(第十話)裏切りの怪
「ねえあなた〜遊びに行きましょ〜」
「ハハハ、そうだな」
街の外れにあるぼろ家。日の光も殆ど入らない暗澹たるそこの隅に、掬緒と年の変わらなそうな少年が蹲っている。
(……またかよ)
少年は両親と三人で暮らしているが、家族の触れ合いは殆どない。両親が事ある毎に遊びに出かけ、いつも一人置いていかれるのだ。両親は帰宅後も二人で話してばかりで、子どもの存在など忘れているかのようだった。
(俺の名前は……何だっけ)
数年後、ある日の昼下がり。
「助けて!!」
「助けて!!」
多くの人で賑わう下町が騒然となった。青年が刃物を持って暴れ、通行人を次々と刺したのだ。奉行が取り押さえようと動くも、動きが素早くてなかなか見つからない。人々は下町から避難するが、行方が全く掴めないので、いつ自分が襲われるかと不安でならない。
(……!!)
悲鳴が響いても気に留めることなく、青年は刃物を握りしめ、標的を探して走っている、筈だった。だが次第に、人が目に映れば誰でもよくなっていた。
(みんなさっきまで楽しく遊んでいたんだろう、俺のように家で一人孤独だったのではなく。こいつらのせいで、親父とお袋が遊んでばかりになったんだ)
その青年がいたのは、両親が毎日遊びに行っていると聞いた町だった。時間を忘れ楽しそうに時を過ごす人々を、青年は遠い目で見ていた。感情さえも、何も沸かなかった。だが青年の足は動かない。何も感じなかった筈なのに、回れ右をして帰る気になれなかったのだ。
(あいつら……許さねぇ……!)
気がつけば青年は全身血塗れだった。自分でもわかるくらい血生臭い体になっていた。
「俺は……何なんだ?」風が青年の体を掠めるように吹く。
「”誠に殀鬼に相応しい者”だ」
風に乗って、低く太い声が響いた。昼下がりの町が広がる青年の視界が、突然真っ暗になった。
「俺は“トガ”。お前には血がよく似合う。穢れた人間どもを捨てて俺の手下になれ」
「……!?」
(その“トガ”とかいう奴が俺の顔をがっちり掴んだ。そして俺を『喜猩々』と呼んだ。それ以降のことは飛び飛びにしか覚えていない。記憶に残っているのは、「遊びに行きましょ~」「そうだな」という男女を鎌でずたずたにし、その勢いで町を駆け回ったら町が壊滅したこと。そして、同じようにして他にも多くの町を血祭りに上げていくうちに、人間を血祭りに上げるのが無上の快楽となっていたことだった)
䯊斬丸と喜猩々は、漆黒の夜空に星を光らせるかの如く、互いの武器をぶつけ合っている。䯊斬丸は体勢を立て直したが、それでも押され気味だった。
「だがお前……結局負けて、地獄で責苦を受けていたんだろう?それを乗り越え、己の罪を悔いた筈だ」
「そんなのはどうでもいい。地獄のことなどとっくに忘れた」
「罪深き身が人を救う戦士として生まれ変わらせて貰えるのは、この上なく名誉なことだ。なのに何故、それを無碍にするような真似を……」
䯊斬丸は地面に倒れ込んだ。喜猩々が鎌の切っ先を喉元に突きつける。
「お前、生まれ変わった奴は皆よくなると思ってんのか?」
切っ先がさらに喉に刺さる。このままでは喉笛を斬られてしまう。流石の䯊斬丸も冷や汗を流した。
「転生者の大半は前世の記憶を失い、戦士となることもなく一生を終える。だがお前は前世の記憶を持ち、”慚愧の怪”として選ばれた。お前には幾つもの奇跡が起きていると思わないのか!?」
「なぁにが奇跡だ」喜猩々の眉間にしわが寄る。「奇跡なんぞ起きるどころか、また不幸になった。お前の言うことは、何一つ信じられねえよ」
「おい施助……一体何があったんだ」
喜猩々は施助として転生する。新たな両親は、前世の両親に比べれば自分を大切に育てていたが、二人とも多忙で家を留守にすることが多かった。さらに悪いことに、この頃、施助は前世のことを思い出しつつあったのだ。前世と現世、双方の両親が日々重なっていく。地獄で自分を担当していた五の卒が、微笑みながら自分を応援していたような気がする。でも何を言われたのかなんて、もう全く覚えていない。
(俺は生まれ変わっても幸せになれねえ。誰かが祈ったとしてもな)
それが真実だと、長らく思っていた。だが自分の村が襲われ両親を失った後、転機が訪れる。
「先生、殀鬼がまだ残っています!」聞いたことのない青年の声が響いた。
(殀鬼……?)
おかしい。俺は施助だ。殀鬼なんてものじゃない。
「……何か言い残したことはあるか」
逡巡している間に青年が目の前に迫っていた。艶やかな銀色の刀を施助に向けている。その刀身に映る姿を見て、施助は愕然とした。
「何だ、この、変な猿は……」
「䯊斬丸、待て」
また別の者の声がした。青年が向いた先には、僧侶のような出で立ちの男が立っている。深く重みのある声に違わぬ威厳があると、施助は感じた。
「この殀鬼には攻撃性を感じない。今すぐ斬る必要はない」
「先生、まさかこいつは……」
(䯊斬丸とかいう奴は攻撃を止めた。先生とかいう坊主は、俺を”慚愧の怪”と言った。何のことかさっぱりわからなかったが、もう俺の居場所はここにはない。こいつらについていくしかなかった)
施助は弥勒から『浄水』の力を授かった。武器は綺清那と同じ鉾だが、施助は鉾として使うのを嫌がった。そんな意図を弥勒が汲んだのか、鉾はいつの間にか二本に分かれ、水を纏う鎌になった。しかもそれが板につき、施助は短期間で腕をめきめきと上げ、䯊斬丸と組んで多くの殀鬼を倒した。
「素晴らしい……」
武器の形状変化と施助の成長の速さという二重の奇跡に、坐胆は感嘆する。
「殀鬼を倒すのは最高だな!こんなに面白ぇこと、他にはねえや!!」
施助は䯊斬丸に何度もこう言っていた。表向きは理解を示す䯊斬丸。だがその心は曇っていた。
(あのなぁ、”慚愧の怪”は快楽の為に戦うんじゃないんだぞ……)
ある日、坐胆は䯊斬丸と施助にこう言った。
「殀鬼に追われた者たちを守る国を創りたい。一緒にやらないか?」
䯊斬丸はすぐに「はい!」と答えたが、施助は気が乗らないのか俯いている。
「どうした、施助」
「俺は戦いてえんだよ。国を創るなんて面倒なこたあしたくねえ」
「おい、施助……」䯊斬丸がそう言っても、施助は気にしない。
「俺がやりてえのは殀鬼を討つことだけだ」
施助の真剣な眼差しを見て、坐胆は折れた。これ以上国創りに誘っても、断られるだけだ。
「……わかった。お前は殀鬼を討つのに専念しなさい」
「でも先生、施助はずっと一緒に戦ってきたのに、あっさり別れてしまっていいんですか?」
「施助にはその方が、国創りより向いている。別に見限ったわけではない」
䯊斬丸を諫めた後、坐胆は施助の方に向き直る。
「この松が峰を、再び殀鬼が襲うかもしれない。お前はここで、人々を守りなさい」
(勿論、他にも行きたいところは山ほどあった。でもここには俺以外の”慚愧の怪”はいない。ここを守りつつ、近くの村でも殀鬼が出たら倒しに行く。それで妥協した)
「施助……」話を聞いていた䯊斬丸は、怒りと悲しみが綯交ぜになっていた。
「やはりお前には奇跡が起きていた。ここで生き甲斐を得、峰の者にも信頼されて―」
「何も知らねえ奴は黙れ!」喜猩々は䯊斬丸の言葉を遮った。「ここの奴らはなあ、俺を裏切ったんだよ!!」
当初は殀鬼の討ち取りに無類の生き甲斐を感じていた施助。だがそれは次第に薄れていった。松が峰をはじめ、行く先々で住民が殀鬼退治を自分一人に任せきり、明らかに一矢報いることができそうな武装をした者も、施助の姿を見るなり一目散に逃げ去って、碌に礼も言わなかった。現世でも親に愛された実感がなく、さらには前世の記憶を朧げに持つ施助にとって、いざという時に逃げるだけの者は遊びに興じて自分に目もくれない両親そのものだった。前世でも現世でも親に愛されず、さらには助けた者まで彼らと同じような態度をとる。
(俺は生まれ変わっても幸せになれねえ。誰かが祈ったとしてもな)
施助は嘗て心に抱いていた絶望を思い出す。だが今回はそれだけではなかった。
(俺が幸せになれねえのは、周りの奴らのせいだ。いや、人間は人を捨て、剰え礼も言わねえ。愛とか信用なんぞ、幻想に過ぎねえんだ)
施助がそうも人間への不信を強めた、その時。
「その通りだ」
周りに誰もいないはずなのに、声が聞こえる。しかもそれは、何処かで聞いたような声。
「久しいな、喜猩々」
喜猩々?なんだその名前は?と聞きたかった、筈だった。だが口から出た言葉は、
「お久しぶりです、”トガ”様」
「愚かな人間どもの力になる必要はない。お前に誠に相応しい生き方は……殀鬼だ」
「ええ、ごもっともです。本当に信じるべきは、まぎれもないあなたです」
施助は自ら、その顔を差し出す。”トガ”は徐に手を伸ばし、妖術をかけた。
「何てことを……」䯊斬丸は唇を嚙んで言った。
「お前も見ただろう?ここの奴らが死体になってんのをな。本当にいい気味だ!ハハハハハ!!!」
殀鬼に身を落として人を殺め、剰え愚弄している。今まで聞いた話を忘れるくらい、䯊斬丸の心に怒りが沸いた。目の前にいる奴は施助ではない。殀鬼・喜猩々だ。施助は死んだのだ。
「ハハハハハ!……ハ、ッハ、ハ……ァ?」
喜猩々は突然押し黙る。固いものをかち割る音がして、額から粘り気のある血がゆっくりと流れている。その血の間から、冷たい銀色に光る剣先が見えた。
「ここの人間が愚かで気に入らないなら、何故ずっと居座り続けた?」
䯊斬丸に問われ、喜猩々ははっとする。だが答えが見つからない。
「人間が愚かなんじゃない。お前が理想的な人間に出会えていないだけだ。つまらない理由で、人間全てを呪うな」
「兄さん!!」
闇の向こうから声が聞こえる。掬緒だ。
「猿が突然消えたんだ。一体何が―」
「話は後だ。掬緒、矢を出せ!」
「う……うん!」
掬緒は黄金の弓矢を出す。䯊斬丸が避けた先には、血を流して倒れている喜猩々の姿があった。掬緒は猿が消えた理由を察しつつ、弓を握る手に力を込め、ゆっくりと矢を引いて、顔目がけて放った。
「うわああああ!!」
喜猩々は止めを刺され、地獄へ引き摺られていく。その途中、誰かの幻影が浮かび上がった。微笑み合っている大人が二人。喜猩々はそれが誰だかすぐに分かった。
「親父!お袋!」
だが二人はその声が聞こえなかったのか、
「ねえあなた〜遊びに行きましょ〜」
「ハハハ、そうだな」
そう言って何処かへ行ってしまった。人間を憎む元凶となった存在が、幻影となっても尚自分を気に留めない。喜猩々は怒り狂う。
「畜生!お前らのせいで俺はこうなったんだ!責任取れ!馬鹿野郎!!!」
喜猩々は、前世の両親への恨み節を吐きながら地獄へ消えていった。
喜猩々が敗れた後、彩蓮、綺清那、べるめろが帰って来た。三人の視線の先には、蹲る䯊斬丸と、その背中に手を伸ばす掬緒の姿。事情を察し、三人は無言で見つめている。
養祥寺に帰った”慚愧の怪”は、坐胆に報告する。
「それは辛かったな」
櫻蓮郷の領主になる前、幾多の殀鬼と戦ってきた坐胆。彼にとっても、嘗ての同志が敵に寝返るという事態は前代未聞だった。
「私があの時、無理にでも引き留めればよかったのかもしれない」
「いいえ、先生は間違っていません!」俯いていた䯊斬丸が声をあげた。
「本当はこんなことを言いたくありませんが……あいつは遅かれ早かれ、”トガ”に寝返ったと思います。いいんです、これで―」
隣に座る掬緒は、ふと䯊斬丸の手に視線を移す。声の勢いとは対照的に、それは震えていた。掬緒は、䯊斬丸が本当はどう思っていたのかがわかる気がしたが、沈黙を貫いていた。




