(第十四話)十郎
養祥寺では気まずい雰囲気が漂っている。
「……」
顔を合わせても軽く挨拶する程度で、誰も会話が続かない。掬緒が行方不明になった件は寺の外へも伝わり、櫻蓮郷の民は皆心配そうな顔をしていた。そのこともあって、坐胆や”慚愧の怪”は外に出るのも億劫になってしまう。
「参ったな……」
ある日、䯊斬丸がふと愚痴を零した。それには自責の念もあった。”慚愧の怪”の掟に囚われ、掬緒の心情を理解しようとしなかった。もしこのまま掬緒が帰ってこなかったらどうなるのだろう。
『統治者たる者は、殊更に優れた業績を上げずとも、最悪の事態を防ぎきれれば十分である』
掬緒に言ったこの言葉が、心に重くのしかかる。自分の過ちで、もし、最悪の事態が起きてしまったら―。
「やっぱり、きい兄はじゅう兄じゃない!!」
向かいに座っている綺清那が突然声をあげた。俯いていた䯊斬丸が、はっと顔を上げる。
「じゅう兄は、どんなことがあっても絶対にきさな達から離れない!いなくならない!」
話すうちに綺清那の声が詰まっていくのが、䯊斬丸にはわかった。無理もない。綺清那は誰よりも、十郎のことを慕っていたのだ。
(十郎……)
䯊斬丸は十郎が語った過去と、彼と共に戦っていた日々を思い出す。
そこは地獄、のようだがどこか違う異空間だった。めらめらと燃え上がる赤黒い劫火が四方八方にあるのではなく、ただただ暗く静寂に包まれた場所。そこにたった一つ、太陽の如く煌々と輝く光を背に立つ者がいた。”慚愧の怪”に力を与えた弥勒である。彼の視線の先では、四つん這いで体を持ち上げるのがやっとという状態の少年の姿がぼんやりと浮かんでいる。
「生まれてから今まで、僕は皆の邪魔者でしかなかった。辛い。そもそも、生まれたこと自体が間違っていたんです。どうか、僕を消してください。もう、耐えられません」
その少年こそが、後に十郎として生まれ変わる亡者だった。自分が選ばれた「心から罪を悔い、魂が清められて真人となり人を救う見込みがある」という理由を聞いても、今ここにいることに納得できない。
(自分に相応しいのは、身も心も無に帰すこと―)
少年が呟いた時、弥勒が語りかけた。
「そこまで罪を悔いているのに、無に帰そうなんて勿体ない。其方はもうこの地獄から抜け出るのだ。己が美しき心を以て、一人でも多くの人を救いなさい」
少年にとって、弥勒の声は怖いくらいに優しいもので、思わず身構えた。でも、暗黒空間の中には自分以外に弥勒しかいない。それに、彼の言葉は自分の背中を力強く押すような温かさがあった。
「……はい!」
その時、どういう心境変化があったのかはわからない。それでも、少年は人を救う決意を固めた。
亡者は十郎という名の少年として転生し、温かい家族に恵まれすくすくと成長した。彼が生まれ育った村には綺清那とべるめろもおり、まるで兄弟のように仲が良かった。何不自由なく過ごしていた矢先、村が殀鬼に襲われる。
「あいつら……」
十郎は殀鬼への恨みを募らせると共に、両親その他大勢の人を守れなかった無力さを悔やんでいた。助かったのは、一緒に逃げてきた綺清那とべるめろだけだった。三人は無我夢中で走っているうちに、深い森に迷い込んだ。自分たちが何処にいるかわからない不安はあるが、外に出たらまた殀鬼に襲われるかもしれない。やがて夕暮れを経て、空には一番星が灯る。十郎は、綺清那とべるめろを脇に抱いて木の下で眠った。
(……?……)
「その日の朝、私と彩蓮が向かったところに、十郎たちがいた。否、正確には十郎たちに似た”殀鬼”だ」
䯊斬丸と彩蓮はその光景を見て言葉を失った。幼女、童子、少年とみられる三体の殀鬼が、互いを食い合うように暴れて血だらけになっていたのだ。人間を襲う様子がないことから彼らが”慚愧の怪”であることを確信した䯊斬丸は、落ち着いた頃合いを見計らって声をかける。十郎たちは䯊斬丸と彩蓮に心を開き、ついていく。
「十郎は英雄の鑑だった……。自身の宿命を知っても潰されることなく努力を重ね、困っている者を誰一人として放っておかなかった」
無論、䯊斬丸は綺清那やべるめろが十郎に劣るとは全く思っていない。だが十郎が自分の苦労の中でも彼らへの気遣いを忘れずにいたのを思い返す度、二人に比べて強さや気高さが際立っているように感じられたのだ。
「兄さん……」
「ん?」
「……どうして、悲しみは終わらないんだろう」
「何を急に……」
「殀鬼を倒したと思っても、すぐ何処かで別の殀鬼が現れる。そしてまた、大切な人を殺されて悲しむ人が増える」
「……」
「修行が辛いとか、そんなことはどうでもいい。これ以上、悲しむ人を増やしたくない……綺清那も、べるめろも」
十郎の目に涙が溢れる。いつも気丈に振舞っている彼でも、心の中は悲しみで満たされているのだ。䯊斬丸は十郎を見るのが辛くなりつつも、その肩にそっと手を乗せて言った。
「そんなに思い詰めるな。いつか必ず戦いは終わる。その時までの辛抱だ」
ある日、縮地盤で殀鬼の反応があった。
「とてつもない邪気を感じる……この殀鬼は只者ではない」
「それでも行きます、先生!」
坐胆は驚いた。この手のことを言うのは決まって䯊斬丸だ。だが、今聞こえた声は彼のものではない。
「十郎……」
坐胆も十郎の気丈さはよくわかっていた。純粋すぎて危ういと思えるほどだった。だからこそ、十郎が「それでも行く」というのには悲壮さえ感じてしまうのだ。
「行ってきます」
䯊斬丸の冷静な一言で、坐胆は我に返る。
「行きなさい」
”慚愧の怪”が帰って来た。その表情は暗い。だがそれ以上に大きな違和感を、坐胆はすぐに覚えた。
「……十郎はどこだ」
項垂れた䯊斬丸が、懐から弓矢と髪飾りを出した。色こそ黄金であるものの、どちらも輝きを失い非常にくすんで見える。
「これは、十郎の……!」
䯊斬丸が徐に口を開く。「実は……」
”慚愧の怪”が目的地について間もなく、敵が目の前に立ちはだかる。
「あいつは……!」
十郎が思わず口を開いた。綺清那とべるめろも、敵に強い戦慄を覚えているようだ。
「あーら坊やたちぃ、久しぶりねぇん」
三人は確信した。奇矯な言動と、蛇のように靡く後ろ髪。間違いない。目の前の敵は、故郷を襲い家族を殺した仇だ。
「申し遅れましたわん、あたくしは啞瞻でございますのん」
「貴様……よくも皆を……」
十郎の心に、故郷を破壊され、大切な人を殺された怒りが込み上げる。こいつは矢で射てすぐに地獄へ行かせるべきではない。殺された皆の無念を晴らすのが先だ。十郎は『飲食』の力を出すのも忘れ、単身啞瞻に殴りかかる。
「皆の恨みだ、思い知れ!!」
十郎の体が啞瞻の至近距離に迫る。啞瞻は何故か涼しい顔をしている。
「んもう、おいたはおよしん」
啞瞻が右の掌を十郎に翳す。そこには黒い鏡があった。
(ドン!!!)
「……あ……」
十郎は口から血を吐き、地面に落ちる。啞瞻が発した怪光線で、十郎は一撃で倒されてしまったのだ。
「あーた達に特別に教えてあげますわん。あたくしのこの光は、あーた達みたく歯向かう奴らの「清く潔い心」に反応して、体を一撃で貫いてしまいますのん。どんなに防備を固めても無駄ですわよん」
”慚愧の怪”は呆然とする。
「もうここに用はありませんのん。じゃあねぇ~」
啞瞻は高笑いしながら消えた。”慚愧の怪”は尚も呆然としていたが、足元には十郎が倒れている。
「十郎!」
䯊斬丸が十郎を抱えようとした、その時だった。
(ゴオオオオォォォ……)
風の音かと思ったが違う。地が割れるような、獣の咆哮のようなおどろおどろしい音。そして、何処かで聞いたような音。
「この音は……」
恐怖と違和感が綯交ぜになった䯊斬丸の目の前で、それは起きた。地面に大きな暗黒の穴が開き、十郎がその中へみるみる吸い込まれてしまったのである。
「じゅう兄!!」
綺清那が䯊斬丸を押しのけて現れる。べるめろも続いて現れた。
「何で!?何で!?」
綺清那が十郎の手を掴んで引き摺り上げようとする。他の四人も手を伸ばした。だがそれも空しく、十郎の体は地の底へ吸い込まれ、穴諸共消えてしまった。
「いやあああ!!!」
綺清那の慟哭が、虚空いっぱいに響き渡った。
「何だと……」
坐胆は愕然とした。穴は倒した殀鬼を地獄へ送る穴だ。殀鬼を殲滅するという気概に溢れ、仲間にも優しかった十郎が地獄送りになる理由など、全く見当たらない。
「じゅう兄が何したって言うんだ!」
綺清那とべるめろは泣き崩れた。泣きたい気持ちは䯊斬丸や彩蓮も同じだった。そのような中で、䯊斬丸は唇を嚙みながら坐胆に問うた。
「先生。私と彩蓮を十郎たちの村へ向かわせたのは、武器を残して行方不明になった”慚愧の怪”を探すという目的も含まれていましたよね」
「ああそうだ。生きていれば保護し、もし亡くなっていたら、せめて亡骸を見つけて弔いたいと思っていた。たとえ面識がなくとも、同志であることには変わりない。誰にも看取られずに最期を迎えてしまうのは、あまりに忍びないと思ったからな」
「……やっと、その原因がわかりました」
䯊斬丸の口調は重い。坐胆も”慚愧の怪”に課された予想外の宿命に、恐れと驚きを隠せなかった。
(”慚愧の怪”の危険性は、殀鬼になることだけではなかった。どれだけ徳を積んでも、どれだけ殀鬼を倒しても、倒された者は全て地獄へ送られる―)
四人と坐胆は、十郎を失った悲しみよりも”慚愧の怪”の過酷な宿命を知った衝撃の方が大きかった。翌日以降、四人は極度の不安から戦いを拒否したり、精神が錯乱して殀鬼になりかける頻度が増え、さらには寺の外へも出なくなってしまう。丙と乙、そして櫻蓮郷の人々の間では心配が広がった。
「どうすれば……」
坐胆がそう思っていたある日、養祥寺に一匹の猫が迷い込む。淡い色の三毛で、金目銀目。見るからに縁起のよさそうなそれは、初めて会う坐胆にすぐ懐き、膝の周りをくるくると回った。猫がすっかり可愛くなって、坐胆はそっと抱き上げる。その股を見た時、坐胆は目を丸くした。
「……雄だ」
金目銀目で、しかも滅多にお目にかかれないという雄の三毛。こんなにも幸運の兆しに溢れた猫を飼わないわけにはいかないと、坐胆は思った。
「お前に”福”と名付けよう」
坐胆は早速首に鈴をつけ、四人に見せる。福は人間への警戒心がないのか、四人の顔を見るなり親しげに近づき、膝に乗っては喉をゴロゴロと鳴らした。愛らしい福に癒され、四人は少しずつ元気を取り戻した。
尚、坐胆は福を飼う以外にも、四人を考慮した一種のゲン担ぎをしていた。隠棚には精霊馬と牛が置かれていたが、十郎の死を受けて牛を撤去したのだ。”慚愧の怪”は死後地獄へ堕ちるという事実を知った後では、魂をあの世へ帰す牛の存在は縁起が悪かった為である。
十郎との思い出を一通り振り返った後、䯊斬丸は呟く。
「閻魔様、獄卒様、何か私に隠していたのですか?」




