(第二十八話)五供・八十四部隊
坐胆が前世を振り返っていると、丙と乙が入って来た。
「どうしたの?何か考え事でもしてたの?」丙が入るなり聞いてきた。
「ああ、その……昔のことを思い出しかけてな」
「あらそう?……景千代」
「……!」丙の意味ありげな言い方に、坐胆ははっとする。
「まさか……ここで私の昔の名前が出るとは」
「もうあの時から二十年以上経ったんですね」乙が言った。
「ああ……そうだな」そう答える坐胆の声は沈んでいた。
景千代が義定と修行に励んで二か月後、入門を願う二人の者が現れた。故郷を殀鬼に破壊され、逃げてきたというこの二人こそが、丙・乙姉弟だった。質素な身なりからして庶民の出と思われ、以前から剣術なり弓術なりの手解きを受けていたようには見えない。それでも二人はこう言った。
「仇を討ちたい」
その言葉も、眼差しも、景千代が教えを乞うた時と変わらぬ決意を感じた義定は、入門を受け入れる。さらにその数日後、やはり家族の仇を討ちたいという理由で新たに二人が入門を願い出た。義定は勿論のこと、景千代も自らと志を同じくする者が集まったことに心を躍らせ、以前にも増して修行に励むようになる。景千代はいつしか、五人の弟子たちの纏め役になっていた。
「我々は仲間だ。楽しいことも悲しいことも、全て隠さず分かち合おう」
景千代はこう言って五人を纏めていたが、実は誰にも明かしていない秘密があった。師匠の義定にすら明かしていないことだった。それは、自分の前世が殀鬼だったということである。
「殀鬼としての生は終えた。だが私は、こんなにもその頃の記憶を克明に覚えている。断ち切った筈の呪いが蘇り、また悪行を重ねることになったらどうしようと、不安になることがあるんだ」
皆が寝静まった夜、月明かりの下でそう呟く景千代の傍らにいたのは丙だった。弟子の中でも特に親しい関係にあった彼女は、黙って話を聞いている。
「皆に”全て隠さず分かち合おう”と言っている身が大きな隠し事を持っているとは……情けない」
「一人で抱えないで」丙がそっと手を握る。
「確かに、あなたがそれを言いづらいのはわかるわ。でも、そこまで悩むほど大きな秘密なら、誰かに一緒に抱えてもらっていい筈よ」
「丙……」項垂れていた景千代は顔を上げる。
「頼む。このことは誰にも話さないでくれ。義貞を、そして仲間たちを失望させたくない。私の抱える思いがどれほど重いとしても、共に支えてくれるのはお前だけで十分だ」
「約束するわ」
丙がそう言うと、二人は肩を寄せ合った。今いるこの場所が、他に誰もいない二人だけの場所だと信じて。
「……」
物陰から見つめる影に、二人は気づかなかった。
景千代が丙に打ち明けた次の日から、乙が急に彼を避けるようになった。
(前は自分からよく話しかけていたのに、今では必要最低限の話しかしない。手合いさえも、義定に言われたものしかしなくなった。どうしたのだろう……?)
景千代は乙に真意を聞こうとしたが、彼があまりに頑なな態度を取るので、結局聞けずに終わった。
「否、私が取り越し苦労をしているだけなのかもしれない。乙は自分から話しかけることがなくなったとはいえ、嫌がらせをしているわけではない。何らかの理由があって、話すのを躊躇っているだけなのだろう。また話そうと思うまで、こちらが待てばいい。大切な人の仇を討ちたい者が集まるこの道場の和を、乱すわけにはいかないからな」
景千代は蟠りを感じつつも、こう思うことで自分を納得させていた。そして仲間と切磋琢磨し、剣術や弓術の習得に励む。乙も一応は景千代についていく様子を見せた。
二年後のある日、義定は弟子たちを近くの寺へ連れて行った。
「お前たちは戦士として十分な力を備えた。そろそろ殀鬼と戦わせてもいい頃合いだと思ってな」
弟子たちは緊張した面持ちで話を聞いている。寺へ連れて来られた時点で薄々感じていたが、遂にその時が来たのだ。
「弥勒様にお伺いを立てようと思うのだ。お前たちが殀鬼を倒す無比の存在・五供に相応しいか、ということを」
緊張していた弟子たちの頬が少し緩んだ。殀鬼を倒さんとする者にとって、五供は憧れの存在だった。自分たちがそれになれたら嬉しい。そして同時に、責任と覚悟が今までの比ではなくなることもわかっていた。弟子たちは心躍る一方、握ったその手には汗が滲んでいた。
「いいな」
「はい」
五人の弟子は口を揃えた。義定は弥勒に祈願し、五人は晴れて五供・八十四部隊として認められた。以降各地へ派遣され、殀鬼を次々に葬る彼らは、瞬く間にその実力を知らしめることとなった。数年経つ頃には八十四部隊は最強の五供とされ、その地位は百五十部隊が現れるまで不動のものとなった。
(人々は我々を「最強の五供、人間の希望」と称えた。我々も、その期待にいつまでも答える存在でありたいと思っていた―)
八十四部隊が殀鬼を討伐していたある日、前代未聞の事態が起きた。
「”トガ”……まさか、この道場を自らが襲うとは」
”トガ”を睨んでそう言う義定は既に重傷を負っていた。弟子たちが留守中だった為、一人で応戦せざるを得なかったのだ。
「立平太から聞いた。ここに私の僕だった者の気配がある、とな」
「何のことだ。ここにいる者は皆れっきとした人間だ。殀鬼などいない」
「”私の僕だった者”と言っただろう?」
「どういうことだ」
宙に浮いて義定を見下していた”トガ”は、彼に近づくなり胸ぐらを掴んで言った。
「お前の弟子とやら、何処にいる?」
「貴様……弟子に手を出そうものならこの、私が―」
「義定!!」門が大きな音を立てて開き、弟子たちが帰って来た。義定の視線の先には、自身の名を呼んだ景千代が立つ姿が見えた。
「義定……」
「先生……」
弟子たちは全身から血が吹き出、動くのがやっとだと見てわかる程に変わり果てた師匠に言葉を失った。しかも彼の目の前には、これまでとは桁違いの力を感じる殀鬼がいる。まさか、と弟子たちの誰もが思った。
「……”トガ”……」
景千代がその恐ろしい名を口にした時、仲間の一人が刀を翳した。
「貴様ぁ、よくも先生を!!」
斬りかかる彼を、”トガ”は冷静に衝撃波で返り討ちにする。仲間は一撃で倒された。その直後、別の仲間が”トガ”に攻撃を仕掛けるがこれも返り討ちにされた。ほんの数秒のうちに、八十四部隊の二人が犠牲になった。
「あ……あああ……」
義定は只でさえ弱っていたところに弟子二人を倒されるという悲運に見舞われ、絶望の中で事切れた。
「ほう」
景千代と丙・乙姉弟を見つめながら”トガ”が言った。どうしてこの道場に、敵の首領が自ら現れたのか?三人はその理由が全くわからず、今までの戦いで見せてきた勇敢さを忘れたかのように怯え切っている。
「最強と名高い八十四部隊も、この程度か。私の僕だった者がいるとしても、とても引き入れようなどと思えない」
”トガ”は乱れた服を直しながら背を向ける。この時、三人全員があることを思い出していた。
(”トガ”の僕だった者……)
これが誰を指すのか、わからない者はいなかった。だが三人共、その名を明かすことはなかった。恐ろしすぎて互いの顔を合わせる気にすらなれなかった。
「お前たちも地獄に逝け」
”トガ”はそう言って、全身から衝撃波を発した。平静を装う佇まいからは想像できない程の威力で、義定、そして仲間二人の亡骸諸共道場を吹き飛ばしてしまったのである。景千代と丙・乙姉弟も、散り散りになってしまった。
「丙……乙……」
(気がつけば、目の前には何もなかった。全てが無に帰していた)
師匠と仲間を一度に失った景千代は、更地と化した道場を呆然と見つめていた。
「”私の僕だった者”……」
”トガ”のあの言葉が頭から離れない。苦しむうちに、景千代の脳裏には前世の記憶が蘇っていた。それも、怒涛のように。
「そうだ。私は前世でも、そして今生でも、大切な者を守れなかった」
景千代は拭いようのない悔恨に襲われ、泣くことも出来なかった。
(その後、私は剃髪し、名を坐胆と改めた。まだほんの少し五供の力が残っていたが、それを人助けに使うことはなかった。只々それを持て余して、気の向くままに旅をしていたな……)
ある日、坐胆は静まり返った竹林を歩いていた。それまで旅していたのが喧騒な街ばかりだった為、偶には人気のない、しかも全く開けていないところを歩いてみたいと思ったのだ。
「葉が風にそよぐ音すら聞こえない。落ち着けると思ったが……ここまで静かだと怖いな」
それでも坐胆は足を止めなかった。どんどん奥へと進んだ。道に迷うかどうかなど考えもせず、無心でどこまでも進んでいった。
(うううううぅぅぅ……)
「ん?」
木々が、地面が震えるような唸り声が響いた。微かな音さえしなかったところに、何の前触れもなく聞こえた轟音。故に坐胆の感覚は研ぎ澄まされた。
「この声は……間違いない。殀鬼だ」
(ううっ……うっ……う……)
「う……」
声は耳を塞ぎたくなるほど大きくなった。同時に途切れ途切れになった。どことなく悶えているような感じにも聞こえる。
「弱っているのか?」
坐胆は耳を塞いだまま、警戒を緩めず声の方へ足を進めた。
「!!」
少し開けたところに声の主はいた。明らかに殀鬼だ。その姿と尋常ならぬ声の大きさも相まって、坐胆は別世界に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。殀鬼は自分に気づかず蹲っているが、その唸り声で自分の体まで震えているのがわかる。
「……?」
坐胆は殀鬼の体を凝視した。すると驚くべき現象が起きていた。声で震えた瞬間、僅かながらその体が人間のそれに近い様相を呈したのだ。しかも、これは一度きりのものではなかった。震える度に同じ現象が起こっている。坐胆は思い出した。
(一度殀鬼になった者が元に戻る術はなく、人に討たれる以外に救いの道はない―)
そうだ。今までこれが絶対不変の法則だと思っていた。僅かな良心の力を信じて抗った自分さえ、”トガ”の呪いを解くことはできなかった。書物を呼んでも、旅で訪れた場所でも、この法則を破る存在は見当たらなかった。
(抑々この殀鬼からは、”トガ”の呪いの気配を感じない。どういうことだ?)
坐胆はますます不思議に思った。この時点で殀鬼の至近距離にまで近づいていたが、全く存在を気づかれていない。罠にしても違和感がある。自分の存在に気づかないくらい、この殀鬼は苦しんでいるのだと、坐胆は察した。
「おい」
坐胆が耳元で囁くと、殀鬼はやっと気づいたらしく、顔をガバッと上げて声の方を向いた。見知らぬ人間がすぐそばにいる。殀鬼の視界には、その人間の顔しかない。小刻みに震え、殀鬼と人間の姿を行ったり来たりしながら、怯えた目で見つめている。
「安心しろ。お前を倒すつもりはない」
殀鬼は攻撃して、この人間を追い返そうと思った。だが恐怖で手が出せない。威嚇すらできない。
「わかる。お前は苦しんでいるんだろう?」
人間は全く攻撃する気配がない。殀鬼はその目をまじまじと見つめた。
「私はお前を助けたい。”トガ”の支配から脱しようと思っている、お前を」
(”トガ”の……支配……?)
坐胆に心を開きかけていた殀鬼は、この言葉を聞いて少し怖くなった。初見で何故ここまでわかる?今まで会った人間はこうではなかった。ひょっとして、今目の前にいるこの人間は只者ではないのか?
「お前が人間に戻る為なら、何でもする」
異様に皴の寄った殀鬼の手に、その人間が優しく触れた。その温もりでわかった。この人間は本気で自分を助けようとしている。自分を前にして妙に穏やかな声だと思ったが、それに偽りはなかったのだ。
「!」
坐胆は変化を感じた。皴だらけだった殀鬼の手が、みるみる滑らかになっていく。肌の色も瑞々しいものになっていた。手に続いて腕が、肩が、そして顔が、人間の青年のそれになっていた。
「お前……!」
坐胆は目を見開いた。夢かと思い瞬きもした。だが青年の姿は変わっていない。邪気の取れた人間そのものだ。
「よかった!本当によかった!!」
坐胆は思わず青年を抱きしめた。青年はきょとんとして虚空を見つめていた。だが薄々感じていた。
(私は……やっと、救われた)




