(第三十三話)人豚牧場
「……参ったな。誰に聞いても”知らない”と返される」
「私も同じでしたわ……」
「綺清那もー」
「おいらも……」
「えー皆そうだったの!?」
”慚愧の怪”は坐胆の命で民家が疎らな草原に赴いた。殀鬼に関する情報を集めようと村人に聞き回るが、誰も「そんなのは知らない」という。
「おまけに”行方がわからない者すらいない”とまで言われたからな……」䯊斬丸は頭を抱える。
「今まで殀鬼の出現場所に幾度も赴いたが、被害の報告が全くないというのは初めてだ」
「縮地盤が間違うことってあるの?」掬緒が聞く。
「いや、そんなことはない。あれは確実に殀鬼の居場所を突き止められる唯一のものだからな―」
(ぐー)
「……おいお前」䯊斬丸が掬緒を見る。「来る前にご飯を食べたばかりじゃ……」
「……もうお腹が空いた」掬緒も、何故もう空腹になったのかわかっていないようだった。
「『飲食』の力、使ってもいい?」
「―ああ」䯊斬丸が溜息をついた。「使い過ぎには気をつけろ」
(ぐー)
(ぐぅー)
綺清那とべるめろもお腹が空いているようだ。䯊斬丸と彩蓮は空腹ではなかったが、こうなっては食事をとるしかない。䯊斬丸が「仕方ない」というより前に、掬緒が手から金色の光を出していた。只の草原だった大地に稲が生え、瞬く間に成長。収穫して米として食べられるまでになった。
「はぁー、お腹いっぱい」
掬緒は戦いの緊張感を忘れ、簡素な握り飯でも十分満足している様子だった。綺清那とべるめろも満腹の状態で、彩蓮もいつの間に空腹になったのか、ここに来る直前に食事をとったとは思えない食欲で握り飯を食べていた。䯊斬丸はそれを「やれやれ」と言わんばかりの表情で見ていたものの、気がつけば自分も握り飯を五個も食べていた。
「はっ!?そうだ、殀鬼は?」満足感が吹き飛んだかのように掬緒が言った。
「特に……気配は感じませんわね」彩蓮も特に警戒していない様子だった。
「だが、もう夕方だ」䯊斬丸が言った。「夜が更ければ、見つけるのはより難しくなるだろう。皆、警戒を怠るな」
日が沈み、夜になった。殀鬼の気配に似つかわしくない大きな白い月と、それに恥じらうように輝く星々が、空一面に広がっている。
「ふーうわぁ」
何処か気の抜ける吐息が、夜の静寂に響く。そこは集落の外れにある、誰にも存在を知られていない牧場だった。そこには月や星が恥じらう、否、恐れ戦くであろう蒼白さの顔を持つ主がいた。目の周りは真っ黒な隈で縁取られ、耳元まで裂けた口の口腔内は血のように真っ赤で、体は痩せこけ、袖から覗ける手は骨ばっている。その姿は正に”生ける骸骨”というべきものだった。
「そーりゃぁ、あん時からどぅおんだけとぅあったんだるおうなぁ~」
今から九十年前。後に牧場の主となる青年は、大規模な豚舎の経営者の娘の元に婿入りした。
「娘さんとこの牧場の為に、精一杯できることをします!よろしくお願いします!!」
青年は娘の父に対し、胸を張って結婚生活の抱負を語る。娘とはかねがね愛し合っていた中であり、堂々とした佇まいであることから父も心強さを感じ、結婚を許した。
だが、青年が抱負を語った時の態度は上辺だけのもので、その化けの皮は結婚して程なく剥がれた。青年の実態は謂わば絵にかいたようなろくでなしで、妻や義父を手伝おうとする様子は見せず、日がな一日酒を飲んで寝ているという有様だった。経営者は一刻も早く青年を追い出そうとしていたが、娘が夫の度重なる失態を目の当たりにしても尚離婚を躊躇っているので、無理矢理二人を引き離すことに気が引けてしまう。経営者は青年への不満を募らせたまま数か月を過ごしていた。そんなある日。
「うわぁ!何だこりゃ!?」
「助けてー!!」
牧場から少し離れた集落で悲鳴が響く。どこかから現れた数十頭の豚が、家々を荒らし回っていたのだ。
「どういうことだ?ここには豚を飼ってる奴は一人もいないのに」
村人の一人が言った。事実この集落では庭先飼育をしている者もなく、養豚とは完全に無縁の社会だった。村人の一部は集落を離れ、原因が突き止めようと彼方此方探し回った。
「……あれか?」
村人の一人が、遠くに大規模な豚舎を見つけた。
「勝手に豚を出すとはどういうことだ」
その日の夜、経営者は青年を呼び出して騒動の件を問い質していた。豚舎を見つけた村人に責められ、調べると、青年が錠前を開けて中にいた豚を全て逃がしたことが発覚した。
「娘さんとこの牧場の為に、精一杯できることをします!よろしくお願いします!!」
経営者はずっと「あの時の威勢の良さは何処へ行ったのだろう」と呆れていたが、この騒動でようやく、青年が端からそのつもりでなかったことを悟ったのだ。
「えぇ~?でも面白いじゃないっすかぁ~、豚が逃げるのってぇ~」
青年はこの期に及んでも酒浸りで、呂律が回らず、父の言葉を適当にあしらっていた。隣では青年に失望し、怒りに震える妻の姿がある。舐めた態度を取られたと思った経営者は、とうとう怒りを抑えられなくなった。だが彼よりも先に、娘が青年を玄関まで引き摺って言った。
「あんたなんかもう嫌!さっさと出て行って!!」
それを聞いた経営者が続く。「お前の顔など、二度と見たくない!!」
青年は無言で家を去った。
「……ちっ」
風の音もなく静まり返った草原で、青年の舌打ちが響いた。
「ちょい逃がしただけずゃねぇか。何で俺があんにゃぁ怒られんきゃいけねぇんだよ」
青年は不貞腐れ、石ころを蹴り飛ばした。石ころは跳ね返りもせず、音もなく草の中に消えた。
(ぶわっ)
「!!」
いきなり強い風が吹いた。青年の服がばたばたとはためいた。
「ぬぁんだよ一体……」
「彷徨える青年よ」
風の中からぞわぞわと響く声。先程まで人影が全くなかったのに、唐突に聞こえてきた。
「お前は、何故ここにいる?」
「っせーな。どうでもいいだろ、帰れ」
「お前には帰る場所がないのではないか?」
(はっ……!)
青年は思い出した。そうだ。自分は家を追い出されたんだ。帰る場所などない。
「俺うぁ……帰る場所も……することも……なくなったんだぁ……」
青年が呟くと、そのぼんやりした視界の前に黒い霧が現れた。そしてそこから、整った顔立ちながらもどこか禍々しさのある男が現れた。
「私なら、帰る場所も、することも、与えられる」
「んぁ??どうゆうことどぅあ?」
「お前は何もできないのではない。自分に本当に向いていることを見つけられていないだけだ。こうなったのはその親子、ひいてはお前に向いていることを見つけさせないこの世の中のせいだ」
「……」
「さあ、私の力を受け取るがよい。お前だけの道を開くのだ」
男は青年に手を翳す。青年はどういうことかよくわかっていなかったが、いつの間にか男に心酔していた。止まっていた足が、体をどんどん男の手に近づける。遂に、青年は闇の力に呑まれた。
「ようこそ、畜飛出」
明け方。
(うおあぁぁぁぐぃやあああ!!!)
「……ん?」
経営者は異様な叫び声に目を覚ました。家の外から、閉め切った窓や玄関を貫いて聞こえる程のけたたましさだ。
「豚舎の方か?」
経営者は未だ眠る娘を残し、一人で豚舎に向かった。向かい風が、顔を叩くように吹いている。
「おや……?」
草の匂いを運んでいた風が、突然、不気味な程生臭い匂いを運んできた。脳が溶かされるかと思う匂いだ。
「……血……か?」
否、血だけではない。臓物の匂いさえもする。血と臓物が同時に匂うのは―。
「おい、誰だ!!」経営者はそう叫んで駆けだした。
(誰かが……勝手に豚を潰したのか!?)
豚舎の玄関は閉め切られていた。経営者は合鍵を持っていなかったが、力づくで開けた。
「!!」
開けてすぐに目についた光景に、経営者は息を呑んだ。肉を抜き取られ、骨と皮だけになった豚の死骸が、無造作に捨てられていたのだ。中には壁に引っかかって、皮が捲れ、取り切れていない臓物が露わになっている死骸すらあった。目から、鼻から、入ってくる情報が多すぎる。そして衝撃的過ぎて、出られるなら正直、早くここを去りたいと思わせる程だった。
(一体これは……どういうことなんだ……)
奥へと進む経営者。次第に匂いが強くなって、鼻を抑えずには歩けなくなった。それでも足取り重く進んだ先で、経営者は息を呑むのを超えて、息が詰まり首を絞められそうな感覚に襲われた。
「!!!!!」
そこには玄関先を遥かに超える、夥しい数の豚の死骸があった。だが経営者の目に留まったのはそれではない。赤黒い肉塊の中で異常な程映える、長い髪が方々に貼りついた謎の男だった。
「……んあぁ……ぬぁにか、違うぬぁあ」
今にも眼窩から飛び出しそうなぎょろりとした目。蒼白の肌。耳まで裂けんばかりの真っ赤な口。骨が浮き出た体。何処をとっても化け物としか言いようのない姿の何かが、豚を皆殺しにして食っていた。
「……」
経営者はこちらを向く顔を凝視する。異様な姿だが、何処か見覚えがあるように思えて仕方ない。
「お前は……!」
その瞬間、男の背中から無数の腕が生えてきた。腕は経営者の体を瞬く間に捕らえ、雁字搦めにする。経営者は何か訴えようとしていたが、口を塞がれて言葉を発せない。
「うぅ~うひぃぃひぃ~」
不気味極まりない笑い声をあげて、男は経営者を何処かへ連れて行った。
「……ん……」
娘は起きた。程なくして異変に気付いた。家の中が、怖いくらいに静まり返っている。
「……お父さん!?」
家の内外、何処にも父の姿が見当たらない。娘は不安を覚えた。父は朝早く豚舎に向かうが、それにしても早すぎる。そして、まだ戻ってきていない。
「お父さん!!」
娘は豚舎へ走っていった。風は収まっていた。娘が豚舎の異変に気付いたのは、玄関が目と鼻の先に見えるところまで近づいた時だった。
「お父さ―」
娘の姿が一瞬で消えた。止んでいた風が、この時微かに吹いた。
(やるじゃないか、畜飛出。次は村に行け。ここから少し離れているが、人間が沢山いる)
畜飛出の耳には、昨夜力を授けた男の声が響いていた。畜飛出は嬉しさのあまり真っ赤な口を開いて笑い、途中から男の話が耳に入っていなかった。それでも、畜飛出の足は村の方へと向かっていく。
時は変わって現代。”慚愧の怪”は夜が更けても眠らず、殀鬼を探している。大きく白く輝く月が草原を照らすので、明かりがなくてもほぼ難なく進むことができた。途中には森や小川があったが、風がないので、いずれも音もなく佇むのみである。
「……ん?」䯊斬丸が足を止める。
「あれは……」
仲間が䯊斬丸の背後から現れ、彼が指差す方を見る。そこには木製の柵と、大規模そうな平屋がある。
「何か怪しいな……」
䯊斬丸がそう言った時、向かい風が静かに吹き出した。それに乗って運ばれた匂いに、䯊斬丸は顔を顰める。
「うっ……これは、血の匂いだ。間違いない。あそこに殀鬼がいる」
仲間たちも血の匂いに気づいていた。掬緒は思わず走り出すが、䯊斬丸に止められた。
「焦るな。用心しろ」
「……はぁい」
掬緒は渋々受け入れ、仲間と共にゆっくりと歩いていった。
”慚愧の怪”は豚舎の裏口を見つけ、主に気づかれることなく進入。血の匂いが酷いので、皆鼻と口を布で覆っていた。
「うぅ……酷い」
掬緒が小声で零す。只でさえ小さい声が布でくぐもり、仲間には聞こえていないようだった。
「……」
掬緒はまた、仲間が一心不乱に殀鬼を探して歩いている中で、一人周囲をきょろきょろと見渡している。暗がりでよく見えないが、やがて黒く丸まった、そこそこ大きな影を捉えた。
(あれは何だろう?)
掬緒は気を取られ、列を離れて影の方に足を進めてしまった。後ろにいた綺清那とべるめろが呼び止めるが、掬緒はそのまま影の方に向かってしまう。
「うええぇぇ」
影に近づいた掬緒は、匂いに愈々耐えきれなくなった。失神しそうになるのを抑えて、丸まっている影をつついたり、「おーい」と話し掛けたりしている。
「おー……」
掬緒がそう言いかけた途端、丸まって顔も見せなかった影が突然振り向いた。
「えっ……!」
その顔を見て掬緒の顔は強張った。人の顔だったのだ。
「豚……じゃない……の?」
掬緒は当初、影の正体が黒い豚だと思っていた。微かに四本の足が見えたのだ。匂いにしても、故郷の離れにあった豚舎で嗅いだのと似ている。
「あ……ああ……」
人の顔を持つ豚。それは今まで見たことのない怪異だった。これまで見てきた殀鬼でさえ、ここまで恐怖に陥れる外見の者はいなかったとさえ思った。否、只の恐怖ではない。恐怖の向こう側に、途方もない衝撃と悲しみが広がるような、これまた今まで味わったことのない感覚だった。掬緒は少し後ずさりして、またしても体が固まった。
(ドドドドド)
豚が走ってくるような地響きがあったが、掬緒は恐怖で気づかない。
「どぅぁああるぇどぅあああ!!ぶぅとぅあにすゎあったのうわぁぁあああ!!!」




