(第二十六話)彷徨う魂
”慚愧の怪”にとって、自分たちが一度も攻撃を加えずに殀鬼が倒れるというのは前代未聞だった。どうして怪木師が地獄に堕ちたのか、誰にも全くわからなかった。
「不可解だな……先生に報告しなくては……」
䯊斬丸が何処か悩ましげに言った。掬緒はそれを聞く一方、視線の先にある、見覚えのない通路が気になっていた。
「あれ?もしかして、まだ部屋がある?」
掬緒が指差した方向に、薄暗い通路が確かにあった。丁度怪木師に隠れていて見えなかったのだ。
(まさか……)䯊斬丸は何かを察した。
「行こう。きっと何かある」
通路は今までのものと比べ、乾いていない粘土のような妙な泥濘があった。一同は裾を捲り上げて慎重に足を進めるが、それでも何度か互いにぶつかりそうになった。それでも進むと、通路の細さに見合わない大きな鉄扉が現れた。
「ここが怪しいな」䯊斬丸はそう言って刀を出した。
「ええ!?斬れるの、これ?」
「斬るしかない」
掬緒の言葉を歯牙にもかけず、䯊斬丸は鉄扉を薙いだ。弧を描く刀で、五人が通れそうな穴が空いた。
(ドサッ)
穴の向こうで音がした。重さのあるものが落ちたような鈍い音だ。
「用心しろ」
䯊斬丸の後に続いて、四人も進んだ。
「!!」
「これは……」
五人は中に入るなり息を呑んだ。先ほどまでの自分たちのように青褪めた肌をした肉体が山積みになっていたのだ。
「冷たい……これも……これも……」
思わず駆け寄って肉体に触れた掬緒が言った。その表情から何かを察し、䯊斬丸も肉体に触れる。
「……くっ」
その声に垂れた背中が、䯊斬丸の悔しさを物語っている。
「この人たちは―」綺清那が言いかける。
「駄目だ。この肉体は皆、もう助からない。魂を抜かれてから相当時間が経っている」
「……心臓、動いてない」
肉体の胸元に耳を当てていたべるめろが言った。口調こそのっぺりしているが、その目には絶望しかなかった。
「そんな……」
綺清那は力なく膝をついた。彩蓮は泣きそうなのを堪えているのか、歯を食いしばっている。掬緒は肉体の冷たさを知ってからその場に立ち尽くしていたが、やがて言った。
「待って!ならこの人たちの魂が、まだどこかにいる筈だよ?体が駄目でも、せめて魂だけは家に帰してあげようよ」
「……そうだな」項垂れていた䯊斬丸が顔を上げる。
「しかし、魂は何処にいるんだ?」
「取り敢えず、この家全部探してみようよ」
”慚愧の怪”は工房内部を全て探したが、魂は一つも見つからなかった。
「ここにいないなら外だな。そんなに遠くへは行っていないと思うが……早くしないとご遺体が腐敗してしまう」
䯊斬丸の視線の先では、遠い山際に日が沈みかけている。
「手分けして探そう。夜が更ける前に、必ずここに集まれ」
五人は四方に散らばり、魂を探しに行った。
掬緒が向かったのは小高い丘だった。中々魂が見つからないと思っていた時、ぼんやりとした光に包まれ、当てもなさげに漂う者を見つけたのだ。後ろ姿から察するに、自分と歳がさほど離れていない少年だろう。掬緒は思った。
「ね、ねえ!」
丘の上で足を止めた魂に、掬緒が呼びかける。魂はぎょっとして振り向いた。
「僕、掬緒っていうんだ。君……怪木師に抜かれたの?」
「……ああ、そうだ。俺は峰巳」
峰巳と名乗る少年は、俯いて掬緒と目を合わせようとしない。気力が相当削がれてしまったようだ。
「峰巳、家族はここにいるの?」
「いや」
「じゃあ、早く帰ろうよ!みんな心配してるよ」
「……」
峰巳は黙ってしまった。掬緒は戸惑うが、かける言葉が見つからない。やがて峰巳は徐に口を開いた。
「……俺が何でこんな姿になったか、聞いてくれ」
いきなり言われて、掬緒は思わず「えぇ!?」と言いかけた。つい先程会ったばかりの自分に、今こんな姿になっている経緯を躊躇いもなく語ろうとするのは聊か気になる。でも、何か事情があるに違いない。掬緒は話を聞くことにした。
「うん」
峰巳は丘の麓にあった寺子屋に通っていた。そこには家が一際貧しく、毎日よれよれの服を着たきりの少女がいた。
「またあの子が来た」
「きったねぇなあ」
他の子どもたちは見るからに不潔な少女を忌み嫌い、陰口を言って関わろうとしなかった。峰巳もその例に漏れなかったが、少女は不潔なだけで特に悪いことはしていないので、皆に避けられていることを気の毒に思うこともあった。
ある日、峰巳が寺子屋へ向かっていた時のことだった。
「返して!ねえ返して!!」
物陰から声がして、峰巳はその方を向いた。そこではあの少女が、数人の子どもに囲まれていた。その内の一人の手に、鮮やかな巾着袋が握られている。
「お前みたいな汚ぇ奴が、こぉんなもの持ってるなんてなぁ」
「あんたには似合わないよ」
どうやら巾着袋は少女のものであるらしい。それを寺子屋の子どもたちが奪ったのだ。
「お前は帰れ~」子どもたちはそう言って少女を蹴飛ばした。少女は寺子屋に背を向け、泣きながら走り去った。
(酷い。何てことを―)
峰巳はわかっていた。子どもたちが少女を苛めていたことを。だがわかっていただけで、その後は何事もなかったかのように寺子屋で学んでいた。
「怖かったんだ、止めるのが。皆が嫌ってる奴を庇ったら、俺まで苛められるんじゃないかって」
翌日、少女は寺子屋に来るが、その面持ちは異様に暗かった。苛めていた子どもたちは少女を蔑むように見、他の子どももいつもとの雰囲気の差に警戒した様子を見せた。
「……」
少女は黙ったまま、懐から謎の茶碗を掲げる。貧相な身なりからは想像できない程の美しいそれに、子どもたちも教師も皆目を奪われた。
「おいお前、それ―」
昨日巾着袋を奪った子どもが、席を立って近づいた。その時だった。
「何だ?……うわっ!!」
子どもの体が突如硬直した。彼だけではない。他の子どもや教師、その場にいた全ての者が動かなくなったのだ。
(あ……あああ……)
峰巳の体も、磔になったように固まっていた。手から、足から、力が抜けていく。自分は確かに床の上に立っているのだ。だが、その実感がどんどんなくなっていく。
(あ―)
「気がついたら、俺は体から抜けていた」
「その茶碗は間違いなく怪木師が作ったものだよ。その女の子も、怪木師に操られてたんだと思う」
「この姿になって初めて、俺は後悔した。苛めに気づいていたのに、助けられなかったことをな」
間。
「でも、あいつからしたら俺だって苛めてた奴らと同類だったんだろう。見て見ぬふりをしてるだけだったんだから」
峰巳の顔に自虐的な笑みが浮かぶ。掬緒は悟った。
(峰巳、本当は今からでもその子に謝りたいのかな……)
でも真実を言うことなどできなかった。工房で手下を食い散らかした怪木師の姿が脳裏に浮かぶ。
(……)
暫くの沈黙の後、掬緒が言った。
「ねえ、君には家族がいるんだろ?きっと心配してるよ。会いに行こうよ」
「……この姿でか?」
「会えないよりはずっといい」
掬緒はこう答えたものの、魂だけの姿になっている峰巳を見て、不安が拭えなかった。
外は掬緒は峰巳に案内され、彼の家の近くまで来た。空には星が輝いている。
「……あれ?」
遠くに家が見える。峰巳によれば、彼には母と妹がいるのだという。
「おかしいな。いつもこのくらいの時間には家にいるのに」
家には灯り一つなかった。だが家の中は蛻の殻にはなっていなかった。おそらく夕食をつくろうとして、途中で家を出たのだろう。殀鬼或いは別の何者かに襲われた様子はない。
「何処に行ったんだろう……」
峰巳がそう言った時、掬緒はふと約束を思い出した。
(夜が更ける前に、必ずここに集まれ)
ここに来た時点で既に夜になっていた。これ以上ここにいたら皆が心配するだろう。
「……峰巳」
「ん?」
「僕、皆……仲間と夜更け前までに工房で会う約束をしてたんだ」
「じゃあ俺も行くよ」
「でも君の家族が……」
「後で探せばいい」
峰巳の魂を連れ、掬緒は工房へとぼとぼと帰って来る。
「!!」
そこには仲間の姿もあった。だが掬緒はそれよりも、何処から工房の場所を割り当てたのか、集まっている大勢の人が気になった。
「あんたら、ここで何してるんだ!?」
「私の息子に何をしたの!?」
そこでは仲間たちが、工房にあった遺体の家族と思しき者たちに詰め寄られていた。
「いえ、我々はあなた方のご家族を辱めようとは―」
「嘘つけ!じゃあ何でここに俺の娘がいるってわかってるんだよ!?」
䯊斬丸が必死に弁明しているが、家族たちは聞く耳を持たない。
(そう言えば、誰のせいで家族がいなくなったか、皆知らないんだっけ……)
一部始終を聞いて掬緒は思い出した。自分たちがここへ派遣されたのも、”謎の失踪事件の解決”が目的だった。
「母さんは、妹は―」
背後にいた峰巳が呟いた。それを聞いた掬緒は、仲間に申し訳ないと思いつつ、先に峰巳の家族を探しに行くことを決める。
(皆、ごめん)
入口付近に集まっている人を遠目に確認したが、峰巳の家族はいなかった。
「まだここに来てないのかな……?」
掬緒がそう言いかけた途端、何処からか二つの人影が現れ、中に入っていく姿を捉えた。
「あれは……!」
峰巳が言った。人影は彼の家族であるようだ。掬緒はこっそり後をついていく。
「うぅ……」
人影は工房の最奥、亡骸が安置されている倉庫で膝を落とした。峰巳の母と思しき者が泣き崩れ、妹と思しき者が背中を撫でている。
「……」
峰巳は悲しいやらもどかしいやらで黙ってしまった。掬緒は振り向いてその様子を見る。
「峰巳……」
手に抱えられている息子の亡骸に、母の涙が落ちる。それは亡骸の下瞼に落ち、涙のように頬を伝った。
「俺は……俺は……」
峰巳が言葉を詰まらせた後、掬緒がそれに合わせるかのように叫んだ。
「ここにいる!!」
母子ははっとして振り向いた。そこには見知らぬ少年が立っている。
「……あなたは誰なの?」
「あなたの子―峰巳はここにいるんです!ほら、僕の後ろ―」
「誰もいないよ?」妹が言った。
「え?でも確かに……」
「いないじゃない!!」母が口調を強める。
「あの、だから僕の後ろに―」
「誰もいないわよ!!」
余りに二人が否定するので、掬緒はどうしてだろうと思ったが、あることに気づいた。
(まさか、あの二人には峰巳が見えてないの……?)
何故かはわからない。でもこれまで殀鬼を何人も倒してきた自分と、そうでない市井の者とでは霊力に差が出る筈だ。おそらくそれが理由なのだろう。
「変なこと言わないで、ここからさっさと出て行って!!」
「で、でも……」
「もういい!」峰巳が言った。
「もういい!俺は死んだんだ!!」
峰巳は涙を散らした。掬緒はそれを見て自身の無力さを痛感したが、こうまでなってはもう何もできない。母に言われるまま、掬緒は静かにその場を去った。
通路を中ほどまで進み、母子の姿が見えなくなった頃。
「おーい、掬緒!!」
「兄さん!」
向こうから䯊斬丸が走って来た。彩蓮、綺清那、べるめろ、それから宙に浮く大勢の白い物体がその後に続く。
「兄さん、そこにいるのは……」
「話は後だ。もう養祥寺に帰るぞ」
妙に焦った言い方で、掬緒は不安になる。
「住民に勘違いされた。我々が彼らを殺したと」
「えぇ……」
「何度も違うと言いましたが、聞いてもらえませんでしたの……」後からついてきた彩蓮が言った。
「わああああ!!」遠くで悲鳴が聞こえる。
「綺清那!べるめろ!」
掬緒の視線の先では、時折頭を抑えながら無我夢中で走ってくる二人の姿が見える。そしてその背後から、石礫が二人めがけて次々に飛んできた。
「出てけぇ人殺し!!」
通路いっぱいに怒号が響いた。掬緒は、泣きながら走ってきた綺清那とべるめろを抱き止めた。
「??」
住民たちが追いついた頃には、”慚愧の怪”はいなくなっていた。
養祥寺に帰った”慚愧の怪”は、事の顛末を報告した。
「……そうか」
綺清那とべるめろの傷、そして五人全員の浮かない顔を見て、何か良からぬ事が起きていたと、坐胆は薄々感じていた。
「そちらの方々は……」
「怪木師に魂を抜かれた方々です。肉体が……もう手遅れでした」
(家族にも存在を気づかれない。私たちはもう……ここにしか居場所がないと思いました)
魂の声が響くと共に、䯊斬丸が項垂れる。悔しさを隠しきれない声を聞いて、坐胆は肩に手を当て慰める。そして魂の方を向いて言った。
「私は”慚愧の怪”の師、坐胆である。あなた方の弔いをさせて頂きたい」
魂たちは、ゆっくりと首を垂れた。
弔いの儀式が厳かに行われた。”慚愧の怪”は皆沈痛な面持ちだった。
「最期にご家族に見守られないなんて……」彩蓮が言葉を詰まらせる。
「峰巳!」掬緒は視界にただ一人入っている、今にも消えそうな魂の名を呼ぶ。
「いいんだ、これで」峰巳は全てを受け入れたような、何処か諦めきった表情で答えた。
「さよなら」
魂が次々に消え、極楽へ召されていった。
儀式が終わり、”慚愧の怪”は本堂を去る。一人残された坐胆は、䯊斬丸の報告を思い返している。一点、どうしても気になることがあったのだ。
「殀鬼が何の攻撃も受けないまま倒れ、地獄に堕ちる―」
坐胆ははっとした。
「……まさか!」




