(第十九話)夢違・一
半鬼の状態から解放された後、掬緒は暫く養祥寺で休むことになった。日が昇っても床を離れず、偶に起きては外の空気を吸いに行く毎日。療養最優先と言えど、あまりにこの状態が続くようでは体が鈍る。元の規則正しい生活を送るのも億劫になってしまわないかと、掬緒は心配していた。そんなある日の昼下がり。
「ううう……」
坐胆と丙乙姉弟が心配そうに見守る中、掬緒は突然魘された。握った毛布が激しくひしゃげ、苦しそうな声が次第に大きくなる。
「具合が悪いのかしら……」
丙が薬を用意するが、隣にいる坐胆が止めた。
「いや、これは病気ではない。前世の記憶を思い出しているんだ」
「そういえば、他の”慚愧の怪”の皆さんも、前世を思い出すときにこんな様子だったような」乙が言った。
「大丈夫よ、私たちはここにいるわ」
丙が掬緒の手を握るが、彼は気づかないらしく、一向に落ち着く気配がない。
「仕方ない。引き続き様子を見よう」
坐胆の言葉に、丙はそっと手を引いた。
掬緒の脳裏には、いつだったか見たのとは異なる厳かな光景が広がっていた。
「亡者三十八番、地上にての名は『鎧喝食』―」
目の前には、立派な金の冠を頂く、片目を隠した裁判官らしき人物が鎮座して、巻物を広げて何か読み上げている。
(『鎧喝食』って……僕の名前か?)
「”トガ”の手下として子ども二百人余りを殺し、その亡骸を跡形もなく破壊―」
後ろ手に縛られた状態で座らされ、身動きが取れない掬緒。見開かれた目は前を見ている。だがどれにも焦点が合っていない。
「そして五供・百五十部隊の士、晶珊に討たれた―」
心が潰されそうになるのを抑えようと、掬緒はちろちろと左右に目を遣る。そこには裁判官と同じくらいの背丈で、赤や青など人間離れした肌色の者たちが、厳しい目で見下ろしている。
「よって其方の罪は―」
「!!!」
寝ていた掬緒がガバッと起きた。額は汗びっしょりで、上体を起こすなり水滴が飛び散った。丙が慌てて体を支える。
「あ、あれ……?」
「大丈夫よ。落ち着いて」
丙はそう言って汗を拭う。だが落ち着けない。確かに自分は養祥寺の本堂に寝ていたのに、その実感が湧かない。布団に足が触れている感覚がない。左右に目を遣り見える景色も、心なしかチカチカしているように見える。
(ぐー……)
「あ……」
お腹が鳴った。先ほどまで仄かに抱いていた「自分はまだ夢から醒めていないのだろうか」という疑問が一瞬で晴れた。
「お粥を作っておいたわ」
丙が出来立ての粥を出した。ふわふわした卵が与える優しい印象と、食欲をそそる出汁の匂いが掬緒の心を掴む。
(ガツガツ……)
掬緒は飛びつくように食べた。いくらお腹を空かせていたとはいえ、いつもの食事からは想像できない食いっぷりに、坐胆は目を丸くした。
粥を食べ終わって暫くすると、掬緒はまた眠りについた。
(すぅ……)
俯せに眠る掬緒。微かに寝息が聞こえる。安心しているのだろう。坐胆らの他、郷を回っていた”慚愧の怪”の四人も加わって掬緒を見守っていたが、取り敢えず大丈夫だろうと、皆が思っていた。その時。
「ぅ……うぅぅあああぁぁぁぁ」
また掬緒が悶え苦しんだ。しかも、昼過ぎの時より辛そうに。”慚愧の怪”は勿論のこと、つきっきりで見ていた坐胆らの間にも動揺が走る。
「あ……つ……いい……い……た……い……」
言葉は途切れ途切れで、声を出すのすら苦痛であるようだ。丙が思わず手を差し伸べるが、掬緒は拒絶するように体を反対の方向に向ける。
「おそらくこれは……責苦を受けていた時のことを思い出しているのかもしれません」
䯊斬丸が、心配する丙を気遣うように言った。
「そうかもな……」
坐胆は䯊斬丸の推測に間違いはないだろうと思った。彼をはじめ、”慚愧の怪”は皆前世で責苦を受けていた記憶を思い出した時、尋常ならぬ苦しみに悶えていた。今の掬緒の様子も、何処となくそれを彷彿とさせる。
「苦しいが、見守るしかない」
坐胆の言葉に、一同は項垂れる。
掬緒、もとい亡者三十八番は岩に磔になっていた。辺り一面に炎が燃え盛り、見ているだけで体全体が熱くなる。
「……!?」
磔になっていた筈の体が、急に天高く昇る。目の前に広がっていた炎が遥か下の方に消え、明かり一つない暗黒空間に来た。そうかと思えば、
「うわああああああ!!!」
自分が“浮かされていた”と気づいた時にはもう遅い。漆黒の空がみるみる赤みを帯びる様子を目で追ううちに、体は岩に叩きつけられ、裂けるような激痛が走る。あまりの痛さで気を失いかけると、また体が投げ上げられ、再び激痛に見舞われる。傷が治り切らないうちに上げられては叩きつけられるのを繰り返す為、次第に痛みの感覚も失せて、自分が今どういう状態なのかも考える余裕がない。
「……」
そんな中、亡者三十八番の目が動く。そして、自分の目の前にいる何者かの姿を捉えたところでぴたりと止まった。立っているだけで威圧感のある、蒼い体の巨人。目が止まったのは、単に姿を捉えたからではない。ここに来る前の空間にいた時も感じた、何とも言えない恐怖。固まった体を動かすことは、とてもできそうにない。
「……て!」
巨人が喋ったのか?いや、彼は自分を見下ろしたまま口を開かない。しかも、微かに聞こえた声は女の子のそれだ。とても目の前の巨人には似つかわしくない。
「起きて!!」
「!!」
それまでの苦しみが消え失せたかのように、掬緒は起き上がった。そしてさらに驚いたことがある。今耳元で響いた声は正に、夢の中で誰かが自分を掬うように発したものと同じだったのだ。
「ん……」
目を擦る掬緒。ゆっくりと目を開けて周囲を見る。坐胆、丙、乙、”慚愧の怪”―。
「あれ??」
おかしい。先ほどまでは確かに七人いた。なのに今は八人いる。いつの間にか一人増えている。
「……ゆず?」
行燈の向こうに見える影に目を凝らすと、それは確かにゆずだった。
「どうしてここに?」
「家を失ったからだ」
䯊斬丸がそう言って、掬緒は思い出した。ゆずの家は殀鬼の襲撃で全焼したのだ。それにここ櫻蓮郷は、殀鬼に襲われ故郷を失った者を保護して迎え入れていると、坐胆が言っていた。
「彼女に聞いた。ご両親がお前を殺そうとしたと」
ゆずに手を向けながら、䯊斬丸は続ける。
「而爛の件然り、我々に危害を加えようとする者はここへは入れないことになっている。だが彼女―ゆずがどうしてもお前に会いたいと言ってな。それで、ご両親を養祥寺に近づけないことを条件に、櫻蓮郷に住むことを許可したんだ」
「ゆず……」
事情を聞いた掬緒の表情が曇る。視線の先にいるゆずは、その目で語っている。
(どうしても会いたかった。心配だったの。あなたのことが)
ゆずは掬緒の手をそっと握る。掬緒は嬉しさと申し訳なさがないまぜになって、顔を逸らしてしまった。
その頃、“トガ“の本拠地にて。
「あいつは“トガ“様が仰っていた、『地獄より転生せし反逆者』の一人に違いありません」
「ずっと探していた、『反逆者』の最後の一人……だな」
同胞に見られながら、哀蝉は頭を下げて報告している。“トガ“は思うことがあったようだが、どういうわけか簡単な報告を聞いた後で、
「ご苦労だった。持ち場に戻れ」
そう言って哀蝉を部屋から出してしまった。呆気に取られながら出ていく哀蝉。同胞がくすくすと嗤う声さえ聞こえて、悔しさが込み上げる。
(私はまだ、見下されているのでしょうか……)
悶々とした思いを抱えながら、哀蝉は持ち場に戻る。そこでは脱走したものの結局捕まった黒い牛が横たわっていた。
「全く、あなたのせいで無駄な労力を使う羽目になりました」
哀蝉は苛々しながら牛を見る。よく見るとその目には涙が浮かんでいる。哀蝉はいかにも牛を見下していると言わんばかりの目で、訝しんでこう言った。
「目にゴミでも入りましたか?」
哀蝉は気づかなかった。牛は掬緒に力を分けた瞬間、引き換えに彼の過去を読み取り、それを反芻して涙を流していたことに……。




