(第二十九話)私たちの絆
竹林での出会い以降、坐胆は青年が力を抑える為の修行を兼ねた旅をしていた。差し障りがあってはいけないという配慮から、殀鬼出現の噂を聞いても敢えて青年には話さず、後ろめたさを感じながらも戦いを避けていた。石の上に座り、滝に打たれ、森で剣術に励むのを何日重ねたことか。坐胆は青年が二度と殀鬼にならないよう心を砕いていたが、それでも気になることがあった。
「この青年に、前世で、そして今生で何があったのだろう?」
修行が終わる度に、坐胆はこの話を切り出そうとした。だが青年が万が一、忌まわしい記憶を思い出してしまったらまた殀鬼に戻ってしまうかもしれない。殀鬼としての生を終え、”トガ”の支配から解放された自分でさえ、苦悩し続けている問題だ。そう思って、結局聞けずに終わっていたのである。
(だが彼はある日、前世を思い出して語った。自分が今は亡き国の領主の子であったこと、そして領内で起きた問題への対応を誤り殀鬼に身を落としたことを明かした。私は思った。彼は、私の鏡のような存在であると―)
今までは自分を青年の師匠と思って接していた坐胆だったが、この話を聞いて考えが変わった。青年は、人間の姿でい続けることを望んでいる。だがそれだけではない。前世から連なる人生の為に、一番やるべきこと。それは―。
「殀鬼の手から逃れ、誰もが安全かつ幸せに暮らせる国を創ることだ」
語りを締めるように言う坐胆。神妙な面持ちだった青年は、この言葉を聞いて目を輝かせる。
「私にも、是非ともそのお力添えをさせてください!そうしなければ私も、そしてこれまで命を落としてきた者たちも、永遠に救われません……」
膝に乗った青年の拳が、一層強く握られた。今度こそは誰からも慕われる領主として人生を全うしたいという決意が、そこには表れていた。
「ああ、頼んだぞ」
「ありがとうございます!……それから、先生」
「ん?」
「心機一転の証として、名を改めたいんです。何かいい案はありませんか?」
(唐突に言われて戸惑ったが、名を改めるのは私もしたこと。決意を固めた、彼の志を尊重したかった。互いに話し合い、新たな名が決まった。それは―“䯊斬丸“だ)
二人は様々な地を巡り、新たな国を創るのに相応しい地を探した。そして遂に、桜に囲まれた山の麓に国を創ることを決めたのである。その少し後に施助に出会い、共に国を創ることを提案するが、戦うことにしか興味のない彼は断って二人の元を去った。国の名は桜に因み「櫻蓮郷」となった。
数日後。坐胆は䯊斬丸と共に麓を回り、国造りの計画を練っていた。そこへ二人の人間が迷い込んだ。
(敵か!?)
䯊斬丸は遠くからその姿を捉えた。櫻蓮郷の警備が手薄であることもあり、許可なくやって来た者に対して神経を尖らせていたのである。䯊斬丸はその手を、迷いもなく鞘に近づけた。
(あいつら―養祥寺に向かっている。さては先生に何かするつもりだな?)
䯊斬丸は柄を握り、一瞬で刀を取り出した。はやる気持ちを抑え、慎重に、しかし足早に二人を追う。
「誰かいませんか!?」
「助けてください!!」
必死で門扉を叩き、助けを求める二人。その様子を物陰から䯊斬丸が見つめている。敵を斬りたい一心で追いかけてきたが、ここに来て、二人が生粋の人間であることに気づいた。
(危うく人を殺めるところだった。先生に決してしてはならないと言われていたのに)
刀をゆっくりと鞘に納め、少しの足音も鳴らさないよう抜き足差し足で進む䯊斬丸。その時、重い門扉が一瞬で開かれた。
「誰だ!?」
門扉の向こうから坐胆が現れた。彼はわかっていた。䯊斬丸ではない誰かの声がすることに。
「……!?」
坐胆と二人の人間は至近距離で向かい合っていた。互いに目を丸くして、顔をまじまじと見つめている。坐胆は二人の顔を見て、何かを思い出したように言った。
「お前たち……丙と乙か?」
丙と乙。坐胆にこう呼ばれた二人は、彼の顔を見たまま体が固まってしまった。
「……景千代?」坐胆が丙と呼んだ女が言った。
(景千代?先生のお名前は坐胆ではないのか?)
様子を窺っていた䯊斬丸は思った。坐胆が過去、異なる名を名乗っていたことを知らなかったのだ。
(この二人……もしや、先生の昔馴染みなのか?)
䯊斬丸の疑問は目の前で解決した。おいおい泣く声が聞こえたかと思ったら、先生と丙、そして乙が抱き合って再会を喜んでいた。
「もう……二度と会えないかと思った」
「私も……また会えるなんて、夢かと思ったもの。あなたが無事でよかったわ」
「景―いや、坐胆……さ、いや、様」
「おい乙、そんな風に言うな。よそよそしい」
坐胆は笑って乙を窘めた。師匠から忘れられたかのようにぽつんと立つ䯊斬丸は、丙と乙が敵ではないことを認めた。二人に挨拶しようと、そろりそろりと足を進める。
「!」乙が足音に気づいた。
「そちらの方は誰ですか?」
「―ああ、そこにいたのか」
坐胆と丙、乙の視線を一身に浴びて、䯊斬丸は緊張する。
「私の弟子、䯊斬丸だ」
その言葉を聞くと、丙と乙は䯊斬丸に歩み寄る。
「私は丙。昔、五供・八十四部隊の一員として坐胆と共に戦っていたの。よろしくね」
「僕は弟の乙です。姉さんや坐胆さんと同じく、五供・八十四部隊の者として戦っていました。どうぞお見知りおきを」
親しげな丙と、恭しい乙。対照的な二人に手を握られ、䯊斬丸は答えた。
「……よろしくお願いします」
(弟子を得、嘗ての仲間にも会えた。信じられない奇跡が続いた―)坐胆は櫻蓮郷が生まれてからの出来事を振り返る。
(その後、もう一つ奇跡が起きた。法力が蘇ったのだ。おそらく、まだ弥勒様に五供の力をお返ししていなかったからだろう。法力は”櫻蓮郷を加護する力”となっていた。私が祈ることで、櫻蓮郷は強力な結界に守られ、殀鬼から存在を隠すことができるようになった―)
その日、四人は互いを紹介し合った。夜になると、䯊斬丸は疲れていたのか先に眠ってしまった。本堂では、尚も起きている坐胆と丙・乙姉弟が、引き続き話をしている。
「……坐胆さん」乙が重い口調で切り出した。
「ん?」
「あの満月の夜、姉さんに打ち明けていたのを、陰で聞いていたんです。あなたの前世が殀鬼だったことを」
「―何だと」
坐胆はあくまで事情を聞きたかっただけで、威圧のつもりはなかった。だが目の前にいる乙は明らかに身構えた様子で、額には汗が滲んでいる。
「その日以来、僕はあなたを信用できなくなりました。皆に”全てを包み隠さず話そう”と言いながら隠し事をしている。しかもそれが、前世が殀鬼だということ、その時の記憶が残っていて、また殀鬼に戻る可能性があるということを」
「……」
「でも、そのような疑いの念を表に出そうものなら、僕たちは必ず瓦解していたでしょう。先生が僕たちを五供にしたいと思うほど寄せていた期待も、粉々にしてしまっていたであろうことは想像に難くありません」
坐胆は乙の話を聞いて、彼が丙に秘密を打ち明けて以降、急に冷たい態度を取るようになったことを思い出した。そして、「何らかの理由があって、話すのを躊躇っているだけなのだろう。また話そうと思うまで、こちらが待てばいい」と思えるくらいには彼が不信感を露わにしていなかったことも。
「―正直に言って……坐胆さん、僕は、未だにあなたのことを信じ切れていません。どうしてこんな奴と一緒に戦わなければいけないんだって……今でも、思っています」
坐胆は気まずくなった。自分があの頃、いかに仲間を甘く見ていたかを思い知らされた。乙が秘密を聞いていたのは知らなかったとはいえ、その翌日からの態度の変化をあまりにも楽観的に捉えすぎていた。考えれば考えるほど、当時の自分は八十四部隊の長として本当に相応しかったのかと、自問自答したくなる。
「で、でも……」乙は声を詰まらせる。
「僕、そんな自分が憎くて仕方ないんです!特にあの、あなたが僕たちを見て、あんなに喜んで迎えてくれたのを見て……それでもまだ疑いが拭えない自分が、もう、本当に……」
「もうやめろ!!」坐胆が言った。乙は目を丸くする。ずっと二人のやり取りを見ていた丙も、目を見張る。
「―過ぎたことだ。八十四部隊の長でありながら、理想を掲げるばかりで、仲間に寄り添おうとしなかった私も悪かったんだ……」
丙・乙は気づかなかったが、坐胆の握られた拳には悔しさが滲んでいた。
「全ては報いなのだろうか。義定が、仲間二人が死んだのは……」
虚空を見つめて呆然とする坐胆。それを見つめる丙と乙。三人が互いに見つめ合う視界が、いつの間にかぼやけていった。自分以外の二人が、遠い水の向こうに霞んで見える。手を伸ばせばすぐ触れられるくらい、近くにいるのに。
「ううっ……」
三人とも、何を言えばいいかわからなかった。皆おいおいと泣いていて、そのまま時が過ぎるのを待つしかできなかった。
「あの日、やっとあなたを信じられるようになりました」
乙は坐胆に対し、道場にいた頃とは真逆の印象を持つようになった。「部隊の長らしくない」と自分を責めていた彼だが、その心は長らしい、懐の深い存在だとわかったのだ。
「あなただけではありません。䯊斬丸さん、そして”慚愧の怪”の皆さんも―。前世で殀鬼だったという過去と向き合い、それでも人の為に戦うということは、並大抵でない覚悟と責任を伴うことですから―常人には決してできないことをしているあなた方に敬意を持たずして、僕はどうしろというのでしょうか」
間。
「元五供だった者として、あなたや姉さんや私、”慚愧の怪”の皆さん、そしてこの櫻蓮郷の為に、出来る最大限のことをするつもりです」
乙が言うと、隣にいる丙が続けた。
「私たちは五供ではなくなったけれど、共に戦い続ける義務があるわ」
「義定と仲間二人が犠牲になった。だがその代わりに、我々三人の絆は誰よりも強固なものになった」
坐胆は姉弟と手を握る。二人が本堂を去った後、坐胆は嘗ての師と仲間を思い出しながら手を合わせた。
坐胆の集落は、瓦礫と化した一部の家を除いて現存していない。長い年月を経て生い茂った雑草の中に、静かに眠っている。




