(第三十二話)娘はどこだ!
べるめろは泣く女性の顔を見つめて心ここにあらずの状態で、ずっと背中ががら空きになっていた。いくらでも反撃の余地がある状態だったが、燭灯角は何故か座ったまま動かない。それもその筈、彼もまた、謎の幻覚に囚われていたのだった。
「俺は……何をしていたんだ?」
白い靄の中で、燭灯角の心の声が響く。 記憶を遡り、その果てに別の声が聞こえた。
「お前、娘に会いたいのではないか?」
「―そうだ。俺は娘に会おうとしていたんだ。牢に入れられて、その後どうなったかわからない、たった一人の俺の娘に……」
その時だった。
「うううぅぅぎゃああぁぁぁ!!!」
「ん……?」
また別の声が響いた。しかも、この狭い空間を突き破りそうな鋭い声。しかもこれは―子どもの声だ。
「……娘か?」
燭灯角は足を進める。自分が未だ幻覚に囚われていることには気づかずに。
「おい、しっかりしろ!俺は……父さんは、ここだ―」
燭灯角の声が急に小さくなった。幻覚の効果が切れたのだ。そこにいたのは、記憶の中にある娘とは似ても似つかない童子だった。体中の皮膚が赤く焼け爛れ、背骨は形がはっきりわかる程浮き上がっている。人の形をした、けれども人ではない何か。まるで、自分自身のように。
「お前は……」
燭灯角に背を向ける異形は、彼が娘を呼ぶ声には全く気付かなかったのに、それよりも明らかに小さいその言葉には目ざとく気づいたのか、びっくりして振り向いた。燭灯角はそれを見て愕然とする。目が夜行性の獣のように黄色く光っていて、口は顔の端から端まで裂けているのかと思うほど大きい。燭灯角は確信した。こいつは娘ではない。
「ううううううう…………ぅぅぎゃああぁぁぁ!!!」
童子は異様に裂けたその口を開き、再び大声で泣きだした。燭灯角は反撃しようとしていたが、あまりにも音量の大きい声で鼓膜を破られそうになり、耳を抑えて蹲ってしまった。
「あ、あれ……?こいつは娘……なのか?いや違う、なのに、どうして……」
「ううう……ぅ」
その頃、”慚愧の怪”の面々はべるめろが閉じ込められている炎の空間の目の前に来ていた。童子が出した大声は空間の外にまで響いていて、一同苦しそうな表情で耳を抑えている。
「あいつ……殀鬼になったんだな」䯊斬丸が苦虫を嚙み潰したような表情で言った。
「余程追い詰められているのかもしれませんわ―早く助けないと!」彩蓮が焦りを見せる。
「岩がないと水出せないよぉ」綺清那が弱音を吐いた。
「うううぅぅぎゃああぁぁぁ!!!」
またしても叫び声が響いた。先程よりも一層大きな声で、耳を塞いでも声が耳を劈く。”慚愧の怪”も愈々限界だと言わんばかりに地に膝をついた。その間、掬緒はあることを思い出していた。故郷のことではない、それよりもずっと昔のことだ。
「ああああ!!!痛い!痛い!助けて!!!」
「やめて!お願い!!」
掬緒は声もなく泣いた。あの時、自分は何をしていたのか?抑々、何者なのか?疑問には思ったものの思い出せなかった。だが、べるめろの声が響くとその時の記憶が脳裏に蘇って離れない。
(そりゃあ物凄くうるさいけど……でも、べるめろは悲しんでるんだ)
掬緒は意を固めた。下手すれば自分は焼け死ぬかもしれない。でも、どうしても、べるめろを助けたかった。今すぐ助けに行かなければならないと思った。
「……っ」
掬緒は地面を蹴り上げ、炎の空間へ入っていった。
「……え?」
炎の空間に入るなり目にした光景に、掬緒は愕然とする。べるめろ、否、それが変化した禍々しい何者かが、力なく倒れ込んでいたのだ。それも、敵である筈の燭灯角の懐に。
「嘘だ。こんなの間違いだ。あいつが何かしたに違いない」
燭灯角を睨む掬緒。攻撃してべるめろの目を覚まさせようとしたが、燭灯角の膝の上を見て足が止まった。燭灯角は頭を埋めて嗚咽するべるめろの頭を、そっと撫でていた。まるで、自分の子だと思っているかのように。
「どういうことだ……?」
掬緒は混乱して、何もできないまま立ち尽くしていた。辺りには燃え盛る炎の壁がただあるだけ。真っ赤な空間にぽつりと取り残されたかのように佇む三人。その時、壁の一部が割れ、黒い瘴気が覗けた。
「そいつを娘だと思っているのか?愚か者が」
掬緒はその声に身構えた。おどろおどろしくて、聞くだけで声の主が邪な心を持っているのがわかる。掬緒がゆっくりと後ずさりすると、燭灯角の口がそっと開いて声が聞こえた。
「……”トガ”様……」
「おう。お前、やっと我々の言葉を話せるようになったのか」
(いや、違う……これは―心の声だ)
正直なところ、掬緒も”心の声”とは何だかよくわかっていなかった。でも、一般的な、口を開けて話す声ではないのはわかっていた。燭灯角の口は少し開いただけで、動いていない。掬緒は口を動かさずに話す方法があることを前々から聞いていた。
「どういうこと……ですか?」
「よく見ろ。そして思い出せ」
燭灯角は恐る恐る膝を見る。そこにいる赤肌の童子を見て、泣き声を聞いた直後の違和感が蘇る。
「やはり、こいつは娘ではないのか……」
落胆する燭灯角。その緩んだ膝からべるめろがずり落ちる。真っ赤だった肌が次第に薄くなり、元の姿に戻った。
「べるめろ!!」
「ん……んぁ?……きぃ……兄?」
べるめろは正気に戻った。掬緒は彼を心配して怪我がないか確かめようとするが、その間にも繰り広げられる”トガ”と燭灯角の応酬に目を向けずにはいられなかった。
「あなたは……娘に会えるように、俺をこの姿にしたと、仰いましたよね?」
「ああ、そうだ」
「娘は……娘は、どこにいるのですか?」
燭灯角がそう問うと、”トガ”は両手を広げる。すると、空間を包んでいた筈の炎が消え、温泉街の風景が映った。
「!?」
燭灯角、掬緒、べるめろの三人は驚くべき光景を目にする。温泉街の建物という建物が、次々に壊れていったのだ。滾々と湧き出ていた湯も、人が出てきたかと思えば、上空から落ちてきた巨岩に潰された。街の彼方此方が、みるみるううちに岩に呑まれていく。更には遠くの方で、火山が噴火した。掬緒は思わず耳を塞いだ。街は、完全に壊滅してしまったのか?
「……あれ?」
音が落ち着いて周りを見た掬緒は驚いた。そこには温泉街の面影は全くないものの、そこそこに発展した城下町が栄えていた。どうやら自分たちは、空間ごと全く違うところに来てしまったようだ。
「……ここは……?」
「あの二人、見覚えがないか?」”トガ”はそう言って、親子と思しき二人の人間を指さした。
「……!」
燭灯角ははっとする。視線の先では、人間だった頃の自分と娘が幸せそうに話していたのだ。
「これは四百年前のこの街の姿だ。お前が殀鬼となって荒らした後に火山が噴火して、跡形もなく埋もれた。その百年後に温泉が湧き出て、温泉街として再建されたのだ」
燭灯角の体は固まっている。
「娘は―」
「とうの昔に死んだ。生まれ変わりがどうなっているかも、全くもってわからない」
(……え……)
燭灯角の頭頂部の炎が消えた。そして彼自身も力を失くして、背中がぐにゃりと折れ曲がった。
「偶然にも、ここがお前の故郷だったというわけだ。だから、お前の術に少し手を加えて真実を話してやったんだ」
”トガ”の話が燭灯角の耳に届いていないことは明確だった。呆然としていて、周りの光景すら目に入っていないのではないかと思わせる程、目が虚ろになっていた。
「……”トガ”……様……」
(……”トガ”……)
先程も聞いた名前だ。元々は坐胆から聞いた、その恐ろしい名前。殀鬼の親玉にして、両親の、そして故郷の皆の仇。絶対に倒さなければならない存在―。
「おいお前、一体何を―」
詰め寄ろうとする掬緒を、”トガ”は片手で軽くいなした。すると、掬緒の左側から影がにゅうっと伸びてきた。
「娘はどこだ!」
驚いた掬緒が向いた先には、血走った目で刃を振り翳す燭灯角の姿があった。彼は明らかに発狂しているのだ。もう至近距離まで迫っている。駄目だ。回避できない。
「―っ!」
掬緒は思わず手で刃を受け止めようとした。だが刺された感触はない。にも拘らず、周囲には血の匂いが漂っている。燭灯角は先程まで向けていた刃を自らの体に刺し、息絶えていた。
「……?」
明らかに自分を殺そうとしていたのに、最終的にはその刃を自分に向けている。べるめろを膝の上にのせていた時から思っていたが、燭灯角の心境変化が、全くもってわからない。掬緒は困惑した様子で燭灯角の亡骸を見つめていた。
「もう……いい……娘に会えようが、会えなかろうが……」
四百年に亘る時を無駄な殺戮で過ごし、娘に会うのが不可能となったことを悟った燭灯角は、抗いようのない無力感に苛まれる。”トガ”に騙された恨みも忘れ、只々”消えたい”という思いだけが残っていた。未だ血が流れ続ける中、燭灯角は黒い手に引かれ、地獄に堕ちていった。
「……」
掬緒は呆然としていた。彼にとって、敵が自ら命を絶つことで戦いが終わるというのは初めてのことだったのだ。
(こんな終わり方で、いいの?)
敵を倒した実感が湧かず、悶々とする掬緒。やがて空気が切れる音がして我に返ると、そこには”トガ”がいた。
「”トガ”!!」
掬緒は仇を討つまたとない機会と考え、『飲食』の弓矢を出して”トガ”を地獄に送ろうとした、が。
(ドォン)
「うわっ!!」
空間が消滅し、掬緒とべるめろは外に放り出された。二人の体は、石畳の道に叩きつけられた。
「掬緒!べるめろ!」
「……ぅ……ん……?」
自分たちを呼ぶ声がして、掬緒は目を開けた。そこには䯊斬丸がいた。彩蓮や綺清那も、後からついてくるのが見えた。
「……まま……」
べるめろは養祥寺に戻ってからも譫言を言っていた。布団に横たわる彼を、坐胆と丙・乙姉弟、そして”慚愧の怪”の仲間が心配そうに見守っている。
「以前もこんなことがあった」べるめろの額に手をやりながら、䯊斬丸が言った。
「”以前も”って?」掬緒が尋ねた。
「父でも母でもない、”まま”なるものの存在について、前から何度も言及していた。うっすら記憶にあるらしいんだが、誰のことなのかわからないらしい」
「どういうこと?」
「おそらくは―」向かいで話を聞いていた坐胆が言った。
「べるめろの前世に関係がある人物かもしれない。今生で会ったことがないのに、朧げに記憶に残っているという点を踏まえれば、その可能性が高い」
「……」
掬緒は何となく察した。自分もこれまで、断片的にではあるが前世の記憶を思い出している。それらは自らの戦いの意義を確かめさせる一方で、”掬緒”として生きたい自分を尚も遠い過去に引き摺ろうとしているものだった。そう考えればべるめろの今の状態も最もとしか言いようのないもので、掬緒はやるせない気持ちになった。
「もう遅いから、お前たちも寝なさい。べるめろは私達で様子を見るから」
外ではすっかり夜が更けていた。”慚愧の怪”は坐胆に促され、床に就いた。
「……」
布団の中でも尚、掬緒は”トガ”の圧倒的な強さへの恐れが拭えず、夜も眠れなかった。
「ん……何かおかしいな」
掬緒はどういう訳か、”トガ”に対して抱いている感情が恐れや憎しみだけではないような気がした。この感情は何だろう?幾ら考えてもわからない。自分は“慚愧の怪”だ。燭灯角との戦いの後も、”トガ”を倒したい一心で矢を引こうとしたではないか。その時の思いに迷いが生じている?憎しみが消えた訳でもないのに?
「僕は……誰なんだ?」
考えれば考える程自分が怖くなって、掬緒は眠れなかった。




