(第二十三話)耀変蒼目
櫻蓮郷が興る約三十年前のこと。全く人気のない山奥に、扇磁という青年が住んでいた。粗末な山小屋で暮らす彼は、いつか陶芸家として名を馳せることを夢見ていた。両親が病死し天涯孤独の身だった彼には、同じく陶芸家を夢見る、たった一人の友人がいた。一つ屋根の下で共に暮らす彼の名は、釉伊だった。ある日、釉伊はこう言った。
「急で悪いが、俺、明日街に出ようと思う」
「え?何で急に?」
藪から棒に言われて、扇磁は目を丸くした。今まで、釉伊が街に出たそうな様子はまるで見られなかったのだ。
「あそこには天山っていう、一流の陶芸家の先生がいらっしゃるんだ。俺、その先生に弟子入りしたいんだよ」
「……そうか」扇磁は肩を落とす。
「お前も来ないか?」
「うーん、行きたいが……この窯を守る者が誰もいなくなってしまう」
「ああ、そうだな」釉伊は苦笑いする。
「じゃあ、俺一人で行ってくる。先生にしっかり習って、技を磨くんだ。習ったことはお前にも教えるよ」
翌日。
「……それで、山から遥々来たと」
突然に現れ門を叩き弟子入りを志願した釉伊を、天山は睨みつけた。首を垂れる釉伊の後ろには、黙々と製作に取り組む弟子たちがいる。
(もしかして……弟子入りは駄目か?)
顔は見ていないのでわからなかったが、声が怖い。威圧としか思えない。田舎者が陶芸に関心を持つなんて、何を考えているのだろうと思ったかもしれない。
「器作りの経験は?」
「あ、あります……一応」
「ならばこれを作れ」
天山が示した先にあったのは、紺碧の地に黒い斑紋が群がる、美しく不思議な雰囲気の陶器「耀変天目」だった。
(えぇぇ……)
そこそこ器作りの経験がある釉伊でも、これを作るのは不可能だと一目でわかる。来て早々これを作れだなんて無理な話だ。
「お前の腕のほどを見たい。教えるのはそれからだ」
相変わらず怖いが、自分を門前払いするつもりはない。師匠としてちゃんと面倒を見ようとしているのだ。それがわかって釉伊は安心し、顔を上げて答えた。
「はい!」
一か月後。兄弟子たちに助言を仰いだりして、釉伊は耀変天目を完成させた。
「うむ」
師匠のその一言だけで、釉伊の背筋は凍った。自分を見限ったのではないのはわかる。だがその声は、明らかに「見るに値しない」と言わんばかりの厳しさがあった。
「あ、あの……先生」
「何だ」
「あの……耀変天目のあの地の色は、どうやったら出せるんですか?何度やっても上手く出せないんです……」
「答えが知りたいならば、今宵は寝るな」天山はきっぱりと言った。
「耀変天目は夜空の器。夜空の深い色を映した、この世にまた一つない作品だ。この色が表せない第一の理由は、お前が夜空を見ていないからだ」
天山は釉伊の習作をそっと卓上に置いて、釉伊に向き直る。
「今から表に出て夜空を見てこい。夜が明けるまでここには戻るな」
釉伊は言われるがまま外に出る。だが心の中で強烈な疑問を抱いていた。
(”夜空を見ていない”?いや、俺は山で何度も見たんだが……)
表に出る釉伊。噂に聞いていた通り、この街は夜になっても眠らない。彼方此方に明かりが灯っていて、周囲に何があるかはっきりわかるという点では昼と大差なかった。釉伊は空を見るが、どれだけ首を上げても明かりが視界に入ってしまう。
(こんなの、山ではなかった)
やがて釉伊は気づいた。
(いや、本当の夜空はここにいたらわからない。明かりが邪魔だ。月や星以外、光る物がない場所でなければ……)
釉伊は天山に内緒で山に戻る。そこで只管夜空を見ていた。扇磁が待つ小屋には戻らず、夜が明けるとそのまま街に戻った。
早朝から製作に勤しむ釉伊。天山は「やけに早いな」と思いつつ、背後からこっそり様子を見ていた。形は以前より確かに美しくなったと感心する天山。だが色を塗る段階になって、彼は目を疑った。
「おい、何だこれは!どぶのように真っ黒じゃないか!誰にこんな色だと教わったんだ!?」
「お言葉ですが先生、これはどぶの色ではありません。れっきとした夜空の色です」
後から入ってきた兄弟子達が、目を丸くして見ている。弟子入りして僅か一ヶ月程しか経っていない分際で師匠に口出しするなど、考えられなかったのである。
「俺、山に帰って夜空を見たんです。そこで見た色は確かにこの通りでした」
「……何だと」
「夜でも彼方此方に明かりが灯るこの街では、空の色、そして月や星の光さえも霞みます。夜空の色の本当の深さなんて、わかる筈がないんです」
「貴様……何のつもりだ」
天山の声には怒りが募っていた。でも釉伊はそんなことを歯牙にも掛けない。
「先生。夜空を知らないのは、あなたです!耀変天目は、夜空の器なんかじゃない!!」
場が一様に凍りついた。弟子たちの視線が一様に釉伊に注がれる。暫くの沈黙の後、天山が口を開いた。
「貴様、私の作品に言いがかりをつけたな」
弟子たちは知っていた。師匠は誇りがとんでもなく高く、少しでも自作を貶した者には容赦しないことを。そんなことをしようものなら、もうその者の運命は決まっている。
「出て行け!貴様はここにいる資格などない!!」
天山は扉をバタンと開けて、釉伊を追い出した。釉伊は無言で出て行った。
「……そうだったのか……」
たった一ヶ月で帰って来た友人から事情を聞いて、扇磁は愕然とする。
「でもいいんだ。ほら見ろよ」
釉伊は懐から染料を取り出した。それらはいずれも天山の工房にあったものだ。
「……おいお前、これって……」
「なあに、ちょっとばっかり拝借しただけだ。このくらいあれば、本当の夜空の色を映した器が作れる!」
解雇されたばかりだというのに、落ち込んでいるようには全く見えない。扇磁は親友の様子を不思議に思っていたが、これで合点が入った。
(“本当の夜空の色“か……どんな作品になるんだろう?)
数ヶ月後。
「よーし、やっといいところまで出来た」
額の汗を拭いながら、釉伊は清々しい表情で言った。彼の足元には、製作途中で放棄された器や染料が散らばっている。
「後はこれを塗れば完成だ。何ヶ月も掛けた甲斐があった……ぅっ」
(バタッ)
「ん?」
外にいた扇磁の耳に、異様な音が聞こえた。物が落ちたにしては重く鈍い音だ。扇磁は慌てて小屋に戻る。
「釉伊!!」
扇磁は息を呑む。釉伊が倒れていたのだ。酷く苦しんでいて、立ち上がる気力もない様子だった。
「せ……扇磁……」
「お前、何ヶ月も休まずにいたせいで、疲れてるんだろ?もう休めよ」
「いや、あと少しなんだ。あの……卓上の染料で塗れば、『耀変蒼目』が……ぁっ」
「釉伊!釉伊!!」
扇磁が抱えた釉伊の体は冷たくなっていた。息もしていなかった。
(『耀変蒼目』……)
扇磁の視線の先には、釉伊の作りかけの器がある。親友が息を引き取ったというのに、扇磁の目には一縷の涙も込み上げなかった。
(釉伊……俺が必ず完成させるからな)
釉伊の急死から一週間後、扇磁は遂に『耀変蒼目』を完成させた。
「うわあ……凄い」
親友の遺言に基づいたとはいえ、扇磁は我ながら傑作が出来たと思った。在りし日に見上げた夜空をそのまま落とし込んだかのような深い色は、自作の中でもこれまでにないものだった。ふと、扇磁はあることを思い出した。
(そういえば釉伊は、天山の作ったのが夜空の色じゃないって言って、工房を追い出されたんだよな)
完成した『耀変蒼目』。これを持ってやるべきことがわかった。
(その天山の作品とやらと、これを比べてみようじゃないか)
「まあ……綺麗……」
「凄い……こんな色、どうやって出したんだ?」
扇磁は街に出て、行き交う人々に『耀変蒼目』を見せびらかしていた。得意げな顔で歩くうちに、扇磁は天山の工房前まで来ていた。
(何だ?外が妙に騒がしいな)
弟子たちを見ていた天山は、いつになく人がごった返しているのを不審に思い外に出る。そこでは見たことのない青年が、見たことのない器を見せ、周囲の者を感嘆させていた。遠目からこっそり見る天山。
「……あの色……!」
間違いない。あの色は、嘗て自分が「どぶのようだ」と貶したものだ。
「おい」天山はその一声で人混みを押しのけ、扇磁に迫った。
「これは誰が作った」
「あ、ああ……これは釉伊が、俺の友達が作ったんです。でもあいつ、作ってる途中で亡くなってしまって……それで、俺が仕上げて完成させたんです。ほら、これ」
相手が親友の師匠だとは知らず、扇磁は興奮気味に『耀変蒼目』を見せる。指差した先には、自分と釉伊の落款が、並んで彫られている。それを見て、天山の心に怒りが沸いた。
「あの野郎……私の作品を侮辱した挙句、死んだら友人を嗾けて、私を潰そうとしたんだな」
「えぇ!?何のことです!?」
「よこせ!」天山はそう言って『耀変蒼目』を奪い取った。
「許せん……こんなもの、こうしてやる!」
地面に叩き落とされた『耀変蒼目』は、粉々に砕け散った。
「……あ……」
『耀変蒼目』の破壊の直後、天山は腹部に拳を受けて倒れ込んだ。周囲には戦慄が走る。
「……あんたが天山か」
間。
「俺の……たった一人の友達が命を懸けて作った作品を、よくもこんな風にしてくれたな」
「いや、あいつが私の作品を貶したから……」
「黙れ!!!」
扇磁は天山に馬乗りになり、何度も顔を殴打した。天山の顔の骨は凹み、歯は砕け、更には血まで噴き出した。だが扇磁は、そんな様子を歯牙にも掛けない。工房前の通りは、瞬く間に真っ赤に染まった。
「この、この、このぉ……」
我を忘れて殴打し続ける扇磁。天山は虫の息になっており、事切れるのは時間の問題だった。
「!?」
振り上げた手が止まる。後ろから誰かに掴まれたのだ。扇磁が振り向くと、そこには工房から出てきた複数の青年が立っていた。
「貴様……よくも先生を……」




