(第三十話)紅い温泉街
”トガ”の本拠地にて。
「……お前ら……」
明らかに苛立っている、首領の顔。恐れ慄いて頭を下げている部下には見えない。だがそれ故に、声から伝わる恐ろしさが際立っている。首領が床を一歩踏みしめて軋む音がしただけで、部下の体が震えている。
「あんな”慚愧の怪”ごときに次々やられるとは……」
部下はわかっていた。首領は怒りに任せて八つ当たりしている。部下の多くは「それは自分のせいじゃない」と言いたかったが、それを押し殺して耐えていた―筈だった。
「●×■▲◆○□◇!!」
(……)
声の主に、周囲からの冷たい視線が集中する。だが当人は何かを必死に訴えているようで、全く気にする余裕がない。
「何だ、燭灯角」
「△×●○□□◆……」
灯台鬼のような出で立ちをした痩身の部下・燭灯角は確かに喋っている。だがその言語は”トガ”や他の部下が使っていない未知の言語で、何と言っているのか誰にもわからなかった。
「相変わらず訳の分からん言葉を話すな」
”トガ”は燭灯角を軽蔑して言った。彼が何を伝えようとしているのかは全く意に介さない。燭灯角も何かを訴えようとしているが、首領の前ではやはり怖気づいていて、言い返されると固まってしまう有様だった。
(いつもそうだ。何か言っては結局こうなる。ならば最初から何も言わなければいいのに)
他の部下の視線は、無言でそう語っている。周りの誰もが冷たく蔑む中、”トガ”は埒が明かなくて堪忍袋の緒が切れ、こう言い放った。
「もういい!目障りだ!お前が行け!!」
夜、”慚愧の怪”が派遣されたのは温泉街だった。石畳の通りに旅館や土産屋などが立ち並び、今頃は本当なら多くの者が浴衣を着、楽しそうにそぞろ歩きをしている筈だった。だが今そこにあるのは、湯の香りを掻き消すほどの血生臭い匂いと、目も当てられない姿で横たわる遺体だった。これだけでも”慚愧の怪”にとっては耐え難い光景だったのだが、それを超える惨たらしさがあったのは、浴場の中だった。
「え……」
掬緒は以前よりましになったとはいえ、まだこのような光景をみると倒れかける。おそらくほんの少し前まで湯を満喫していたであろう者たちが、体を裂かれて息絶えていたのだ。真っ赤に染まる水面は、宛ら血の池だった。
「……」
䯊斬丸は厳かに手を合わせている。その目は閉じていたが、倒れかかっていた掬緒が立ち上がったのを気配で感じると、すぐに目を開け、亡骸に背を向けた。
「まずは殀鬼を倒すのが先だ」
「□◇△×●○!□◇△×●○!!」
燭灯角は温泉街を周って人間を一通り殺した後、妙に焦った表情で、同じところをまた周っている。
「□◇△×●○!□◇△×●○!!」
言っていることも毎回同じだ。何かを探しているようだが、目当てのものがどこにも見つからない。
「□◇△×●○!―」
未知の言語で話す燭灯角。それもその筈、彼は元々、娘と共に遠い異国から戦乱を逃れて渡った難民だったのである。様々な地を放浪した末、とりわけというほどではないもののそこそこ発展した城下町に居着いた。その城主・弼磨は、いつの間にか住み着いたこの異国人父子を快く思っていなかった。
「あいつら……」
弼磨は別に、余所から来た者全てに対しそう思っているわけではない。生まれ育ちが違えど、永く住んでこの国の発展に寄与しようとするなら誰でも歓迎する姿勢だった。だが異国人に対しては、目的に関係なく、どうしても受け入れられない理由があった。
その昔、弼磨の父は遣いとして異国に渡った。だが付き人諸共現地の者に騙されて四肢の動きを封じられ、更には喉さえも潰されて、座ったまま燭台を頭部に頂く見世物、灯台鬼に変えられてしまったのである。自由を奪われ、虚ろな目を殆ど瞬きせずに開いている彼は、宴の場に出されては客人に笑われる日々を送っていた。
「おかしい……まだ父上は帰っていらっしゃらないのか」
弱冠二十歳の弼磨は、父が予定より三月以上経っても帰ってこないことを不審に思った。父だけではない。付き人を含め、当時異国に渡った一団の者が皆行方不明になっていたのだ。過去に異国へ渡った者は父の一団だけではないが、全て予定通りに帰国していた。弼磨は当初異国で動乱でも起きたのかと思ったが、そのような知らせは全くない。
「父上が心配だ。私自らが異国へ行って、様子を確かめよう」
弼磨はそう言うと、数人の使いを引き連れて異国へ渡った。
弼磨は異国で晩餐会に招かれた。豪華な食事と内装に目を奪われていたが、端の方に、どうも場に似つかわしくない禍々しさを感じるものがあった。
「あれは何だ?」異国の言語が話せる弼磨は、隣の男に聞いた。
「ああ?あれはなぁ、灯台鬼っちゅう奴よ。謂わば”生きた燭台”だぁ」宴が始まってさほど経っていないのに、男はもう酔っ払っている。
「どうだい?もっと近くで見るかい……んぁ?」
男が言い終わる前に、弼磨は灯台鬼の近くまで歩いていた。見れば見るほど、禍々しいのに、どこか心惹かれてしまったのだ。足を止めて顔をまじまじと見る弼磨。やがて彼は愕然とした。
「……父上……?」
弼磨はこの時、自分がこんなにもこの灯台鬼に興味を持った理由を悟った。弼磨はもうこの場にいてはいけないと思った。父の手を引いて立ち上がらせようとするが、父は全く動かない。抑々、両腕両足が岩のように微動だにしないのだ。
(ひらっ)
その時、父の肘と膝が覗けた。いずれも、中の骨が見えるのではないかと思うくらい肉を抉られている。
「……そ、そんな……」
全身の力が抜けるかと思うほどの戦慄を覚えた弼磨。だがこのままでいてはいけない。こっそり父を背負うと、居合わせた者が目を丸くする中、弼磨は使いと共に宴の場を脱出。そのまま闇夜に消えていった。
上手いこと逃げ切った一行は、夜明けと共に舟を出し、帰国の途に就く。
「……ん?」
弼磨は、ずっと動かなかった父の足指が僅かに動いているのを見る。よく見ると、いつ負ったかわからない傷が指の裏にあって、 そこから血がぽたぽたと落ちている。やがて父は、震える足指を動かして、血を線の連なりへと変えていった。
(これは……文字か?)
弼磨は血の軌跡を注意深く見つめる。父の書いた文には、恐るべき内容が記されていた。
私はこの国の者に騙され、両手足を折られ、声も出なくなった。
使いの者は皆殺された。
今の私は人の紛い物。
こんな姿では誰にも合わせる顔がない。
父は瞬きするのさえ一苦労の目に涙を滲ませて締め括った。かと思うと、動かなかった筈の足を大胆に引き摺り、目を異様に大きく見開いて、弼磨の制止も効かず海に身を投げてしまった。
「父上!!」
弼磨は父を引き上げようとしたが、その体はどんどん海中に沈んでいく。そして、あっという間に見えなくなってしまった。
(あの国の者は、断じて信用してはならない―)
燭灯角の嘗ての姿である男とその娘が現れたのは、こうした経緯で異国人への憎悪を燻らせていた弼磨が治める町だった。
(正直、あの二人にはここにいて欲しくない)
弼磨は毎日そう思っていた。だが二人は特に悪いことをしていない。事を荒立てれば、領民たちは自分に不信感を抱くだろう。その点を考慮し、弼磨はとりあえず二人を静観していた。
男と娘は、来た当初は問題なく振舞っていたように思えた。だがある日、それが一変したのである。
「泥棒!!」
一目散に逃げる男を追う店主。実は以前から、領内の商店で品物がいつの間にかなくなるという被害が相次いでいたのだ。この日は犯人が逃走に失敗し、店主に姿を見られてしまった。彼の視線の先にいたのは―。
「この余所者が!!」
転んだ男に馬乗りになる店主。そのまま殴って品物を取り返そうとしたが、男はすぐに立ち上がり反撃。店主の顎を、鼻を、次々に殴打した。店主も負けじと拳を振り翳すうちに両者は乱闘状態となり、大勢の民が集まった時には双方血塗れになっていた。
「◆◆◆―」
店主を殴ろうとした瞬間、男は後ろ手に縛りあげられた。
「ん……」
男は暗室で寝ていた。灯り一つない、石造りの冷たい部屋だった。
「……!?」
男ははっと目を覚まして気づいた。目の前に鉄格子がある。ここは部屋ではない。牢獄だ。
「……!!」
おかしい。手が動かない。足もだ。全部が鎖でつながれていた。なぜ自分はここにいる?ここに来るまでに何があった?男は乱闘の末に捕らえられて以降のことを覚えていなかった。
「こんな夜中に目を覚ますとは」
遠くから足音が響いたと思えば、人影が自分のすぐ前まで来ていた。暗がりでよく見えなかったが、その声色から、人影は自分を蔑み睨んでいることが、男にもわかった。
「お前の家を調べさせてもらった。ここのところ続いている窃盗事件の犯人は全て、お前だったんだな」
声が、僅かに吹く夜風よりも冷たく、石でできた壁よりも重く響いている。それは弼磨のものだった。
「私は知っている。我が父の仇、異国人の卑しき血が、お前にも流れていることを」
「???」
無論、男には弼磨が何を言っているのかわからない。だが声色で何となく察した。弼磨は殺気だっている。自分をここに捕らえる以上のことをしようとしている。
「思い知れ!!」
直後、弼磨の背後から家来の者が大勢現れる。家来たちは牢を開け、一瞬で男を押さえつけた。そして男の口をこじ開け、中に液体を流しいれた。
「それは痺れ薬だ。間もなく、お前の体は動かなくなる」
その言葉が弼磨の口から出た頃には、男は既に動けなくなっていた。恐怖の中で変な味のする液体を飲まされたと思えば、みるみるうちに体中が痺れ、指一つ動かせなくなっていた。
「お前にはこれが似合いだ」
家来が今度は頭のてっぺんから足の先まで刺青を入れた。男が激痛に悶える間、家来の一人が止めを刺すように喉を斬った。男はとても人間とは思えない風貌にされた上、喉が潰れて一言も喋れなくなった。
弼磨と家来が去り、後には意識が朦朧としたまま横たわる男が残された。
「……」
やがて男の視界に白い光が溢れた。これは天国へのお導きか?―つまり自分は、死ぬのか?そう逡巡するうちに、光は禍々しい漆黒のものへと変わった。
「お前、娘に会いたいのではないか?」
「……???」
また、わからない言葉で話しかけられた。声の主を信じていいのかわからない。
「このままではお前は……娘に会えずに死ぬぞ」
男は目を見開いた。わからない言葉の筈だったのに、何故かこの時ばかりは相手の言うことがわかった気がしたのだ。そうだ。自分は娘に会いたいんだ。今まで盗みを働いたのも、働く当てがない中で娘を養おうとしてのものだった。忘れかけていた記憶が走馬灯のように蘇った時、漆黒の光から手が伸びる。
「行け、燭灯角」




