(第十一話)荘楼閣の罠
ある日の真夜中、縮地盤に反応があった。坐胆は”慚愧の怪”を招集する。
「皆、気をつけて行ってきなさい」
「はい」
五人が光に包まれて消える。月明かりに照らされる本堂の中で、坐胆は妙な気分になった。
(おかしい。何か、今までと違うような……)
坐胆の膝の上では、福が安心しきった表情で眠っている。
”慚愧の怪”が来たのは、遥か遠くに山の影が見える開けた土地だった。殀鬼は五体の小さなものと、それを従える一体の巨大なものがいた。小さい五体は非力ですぐに倒したが、問題は巨大な一体だった。攻撃を幾ら加えても、蚊に刺されたほどにしか感じていないようなのだ。
「わああ!!」
巨大な足が踏み下ろされる度、大地が割れて窪む。その様はまるで蟻地獄のようだった。
「うわぁ!」
「あぶ……ない」
綺清那は岩がないので水を出せない。べるめろは法輪を投げても撥ね返されてしまう。
「……うぅぅ???」
殀鬼が足を止める。䯊斬丸が『香』の力を使ったのだ。直後に彩蓮が『花』の力で大量の花びらを発生させ、殀鬼の体を包み込んだ。
「今ですわ」
彩蓮はそう呟くと、体を低く構えて走り出した。脛を狙おうとしたのだ。
「ぐわぁぁぁ!!」
動きを封じられていた筈の殀鬼が、力を解放して花びらを四散させた。瞳が真っ赤に光っている。怒りが頂点に達しているのは火を見るより明らかだった。
「きゃあ!!」
「彩蓮!!」
䯊斬丸が声をかけた時には既に遅く、殀鬼は彩蓮を摘まんで口に入れようとしていた。それを見た瞬間、掬緒は村を殀鬼に襲われた日のことを思い出す。
「くっ……こうなったら……!」
掬緒は持てる怒りの全てを集め、聳えんばかりの巨大な怪物の姿に変身した。
「わっ!?」
怪物と殀鬼。二つの巨体が歩く度に、大地が揺れた。あまりに大きく揺れるので、䯊斬丸らは立っていられなくなった。
「姉さんを離せぇぇぇぇ!!!」
怪物は腕を振り上げ、その鋭利な鉤爪で殀鬼の顔を引っ掻いた。
「うああああああ!!」
殀鬼は目を潰され、悶え苦しんだ。その拍子に彩蓮を落としたのが目に留まった怪物は、すかさず掌で受け止めた。怪物は全身が鋼鉄で覆われているが、掌は柔らかいのだ。
「大丈夫?」怪物は、恐ろしい見た目に反した穏やかな声で彩蓮を気遣った。
「掬緒……」彩蓮は安心するどころか、恐れ慄いて後退りしている。
「え?」
彩蓮の一言で、怪物は我に帰った。その体は次第に小さくなり、掬緒の体に戻る。
「掬緒、射て!」
䯊斬丸の声を聞いて、掬緒は五穀の矢を束ね、敵の顔面に向けて放った。
「うっ、うあぁ、こっ、この……ぉ……」
掬緒の目に映ったのは、醜い容貌の巨漢だった。観念はたまた恨みのどちらともとれる表情で、彼は地獄に引きずり込まれていった。
「……」
慣れてきたと思っていても、敵を倒す度、掬緒の心には雲が立ち込めた。そして、押し黙ってしまうのである。
「兄さー」
(パシッ)
意気揚々と䯊斬丸に報告しようとしたら、思い切り叩かれた。ヒリヒリする頬の痛みを忘れ、掬緒は唖然とする。
「掬緒……」
「何?」
「安易に殀鬼になるな」
「……えー……」掬緒が不服そうな声で言う。
(姉さんを助け、敵に止めを刺した。なのに、終わった後の第一声がこれ?少しは労ってよ……)
掬緒はあくまで心の中で呟くに留めたつもりだったが、不満はしっかり表情に表れていた。それで苛ついたのか、䯊斬丸は掬緒の胸倉を掴んで厳しい声で言った。
「何度も殀鬼になると、元に戻れなくなる。そうなると、お前には討たれる以外に道がなくなる。今までの努力が、全て無駄になるんだ」
「でも、ああしなきゃ姉さんがー」
「言い訳するな」䯊斬丸がぴしゃりと言った。
「……わかったよ」
表向きは忠告を聞き入れたように振舞う掬緒。だが内心では殀鬼に変身する度に自分を叱る䯊斬丸にうんざりしていた。
(そりゃあ、出来れば僕だって殀鬼になりたくないよ。でも、それじゃ勝てないと思った。兄さんだって、それはわかってる筈なのに……)
「人間は何処にいるのだろう」䯊斬丸が溜息交じりに言う。
「……あれ」べるめろが指差した向こうに、楼閣の形を成した灯りが輝いていた。周囲を山に囲まれた中で、場違いのように目立っている。
「行こう」
五人が芝を踏み締めて歩き出した、その時。
「あの〜そこの方々!!」
妙に威勢のいい声で呼びながら、長身の男が駆け寄ってきた。
「陰で拝見させて頂きました。あの恐ろしい怪物を倒してくださって……本当にありがとうございます!!」
いきなり礼を言われ、五人は嬉しいながらも困惑する。男は光り輝く楼閣を指差して言った。
「怪物どもは人を見るとすぐ襲ってくるので、私たちは而爛様が主人を務めていらっしゃる荘楼閣に籠るしかありませんでした。でもこれで、ようやく外に出られます。心より感謝申し上げます」
恭しく礼を言う男に対し、五人も頭を下げる。自分たちでさえ苦戦したのだから、攻撃の術がない人間にとってはさぞ怖かっただろう。
「大変お疲れになったでしょう。荘楼閣でゆっくりお休みなさってください。そして、是非とも而爛様に会って頂きたいです。さあ、こちらへ」
五人は案内されて歩き出した。掬緒がやっと休めると思って安心する一方、䯊斬丸はどこか険しい表情で男を見ている。
(”ようやく外に出られる”って……彼らが以前からこの草原に住んでいたような言い方だ)
「兄さん?」と掬緒。
「……いや」䯊斬丸はそう答えるも、どうしても拭えない疑問がある。
(人が住んだ形跡がない。ここは今日までずっと只の草原であるようにしか見えないのだが……)
「わあぁ……」
ぼんやり遠くに浮かんでいた光は、近づくにつれて豪華絢爛な楼閣を形作っていく。掬緒は荘厳な建物を見て思わず溜息をついた。そして足を止めた。
「あーきぃ兄!」綺清那が掬緒にぶつかってしまう。それで掬緒は我に返った。
「ごめん」
やがて男が楼門の前で立ち止まる。その視線の先には、艶やかな紫色の羽織が建物の黄金によく映える、銀髪の老人が立っていた。
「而爛様、こちらが怪物を倒してくださった方々です」
男の報告を聞いて、而爛はにこやかに微笑んで言った。
「みなさん、我が荘楼閣へようこそ。細やかですがお礼のお食事も用意いたしました。ごゆっくりなさってください」
「いただきまーす!!」
掬緒は食卓に出された立派な鯛の姿焼きにかぶりついた。
「おい、行儀が悪いぞ」
「あ、いっけない」
掬緒が慌てて鯛を置く。䯊斬丸は掬緒を諫めつつも、彼がはしゃぐのも無理はないと思った。天井から床まで、何処から調達したのだろうと言いたくなるほどに金が塗られている。一面の黄金が放つ眩い光は、疲れが溜まっている筈の身を休ませてくれない。だが、それがとてもいい。
「おいしい〜」
「……うまい」
綺清那とべるめろが、見た目にも美味しそうな料理に舌鼓を打っている。その横には彩蓮が座っていて、黙々と、しかし美味しそうに料理を食べていた。
「おいしいですわ……でもそろそろ口直しが欲しいですわね」
「丁度良かった!」彩蓮の隣に、やや肥えた男が現れた。抱える盆の上には茶碗が五つある。
「たった今淹れたばかりのお茶です。どうぞお飲みください」
「ありがとう。頂きますわ」
彩蓮に続き、男は綺清那、べるめろ、掬緒、そして䯊斬丸にお茶を渡した。
「味はまあまあかな~」
「……ちょっと甘い」
「そう?丁度いい味だと思うけど」
三人が味わうのを横目に、䯊斬丸は香りと共に味を堪能する。
「悪くないな」
他の四人とは異なり、䯊斬丸は茶を少し口に含んだ程度だった。目の前には上から下まで隈なく黄金色に染まった空間がある。が。
「……ん??どういうことだ?何だか、目の前が、暗く―」
䯊斬丸が気づいた時は既に遅かった。お茶に混ざっていた薬によって、五人は瞬く間に眠りに就いてしまったのである。
而爛は”慚愧の怪”がお茶を飲む前に宴会の間をこっそり抜け出ていた。彼が向かった小部屋には、複数の位牌が並ぶ仏壇が置かれている。
(あいつらが幾ら「人の為に殀鬼を倒す」といっても、本質は変わらない。放っておけばいつか必ず我々に牙を剝く)
実は、”慚愧の怪”を迎えに行った男と彼らにお茶を提供した男は而爛の手下だった。彼らの報告で五人が殀鬼であると確信した而爛は、彼らを眠らせて予てからの作戦を実行に移そうとしていた。而爛は仏壇の前で正座し、手を合わせて言った。
「父上、母上、そして鹿蘭。今宵敵を討ちます」
䯊斬丸が目を覚ました。
「はっ!!」
おかしい。目をしっかり開けた筈なのに、未だに目の前が暗い。さらに、先ほどまでは座っていたのにいつの間にか立っている。否、自分は吊るされているのだ。しかも宴会場とは正反対の、光一つない暗黒空間に。
「……!」
暗がりに慣れた目を凝らすと、そこには複数の人間が立っていた。いずれも先ほど見た者だ。宴会場では自分たちを心から歓迎しているかの如く愛想がよかったが、今の彼らからはその時の面影は消えている。
「人間のふりをして殀鬼を倒すとはよく考えたもんだ」
そう言ったのは長身の男だった。明らかに自分を見下している。
「いつかは化けの皮が剥がれるくせに、悪あがきしやがって」
「私たちを騙そうったってそうはさせないよ」
他にも聞き取れない程多くの罵声が聞こえた。䯊斬丸は悟った。彼らは最初から自分たちを騙すつもりだったのだ。さらに気づいたのが、周囲に仲間がいないことだった。彼らは五人をばらばらに連れ去り、拷問の末に殺そうとしているー。
(人間に手を出してはならないが……こればかりはやむを得ない)
䯊斬丸は精神を集中させて『香』の力を発動した。
「な、何だ?この香りは……」
「すごくいいねぇ……而爛様のお香みたい……ふああ」
䯊斬丸の前にいた者たちの大半が眠ってしまった。ただ一人、小刀を持った男が眠りにつけず、ふらつきながら歩いている。
「気の毒だが、これも仲間の為だ!!」
䯊斬丸は敢えて、その男に一層強い『香』の力を使った。この力を使うと、対象者を自在に操れる。普段は「相手の尊厳を傷つける」として、䯊斬丸が自戒を込めて封印しているのだ。
(その刀でこの縄を切れ)
心に響くその声に導かれ、男は小刀で次々に縄を切った。䯊斬丸が自由の身になった後、男は眠った。
(「騙そうとしていた」と言われた手前、本当に騙して眠らせてしまうのは気が引けるが……これも仕方ない。早く皆を探そう)
䯊斬丸は出口を探すが、それらしきものはない。あるのは襖だけだった。
「この奥か?」
男たちが眠りから醒めないよう気を配りながら、䯊斬丸は慎重に襖を開ける。
「!!」
そこには深い闇しかなかった。足を一歩でも踏み外せば、自分は真っ逆さまに落ちてしまう。
(ううう……)
深淵の彼方から聞こえた、微かな声。䯊斬丸はそれが誰のものかわかっていた。
「彩蓮!!」
足場がないことなどどうでも良かった。䯊斬丸は彩蓮を助けたい一心で、暗黒の中へ飛び込んだ。
彩蓮は満身創痍の状態となっていた。白い肌に、痛々しい赤黒い傷がいくつもついていたが、周囲の者は気に留めようとしない。
「彩蓮!!」
䯊斬丸は部屋に着くなり『香』の力を使い、而爛の従者が眠った隙に彩蓮を救出した。
「䯊斬丸……?」
「歩けるか?」
「ええ、何とか」
重い足取りではあるが、彩蓮は歩けるようだった。二人は襖を抜け、深淵の中へ飛び込む。
䯊斬丸と彩蓮は、襖を抜けて綺清那とべるめろを次々に救出した。二人も傷だらけで目も当てられない姿になっており、意識はあるものの殆ど歩けない状態だった。䯊斬丸がべるめろを、彩蓮が綺清那を背負う。その状態で幾度か襖を抜けては飛び降りたが、掬緒がなかなか見つからない。
「これだけ探しても見つからないなんて……」彩蓮が心配する。
「いや、必ずどこかにいる筈だ。虱潰しにでも探そう」
四人は掬緒の行方を求め、何度も深淵の中へ飛び込んでいく。




