしていなかったのか。殀鬼を倒す日々が暫く続いていたからな」坐胆は掬緒と綺清那を見送ってそう呟いた。
「……ん?」
ぽつ、ぽつと音がする。扉の向こうには曇天が広がっている。小雨が降り出したようだ。
「何故だろう。綺清那があそこに向かう時、決まって雨が降るな―」
掬緒と綺清那が来たのは、森の中で申し訳なさそうに佇む人気のない寺だった。ぽつぽつ降る小雨が煩わしい。
「……中入ろうよ」掬緒は開きっぱなしのお堂を指して言った。
「うん」
二人はお堂に入る。掬緒は雨宿りがしたかったのだが、いざ入ると、中でも雨が顔に当たる。
「うわっ、雨漏りしてる……」
掬緒は天上のない屋根を見上げる。茅葺きのそれは下から見てもはっきりわかるくらい穴だらけだった。これではどこにいても雨が当たる。雨宿りの意味が全くない。
(入るんじゃなかった……)
掬緒がそう思っていると、雨が当たっても何ともなさそうに座っていた綺清那が立ち上がった。
「……こっち来て」
綺清那は裏口に向けて進み出す。掬緒も後をついていった。
裏口の扉を開けたが、目の前には相変わらず森が広がっているだけだった。
「下を見て」
綺清那に言われて掬緒が見ると、そこには人一人が足を延ばして入れそうな穴があった。中には何もなく、ただ大きな穴がぼこりと空いているだけだった。
「私、あの穴に埋められてたの」
「埋められてた?いつ?」
「前の……とき」
「……もしかして、前世で?」
「そう」
「僕をここへ連れてきたのって、前世のことを聞かせようとしたの?」
「うん」
「もしかして……先生や兄さん達はもう知ってるの?」
「うん。きい兄にもいつか伝えたいと思ってたの」
綺清那の声色からして、前世に重い事情があるのは間違いなかった。前世を思い出して楽しいと思ったことが一度もない掬緒にも、よくわかる。もう何度も話していて慣れはしたのだろうが、掬緒は興味と、また暗い話をさせる後ろめたさが半々という思いでいた。
「……教えて」
「……うん」
綺清那は、前世では幼くして両親と死別し浮浪児として生活する少女だった。髪はぼさぼさで虱だらけ、薄汚れた服を着たきりで、ごみ漁りをしながら命を繋いでいた。時折物乞いをすることもあったが、決まって水や汚物を投げられるばかりで、見た目の不潔さは日に日に酷くなっていった。名前がない少女は、いつしか「汚」と呼ばれ蔑まれていた。
ある日。汚の住む村で、人々が慌ただしそうな様子を見せていた。
「お殿様がいらっしゃるってよ!」
「そうなの!?じゃあここを綺麗にしないとねぇ。ここが汚い村だって知られたら大変だよ」
村人たちは村の美化に躍起になった。各々の家は勿論、通りや広場に至るまでごみ一つあってはならないと思い、隅々まで清掃を行き渡らせた。
「うひゃ~こりゃとんでもねえ量のごみだな」
村中から集めたごみで、人四人分くらいの高さの山ができた。村には共用のごみ捨て場があるが、これだけ大量にあっては足りない。
「仕方ない、新しく穴を掘ろう」
村人たちは急遽、村の外れにある草一つない土地に向かった。そして穴を掘れるだけ掘り、急いでごみを捨てた。
その頃、汚は村を彷徨い歩いていた。
「お腹……空いた……」
汚の身なりは貧相さに一層拍車がかかっていた。顔はすすけていて、目の三分の一はやにで覆われている。服は擦り切れが酷く、裾は膝よりかなり上の辺りまでしか丈がなくなっていて、褌がはみ出していた。食料を探すが、村のごみ捨て場はすっかり埋め立てられている。他に漁れそうなごみ捨て場はなく、汚は諦めて村を出た。
汚は村の外れに出てきた。
「……?」
ぼやけた視界の向こうに見えたのは、乱立した土の山だった。汚は村の外れを何度か歩いたことがあるが、記憶にある範囲でも、こんなに山が立っていたことはない。ふと、汚は村人が慌ただしくごみを捨てていたことを思い出した。
「まさ……か……」
汚はやにの一部が落ちる程に目をかっと見開いて、土の山へ駆け出した。そして無我夢中で山を掘り、出てきたごみの中から食べられそうなものを貪り食った。
暫くして、村の男が外れにやって来た。
「誰だ!?そこにいるのは」
土の山を掘り返し、ガサゴソと音を立てて荒らしている者がいる。不審に思った男が声を張り上げ、汚はびっくりして振り向いた。
「お前は……」
あまりにもみずぼらしい姿を見て、今度は男の方が驚いた。村に何十年も住んでいるが、ここまで浮浪者然とした姿の者は見たことがない。
「まさか……」
男は噂で、ぼろぼろの着物を着たきりで、身寄りもなくごみ漁りをして暮らす少女の話を聞いたことがあった。あくまで噂に過ぎないと思っていたが、まさか本当にいたとは。しかも、その身なりの貧相ぶりは想像を絶している。男は汚を見つめる内に、ある感情が湧いた。それは決して、汚への憐憫の情ではなかった。
「皆に伝えないと……」
男は村に向けて走り出す。汚はその後姿を呆然と見つめていた。
汚は再びごみ漁りをしていた。日が沈みかけた時、遠くから複数の灯りと共に、人が走ってくる音がした。
「!!」
汚は男が仲間を連れて戻って来たのかと思い、現れた村人たちを見つめる。だが、安堵の感情は間もなく恐怖に変わった。村人たちは皆、自分を睨みつけているのだ。
「お前がいたら、お殿様に合わせる顔がねぇんだよ」
冷たい視線と声色。汚にとってはそれだけでも怖かったのだが、それ以上に怖いものがあった。皆、手に棍棒や縄を持っているのだ。汚は自分が何をされるのか直感し、咄嗟にその場から逃げ出した。
「あ!おい、待て!」
村人たちは汚を追いかけ、すぐに捕まえた。そして悲鳴を上げる彼女を後ろ手に縛り、さらしで目と口を塞いだ上で、土山の下に掘られた穴に投げ込んだ。もがく汚を歯牙にもかけず、村人たちは穴に土をかけて埋めた。
「よし、帰るか」
村人たちは何事もなかったかのようにその場を後にした。
「……ぅぅぅ……」
息が詰まりそうな穴に埋められ、呻き声をあげる汚。苦しさと悪臭に耐えかね、気を失いかけた。
(私の声が聞こえるか?)
声が響いた。太く、地中でもよく響く男の声。先程の村人たちの誰とも違う声だ。汚は安堵すべきか否か迷った。
(哀れな娘よ、外に出してやろう)
その声と共に、汚は黒い霧に包まれ、穴の外に出される。土が混じったやにを払って見た先には、青白い肌をした、見たことのない男の姿があった。男は何も言わずに手を差し出し、汚に邪気を与える。
「お前はこれから私の僕だ。『泥嘆眼』」
翌朝。雲一つない爽やかな青空の下、隅々まで清掃の行き届いた村が、太陽の光に照らされ、輝くばかりの美しさを放っていた。村人は一様に頭を下げている。大名が訪れたのだ。
「おお、なんと美しい村だろう」
大名は小ぢんまりとしながらも清潔感溢れる村に、そしてそれが周囲に溶け込んで織りなす美しい風景に心打たれた。
「見事な村だ。ここの民には是非とも褒美を―」
大名が言いかけた時、突然空に黒い雲が現れた。頭を下げていた村人たちも、異様な雰囲気を察して空を見上げる。
「!!」
村は一瞬で汚泥に埋もれた。大名一行と村人たちは、一瞬で生き埋めにされてしまったのである。




