(第二十五話)怪木師の異変
頬に、肩に、纏わりつくような感触。そして自分を呼ぶ声。視線を恐る恐る背後へ向ける前に、䯊斬丸の口が開いた。
「……掬緒……」
触れているのはわかる。でも人肌らしさがない。全く温かくない。
「䯊斬丸……」
「かぁ兄……」
「……にいぃ……」
次々に聞こえる声。皆聞き馴染みのある声だ。だが生気が全くない。幽霊に話しかけられているようだ。
「お前ら……」
彼らに何か言いたかったのか、恐怖を覚えたのか。䯊斬丸自らもそれをわからずにいた時、掬緒がそっと手を離した。
「?」
「兄さん。人を救えるなら、別にこのままでもいいよね」
「おいお前、何を言ってるんだ?」
「嫌だと言いますの?」彩蓮が冷たい声で言う。
「彩蓮まで……お前ら、様子がおかしい。あいつに何かやられ―」
(シュッ)
言いかけた瞬間、䯊斬丸の喉元に鉾の切先が伸びてきた。
「!!」
䯊斬丸の視線の先には綺清那がいた。その奥には、法輪を構えたべるめろがいる。さらに、掬緒や彩蓮もこちらをじっと見つめている。
(これは……)
その頃、怪木師は新たな器作りに取り組んでいた。
「あいつら、今頃揉み合ってるんだろうな」
自分の他には誰もいない工房で、怪木師は手捌きも鮮やかに型を作り上げる。
「これはここに置いといて……あれがそろそろ乾いたかな」
作ったばかりの型を棚に置いて、怪木師は水分が抜けて身が締まった型を取り出した。削って形を整え、落款を押した。そこに刻まれた名前は“天山”だった。
「贖罪の器がまた一つ増えるな」
怪木師がほくそ笑んだ、その時だった。
(おい)
「……!?」
脳裏に響くおどろおどろしい声に、怪木師の笑顔が消えた。体も凍りついた。だが小刀を持つ手はわなわなと震えている。勢い余って、その手は小刀を器に貫かせてしまった。器は真っ二つに割れた。だが怪木師にはそれを気にする余裕などなかった。
(務めはどうした。今お前がしていることは、務めではないだろう)
「あ、あああはい、“トガ”様……」
引き攣った表情で答える怪木師。殀鬼である自分は「務め」を果たすべき存在であることはわかっている。だが、趣味であり特技であり親友の無念を晴らす手段である器作りに夢中になっていて、かれこれ半年、「務め」のことなど眼中になかったのだ。
「い、今すぐ取り掛かります!!」
(もういい)
焦燥感に満ちた怪木師の言い草を歯牙にも掛けず、“トガ”は言い切った。怪木師の顔から、辛うじて残っていた笑みが完全に消えた。
(お前の力は強い。だから多少の務めの怠慢は黙認していたんだ。だがもう我慢ならない)
「も、申し訳ございません!!今後は務めに……うわあああ!!!」
怪木師の体に黒い瘴気が纏わりつく。悲鳴を上げる彼は、自分の体に起きた変化に全く気付いていなかった。
「あの、怪木師様……」
虚な目の少女が入ってくる。手には煎れたばかりのお茶が抱えられていた。
「……あああ……」
「!!!」
少女の目が異様に大きく開かれた。目が合った相手は姿こそ怪木師だったが、その顔は変わり果てていた。目は瞳が消えて真っ白になり、大きく開いた口腔内は血よりも真っ赤に染まっている。
「あ……!!!」
「ん……?」
別室にいた虚ろな目の者たちは、ぼんやりした意識の中でも異様な音に気づいていた。
(バリ、バリ、バリ)
何かを噛み砕くような音。怪木師に仕える者が誰も聞いたことのない、禍々しい音だった。
(ドドドドド)
(バキバキバキ)
重量のある何かが迫り、床が踏み抜けそうな音が響く。非常事態だ。呑気に構えてはいられない。虚な目の者たちは一様に察した。そして、その蒼白な顔からは残り僅かな血の気が引いた。
「わあああああ!!!」
「!!!」
魂だけの姿となって揉み合いになっていた”慚愧の怪”は、震えるような悲鳴に驚いた。曇っていた目を瞬きさせて、声のする方へ一様に向く。
「……ちぃ?」
まだ夢から醒め切っていないような目で、べるめろが言った。視線の先には、赤黒い血が、ゆっくりと、しかし確実に床の上を流れている。
「妙に静かだな……」
䯊斬丸は揉み合いの最中でも、遠くから響く物音を聞いていた。それが、先程の悲鳴から何一つ聞こえなくなったのである。今はただ、血が流れ続けている。
「……良からぬことが起きたな」
通路の向こうへ行こうとする䯊斬丸。そのまま足を進めようとするが、自分が魂の姿であることを思い出す。このままでは敵に太刀打ちできない。
「……!」
丁度、自分たちが浮いているところの真下に体があった。心なしか血の気が引いているように見える。
(早く戻らないと、このまま冷たくなって動かなくなる……)
䯊斬丸は横たわる肉体に飛び込んだ。すると体はみるみる生気を取り戻し、肌にも赤みが差して、ゆっくりと起き上がると共に目を覚ました。その眼差しに疚しいところはなく、鋭くも凛々しい、䯊斬丸本来の目をしていた。
「䯊斬丸……」
本当の䯊斬丸が帰って来たことを最初に悟ったのは彩蓮だった。彼女は同時に、自分もすぐに体を見つけて戻ろうとした。
「私の体は何処!?」
魂が戻る前の䯊斬丸の肉体を見ていたからか、彩蓮は自分の体を探して焦った。
「もし……私の体が冷たいどころか……腐ってしまっていたら……」
「落ちつけ」䯊斬丸が、彩蓮の肩に手を乗せた。
「そうしていると余計に見つからない」
「でも……私、体を離れてからかなり時間が経っておりますのよ……」
「一緒に探す」
䯊斬丸はそう言うと、掬緒・綺清那・べるめろの方に向き直る。
「お前たちの体も、近くにあるだろう」
綺清那が小さく頷いた。五人は肉体を探しに向かう。
”慚愧の怪”は当初、工房が通路を挟んで複数の部屋があるだけの単純な構造だと思っていた。だが実際には部屋の奥に小部屋、そのさらに奥に物置があるなど、思いの外複雑な造りになっていた。
「ここだったかな?」
「……いや、ちがう」
「何にもないよ」
こうしたやり取りが何度も続き、体を探すのは難航した。それでも二十ほどの部屋を潜り抜けた先に、四人の体が纏めて置いてあった。
「あった!」
掬緒が思わずそう叫んだ途端、
「ううううううぁぁぁぁぁうわぁぁぁぁぁぁ……」
吠える声とも断末魔とも言い難い、異様な声が響き渡る。掬緒ら四人はたじろぐが、䯊斬丸に促されてすぐ体に戻った。
「ううううううぁぁぁぁぁうわぁぁぁぁぁぁ……」
声はどんどん大きくなる。敵が近づいているのだ。
「用心しろ。奴がいつ襲ってきてもおかしくない」
䯊斬丸の言葉に、”慚愧の怪”は警戒を強める。
「ううううううぁぁぁぁぁうわぁぁぁぁぁぁ……ぁっ、ぁっっ」
突然、敵の声が途切れ途切れになった。何だか喉を締め付けられているような、明らかに弱っている声だった。”慚愧の怪”は警戒よりも困惑が勝ってしまい、互いに顔を見合っている。
「何があったの?」と、綺清那。
「声はあちらの方からするな、行ってみよう」
䯊斬丸はそう言って走っていく。他の四人もついていった。
「ううううううぁぁぁぁぁうわぁぁぁぁぁぁ」
「!!!」
䯊斬丸が障子を開けようとした瞬間、敵の影が紙に貼りつくように迫り、直後に障子を破壊した。他の四人も追いついていたが、敵は眼前に立ちはだかっている。自分の二倍ほどはあろう背丈と、ぎらぎらした目、大きく開いた真っ赤な口。見たことのない存在だったが、䯊斬丸はその正体をすぐに見抜いた。
「……怪木師……」
䯊斬丸が刀を抜こうとする。その瞬間にも敵はにじり寄ってくる。が。
「うわぁぁぁっ……ぁっ……っ」
(バタッ)
怪木師が何の前触れもなく床に倒れた。”慚愧の怪”が誰一人として攻撃を加えていない中での、まさかの出来事だった。
「……えっ?」
掬緒が言った。その場にいた者全てが、怪木師の身に何が起きたのか把握できなかった。
(ぐおうわぁぁ)
轟くような音と共に、地獄への扉が開く、怪木師は倒れたままで何の抵抗もせず、地獄へ吞まれていった。
「……」
呆気なさすぎる終わり方だった。”慚愧の怪”は皆、暫く呆然と立ち尽くしていた。




